« 会話が成立しない状況 | トップページ | 一人称表記について »

2005.01.14

今はさらばと言わせないでくれ

 初めて劇場で見たゴジラ映画は1974年公開の「ゴジラ対メカゴジラ」だったと思う。昨年11月にNHKの衛星放送でひさしぶりに全編を通して見たのだが、ツッコミどころ満載の展開と“元祖”メカゴジラの圧倒的なまでの攻撃力に大いに楽しませてもらった。この作品の翌年に公開された「メカゴジラの逆襲」を除いて、以降のゴジラシリーズはどれも最低1回は劇場のスクリーンで見てきた。

 あれから30年、ゴジラシリーズが誕生50周年記念作である「GODZILLA FINAL WARS」をもって完結ということになった。持論として「“○○周年記念”と銘打たれた作品と完結編にはろくなものがない」と思っているので、この映画には過大な期待は抱くことなく劇場に足を運んだ(なにしろ『ろくなものがない』要素の双方の条件を満たしている)。封切り日から10日ほど経ったある日のことである。

 事前に見聞していたこの映画の評価は見事なまでにまっぷたつに割れていた。Yahoo!ムービーの評価を見ても、星5個を付けて絶賛する声と星1個を付けて酷評する声が拮抗していた。そんな中、かつて「デビルマン」に100点満点中2点を付けた前歴を持つ「超映画批評」でのこの映画の評価が目に止まった。

 はじめに断っておくが、過去のゴジラ映画ファンや、怪獣映画にこだわりをもった方は、決して『ゴジラ FINAL WARS』を何の予備知識もなくみてはいけない。そういった方は、この文章を最後までお読みになった上で、覚悟を決めて鑑賞することを強く勧める。

 その後に続く文章は「過去のゴジラ映画ファン」であり「怪獣映画にこだわりをもった」人間であるところの自分に覚悟を決めさせるに十分なものだった。見てくれやストーリー展開はかつての「怪獣大戦争」と「怪獣総進撃」を足して2で割ったようなものだが、いざフタを開けてみると「これは本当に怪獣映画なのか?」という疑問を持たざるを得ない代物だったのである。

 怪獣映画のはずなのに、人間側のアクションシーンが長い。それも必要以上に。いっそ冗長と言ってもいいだろう。始まってすぐにある、松岡昌宏とケイン・コスギの格闘シーンからしてムダに長い。肝心のアクションにメリハリがないだけに余計に長く感じる。この時点で「もっと編集で短くしろよ!」と内心で毒づき始める。

 怪獣映画のはずなのに、本来主役であるべき怪獣の扱いがあまりにもぞんざい。ただでさえ造形がどこかの秘密結社の改造人間みたいなのに、ご丁寧なことに、やられ方までどこかの秘密結社の再生改造人間軍団みたいなのである。監督の希望だったとか言うヘドラの出番に至っては、ヘタをすると手元のポップコーンに気を取られているうちに終わってしまうくらい短い。作り手側はゴジラの強さを強調したかったのかも知れないが、どうひいき目に見ても対戦相手の怪獣が弱すぎるようにしか感じられなかった。

 メリハリのないアクションは、最後のゴジラとカイザーギドラの戦いにも言える。それまでの怪獣たちが将棋倒しのコマのようにバタバタやられていったのに対して、この戦いは妙に長く感じた。これは個人的にカイザーギドラのデザインが趣味に合わなかったというのも理由のひとつかも知れない。薄汚れた金色のような体色、アンバランスに長く太い3本の首、没個性的な顔。そんな威厳のない怪獣が「最後の敵」としてゴジラと戦うのがどうにも性に合わなかったのだと思う。

 良くも悪くも言いたいことはまだまだあるのだが、結論はこうなる。数あるゴジラ映画の中の1本としてなら許容範囲だが、こんな作品をもってシリーズ終結とするのは承伏しかねる。「GODZILLA FINAL WARS」は、自分にとってそんな映画である。

 かつて「宇宙戦艦ヤマト」も、「さらば」と銘打った作品が公開された後に続編が作られている。この映画のキャッチコピーが「さらば、ゴジラ。」だったことを考えると、そう遠くない将来にゴジラはスクリーンにカムバックするのかも知れない。

|

« 会話が成立しない状況 | トップページ | 一人称表記について »

映画・テレビ」カテゴリの記事

特撮」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/75931/2573874

この記事へのトラックバック一覧です: 今はさらばと言わせないでくれ:

« 会話が成立しない状況 | トップページ | 一人称表記について »