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2005.02.22

親の顔が見てみたい・その2

 現役の民鉄乗務員である抹香鯨さんのブログ「運転士魂」からこんな記事。しつけがなってない、というのは今に始まったことではないらしい。もっとも、この「座席の下にゴミを捨てる」行為については、おれも抹香鯨さんにひれ伏して謝らなければならない。おれも幼少の頃に母親からそうするように言われた記憶があるからだ。その時の母親曰く「後で掃除する人がやるからいいの」。……あ、もちろん現在はちゃんとゴミは下車するときに分別して廃棄するよう心がけております。

 ところがこれが新幹線ともなるとちょっと事情が変わってくるようだ。故・宮脇俊三の「駅は見ている」に、東京駅での新幹線の清掃作業の話が載っている。

 そんな話の中で、磯崎さんから思いがけぬことをうかがった。
「終着駅で降りるお客様は、食べ散らかしておいてくれたほうが、ありがたいのですよ」
 私など、弁当ガラや空き缶などをビニール袋に入れ、首をくくって車外に持ち出し、ホームのゴミ箱に入れるのをマナーだと心得、実行してきたが、そうではないのである。分別に手間がかかるし、結んだ首ねっこを解かねばならないからだ。ホームのゴミ箱の容量が少ないという問題もある。(P.50より)

 これはあくまでも「終着駅で降りる客」の場合である。やはり途中駅で降りる客はゴミを持って下車し、分別した上で駅のゴミ箱へ捨てるのが筋というものなのだろう。

 今やゴミの分別廃棄は社会常識と言っていいのだろうが、日頃常磐線など乗っていて腹が立つのは客の乗車マナーの悪さである。乗車の段階では出入り口の前に立ちふさがっている。降りようとしても、お構いなしに乗り込んでくる。降りる客はそいつらをかき分けながら降りなければならないのである。もっとも、最近読んだ「いばらぎじゃなくていばらき」(著・青木智也)によると、これが常識だと思いこんでいるのは茨城人と関西人だけらしい。やれやれ。

 分別があるはずの大人からしてこの有様だから、子供の乗車マナーたるや推して知るべしである。靴を履いたままシートの上に体育座りをしたり、窓に向かって正座したりしている。一緒に乗っている親が注意しないものだから、それこそやりたい放題である。たまに注意したりすると、その子供の親は決まってこう言うのだ――「ほら、あのお兄さんが怒ってるでしょ」。まったく、どういう道徳教育を受けてきたのだろう。そういうことをしてはいけないのは人に怒られるからではない。他の人に迷惑がかかるからだ。

 そのあたりを理解しないまま、体格だけは成長した高校生あたりが一番たちが悪いかもしれない。高校野球の地方予選の時期に乗り合わせたりすると最悪だ。混んでいる電車の中でも通路やドアの前で胡座などかいて座っている。連中の論理はこうである――「邪魔にならなきゃいいだろ」。そこに座り込んでるお前らが立てば、もう何人かの人が楽に乗れるんだぞ。そういう連中を一喝してやれない自分が情けないとも思うのだが。

 こんなやつらを育てた親の顔が見てみたい。電車に乗っていると、時折そんな思いにとらわれる。

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