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2005.01.31

消えゆくブルトレ

 鉄道を頻繁に利用する人たちと鉄道ファンにとって、JRグループのダイヤ改正というのは一大イベントである。新線の開業やそれに伴う新しい列車のデビューと言った明るいニュースがある一方で、親しんできた列車名がなくなるという寂しいニュースもある。

 今度の3月1日に実施されるダイヤ改正では、かつて一世を風靡したブルートレインが2本姿を消す。現在〈富士〉がつけている東京発「1」の列車番号を以前つけていた〈さくら〉(東京-長崎間)と、半世紀近い歴史を誇り20系客車が初お目見えしたときには「走るホテル」とまで言われた〈あさかぜ〉(東京-下関)の2本である。〈さくら〉の廃止に伴って、東京-鳥栖間を併結運転されていた〈はやぶさ〉(東京-熊本間)は、今度は東京-門司間で大分行きの〈富士〉と併結運転されることとなる。asahi.comによると〈あさかぜ〉と〈さくら〉の最終列車の切符は、それこそあっという間に売り切れたそうだ。

 思えば、おれが21世紀到来の瞬間を迎えたときには、大晦日に東京を発った〈富士〉のロビーカーにいた。幸いB寝台個室ソロが取れたので、気楽な道中だったが、ロビーカーに向かうまでの開放式B寝台の車両はガラガラだった。ロビーカーも拍子抜けするくらい閑散としていて、おれと同類と思われる御仁1人と男女のペアが1組いたくらい。おれは車内の自販機で買ったビールで独り寂しく新しい世紀に乾杯した。車掌交代の際のアナウンスでは「またのご利用をお待ちしております」とあいさつしていたが、おれは「次に乗る機会はあるんだろうか?」と不安に駆られたものだった。

 もとひささんの「よしなに。。。」でも、廃止される〈あさかぜ〉に対する思いがつづられていて、同じブルトレファンとしてとても共感できるものがあった。

 3月の到来と共に、東京駅の夜は一気に寂しくなりそうだ。

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2005.01.30

テトラパックを憶えてますか?

 おれが小さい頃、大好きなコーヒー牛乳(うるさく言うと現在この名称は使えなくなっている)は紙でできた三角形の容器に入っていた。まあコーヒー牛乳に限らず、乳飲料の類というと三角形の容器に入っているのがポピュラーだったような記憶がある。その容器のことをテトラパックというのだと知ったのは、もうちょっと大きくなった頃だ。

 ここ数年、「テトラパックって最近見かけないなあ」とすら思わなくなったつい先日、家の冷蔵庫でばったり再会した。なんだか幼稚園時代に仲のよかった友達と高校の入学式で再会してお互い驚いた(実話)みたいな再会の仕方だった。

 容器は紙ではなく半透明のプラ製だったが、その外観は紛れもなくテトラパックで、中身はちゃんとコーヒー牛乳だった。製造元を見ると、北海道江別市にある北海道酪農公社(自社サイトは持っていないようだ)とあった。

 これはブログのネタになる、と思ってこのトピックを書き始めたのだが、「テトラパック」をキーワードにして検索してみたら、そのものズバリの「日本テトラパック株式会社」が見つかってさらに驚いた。会社案内によると、あの三角形の容器が開発されたのは1944年とのこと。その後1963年にレンガ型の容器(現在の容器の主流か?)が誕生した、とある。1リットル入りの牛乳パックといえば誰もが連想するであろう屋根型の容器のライセンスを持っているのもこの会社のグループだそうだ。

 なぜあの三角形の容器が使われなくなったのかまでは分からなかった。ただ、再会したテトラパックの容器にはこんな注意書きがあった。「※商品のカドが鋭くなっており、けがをされるおそれがあります。取り扱いにご注意下さい」。ひょっとするとPL法が施行されてそのあたりに敏感になり、危険なテトラパックは廃れていったのだろうか?

 疑問は残ったが、冷蔵庫の中にあったコーヒー牛乳は残らず飲んだ。

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2005.01.29

何のための板新設?

 ココログのプロフィールにも書いたが、おれは特撮物が好きである。そして多くのネットワーカーの例に漏れず、2ちゃんねるの一部のスレッドなどもチェックしている。たまには書き込んでみたりもする。もっとも、最近の作品をリアルタイムで追いかけるようなことはほとんどせず、どちらかといえば昔の作品を懐かしむスレッド中心にチェックしている。

 その2ちゃんねるに昨年の11月頃だろうか、「懐かし特撮」なる板が新設された。ある日ボードの更新状況をチェックして、そんな名前の板が出来たことを知ったおれの反応はこうだった。

「なんでそんなもんが要るんだ?」

 もともと既存の「特撮!」板は、対象とする作品の新旧は問わなかった。まあ特撮を扱う板がひとつしかなかったのだから当然といえば当然なのだが。それでも、これを書いている時点でのスレッド数は700強である。わざわざ古い作品群で板を作らなければならないほどの量とは思えない。

 そもそも、1970年代のようにあちこちの製作会社が特撮作品をぼこぼこ作っていた時代(特撮番組同士が裏番組になったケースもあった)ならいざ知らず、現在作られている特撮作品はたかが知れている。「ファン」より一段階か二段階濃い層のDVD等関連商品の購入を当て込んでか、それこそ朝から深夜まで把握しきれないほどの作品が製作されているアニメ業界とは環境が違いすぎるのだ(事実アニメ関連の板は現時点で8つもある)。だから「なんで――?」という疑問が生じる。

 「いい年こいた特撮ファンはここで茶飲み話でもしてろ」ということなのだろうか? ここ2,3日、巡回先にしているあちこちのスレッドにこんな書き込みをしているやつがいる。下は「ウルトラセブン」のスレッドに書き込まれたものだが、文面はどのスレッドでもすべて同一だ。

82 名前:名無しより愛をこめて 投稿日:05/01/28 00:08:03 EAMgKc/j
 懐かし特撮板出来ました
 http://bubble3.2ch.net/rsfx/

 マメというかヒマ人の所業というか、懐古的なスレッド(『特撮!』板のみならず『懐かし邦画』板内の特撮映画に関するスレッドに至るまで)に絨緞爆撃でも仕掛けるかのように、この書き込みが行われている。これを「EAMgKc/j」というIDを使っているやつが一人で全部やっているのだから、怒ったらいいんだか笑ったらいいんだか呆れたらいいんだか、どうリアクションしたものか困る。だが1件だけの新着レスをチェックしてみた結果がこれだったりすると、ため息のひとつもつきたくなるのが正直なところだ。

 おれより賢明なスレッド住人諸氏は、こんなレスなど無視していつも通りの書き込みを進め、新しいスレッドは「懐かし特撮」板など眼中にないかのように従来と同じ板に立てている。それが彼らなりの「そんな板いらないよ」という無言の主張なのかもしれない。

3月4日追記:調べてみたら「懐かし特撮」板の新設は12月28日だった。ひと月も勘違いしていたとは…。

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2005.01.28

漢字はちゃんと読み書きできますか?

 今朝の新聞やらニュースやらで話題になっていたが、漢字の読み書きが出来ない小中学生が多いらしい。読売ZAKZAKなどがその誤答例を紹介している。

 それにしても「犬」という簡単この上ない字の「、」を正しい位置に打てない小学2年生が調査対象の4分の1強いるというのはいかがなものか。まさか「大」の真ん中に打ってしまえば「太」になるのはすぐに分かるだろうから、左上に打っていたのだろう。自分で書いてみて「なんか習った字と違う気がするなあ」とは思わなかったのだろうか?

 逆に、「専」に不要な「、」を打った中学1年生が3割いたというのは、けっこうありがちな誤答の例だろう。おれが同じくらいの年の頃は「博」の右上に「、」を打ち忘れるパターンが多かったように思う。「専門家が十人集まっても博士にはなれない。点をひとつ加えてやっと博士になるのだ」と教わったような記憶がある。先生に言われたか、漢字にはうるさい父に言われたかまでは憶えてないが。

 一角加えて変な字を作ったというと、ありがちな例としては「式」や「武」に「戦」と同じような左方向の「はらい」を入れてしまったり、「全部」と書くつもりがどういうわけか「金部」になっていたこともある。

 漢字というのはこうして自分の手で書くことで覚えるものだ。おれ個人の体験からすると、手で書くことによって、無意識のうちに字の意味や読みを左脳で、形状を右脳で記憶していたように思う。また、最初に就職した会社で総務を経験したからか、ちょっとした誤字でも気付きやすいようだ。それが今や小学生がパソコンや携帯電話でコミュニケーションを取る時代である。おれもたまには手で字を書かないと忘れてしまうのではないかと、ちょっとした危機感を覚えてもいる。

 ZAKZAKの方の記事では、小学5年生の半数近くが「赤十字」を「あかじゅうじ」と読むことを見出しにしているが、夏目房之介の「読書学」にはもっと凄い誤読のケッサクが紹介されている。1976年の「週刊朝日」で記事になった、ある会社の主催した「漢字読み書き大会」でのことである。「弔辞」を「しゅくじ」と読んだやつ、「浪花節」を「かつおぶし」と読んだやつ、果ては永井荷風の「濹東綺譚」を「ひょっこりひょうたん」と読んだ強者までいた。このあたりの極端な例に比べれば、「赤十字」を「あかじゅうじ」と読んだなんてのは、まだかわいい方なのかもしれない。

 国語の教科書でなくてもいい、漫画以外の活字の本を読む習慣は付けておいた方がいい。義務教育を受けているうちならまだ間に合う。自分の国の言葉がちゃんと使えないというのはカッコ悪いぞ。

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2005.01.27

アカツカ買い出し紀行

 まずあらかじめお断りしておくが、おれはこの記事に付けたタイトルの元ネタに当たる漫画の読者ではない。「知っている、名前だけは」((c)ペガッサ星人)という程度の認識しかないので、もし熱心な読者の方に勘違いされてしまうと、こちらが困惑してしまうので、本題に入る前に「ごめんなさい、実はよく知らないんですぅ」と陳謝する次第である(弟は単行本もアニメのソフトも持っているようではあるが)。

 我が家の最寄り駅の東海から赤塚まではJR常磐線の上り列車にゆられておよそ30分前後。大抵の鈍行は、赤塚のひとつ手前である水戸で何分間か停まることが多いので、具体的にいつ頃着けるのか読めない難儀なところにある。しかも往復するだけで電車代が800円もかかる。そんな思いをまでして何しに出かけたのかというと、今日日流行りのデジタルオーディオプレイヤーを買うためであった。市場はiPodが開拓し、後追いで各社が追随している状況である。

 購入に当たっては「やはりiPodか?」などと最初のうちは考えてもいたのだが、やれ周辺機器ばかり買わされるだの、iPod shuffleはiTunesでエンコードしたファイルしか再生を保証していないだのとネガティブな情報ばかりが入ってくるものだから、これは早々に購入対象から脱落した。やはり何ギガあるか分からないMP3ファイルを改めてエンコードするなど、想像するだけでうんざりする。「とりあえず容量が大きく取ってあって、音質がよければいいや」くらいの気持ちで、赤塚駅東口下車徒歩5分という立地にある石丸電気水戸ビッグワンをひさしぶりに訪れた。

 この店と通りを挟んだ反対側にはユニクロがあり、客足をそちらに取られているのか、駐車場の入り口に立てられた店名標(というのか?)には「こちらにも寄ってみて下さい」という、なにやら弱気な張り紙があり、思わず苦笑いしてしまった。

 実際に店に足を踏み入れてみると、広い売り場面積を「出来るだけ多くの種類の商品を置く」ことに重きを置いたのか、お目当てのコーナーにたどり着いてみると、選択肢が広くないことどころかほとんど選べない状況であることを思い知らされた。陳列されているのは1ギガだの5ギガだのという、まるでお呼びでない仕様のものばかり。そんな中で40ギガという商品が目に止まった。お値段49800円。けして安くはない。小心者のおれは地雷を踏みたくない一心で、こっそり携帯サイトでAmazonのカスタマーレビューを読んで迷いを振り切った。これなら損な買い物にはならんだろう。カードで支払の手続きをしたおれは、ちょっと帰りの電車まで時間があることをいいことに、行きがけの駄賃とばかりにカズンの「風の街」(まだ買ってなかった)も買って帰途についた。もっとも、探し物に熱中しすぎて電車は1本遅いものになったが。

 帰り着くなりさっそくセットアップ。USBケーブルをつないで、MP3ファイルをため込んである父のデスクトップ機(事実上おれの使用時間の方が長い)から、プレイヤーへファイルを転送…………。それにしても時間がかかる。USB2.0規格ならもっと速いのだろうが、そうでないために約7.5ギガのファイルを移すのに3時間を費やした。これで全体の半分弱である。「今日はこのくらいで勘弁しといたるわ」と、誰にともなくつぶやきつつ、残りの作業は明日以降にすることにした。

 ネット上のニュースをチェックしようと自分のノートPCを立ち上げたら、こんなニュースが。これで我が家に何枚かある、不本意ながら買い込んだコピーコントロールCDに収録されている曲も遠からずプレイヤーに収まることになりそうだ。あんなふざけた規格外CDをユーザーに売りつけたメーカーめ、ざまあみろ、と記事を読んで快哉をあげた。

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2005.01.26

車が盗まれた!?

 こういうのを「青天の霹靂」というのだろうな、とおれの頭の中のどこか冷静な部分は考えていた。

 その第一報が入ったとき、おれは父を除く家族3人でテレビを見ながら昼食のうどんをすすっていた。そこへ母の携帯に電話が入った。母はそれに出はしたものの、なにやら電話口の様子がおかしいとか言って、一旦電話を切った。次に鳴ったのは自宅の電話である。相手は勤務先にいるはずの父である。応対に出た母はしばらく話していたが、「え?」とか「なんで?」といった疑問符付きの言葉を連発した。ひとしきりやりとりが行われ、電話を切った母は言った。

「会社の駐車場に置いていた車が盗まれたんだって」

 なんでもキーを挿しっぱなしにしていた父の車が誰かに乗り逃げされたというのである。驚きもすれば慌てもする。最悪の場合、ロシアだの北朝鮮だのに転売される危険性だってあるのだ。かといって自宅にいるおれたちがじたばたしたところで事態は好転しない。後のことは警察の皆さんにお任せするしかないのである。とりあえず「何が起きたのか」だけは把握したおれは自分の部屋に引っ込んだ。

 続報は意外に早く、第一報から1時間ほど後に入った。走っている父の車を警察が発見したという。そういうことなら後は父が帰宅してから事情を訊けばいい。

 夕食の席の話題は必然的に日中の騒動の顛末である。なんでも父の車に乗っていったのは、父の知っている人物だったらしい。そいつが話したところによると、自分の車を修理に出して、今日はその代車が来る予定だったという。その修理に出したメーカーがたまたま父の乗っている車と同じだったため、父の車を代車と思いこんで乗っていってしまったのだそうだ。当事者である父は、これ以上警察沙汰にする気はなかったらしく、当の乗り逃げした人物もその場で放免ということになったようである。

 事故もなく、闇バイヤーに売り飛ばされるということもなかったので、ホッとはしたが、疑問は残る。たしかに短時間とはいえキーを挿しっぱなしにして車を離れた父にも落ち度はあっただろう。しかし犯人(便宜上こう呼んでおく)は、車に乗り込んだ段階で不自然さに気付かなかったのだろうか? キーホルダーには車以外の鍵が下がっている。カーナビも付いている。レンタカーじゃあるまいし、そんな生活臭漂う代車があるとでも思ったのだろうか? しかも車は自分の駐車場ではなく余所様のところに停めてあったのだ。勘違いにしても程があるというものだ。

 事の顛末を語った父は「酒の一本も提げて謝りに来れば許してもやるけど、おそらく来ないだろうな」と言った。

 教訓。短時間でも自分の車から離れるときは、施錠するという一手間を惜しんではいけない。

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2005.01.23

ウルトラセブンの慰問

 今朝方、のそのそと起き出して朝刊をパラパラとめくっていたおれは、地方版のページで「お?」と小さく驚いてページをめくる手を止めた。その記事に付けられていた写真に目が吸い寄せられたのである。写真には小さい頃からよく見たヒーローが写っていた。写真のインパクトは強烈で、「ウルトラマン、難病の子供慰問」という見出しは後から着いてきたような感じだった。リンク先の記事の写真はカラーだが、紙面の記事でも写真はカラーだった。まあ同じページには「欽ちゃん球団 初練習」の記事がやはりカラー写真入りで大きく載っていたから、その余慶に預かったのかもしれない。

 この話を記事にしたのは読売に限らなかったようだ。現在NHKと子供のケンカみたいな小競り合いを展開している(←余計なお世話)朝日新聞にも同じような記事が載っていた。読売が地方版のみの掲載だったのに対して、こちらは全国版の社会面での掲載だったようである。

 余談になるが、感心したのは両紙ともヒーローの名前をちゃんと「ウルトラセブン」と表記していたことである。「変なことに感心するな」という向きもあるだろうが、間違って「ウルトラマンセブン」と表記するケースが往々にしてあるからである。セブンの一ファンとしてはみすみす看過できない問題なのだ。2ちゃんねるの「特撮!板」には『【誤記】ウルトラマンセブンを倒せ!』というスレッドが存在しているくらいだから、おれと同様にこんな誤記が許せないファンも少なからずいるのだろう。ちなみに今Googleで「ウルトラマンセブン」をキーワードに検索をかけてみたら987件がヒットした。

 それにしても、齢3つにして一番好きなウルトラマンがセブンとは渋すぎる(二番目に好きなのはガイアだそうだ)。おそらくこの歳ではセブンのところどころにある、子供には難解なエピソードは理解できないだろう。おれもセブンは大好きだが、そのへんの難解なのが分かるようになったのはだいぶ後のことだった。想像だが、他のウルトラマンと異なるデザイン(後にタロウが似たようなデザインで登場したが)に惹かれたのだろう。

 ともかく、現在病院で病気という名の怪獣と闘っている彼が、闘いに勝利して、また大好きなセブンの活躍を見られるようになってくれることを願わずにはいられない。竜之介くん、日本中にいるセブンのファンは、きっと君のことも応援してくれているよ。元気になったら、みんなで大好きなセブンの話をしよう。

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うつ友とプチ課題

 昨年末から、うつ病などのこころの病を患っている人たちのコミュニティ「うつ ねっとわーく」にちょっと首を突っ込んでいる。実際にアクセスしてみれば分かることだが、このサイトはいわゆる2ちゃんねると同様のスレッドフロート式の掲示板となっている。管理人であるこむりんさんご自身もうつ病患者の一人であるが、このサイトを訪れ、書き込みを残していく人たちに温かい言葉をかけてくれる。おれより一回り以上年下なのに、おれ以上にしっかりしている。頭が下がる思いである。

 その掲示板の中に「オススメの本を教えてください!」というスレッドがある。そのスレッドで最初に紹介された本が「アカルイうつうつ生活」(上野玲・著)であった。つい先日「精神病院と黄色い救急車」で紹介した「精神科に行こう!」も患者視点の本だったが、この本もまた患者の視点から書かれた本である。「精神科に行こう!」の著者である大原氏はパニック・ディスオーダーという、うつ病よりは若干軽い精神病の患者であったが、上野氏はうつ病患者である。「はじめに」にはこうある。

様々な「うつ病のなんでかな」に実感を込めて答えることが出来るのは、医師ではなく、患者自身であると思っている。(P.6より)

 この本の内容はタイトルに違わず軽い文体で書かれている。それでいて、第5章『アカルイうつうつ生活のススメ』の中の『自分を「腫れ物」にするな!』を読んだときには、ガツンと一発食らわされた思いがした。なんだか名指しで「お前は何をやっとるんだ!」どどやしつけられたような、そんな思いである。今のおれは「うつ病患者」という盾の陰に隠れているだけのわがままなやつなのではないか? それまで軽い気持ちで読んできただけに、この項だけは自分の醜い姿を鏡で見せつけられている気分を十分すぎるほど味わった。

 さて、ここでようやくタイトルの話題になるのだが、読んでいて「あ、これは今の自分のしていることだ」と思った箇所がもう2箇所あった。ひとつは「見捨てられ感」を拭い去るための解決法としてうつ病患者同士の友達(上野氏はこれを『うつ友』と名付けている)を作ること。そしてもうひとつは、なにかをしていないと落ち着かない気分を解消するために小さな課題(上野氏はこれを『プチ課題』と名付けている)を作ること。前者については冒頭に書いたとおり。後者は他でもない、このブログを書くことである。変に気負わず、気が向いたときに書いているこのブログは、まさに「プチ課題」そのものである。

 読後、PCを立ち上げたおれは、2ちゃんねる専用ブラウザで「お気に入り」に入れていたマイナス思考に連帯しているように思ったいくつかのスレッドを「お気に入り」からはずした。

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2005.01.21

テレビが伝えたブログ、そしてイントネーション

 おれがこの「しんけいすいじゃく」というブログを立ち上げたのは、今月11日深夜のことである。たしかに知人でブログを運営している人もいるし、ブログをサービスとして提供しているISPなども多い。それにしても現在インターネット上に存在しているブログの数が200万とは、今夜NHK(関東地方のみ)で放送された「特報首都圏」を見るまで知らなかった。

 番組でも言及していたが、ブログの魅力というか、それまでのWeb日記の類との違いとして、Webに関する知識がさほどなくても始められる手軽さが挙げられるだろう(おれはさらに手軽にするために「ubicast Blogger」というフリーソフトを使わせてもらっているが)。実際、ずいぶんとお年を召した方々がブログを介して知り合ったとか、小学生がブログを運営しているなんて話を目にすると、その年齢層の広さに改めて驚いてしまう。

 ただ、こちらのブログで眞人(マコト)さんがツッコミを入れているように、アナウンサーとナレーターの発音する「ブログ」と、ゲストやインタビューを受けた人々の発音する「ブログ」のイントネーションが違っていたのにはこれまた驚いた。前者は語尾下がりの、後者は平板なイントネーション。一般的にはどちらが主流なのだろうか? どうでもいい疑問ではあるが。おれは後者のイントネーションを使っている(ブログを読む限りでは眞人さんも後者のようだ)。参考まで。

 ここで話は特撮方面に大きく脱線する。東宝特撮映画の人気怪獣にアンギラスというやつがいるが、こいつの名前を発音するときに、あなたはどのようなイントネーションで発音するだろうか? おれの場合、気持ち頭にアクセントを置いた語尾下がりで発音するが、「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」や「ゴジラ対メカゴジラ」では語尾上がりで発音されていた。映画本編で普段自分が使っているのと異なる発音をされてしまうと、なんとなく居心地の悪さのようなものを感じてしまうのである。ああ、おれって小心者。

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腰の中の不発弾

 おれは腰にいつ爆発するか分からない不発弾を抱えている。不発弾の名前は「ぎっくり腰」という。このところなりを潜めてはいるが、こいつが作動しようものなら歩くことすらままならなくなってしまうから非常に厄介だ。手元に残っているIRCのログを調べてみたら、現時点で最後に腰痛で悩まされたのは2000年11月のことである。このときは電気マッサージ機と電気治療と湿布でなんとか乗り切った。

 初めて腰痛に見舞われたのがいつのことだったかは憶えていないが、その瞬間のことは今も鮮明に脳裏に焼き付いている。出勤しようと何かを取るために腰をちょっと曲げた状態で手を伸ばしたときに、そいつはやってきた。腰のあたりで「何かがずれた」感覚があった、次の瞬間にはもう激痛でまともに立てなくなっていた。おれはあまりの痛みにうめきながらベッドに倒れ込み、部屋の電話からやっとの思いで休む連絡を会社に入れたのだった。

 病院で検査を受けたところ、腰椎と背骨がつながっていないことが分かった。なんと、おれの上半身と下半身は筋肉繊維だけでつながっているのである。医者からは「腹筋と背筋を鍛えるように」とのご託宣を頂いたが、その手のトレーニングは全然やっていない。その後幾度か、この腰の不発弾は作動した。腰を曲げた状態で思いっきりくしゃみをしたら作動したこともある。

 谷豊さんのこちらの記事を読んでいたら、その腰痛の描写があまりにも他人事とは思えず、ここに自らの腰痛体験を踏まえつつトラックバックさせて頂く次第である。

 ご存知の方も多いと思うが、腰という部分は体の中でも重要な部分であるからこそ、漢字では体を表す月偏に要と書いて表現したそうだ。この漢字を作り出した古代中国の人々の知恵に感服。

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鬱病認知尺度

鬱病認知尺度」なる心理テストのようなものがあるというので、試してみた。結果はこうなった。

総合得点は 89 点です。中程度問題ありです。

以下の項目で一番得点の高い項目があなたの性格傾向です。
 ○「否定的自己認知」得点は 37 点です。危険域です。
 ○「対人認知」得点は 33 点です。危険域です。
 ○「強迫的思考」得点は 19 点です。問題ありません。

 この診断結果を見る限り、おれは「否定的自己認知」の性格傾向にあるらしい。そう言われてみると確かに実感はある。ブログを書き始めてから以降(まだ日は浅いが)、時間をかけつつもけっこうスムーズにキーボードを叩けているので、「案外うつ状態を脱しつつあるのでは?」と思っていた。そこにきて、この診断結果である。太い字で「危険域です。」なんて出されると少なからずヘコむ。「あくまでも思考パターンの目安ですので、悪い結果が出てもあまり気にしないようにして下さいね。」と言われても…なあ。

 ここで列挙されている各項目については、次のような意味があるそうだ。

「否定的自己認知」とは極端にへりくだって自分を悪く言う傾向があるということです。
「対人認知」とは他人の評価を気にするとともに依存性を意味します。
「強迫的思考」とは何事も完全でなければ気が済まない、いささか堅い性格です。

 ただ、このチェックの元になった「うつ病認知尺度」を手がけた町沢静夫という精神科医は、2ちゃんねるのメンタルヘルス板ではあまりいい評価を見かけない人である。おれも1冊だけこの人の関わった本を持っているが、タイトルの割にはたいした内容の書かれたものではなかった。「だからこんなチェックなど気にすることはない」と開き直れるほど、今のおれは元気ではない。

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2005.01.20

3年ぶりの携帯買い換え

 今まで使っていたN503iSのバッテリーがかなりへたってきたことに加え、いい加減機種自体が時代遅れ的なものになってきたのを契機に買い換えた。後継機種に選んだのは、同じNEC製のN506iである。どうでもいいことだが、リンク先の「ケータイWatch」の記事で取り上げられているのは、新旧ともにおれが選んだものと同じカラーである。選んだ理由としては「同じメーカーの携帯なんだから、そんなに操作感も変わらんだろう」という安直なものであった。

 初めて携帯電話なるモノを買ったのは何年前になるか、もう覚えていないが、今回の買い換えでおれが手にする機種としては多分5代目くらいに当たるはずである。前回の買い換えで初めてi-mode対応機種を手にし、今回の買い換えで初めてカメラ付き機種を手にした。ところが、N506iという機種はレンズが変なところに付いているのでちょっと困惑した。一般的なカメラ付きケータイというのはフタに当たる部分に付いているレンズが、こいつはボディの側に付いている。上のリンク先の記事でも触れられているが、これはどうやら使い勝手がよくなさそうに思う。これについては、あまり使うことはなさそうなので、さほど気にしてはいないのだが。

 さて、新しいケータイを入手して、一通りの設定が済んだところですることといえば、着メロと待ち受け画面のダウンロードであろう。とりあえずデフォルトの着メロにはTHE SQUARE(現T-SQUARE)の往年の名曲「宝島」を「ポケメロJ-lite」から、家族内用の着メロとメールの着信音を「JN1VEOのウェブページ」(携帯用サイトもあり)からダウンロードした。ついでに某巨大匿名掲示板経由で「キングギドラの鳴き声」なんてのも設定してみた。問題は待ち受け画面である。前の機種では「700系ひかりレールスター」を設定していたのだが、待ち受け画面を提供している「トレインくらぶ」で探してみたがどうにも見つからない。このサイト、検索機能が不便きわまりなく、さんざん難渋させられた末に見つからなかったので悔しさ倍増である。とりあえず「500系のぞみ」で妥協点を見出してみたが、あの不便な検索機能はなんとか改善してほしい(検索エンジンのように、列車名を入力してダイレクトに画像のあるところに行くようにできないだろうか?)ところである。この記事を読んで「ひかりレールスター」のかっこいい待ち受け画面をダウンロードできるサイトがあったら、お教え下さい。

 おれを携帯電話買い換えに踏み切らせた最大の要因は、この着メロサイトに登録されている「怪獣大戦争マーチ」がN503iSに対応していなかったことだったりする。我ながら特撮者の業の深さに呆れるばかりである。

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2005.01.18

精神病院と黄色い救急車

 今日は3週間ぶりの通院日。例によって午後イチで出かけたところ、すぐに名前が呼ばれ、問診も3分程度であっさり終わった。M先生もあまり突っ込んで質問してこないところからすると、いい方へ向かっているのだろうか。

 もう何年も精神科の病院にかかっているが、いまだに自分が通っているこの手の病院を「精神病院」と呼ぶことにためらいを覚える。おそらくは昔からの精神病院とそこに通う患者に対する偏見が、おれの頭のどこかに巣くっているからに違いない。「精神病院は頭のいかれた奴の行く病院」だと思っている人は少なくないだろう。実際、今日は帰りがけに病院の駐車場に止めてある車の運転席で奇声を発している男の人を見かけたから、まるっきり的はずれな指摘というわけではないのだが。

 昔のテレビや映画を見ていると、「バカ」とか「マヌケ」とかいう言葉とほぼ同じような次元で「きちがい」という言葉が使われている。それもけっこう頻繁に。それが今となっては放送禁止用語の代表選手である。「封印作品の謎」(安藤健二・著)によると、この言葉が禁句になったのは1974年の大阪精神障害者家族連合会という団体の、ある種執拗なまでの抗議が発端になっているらしい。

 おれが小学生の頃、ちょっと奇天烈な言動をした奴には「青い救急車が迎えに来るぞ」という言葉が浴びせられたものである。「何それ?」と友だちに尋ねると「それは関東精神病院(註:そんな病院は実在しない)の救急車だ」という。全国的(おれは生まれも育ちも現住所も茨城県である)には「黄色い救急車」である場合が一般的らしいが、それが多数例であることを知ったのは、インターネットでサイトを見て回るようになってからのことである。現役の精神科医である風野春樹さんの「黄色い救急車研究所」に詳しいが、それらはいわゆる都市伝説のひとつに過ぎないそうだ。おそらくは精神病院の敷居を必要以上に高いものにしているのは、先にも挙げたように「精神病院は頭のいかれた奴の行く病院」であるという偏見であろう。

 最近手に取った「うつと自殺」(筒井末春・著)には、こんなことが書かれていた。

(前略)日本でも、うつ病の患者数が増加していて、厚生労働省の調査によると、成人の一五人に一人はうつ病を経験していることがわかっている。しかも医療機関で受診した人は、そのうちの四分の一にすぎないというのが現状である。(P.24より)

 受診しなかった75%のうつ病経験者が病院行きをためらった理由のひとつとして、例の偏見や「黄色い救急車」の都市伝説があったであろうことは想像に難くない。受診しなかった人の中には、自らの命を絶った人もいるかもしれない。しかし、専門医に言わせれば「うつ病は治る病気である」という。一人で苦しい思いをするよりも、思い切って精神病院を訪ねて、専門医に診てもらった方がいい。

 それでも受診をためらう人には「精神科に行こう! 心のカゼは軽~く治そう」(大原広軌・著)を読んでみることをお勧めする。多くのうつ病関連書(今Amazonの和書部門で『うつ病』をキーワードにして検索をかけたら227件もヒットした)の多くを精神科医・心療内科医が書いている中で、この本は徹頭徹尾患者の視点で書かれている。これを読むと、精神病院の敷居も少しは低くなり、気軽に受診できるようになるのではないだろうか。かくいうおれも、たまに読んでは笑わせてもらっている。

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2005.01.17

「はい、マイケル」

 またネタはライダーだが、今度はバイクではなく車の話(まあ車に乗った仮面ライダーもいたけど)。知ってる人は知っている、アメリカのテレビシリーズ「ナイトライダー」に関する記事の話である。リンク元によると、日本での放送が始まったのは1984年。当時のおれは高校生で、周囲の友人たちが「あれは面白い」と言っていたのを聞いてはいたが、すぐには見なかった憶えがある。しかし見始めると途端にはまった。「あんな車、あったらいいよなあ」と見た者すべてに思わしめる、その車の名はナイト2000。

 外観上は、黒いボディとリトラクタブルヘッドライトの間で赤く輝きながら左右に揺れるように動くランプが印象的。だがナイト2000が他の車と一線を画するのは外観ではなく、内蔵された超高性能コンピュータにある。“キット”と呼ばれるそのコンピュータ(『キット』とは『Knight Industrial Two Thousand』の略)は、主人公マイケル・ナイトが乗っていなくても自己判断で車を走らせ、マイケルが乗っていれば冗談の相手にもなる。こんな夢を具現化したかのようなスーパーカー(死語)を駆使して、マイケルとナイト財団の仲間たちは犯罪に立ち向かうのである。

 そのキットの名が、よもやインターネット上のニュース記事に登場するとは思ってもみなかった。今日付のITmediaに『「Mac miniを“KITT”にする」車載キットが登場』という見出しの記事が掲載されていたので驚いた。さすがに「キットそのままの機能を、放送から20余年後の技術が再現した」というレベルまでは至っていないようだが、カーナビあたりを音声操作できるとなると、これはけっこう凄いことなのではないだろうか。日本のロボット技術者が鉄腕アトムを目指すように、アメリカのコンピュータ技術者はナイト2000を目標にしているのだろうか?

 この車載キットが日本でも発売されるとなれば、かつてテレビで「ナイトライダー」を見ていた連中はこんな要望を出すに違いない――その車載コンピュータの声には野島昭生(それも機械処理したもの)を採用しろ、と。

 余談になるが、初めて本物のキットの声(要は英語でしゃべるキットの声ですね)を聞いたときには少なからず唖然とした。どう聞いても人間の肉声で、とてもじゃないがコンピュータが出している声とは思えなかったからである。この点ひとつを取っても、「ナイトライダー」の日本語版製作スタッフはいい仕事をしたと思う。

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昼ドラの仮面ライダー

 現在MBS系列(関東地方ではTBS)の13:30から放送されているドラマ「メモリー・オブ・ラブ」。これが放映されている時間帯、家にいるときにはNHKを見ることが多いおれがこのドラマを見るのは、3週間に一度の通院日のときだけである。午後イチで訪れると、病院の待合室では無難にNHKの「スタジオパークからこんにちは」が流れているのだが、薬局の待合室にあるテレビではなぜかTBSにチャンネルが合っている。なのでどうしても目に入ってきてしまうのだ。

 2話目の放送日のときだったか、新聞のテレビ欄でこのドラマが取り上げられていたのだが、一部の配役を目にしたおれは目を丸くした。ヒロインの相手役が仮面ライダーカイザで、その義兄役が仮面ライダーデルタだったのである。このキャスティング、わざとやってんのか、毎日放送? カイザとデルタではない、あれは俳優の村上幸平と原田篤なのだ、と分かっているつもりでも、特撮者の業がそれを許さない。困ったものだ。同様の見方をしてしまう人は、特撮者以外にもいる。仮面ライダーのメインの視聴者である(はず)の子供たちの母親である。こちらのお母さんも、やはり俳優に、かつてライダー役者だった経歴を重ねながら見ているようだ。

 おれが村上氏をこの時間枠で見たのは、このドラマが初めてではない。以前病院かどこかを舞台にしたドラマにも出演していたのを見た憶えがある。ライダー出演中は「腹の底では何を企んでいるか分からない」キャラクターを演じていたが、そのドラマではどこから見ても好青年という感じの役だった。「役が違えばイメージもずいぶん変わるもんだなあ」と思ったものだ。

 かつて仮面ライダー1号・本郷猛を演じた「藤岡弘、」(『、』を付けるのが正しい表記)は、ライダーのイメージを払拭するためにだいぶ苦労したと聞く。アメリカのテレビでスーパーマンを演じた俳優が、そのイメージから脱却できないことを悩んで自殺したという事件もあった。それに比べれば、現代のかつてのライダー俳優は「仮面ライダーだった」ことをうまく足がかりにしているように思う。

 ライダーに比べると、戦隊シリーズの出演者でその後の活躍を目に出来る人があまりいないような気がするのだが、なぜだろう?

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お食事中の方、どうもすいません

 読んだ瞬間に、喉のあたりに言いしれぬ気持ち悪さがこみ上げてきたこの記事。男に起きたであろう身体的異常を変に詳細に描写してあるあたり、元記事を書いた記者も相当に趣味が悪い。

 この記事を書いた【吉】氏同様、おれも思い出したのは「たんつぼ小僧」である。オチを知っていると、ネタの途中から聞こえてくるあの音だけで吐き気を催してしまう強烈なギャグで、「スネークマンショー海賊盤」で聞ける。

 2003年暮れに出版された「これ、なんですか?スネークマンショー」で、このコントの裏側を知ることが出来た。あの、聞いた者すべてに吐き気を催させた音は、カレーうどんをすする音だったのである。当時のスタッフによると、カレーうどんを食べていたときに「そのズルズルした音でコントを作ろう」ということになったらしい。さらにこの本では、そのカレーうどんがどこの店のものかまで紹介している。

 ちなみにそのカレーうどんは赤坂の日本コロムビアの近所にある万屋という店のもの。そこでカレーうどんを頼めばあなたもたんつぼ小僧になれる!(P.152より)

 ……なりたかねえよ、そんなもん。

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2005.01.15

一人称表記について

 他国語は全然分からないので偉そうなことを言えたものではないが、日本語というのは一人称表現のバリエーションが豊富な言語である。思いつくままに列挙してみると、私、僕、俺、儂、おいら、吾輩、拙者、それがし、拙僧、えーとそれから…。とにかくたくさんある。方言も含めると、とんでもない数になりそうだ。英語に訳してしまえばどれも「I」でひとくくりになってしまうのだが、それでは表現者が日本語ではどの一人称を使って文章を書いたかが曖昧になってしまう。

 さらに、先に挙げた一人称のうち、漢字で表記したものの多くは仮名で表記されることもある。これでまた読者に与える印象が変わってくるから面白い。

「俺」を例として簡単な自己紹介文を書いてみると、こんな感じになる。

「俺はぶるないだ」…なんとなくハードボイルドチック。書いた人が酒や煙草をやっていても違和感がない感じか。大人の男をイメージさせる表現であろう。

「おれはぶるないだ」…こうなると受ける印象はやや柔らかくなる。文章の末尾をですます調に変えても不自然な印象を与えない。ただ、例文のような場合には自分を指す言葉が他の文字の中に埋没してしまう。

「オレはぶるないだ」…ちょっと粗野な感じ。漢字仮名混じりの文章の中にこんな表記が出てくると、自分を指す言葉が「おれ」に比べて際立つのが分かる。個人的な感想だが、やや露悪的な印象も受ける。

 男性専用(まあ女性でも使う人は使うか)の一人称である「俺」ひとつ取ってもこれだけ印象が異なる。もし男女兼用の「私」など例に取り上げようものなら、表記によるバリエーションはさらに幅が出る。女性が自分のことを「わたし」と呼ぶか「あたし」と呼ぶかで、読み手や聞き手が受ける印象は確実に変わってくる。

 以前、短い期間だがWeb日記(当時『ブログ』という言葉はなかった)を書いていたときには、自らに「Web日記上では一人称を使わない」という縛りを設けていたのだが、これが予想外にしんどかった。試してみれば判ることだが、どうやって自分の言動と第三者の言動を区別させるかに気を遣ってしまい、ちっとも気楽に書けないのである。

 そこで今回は早々に、かつて自らを苦しめた縛りに対してギブアップ宣言をしてしまおうと思う。考察ぶったことを書いてきたのは、はっきり言って「もののついで」である。

 今後は自分自身を指すときは「おれ」という一人称表記を使っていくつもりである。やはり日頃使っているフレーズを使って書くのが変に気負わなくて済みそうだから。

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2005.01.14

今はさらばと言わせないでくれ

 初めて劇場で見たゴジラ映画は1974年公開の「ゴジラ対メカゴジラ」だったと思う。昨年11月にNHKの衛星放送でひさしぶりに全編を通して見たのだが、ツッコミどころ満載の展開と“元祖”メカゴジラの圧倒的なまでの攻撃力に大いに楽しませてもらった。この作品の翌年に公開された「メカゴジラの逆襲」を除いて、以降のゴジラシリーズはどれも最低1回は劇場のスクリーンで見てきた。

 あれから30年、ゴジラシリーズが誕生50周年記念作である「GODZILLA FINAL WARS」をもって完結ということになった。持論として「“○○周年記念”と銘打たれた作品と完結編にはろくなものがない」と思っているので、この映画には過大な期待は抱くことなく劇場に足を運んだ(なにしろ『ろくなものがない』要素の双方の条件を満たしている)。封切り日から10日ほど経ったある日のことである。

 事前に見聞していたこの映画の評価は見事なまでにまっぷたつに割れていた。Yahoo!ムービーの評価を見ても、星5個を付けて絶賛する声と星1個を付けて酷評する声が拮抗していた。そんな中、かつて「デビルマン」に100点満点中2点を付けた前歴を持つ「超映画批評」でのこの映画の評価が目に止まった。

 はじめに断っておくが、過去のゴジラ映画ファンや、怪獣映画にこだわりをもった方は、決して『ゴジラ FINAL WARS』を何の予備知識もなくみてはいけない。そういった方は、この文章を最後までお読みになった上で、覚悟を決めて鑑賞することを強く勧める。

 その後に続く文章は「過去のゴジラ映画ファン」であり「怪獣映画にこだわりをもった」人間であるところの自分に覚悟を決めさせるに十分なものだった。見てくれやストーリー展開はかつての「怪獣大戦争」と「怪獣総進撃」を足して2で割ったようなものだが、いざフタを開けてみると「これは本当に怪獣映画なのか?」という疑問を持たざるを得ない代物だったのである。

 怪獣映画のはずなのに、人間側のアクションシーンが長い。それも必要以上に。いっそ冗長と言ってもいいだろう。始まってすぐにある、松岡昌宏とケイン・コスギの格闘シーンからしてムダに長い。肝心のアクションにメリハリがないだけに余計に長く感じる。この時点で「もっと編集で短くしろよ!」と内心で毒づき始める。

 怪獣映画のはずなのに、本来主役であるべき怪獣の扱いがあまりにもぞんざい。ただでさえ造形がどこかの秘密結社の改造人間みたいなのに、ご丁寧なことに、やられ方までどこかの秘密結社の再生改造人間軍団みたいなのである。監督の希望だったとか言うヘドラの出番に至っては、ヘタをすると手元のポップコーンに気を取られているうちに終わってしまうくらい短い。作り手側はゴジラの強さを強調したかったのかも知れないが、どうひいき目に見ても対戦相手の怪獣が弱すぎるようにしか感じられなかった。

 メリハリのないアクションは、最後のゴジラとカイザーギドラの戦いにも言える。それまでの怪獣たちが将棋倒しのコマのようにバタバタやられていったのに対して、この戦いは妙に長く感じた。これは個人的にカイザーギドラのデザインが趣味に合わなかったというのも理由のひとつかも知れない。薄汚れた金色のような体色、アンバランスに長く太い3本の首、没個性的な顔。そんな威厳のない怪獣が「最後の敵」としてゴジラと戦うのがどうにも性に合わなかったのだと思う。

 良くも悪くも言いたいことはまだまだあるのだが、結論はこうなる。数あるゴジラ映画の中の1本としてなら許容範囲だが、こんな作品をもってシリーズ終結とするのは承伏しかねる。「GODZILLA FINAL WARS」は、自分にとってそんな映画である。

 かつて「宇宙戦艦ヤマト」も、「さらば」と銘打った作品が公開された後に続編が作られている。この映画のキャッチコピーが「さらば、ゴジラ。」だったことを考えると、そう遠くない将来にゴジラはスクリーンにカムバックするのかも知れない。

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会話が成立しない状況

 今日もまた「Tokyo Fuku-blog」からネタを拝借。

 この記事を読んだときに真っ先に思い出したのは、CD「スネークマンショー・アンソロジー」に収録されている『盗聴エディ』(私見だが、別なタイトルを付けられなかったのだろうか? このタイトルだと同じスネークマンショーの別のギャグを想像してしまう)だった。ギャグのネタを割ってしまうのは無粋なので聞きたい人にはCDを聞いていただくとして、会話が成立しない状況というのは端から見ているとコッケイに映るものだ。

 この事件の犯人も、ドア越しに入室を乞うエディ氏にしても、会話の相手に対する「なんで分かってくれないんだよ!」という焦りは想像するに余りある。逮捕の決め手になった一言は、是非スネークマンショー当時の伊武雅刀氏の声を想像しながら読むことをお勧めする。

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2005.01.13

目薬に気をつけろ

 冷蔵庫に入っているものが食べられるものとは限らない。いつの間にか奥に追いやられた食べ物が食べられないモノになっていたなんてのはよくあることだろうし、アニメ「カウボーイビバップ」の第11話『闇夜のヘヴィ・ロック』(DVDでは「COWBOY BEBOP 4th.Session」に収録)に登場する異星生物(?)は食べ残しの変わり果てた姿だった。

 また、冷蔵庫は「低温貯蔵設備」としても機能している。昨年亡くなったある作家は、座薬を冷蔵庫の卵ケースのところにしまっていたという。そういえば我が家でも瞬間接着剤が製氷室で冷凍食品と一緒にしまわれている。しかし、あまり無闇に食べ物以外のものは冷蔵庫にしまい込むべきではないのだろう。こんな事故が起きたりするのである。

 教訓。目薬と接着剤は紛らわしい場所に保管してはいけない。

「間違えて目薬でないものを目にさした」事故としては、水虫の薬を点眼したという話を聞いたことがある。おーコワ。幸い大事には至らなかったようではあるが…。  唐沢俊一の「クスリ通」にこんな記述もある。

〔前略〕年配の患者に数年、点眼薬を投与して改善がないのを不思議に思い、眼科医が患者に、きちんと点眼しているかどうか確認の質問をして、はじめて点眼薬を今までずっと飲んでいた、ということがわかった例もあるという。(P.17『クスリの使用法』より)

 目薬に限らず、薬は使用上の注意をよく読んで、用量・用法を守って正しく使いましょう。ぴんぽーん。

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2005.01.12

うつ病遍歴

 うつが発症したのは2001年の夏のことであった。

 ちょうどその頃は関係会社に出向しての作業であり、仕事の量が多かったり、初めて体験するものだったりとなにかとストレスの溜まる日の連続だった。やがて自分でも分かるくらい気力が減退し、夜寝るときも翌日があることを思うとうんざりしたり、職場で他の人に悟られないように深いため息をつくことが多くなった。

 かつて在籍していた会社でも同じような状態になり、心療内科の受診を勧められたがよくならずに結局退職したことがあったため、同じ職場の人に病院に行くことを勧められた翌日には、迷うことなく職場の最寄りにある精神科の病院を訪ねた。

 今もお世話になっているM先生に自分の状態を話してみると、やはりというべきか「抑うつ状態」と診断され、休職するよう申し渡された。そうして何ヶ月かの休職期間の後に復職したのだが、会社はそんな休職開けの人間の仕事量を減らしてくれるほど甘くなかった。喩えるなら、いくらアクセルを踏んでも80キロしか出せないクルマに100キロで走ることを要求したのである。

 こうなると、もう会社に居場所はなかった。発症の翌年のお盆休み開けには婉曲に退職を勧告され、それに従うことにした。送別会が開かれたが、自分の他にもう一人会社を離れる人がいると知っていれば、そんなものには出なかっただろう。

 そうして、今は3週に一度の通院を除けばほとんど外出しない日がほとんどだ。時折やってくる憂鬱の大波(昨年末には物心ついて初めて鶏もケーキも口にしないクリスマスというものを経験した)と、これも時折頭をよぎる「死んでしまいたい」という気持ちをクスリで抑え込みながら日常を過ごしている次第である。  ネットは、そんな自分と社会をつないでいる細い蜘蛛の糸のように思えてならない。

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2005.01.11

ブログタイトルの由来

 数年前になるが、ネットを介して知り合った友人同士がWeb上で1ヶ月という期間限定で交換日記を書くという企画(?)があった。1人のホスト役と月替わりのゲストが交互に書くスタイルである。

 何人かが書いたところでご指名がかかり、「タイトルを考えといて」との注文を受けて、最初に提案したタイトルが「神経衰弱」だった。大好きな漫画のひとつである「NERVOUS BREAKDOWN」(作・たがみよしひさ)からの連想である。ところが、ホスト役曰く「日本語だと(サイトの)画面イメージが湧かない」という理由でこの案が却下され、日本語でないタイトルを考えることとなった。で、注文通り(?)のタイトルを何とかひねり出してはみたのだが、先方の都合が悪くなり、交換日記の話は無期限延期となり、現在に至っている。

 で、今回「巷で流行りのブログなるものをおれも始めてみっか」と思い立ったときに、あのボツになったタイトルが浮かんできた。脳みそも患っていることだし、ちょうどいいか、と。 ただ、漢字で「神経衰弱」としてしまうと、どうも文体まで硬くなってしまいそうな気がしたので、かな書きで「しんけいすいじゃく」にすることにした。これで少しは印象が柔らかくなっていると思うのだが、どうだろう?

#ちなみに「神経衰弱」がボツになった時点でひねり出したタイトルは「E653」という。分かる人だけ分かってくだされ。

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