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2005.02.28

合併狂騒曲、鳴りやまず

 昨日、愛知県の美浜町と南知多町で合併の是非を問う住民投票が行われた結果、合併そのものが白紙となることになった。リンク先の記事にもあるとおり、合併協議会が「南セントレア市」などというキテレツな新市名を提示したことが騒動の発端である。役人が密室で物事を決めようとするとろくな事にならない好例であろうか。合併しようとする市町村が全く同じ人口という非現実的なことでもない限り、新市名を決めようとすると往々にして人口の多い方の名前が優先される傾向になる。

 それでは人口の少ない方の地名はどうなるんだ、という理屈から、まったくの新市名が模索されることとなるわけだが、そうなったらなったで、前出の「南セントレア市」に負けず劣らずマヌケな名前に着地するパターンが多いように思う。我が茨城県ではどうなんだろうと思って検索をかけたところ、MASAさんの「バカ市町村合併問題まとめブログ」がヒットした。「バカ市町村名一覧」によると、「かすみがうら市」だの「つくばみらい市」といった新市名が誕生しつつあるようだ。

 リンク先にある一覧をざっと見たところ、「大きく出すぎな市名」(南アルプス市四国中央市など)と「とりあえずひらがな書きにしてみた市名」(つがる市さぬき市など)が目立つ。茨城県内の合併はいずれも後者だ(1994年合併の「ひたちなか市」以来の伝統なのだろうか?)。まあ「かすみがうら市」は「霞ヶ浦」の霞の字が複雑であるという理由なのだろうが、「つくばみらい市」はほとんど意味不明だ。おまけにすぐ隣に「つくば市」があるだけに紛らわしいことこの上ない。ひらがな書きの市名は、一件柔らかい印象を見たものに与える一方で「なんかアタマ悪そう」に見えることもちょっとは考慮してもらいたい。

 いわゆる「平成の大合併」でこのような嘆かわしい事態が全国で勃発しているのだが、どうにも不憫なのは合併によって歴史のある地名が地図上から消えてしまうことである。そりゃ合併することによって得られるメリットはあるだろう。しかし目先の利益に目を眩ませて、過去の歴史をすっぱり切り捨てるような真似をしてもいいものなのだろうか?

 余談になるが、ひたちなか市に「ひたちなか駅」は存在しない。旧市名である「勝田」と「那珂湊」が駅名として残っている(前者はJR、後者は茨城交通湊線)。付近住民も単なる行政区分と割り切っているのか、合併後10年を経過してなおかつての地名を使う。以前の勝田市と那珂湊市の街としての性格が違いすぎるせいである。

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2005.02.26

日立電鉄線乗車記

 3月いっぱいで廃止になる日立電鉄線に乗りに出かけた。ちょうど1週間前には「茨城王(イバラキング)」の青木智也さん主催の「日立電鉄ツアー」が開催された(レポートは24日付の朝日新聞にも掲載された)が、大勢で動くのがあまり好きでないのと、参加費用がいささか高額だったことから見送った。乗りに行くのを今日にしたのにはもう一つ理由がある。今日は偉大なる鉄道紀行文作家である宮脇俊三氏の3回忌に当たる日である(永眠した時刻である午前8時3分にはもちろん黙祷した)ので、先人にささやかながら敬意を払った次第である。宮脇氏は「時刻表おくのほそ道」の中で日立電鉄線に乗っている。

大甕駅跨線橋の乗換案内 大甕駅にて  まず東海から電鉄線の接続駅である大甕に出る。ホームに降りると、やはりカメラを持ったご同輩が数名見受けられた。とりあえず全線のうち、大沼-鮎川間が未乗区間であったため、9時54分発の鮎川行きに乗り込む。鉄道ファンの習性で、運転台の右後ろにかぶりつくように立っていたら、運転士氏に「そこには立たないでください」とやんわり注意され(立っていた場所には運転士が切符を回収するための窓があった)、すごすごと立ち位置を移動した。

駅名表示板・海側 駅名表示板・山側  未乗区間に入り、河原子駅付近では、かの「トリビアの泉」で紹介されたこともある「高さの変わる歩道橋」(おそらく日立市民は誰でも知っている)も見えた。桜川駅で休日出勤と思われる定期券の客数名が降りて、10時7分に鮎川着。駅名表示板は長年潮風におあられてきたためかえらく錆びついていた。次の常北太田行きは10時38分である。

人を困らせた券売機 鮎川駅  ここでちょっとしたトラブル発生。財布の中には真新しい野口英世の新千円札しか入っていなかったのだが、鮎川駅の券売機ではこれが使えなかったのである(廃止が決まった頃に流通し始めたから当然と言えば当然だが)。この駅は無人駅のため、窓口で両替してもらうわけにも行かない。結局駅の外にある新札対応の自販機で缶コーヒーを買って、なんとか常北太田までの切符代700円を捻出した。

 何もないとは聞いていたが、鮎川駅周辺で見るべきものは何もなかった。もともと日立電鉄が買収する前は「常北電気鉄道」として大甕-久慈(現・久慈浜)間、久慈浜-常北太田間が段階的に開業した路線だった。本来は日立まで伸びる予定だったのだが、結局鮎川止まりになったという。このあたりの歴史については、小川野田西さんの「茨城の鉄道趣味のページ」の日立電鉄の項に詳しいので、そちらをご覧いただきたい。

営団地下鉄のマーク入り扇風機 鮎川駅にて  駅舎やら車両やらを撮っているうちになんとか時間がつぶれ、来たときよりも多めの客を乗せて、常北太田行きは定刻に発車した。さっき鮎川まで乗ってきた車両がそのまま運用される。2両編成の後部車両に腰を落ち着ける。大甕からはやはり廃止を機に乗りに来たと思われる客がどっと乗り込んできた。

 久慈浜を過ぎ、立体交差で常磐線の下をくぐると、周囲の風景はほとんど田んぼばかりになった。24日の深夜から早朝にかけて降った雪がまだ溶け残っているのが見える。時折沿線に三脚を立てて列車を撮ろうと待ちかまえている人が見られる。常北太田が近づくにつれて、次第に乗客が増えていく。いわゆる「記念乗車」ではなく日常的に利用している人なのだろう。

常北太田の旧型車両 常北太田駅  そんな単調な沿線風景を眺めているうちに、電車は11時22分に常北太田に着いた。乗降ホームの向こうには、現在運用されているタイプの車両に混じって、古い車両がぽつんと静態保存でもされているかのように止まっていた。

JR常陸太田駅  その後は歩道橋1本でつながっているJR水郡線の常陸太田駅から、上菅谷、水戸と経由して東海に戻った。

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2005.02.23

キリコは、心臓に向かう折れた針。

 おれにとって「装甲騎兵ボトムズ」というアニメはある種特別な存在である。TVシリーズが放映されたのはもう22年も前の作品なのだが、おれを含めていまだに熱狂的なファンがいる。新作が雨後のタケノコのように製作され続けているガンダムと異なり、一番新しい映像作品でもTVシリーズの続編として製作された『赫奕たる異端』で、10年も前の作品だ。恐ろしく息が長い作品と言っていい。ファンの中には、趣味が高じて実物大のアーマード・トルーパー(作中に登場する人型兵器の総称。本編中では通して『AT』と呼ばれた)を作っちゃう人までいるのだ。

 そして、おれが今使っている「ぶるない」というハンドルも、元をたどるとこの作品に行き着く。ボトムズのインサイド・ストーリーとして書かれた小説「青の騎士ベルゼルガ物語」(作・はままさのり)の主人公の通り名が「ブルーナイト(小説のタイトルにある『青の騎士』の意)」という。NIFTY-Serveに入会してパソコン通信の世界に足を踏み入れたおれが使ったハンドルが、そこから拝借した「BLUE KNIGHT」だった。話が飛ぶようだが、スーパーファミコンで「ドラゴンクエストIII」がリメイクされたときに、おれを含む友人たちの名前をキャラクターの名前に使った友人がいて、そのときにBLUE KNIGHTを縮めた「ぶるない」という略称が生まれた(ちなみにこのキャラクターの職業は僧侶で、性格は『ぬけめがない』だったそうだ)。で、なにやら据わりのいいこの名前を今使わせてもらっている次第である。この友人には感謝しなければならない。

 個人的な話が長くなったが、そのボトムズの「TV版総音楽集」が届いた。以前発売されたサントラ3枚に、それまで未収録だった曲とOP・EDのカラオケを追加収録したものである。未収録曲に若干ながら期待したのだが、ことごとく肩すかしを食らった感は否めない。特に次回予告で流れていた、OPをアレンジした曲が入っていないのは痛かった。ともあれ、「ボトムズ」と名の付くアルバムはすべて持っているにしても、久しぶりに聴く音楽は耳に心地よい(特に第2クールの『クメン編』は特筆もの)。どうにも惜しいのは、これらの曲を生み出した乾裕樹氏が2003年に物故していることだ。もうあの人が紡ぎ出す新しい曲に出会えないことは、乾氏の音楽の一ファンとしてこの上なく淋しい。

 ボトムズの音楽を担当するのと並行して、乾氏は「カリオカ」というバンドに所属して音楽活動を行っていた。1983年に発表されたアルバム「DUSK」には、ボトムズのEDテーマである「いつもあなたが」をアレンジした「NEVER ENDING」という曲が収録されているが、残念ながらこのアルバムはCD化されていない(『DUSK』の翌年に発表された『Pale Moon』はCD化されているが)。是非「DUSK」もCD化して、ボトムズ以外の乾氏の音楽に、ボトムズのファンが触れてくれることを切に願う。

 そのボトムズもようやくDVDで発売される。それいいのだが、すべての作品映像と膨大な資料やらをセットにして10万円(税抜)という、高額の価格設定はどうにかならなかったのだろうか? 幸か不幸かそれらはLDで揃えている(再生できるハードもある)ので、フトコロに北風が吹いている身としては、これを見送ってもさほど気に病まずに済んでいるのだが。

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2005.02.22

親の顔が見てみたい・その2

 現役の民鉄乗務員である抹香鯨さんのブログ「運転士魂」からこんな記事。しつけがなってない、というのは今に始まったことではないらしい。もっとも、この「座席の下にゴミを捨てる」行為については、おれも抹香鯨さんにひれ伏して謝らなければならない。おれも幼少の頃に母親からそうするように言われた記憶があるからだ。その時の母親曰く「後で掃除する人がやるからいいの」。……あ、もちろん現在はちゃんとゴミは下車するときに分別して廃棄するよう心がけております。

 ところがこれが新幹線ともなるとちょっと事情が変わってくるようだ。故・宮脇俊三の「駅は見ている」に、東京駅での新幹線の清掃作業の話が載っている。

 そんな話の中で、磯崎さんから思いがけぬことをうかがった。
「終着駅で降りるお客様は、食べ散らかしておいてくれたほうが、ありがたいのですよ」
 私など、弁当ガラや空き缶などをビニール袋に入れ、首をくくって車外に持ち出し、ホームのゴミ箱に入れるのをマナーだと心得、実行してきたが、そうではないのである。分別に手間がかかるし、結んだ首ねっこを解かねばならないからだ。ホームのゴミ箱の容量が少ないという問題もある。(P.50より)

 これはあくまでも「終着駅で降りる客」の場合である。やはり途中駅で降りる客はゴミを持って下車し、分別した上で駅のゴミ箱へ捨てるのが筋というものなのだろう。

 今やゴミの分別廃棄は社会常識と言っていいのだろうが、日頃常磐線など乗っていて腹が立つのは客の乗車マナーの悪さである。乗車の段階では出入り口の前に立ちふさがっている。降りようとしても、お構いなしに乗り込んでくる。降りる客はそいつらをかき分けながら降りなければならないのである。もっとも、最近読んだ「いばらぎじゃなくていばらき」(著・青木智也)によると、これが常識だと思いこんでいるのは茨城人と関西人だけらしい。やれやれ。

 分別があるはずの大人からしてこの有様だから、子供の乗車マナーたるや推して知るべしである。靴を履いたままシートの上に体育座りをしたり、窓に向かって正座したりしている。一緒に乗っている親が注意しないものだから、それこそやりたい放題である。たまに注意したりすると、その子供の親は決まってこう言うのだ――「ほら、あのお兄さんが怒ってるでしょ」。まったく、どういう道徳教育を受けてきたのだろう。そういうことをしてはいけないのは人に怒られるからではない。他の人に迷惑がかかるからだ。

 そのあたりを理解しないまま、体格だけは成長した高校生あたりが一番たちが悪いかもしれない。高校野球の地方予選の時期に乗り合わせたりすると最悪だ。混んでいる電車の中でも通路やドアの前で胡座などかいて座っている。連中の論理はこうである――「邪魔にならなきゃいいだろ」。そこに座り込んでるお前らが立てば、もう何人かの人が楽に乗れるんだぞ。そういう連中を一喝してやれない自分が情けないとも思うのだが。

 こんなやつらを育てた親の顔が見てみたい。電車に乗っていると、時折そんな思いにとらわれる。

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親の顔が見てみたい

 子供にとって不幸なことは、親を選べないことである。そして、親が子供に対して自分の考えを押しつける最初の機会は「命名」という儀式である。この場合「自分の考え」というフレーズは「自分の趣味」というフレーズと完全にすり替えが可能である。 

 友人のサイト経由で見つけた「かわいそうな名前をつけられてしまった子供一覧。」。……まったく、最近の親は自分の子供に何を求めているのやら、さっぱり解らない。以前どこかの生命保険会社が調べたという珍名さんを見て呆れかえったことがあるが、今回のものはある意味それを上回る破壊力を持っているかもしれない(情報源が提示されていないのが難ではあるが)。

 強引な当て字(どうやったら『偉大盛』を『いであ』と読めるのか教えてほしいものだ)などは序の口で、単に好きなタレントの名前を付けてみただけ(双子の名前に『楽瑠琥(らるく)』と『詩慧瑠(しえる)』だなんて趣味丸出しだぞ)のものやら、親が自分の学のなさを露呈したもの(『端穂』はどうやっても『みずほ』とは読めない)やら、子供に対して呪いでも込めてるとしか思えないもの(人の名前として『うんこ』なんて読みが許されていいのか?)やら、子供の将来が不安になりそうなものばかりである。

 子供は物心が付くと、往々にして自分の名前の由来を尋ねるものだ。そのときになって、これらの名前を付けてしまった親たちは胸を張って由来を説明できるのだろうか? 名前が元で子供が非行に走っても知らないぞ。

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今日は猫の日

 ……というわけで、今回は我が家にいる人間以外の家族を紹介してみたい。メス猫とオス猫が一匹ずついるのだが、つがいではない。

ナコ

 こちらがメスのナコ。1994年6月29日生まれ。生まれた年の8月に神奈川にいる従姉の家から、はるばる母猫と兄弟のオス猫と一緒にやって来た。母猫にはシャル、弟の猫にはタムという名前を付けていた。お気づきの方もいると思うが、「サムライスピリッツ」という剣術格闘ゲームのキャラクターから名前を拝借した。

 ただ、このとき我が家には既にオス猫が一匹同居していた。しばらくするとタムは家から姿を消した。おそらくはこのオス猫に追い出されてしまったのだろう。

 また、ナコがある程度成長した頃になって、シャルが家から姿を消した。ナコに縄張りを譲ったのだろう、と我が家の家族は推測した。

 そうこうしているうちにナコは10歳の誕生日を我が家で迎えた。もうすっかりおばちゃん猫である。いつの間にかおれと弟は「ナコさま」と敬称付きで呼ぶようになった。10歳の誕生日には弟が奮発してケーキを調達してきて、ロウソクも10本立ててナコの長寿を祝った。野良猫だったことがないせいか、この歳になっても甘えん坊で、冬場になるとおれの布団の上で丸くなって眠る。

トンスケ

 こちらがオス猫のトンスケ。年齢不詳(おそらくは1~2歳くらいと思われる)。ちょうど2年くらい前から我が家の周辺に出没するようになった。以前ははどこかの家で飼われていたと思われる。首にちょっときつめの豹柄の首輪が付いていたのである。現れた当初は、母が家に寄りついてくる鳥にやっていたパンくずを食べていた(弟曰く『イヤシい猫だった』)。

 もともと飼い猫だったためか、人間に対する警戒心はほとんどなく、サッシを開けてやるとほいほい入ってくるようなやつだった。煮干しやらキャットフードやら餌付けするうちに、こいつは次第に我が家の猫と化しつつあった。そして「もうこいつは我が家の猫だ」と認識せざるを得ない事態が起きた。

 我が家の2階には猫専用の出入り口が作ってある。家に誰もいなくなったときには、猫たちはそこから勝手に出入りするのである。2003年11月22日の夜、こいつはそこから入り込んで玄関先に座り込んでいたのである。「ここはお前の家じゃないよ」と外に出しても、また2階の入口から入ってきて玄関先に座り込む。こうしてトンスケは名実共に我が家の猫となってしまったのである。

 トンスケという名前が付くまでは、ちょっとした紆余曲折があった。最初に弟が「とんかつ」と命名した。「ながされて藍蘭島」(作・藤代健)という漫画に出てくるブタの名前である。しかし「猫に『とんかつ』とはあんまりだろう」ということで、いつの間にやらトントンという、パンダのような名前で呼ばれるようになった。「名前をどうするか」で紛糾していた折り、NHKの「首都圏ネットワーク」の中で放送されていた「天気なんでだろう」に登場する「あめスケ」という猫のキャラクターが目に付いた。気象予報士である岩田総司さんがイラスト中に描くこのキャラクターがお気に入りだったおれは、この名前を拝借することにした。かくてこの押しかけ猫はトンスケと呼ばれるようになった(なぜか両親はそろって『トンチ』と呼ぶが)。不思議なことに、家族の中では父に一番なついている。

 我が家が今の家に引っ越してきて丸16年が過ぎたが、どういうわけか家の周りから猫の気配が消えたことはない。たくさんの猫たちが現れては消えていった(我が家で臨終を迎えた猫も2匹いる)。家族全員が猫好きということもあるが、他になにか、猫を引きつけるものがあるのではないかと思われている。

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2005.02.21

スモーキング・ブギ

 よく寝たつもりで目を覚ましたら、夜中の3時だった。暇つぶしにと思ってラジオなどを入れてみたが、我が家のあるあたりで、月曜日の午前3時にまともに受信できるラジオ局と言ったらNHKくらいしかない。仕方なくそこに合わせると、放送されていたのは「ラジオ深夜便」である。

 3時台は音楽中心のプログラムで、今日は「作家でつづる流行歌」ということで宇崎竜童の特集だった。山口百恵などに提供した楽曲が流れて、そのうちに「スモーキング・ブギ」が流れてきた。ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドの1975年のヒット曲である。当時小学生だったおれは、その詞が意味するところなど解らなかったが、ノリのいい曲だっただけによく憶えている。「目覚めの一服、食後の一服、授業をサボって喫茶店で一服♪」という一連のフレーズが特に印象に残っている。

 そのまま目が冴えてしまい、ネットの巡回などしているうちに時刻は5時を回った。入れっぱなしのラジオはニュースを流し始めた。そこでおれは耳を疑うニュースを耳にした。スポーツ紙などはこぞって一面で取り上げたこのニュースである。「プロ野球の有望新人がパチンコ屋で喫煙」というだけだけで十分呆れた話だが、当のダルビッシュは高校時代にも喫煙疑惑が上がっていたというから、さらに呆れてしまう。

 報道によると、先輩選手に連れられてパチンコ屋に行ったそうだが、日本ハムの球団関係者はその「先輩選手」は誰なのか判らない、と発表している。これは邪推だが、本当は判っているのだが伏せているというのが真相だろう。その先輩選手には「新人を教育する」という意識はなかったのだろうか? もしその意識があるのなら、未成年者の喫煙は咎めなければならないだろう。それが大人の義務というものではあるまいか。

 プロ野球選手と言えば、最近はサッカー人気に押されているとはいえ、子供が夢に見る職業である。山本正之の「アニメがなんだ」の歌詞じゃないが、子供が見ているということは責任重大なことなのだ。「あの人がやってるんだから、自分もタバコ吸っちゃってもいいんだ」などという誤った認識を青少年に植え付けられては困る。プロスポーツ選手たるもの、子供たちの規範になってもらいたいものだ。

 あー、気がついたら3件続けて煙草絡みの話になってしまった。

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2005.02.18

続・こんなのが社長で大丈夫?

 タイトルをご覧になれば判るとおり、先の記事の続きである。 その後トラックバック先にコメントが付いて、若干の事実誤認があったようなので、それも含めて書き加えておく。

 先の記事で、おれは件の社長の発言について「『自分が自称愛煙家であることを一般論とすり替えようとしている』ように見える」と書いたが、こちらのニュース記事によると、 垣内社長自身は煙草を吸わないという。こうなると、なんでそこまで全面禁煙化に消極的なのか理解に苦しむ。

 垣内社長はこうも語る。「喫煙を認めているところはホームの端にあり、近寄らなければ影響を受けない」。その喫煙所の近くで電車を待っている人は煙を吸わされても我慢しろと、そういうことですか、社長? 屋内の喫煙所ならば煙はこもるだろうし、屋外なら屋外で、風が吹いたら風下にいる人は受動喫煙を強いられることになりますが、そこんところ如何なものでしょうか、社長?

 煙草はコーヒーなどと同様に嗜好品である。しかし、煙草とコーヒーの決定的な違いは、それを口にしない人にも害を与えるということだ。コーヒー好きが飲み過ぎて胃を悪くするのは本人の責任である。喫煙家が煙草を吸いすぎて肺癌になるのも本人の責任だろう。だが受動喫煙によって、煙草を吸わない人が肺癌になったら、それは誰の責任になるのだろう。少なくとも煙草を吸わない人に非がないことだけは確かだ。

 そういった点を考慮した上で、日本循環器学会は煙草に対する対策強化をJR側に求めているのではないだろうか。それを 「もうもうとした煙がいいという人もいる」などという子供のような理屈で要求を退けようとするのは、公共交通機関のトップの発言としては軽率であり無責任だ。

 改めて問う。本当にこんなのが社長で大丈夫なのか、JR西日本。

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こんなのが社長で大丈夫?

 自慢じゃないが、おれは生まれてこの方、煙草を直接口にくわえて吸ったことは一度しかない。ある年の会社の忘年会の席上で、酔った会社の人に吸わされたのである。感想はというと、うまいともなんとも思わなかった。ただ煙の匂いがしただけである。

 もっとも、父はおれが小学生の頃に吸っていたから、その当時は受動喫煙をしてはいたはずである。その父も胃を悪くして入院して以降、きっぱりと煙草を断った。会社勤めをしていたときも、おれは極力喫煙所には近寄らなかった。それくらい煙草の煙はダメである。ある日、喫煙家の真後ろに座って2時間ほどゲームを眺めていたときには、激しい頭痛に見舞われ、その後行った飲み屋のトイレでオエオエしたこともある(飲み過ぎたためではない)。そんな有様だから、パチンコ屋や電車の喫煙車両など、紫煙の充満した空間には、可能な限り足を踏み入れたくないと思う。

 そこで、このブログ経由で読んだこのニュース。 ブログ側は「ばかか?」の一言で一刀両断にしているが、ニュース記事を読んだ限りで類推すると、 「自分が自称愛煙家であることを一般論とすり替えようとしている」ように見えるのだが、どうだろうか? 「煙が好きでない人は、喫煙場所の近くに寄らなければ、それほど影響を受けないのではないか」というコメントに至っては、 「あんた『受動喫煙』って言葉知らないだろ?」と突っ込みたくなる。喫煙車両の検札をしていたせいであんたの会社の車掌が肺癌になったら、ちゃんと労災の手続き取ってくれるんだろうな? こんなのが社長やってて大丈夫なのか、JR西日本。

 そりゃたしかに、喫煙家は煙草を買うことで、そうでない人以上に国に税金を納めているのだから、 「煙草くらいもうちょっと自由に吸わせてくれい」とでも主張したいところであろう。だが嫌煙家の立場から言わせてもらうと、 「あなたたちは大気中に有毒ガスを撒き散らしていることを自覚しながら煙草を吸っているのか?」と。喫煙家が直接吸い込む煙よりも、周囲に漂っている副流煙の方が有害であることが解ったのは最近の話ではない。

 別に「吸うな」と言うわけではない(ホントは言いたいが)。吸うならちゃんと然るべき場所で吸ってもらいたい。あと「吸い殻は灰皿に捨てろ」。煙草を吸う人間の最低限のマナーだとおれは思っているのだが、それさえも解っていない自称愛煙家がはびこっている。困ったものである。そこの自称愛煙家のアナタ、道路は灰皿じゃありませんぜ

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パソ通時代の終焉

 まあ「いつかはこんな日が来るだろう」と予想はしていたのだが、ニフティが20年近く提供し続けてきた パソコン通信のサービスを段階的に終了するというアナウンスがあった。思い起こせば、このところメールと、ひと月前に始めたこのココログくらいしか利用していなかったし、フォーラムの会議室や個人のパティオなどを巡回することもなくなっていた。

 おれがニフティ(当時はNIFTY-Serve)に入会したのは、ちょうど10年前の7月だったと記憶している。その年の内に 「スーパーロボット大戦」のファンが運営するパティオに首を突っ込むようになってから、加速度的にパソコン通信にのめり込んでいった。オフ会に参加したのもそのパティオでのものが最初だったし、夜通しで1年物のアニメをぶっ通しで見たこともあったし、1回の書き込みで100行を超す長文の応酬をしたこともあったし、走行中の寝台列車の中からチャットに参加したこともあった。顔も本名も知らない知り合いというのが新鮮だった(そういやいまだに顔は知っているけど本名を知らない知人がいるな)。その多くの知人が出来るきっかけになったパティオのサービスも5月末には終わる。

 あのころは9600bpsだの14400bpsのモデムが「速い」時代だった。現在の光ファイバー通信で最速100Mbpsという時代からすると隔世の感がある。パソ通はテキストでのやりとりが主だったから、14400bpsなんて速度のモデムでも飛ぶように流れていく文字列を見ることで速度が体感できた。おれは現在8MbpsのADSLを利用しているが、それでもタブブラウザで複数のサイトを読みに行くと「遅いなあ」と思うことがある。テクノロジーの進歩は確実に人間の心理にも影響を及ぼしているのだなあ、と思う。

 テクノロジーが進歩するように、人も変わっていく。結婚しただの、子供が出来ただのという話も聞いた。そういうのを眺めているおれはどこか変わっただろうか? 己自身に問いかけてみても、なーんにも変わっていないような気がする。多少の変化があったと言えばあったが一過性のもので、嗜好などもほとんど10年前と変わらない。変わったのは「ネット」が意味するものがパソ通からインターネットになったくらいか。

 最近やりとりしてないパソ通時代の知人たちも、やはり新たな通信環境下でネット生活を謳歌しているのだろうか? 連絡を取ってみたくなった、今回のちょっと淋しいニュースであった。まあニフティさんには「今後ともよろしく」ということで。

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2005.02.17

凶行とこころの闇

 14日に寝屋川市の小学校で起きた事件に関してブログで言及するのも 「今更」の感があるが、なにか書き残しておかなければいけないような必要性にとらわれて、こうしてキーボードをタイプしている。…… とはいうものの、事件当日から「なにか書かねば」という気持ちばかりが先行してしまい、書いては消し書いては消しを繰り返した。

 今回の事件に関して、他人様のブログをいくつか拾い読みしてみると、犯人の少年が小学生の頃に受けた仕打ちに対して同情的なニュアンスのものがあることに気付く。特にmanic-depressiveさんの記事にある昔の体験は、 犯人の少年のかつての境遇とよく似ている。また、こむりんさんの記事では、こころの病を持つ身として少年に対して同情的だ。

 かく言うおれも、少年がいじめを受けていたという時期と同じ年頃にはいじめに遭っていた。毎日のように特定個人から攻撃を受ける日々が続いた。 担任は直接的にはなにもしてくれなかったが、攻撃が目に余るようなときには勇気のある友達がかばってくれた。その甲斐あってか、 どうにか学校には通えていた。苦痛ではあったが。manic-depressiveさんと同様に、あの頃直接いじめに関わっていた連中とを、おれは忘れられない。そんな連中と一緒にいたことを記録として手元に残すのが嫌で、 卒業アルバムも処分してしまったが、それでもこころの奥底にこびりついた暗い記憶は消えてはくれない。

 もし精神的に不安定な状況下で当事者と出くわしてしまい、手元に凶器があったら、おれもそいつらに襲いかかるかもしれない。殴った側が己の拳の痛みを忘れても、殴られた側はその痛みを忘れることは決してないのだ。

 15日付のYOMIURI ON-LINEの記事にこんな記述がある。

 同小関係者によると、 少年は徹夜でテレビゲームに熱中し、授業中に居眠りすることが度々あった。6年生当時、男性教諭に 「また寝とるわ」と言われ、 クラスメートから笑いが起きたことがあったという。

 確かに徹夜でゲームに興じていた少年と、それを放任していた家庭にも落ち度はあるだろう。しかし、学校でこんなことをされたら当人はどう感じるだろうか?  当の男性教諭は事情聴取に対して「恨まれるような心当たりはない」と話しているというが、 それは単に少年のこころを傷つけていることに対する自覚がないだけではないのだろうか?

 17日付の記事によると、 少年が熱中していたゲームは「仮想の街を舞台にナイフや銃でゾンビを倒していくストーリー」のものだったという。おそらくは 「バイオハザード」シリーズか、それに類するゲームであろう。少年の目には、襲い来るゾンビが当時の担任やクラスメートの顔に見えていたのかもしれない。

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2005.02.13

困ったブログサービス

 先日の『人、それを「泥棒」と言う』は、ずいぶんいろいろな人たちにトラックバックしていただいた。トラックバック先の記事からこのブログを読みに来てくださる方もおられる。ブログというシステムならではのことであるし、ありがたいことである。

 やはり自分の書いた記事にトラックバックがつくのはブログを書いていてうれしいものだ。おれは基本的にトラックバックしてくれたブログは実際に読みに行ってコメントを残してくることにしているのだが、つい先日トラックバックしてくれたブログにコメントを付けようとして困ってしまった。

 そのブログは先日サービスを始めたばかりのYahoo!ブログにあったのだが、コメントを投稿しようとしたところ、まず「文字数は全角250字まで」と怒られた。しかたなくコメントの後ろのほうを削って再度投稿ボタンを押したところ、今度は「サーバーが見つかりません」のページが表示された。昨夜から再三試しているのだが、何度やっても「サーバーが見つかりません」である。この件に関してはサービス側に「コメント投稿でけへんぞコラ!」と連絡した(もちろん言葉は紳士的なものに換えたが)。

 投稿するに当たって、名前がYahoo!に登録したIDでしかできないというのも不便な仕様だ。「ブログにコメントしたければYahoo!のIDを取れ」ということなのだろうか? おれも一応IDは持っているのでコメントできないわけではないのだが、ただでさえ多いとは言えないコメントの文字数制限があるというのに「ニックネームはこうなってますが『しんけいすいじゃく』のぶるないです」といちいち断り書きを入れなければならないのは困る。中には「Yahoo!のIDを他人に知られたくない」という人もいるだろう(かく言うおれがそうなのだが)。そういうユーザーの気持ちは忖度しなかったのだろうか?

 こちらのブログによると、Yahoo!ブログはまだβ版の段階らしく、コメントが投稿できない不具合もサーバー回りの問題のようだ。だからといっていつまでも問題を棚上げにしておくと、鳶に油揚げをさらわれることになりかねない。余計なお世話ながら、こんなところで苦言を呈してみるのであった。

 β版と言えば、ココログで新着記事をRSSで提供するサービスもなんか不便だ。現状の仕様では、この記事のように複数のカテゴリを指定した記事を拾ってくれないようなのである。これはなんとか改善してもらいたいと思う。

追記:上記の「ココログで新着記事云々」の部分は、今確認したらちゃんと改善されていた。 鵜呑みにしてしまった人、いないと思うけど、もしいたらすいませんです。

さらに追記:今日(17日)に複数カテゴリ(『ニュース』と『心と体』)を指定して投稿したら、やはり「ココフラッシュ」の新着に反映されていなかった。なんでだ? 検索するとちゃんと拾えるのだが。

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2005.02.11

人、それを「泥棒」と言う

  こちらのブログ経由でこのニュースを読んで「またか」という嫌な気分になった。この手の犯罪は今に始まったことではない。だからといって容認されているわけでは無論、ない。

 長野新幹線の開業に伴って1997年9月末に廃止された、横川-軽井沢間(いわゆる『横軽』)の記録を後世に伝えるために作られた碓氷峠鉄道文化むらでも、ずいぶん盗難の被害にあったと聞いた(現状は寡聞にして知らないが)。

 こういった事件を起こす連中にはもちろん腹が立つが、マスコミにおけるニュースとしての取り上げ方もけっこう頭に来るものがある。彼らは報道というフィルターを通してニュースを伝える際に、必ずと言っていいほど余計な一言を付け加えるのだ。「熱心な鉄道マニア (ファンと呼び換えられる場合もある)の犯行と見られ云々…」というやつだ。冒頭に挙げたブログの作者氏も嘆いているが、こういう事件や報道のおかげで、おれのような鉄道好きは世間体が悪くなってしまう。

 はっきりさせておこう。マニアだろうがファンだろうが、本当に鉄道が好きな者はこんなことはしない。こうした行為に走るの輩はただの犯罪者だ。健全な鉄道好きと同列に語るのはやめていただきたい。

 余談になるが、トピックを締めるに当たって、タイトルの元ネタを紹介しておこう。1986年に放送された「マシンロボ・クロノスの大逆襲」というアニメの第37話で、主人公ロム・ストールの妹レイナが、兄がいつもやる口上を真似てこう言うのだ。

「人目を避けて徘徊し、闇に紛れて物色する…人、それを『泥棒』というのよ誰かさん!」

 もし盗難の現場を押さえたら、高いところから犯人どもを見下ろして言ってやりたいものである。 もちろん男言葉に置き換えて。「誰だ!?」と問われたら、お約束のあの台詞を返すのだ。「貴様らに名乗る名前はない!」と。……余談の方に熱が入っちゃったか?

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2005.02.10

反乱するCDトレイ

 気がつくと、何故か毎食後服用の薬が底を尽きかけていて、このままでは次の通院日まで持ちそうにないので、朝食後のみの服用に押さえているのだが、今日は不思議なことに倦怠感に襲われて午前中から布団に潜り込んでいた。昼過ぎに階下に降りていくと、階段の上がり口にはクロネコさんが置いていったATOK2005(電子辞典セット)の入った箱が置かれていた。

 早速インストールと行きたかったのだが、前述のようなコンディションのために実際の作業は日が落ちてからになった。自分のノートにはすんなり入ってくれたのだが、問題は父のデスクトップ機であった。

 父のPCはVAIOのPCV-JX11BPという機種なのだが、こいつのCDトレイは何の前触れもなく勝手に開いたりするのである。 MP3ファイルを作るためのオーディオCDのリッピング中だろうが、プログラムのインストール中だろうが、お構いなしに開きやがるのだ。メーカー側もある程度はこの現象を認識していたらしく、該当するファームウェアのアップデートもやったがダメだった。そのファームウェアのアップデートで「まれにCDが認識しなくなることがある。」現象が解決するはずなのだが、実際は「どこが『まれに』だコラ! しょっちゅうじゃねえか!」と喚きたくなることしきりである。思わずPC相手に暴行を働きそうになるのだが、曲がりなりにも精密機器だけにぶん殴るわけにもいかない。所有者には幾度となく「修理に出してくれ」と頼んでいるのだが、父の腰は重い。

 今回の場合、ATOK本体は無事インストールできたのだが、付属の電子辞書のインストールにはさんざん難儀させられた。全体の95%までインストールが進んだところでトレイが頼んでもいないのに出てきたときには、さすがにアタマに来た。入れても入れてもかたくなに抵抗するCDトレイに辟易しつつ、電子辞書のインストールはなんとか終了した。やれやれ。

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2005.02.09

厚生労働省へのメール

 精神病を患っているならば、「精神福祉保険法による通院医療費の公費負担」という制度をご存知の方も多いだろう。こちらの記事の内容を引用させてもらうと、

何らかの要因で心の病になってしまった場合、
申請した精神科の治療に限り、
5%の自己負担で診察・薬の処方をしてもらえる措置です。

 ……というものである。自治体によっては5%の自己負担分まで自治体側で負担してもらえる。かく言うおれもこの制度の恩恵にあずかっていて、通院に当たってかかっている費用は往復の電車賃だけという、ありがたい状況下にある。その公費負担について規定している精神福祉保険法第32条が大変なことになっている。廃止もしくは改悪と言うからとんでもない話だ。前出のブログにいろいろな抗議手段が紹介されているのだが、「厚生労働省への直メールも有効です。」ということなので、厚生労働省 メール受付からメールを送ることにした。 送ったメールの内容は次の通り。

今回の32条改正は、こころを患って苦しむ弱者に対する仕打ちでしかありません。 こころを患っている人たちは通常の仕事をすることも出来ず、経済的にも苦しんでいるのです。 そういった人たちに行政が救いの手を差し伸べなくてどうするのでしょうか。国民を無視する行政がまともな政治とは思えません。
こころの病、特にうつ病は成人の15人に1人が罹患すると聞きました(あなた方厚生労働省の調査結果です)。 うつで苦しんで結果的に死を選ぶ人も少数ではありません。 ただでさえ病気で苦しんでいる人たちを経済的に追いつめてしまう今回の32条改正には納得できません。 経済的に追いつめられてしまった人が死を選んでしまったら、政府は何らかの責任を取ってくれるのでしょうか?
ただでさえ自殺者の数が交通事故死者の3倍を上回っているという現実を「異常事態」であると認識して下さい。弱者を切り捨てることが行政のなすべき事ではないはずです。今回の改正を撤回することを強く望みます。

 このようなメールなど蟷螂の斧に過ぎないのかも知れないが、当事者の1人としては意見せずにはいられない。メールにも書いたが、弱者を切り捨てることが行政のなすべき事ではないはずだ。このブログ(本件に関しては、あちこちのブログで反対の声が上がっている)を読んで、厚生労働省に一太刀浴びせてやりたい人が1人でも多く声を上げることを希望する。

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2005.02.08

うつうつの日々

 ここ数日、無気力でうつうつな日々が続いている。理由はよく分からない。抗うつ剤の副作用なのかも知れない。最近のおれのタイムスケジュールは次のような感じである。

 朝は6時20分頃に起きる。リビングに降りていって、家族そろって朝食を取る。食べ終わる頃がその30分後くらい。食後に抗うつ剤と抗不安薬を飲む。今の時季、まだ寒いので布団に潜り込んで文庫本を読んでいるうちに睡魔が襲ってきて眠りに落ちる。目が覚めると昼頃。軽く昼食(食べないときもあり)。食後にまた朝と同じセットの薬。 今日のように最高気温が3度などという寒い日は布団のぬくもりは天国へのいざないである。また布団。次に目が覚めるのは16時前後。ようやくのろのろと動きだし、コーヒーなど飲んでみる。やおらPCを立ち上げてネットを巡回したりしているうちに、夕食時である。が、日中がこの有様では食欲などあろうはずもなく、牛乳1本を開けておしまい。そしてまた服薬。朝食後と同様に布団の中で文庫本。睡魔襲来、沈没。気が付くと日付が替わる寸前だったりする。目が覚めきらないうちに今度は眠剤(たまにはアルコールも)を飲んで、また布団。今度は朝までぐっすり。そしてふりだしにもどる。これの繰り返しである。

 新聞はテレビ欄に軽く目を走らせる程度。実際にはテレビなどほとんど見ないのだが。ちなみに自分の部屋にはテレビ自体ない。ラジオのはいるミニコンポはあるが、その音声も右から左に抜けていくだけで頭に残らない。3連装のCDチェンジャーにCDは入っているものの、ここ数ヶ月顔ぶれが変わっていない。これもほとんど聴かないのだった。読んでいる文庫本も活字を目で追っているだけのような気がする。

 主治医のM先生は「暖かくなれば体を動かす気にもなるよ」と言ってくれているのだが、さてどうなるか。早いところ暖かくなってくれないものだろうか。この記事も、ろくに推敲せずに書いている次第である。

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2005.02.06

ある名物おじさんの死

 デビッド・ジョーンズ氏。この人の名前は憶えていなくても、大相撲の千秋楽で「ヒョーウショーウジョウ!」とやっていたおじさんと言えば、紋付き袴姿でバカでかいトロフィーを抱えていた外国人を思い出すだろう。 そのジョーンズ氏の訃報を聞いた。この件に関しては、そこいらのニュースサイトよりも喜多哲士さんの「ぼやき日記」 での、故人への思い入れたっぷりの文章の方が人となりをよく知ることが出来ると思う。

 そういえば物心ついた頃、親に付き合ってテレビの相撲中継を見ていて、例の「ヒョーウショーウジョウ!」を聞いて場内と一緒になって笑うのが、千秋楽でのなによりの楽しみだった。表彰式での賜杯だの総理大臣杯だのは眼中になく、パンアメリカン航空の羽根のついた地球儀が印象的なあのトロフィーが土俵上に出てくると、子供心に「来た来た来た!」(今風に表現するなら『キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!』であろう)とわくわくしたものだった。

 もうあとは熱烈な相撲ファンである喜多さんの文章に付け加えるべき一言一句も浮かばない。きっと日本が大好きな人であっただろうから、あえて日本式に哀悼の意を表したいと思う。合掌。

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TXのキャラクター名って…

 茨城県中西部というと、長らく陸の孤島状態だった。こう言ってしまうと該当地区にお住まいの皆さんに失礼かもしれないが。鉄道路線図を見てみると、つくば市の中心とも言える「筑波研究学園都市」(1985年に科学万博が開かれたあたり)は最寄りであるはずの土浦駅からアクセスしようとすると、バスで何十分もかかるところにある。

 そこに風穴が開く日がまもなくやってくる。そのつくば市と東京・秋葉原を結ぶ(東京駅まで延伸の計画もあるらしい)つくばエクスプレス(以下TXと略す)の今秋の開業である。茨城在住の鉄道ファンとしては、開業したら是非乗りに行きたいところであるが、乗りに行こうとすると、長いこと常磐線にゆられて秋葉原まででなければならない。めんどくさ。

 そのTXのイメージキャラクターの名前が決まったとの ニュースを聞いた。「スピードとナイス・フィーリングからの連想」だとかで、「スピーフィ」だそうである。なんか発音しにくいように感じるのはおれだけだろうか? キャラクターの位置付け上、NHK衛星放送のマスコットである「ななみちゃん」みたいに頻繁にメディアに登場したりはしないだろうが、開業してしばらくしたらTXの利用者にすら名前ばかりか存在自体忘れられそうな気がしてならない。

 こういうので多数派の意見が通るとは限らないのは世の常である。せっかく仰々しく審査員なんてのが出てきて「E電」なんて決めても、もう誰も使ってないぞ(決まった当時から誰も使ってなかったが)。東北新幹線が八戸まで乗り入れる際にも新しい列車名が公募されたが、得票数1位だった「みちのく」は無視されて「はやて」になった。こうなると何のための公募なのやら怪しくなってくる。話題作りのためだけだったら、こんなことはやめてもらいたいものである。最初から得票数1位のものを採用する気がないのなら、選考委員会でも設置してそこで決めてしまえば、手間も経費もかからないではないか(近頃何かと話題の『南セントレア市』はこんな感じで決定されたようだ)。

 さらにどうでもいいことだが、なんでこのキャラクターの審査員に女子レスリングの浜口京子が起用されたのだろう? キャラクターの名前を選んだところでTXを利用してくれるとは到底思えないのだが。おおかた「マスコミ発表の時にでも担ぎ出せば、もれなくあの暑苦しい親父がくっついてきて、話題作りに一役買うだろう」なんてせこい算段でもしていたのだろう。いい加減、アニマル浜口の毎度おなじみの「気合いだ~!」の連呼も聞き飽きた感があるが。

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2005.02.05

外交問題とスポーツ

 今月9日はワールドカップサッカーのアジア最終予選の初戦である。それにつけても、抽選というやつは皮肉な組み合わせをするものだと思う。よりにもよって今日本と一番きな臭い関係の国である。つい先日日本の出した遺骨の鑑定結果を「捏造だ」と因縁付けてきた直後だけの試合だけに、間が悪いとしか言いようがない。試合会場のスタジアムを黒いバスプジョー(このネタが分からない人はSUPER BELL''Zの『 Formula Man』を聴かれたし)が包囲して、スピーカーでがなり立てる図が安易に想像できる。

 事態は常に最悪のケースを想定するものだと言うが、こちらのブログで言われているように、 スタジアムに日本チームを応援しに行く人は、現状の外交問題はすっぱり忘れて応援だけに没頭してほしいと思う。ついこの間の、重慶にいた中国人サポーター連中の起こした蛮行を真似するようなことはやめてほしい。逆の立場に立たされたときに嫌な思いをするのは自分たちなのだから。

 敵味方を問わず、いいプレーは賞賛する。そんな「観る側のスポーツマンシップ」というやつが日本人には欠けているような気がする。端的な例が日本で行われるバレーボールの国際大会。この場合、独占中継しているテレビ局側がそれを煽っているように見受けられるだけに余計に不快感が増す。あの「ニッポン、チャチャチャ!」の連呼、 なんとかならんもんか。

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2005.02.03

新幹線の“温情停車”

 新幹線に限らず、特急列車(最近急行列車はJRじゃほとんど見なくなったなあ)は列車によって停車駅は異なるものだ。Sankei Webのこの記事を読んだとき、昔、東海道新幹線に乗り込んだある代議士が、本来停まらない新横浜に列車をムリヤリ停めさせた事件を思い出した。

 今回の件にしても、比較的運行本数が少ない東北新幹線だから“温情停車”が可能になったのであって、もしダイヤが過密を極める現在の東海道新幹線だったら、当事者には泣いてあきらめてもらうしかなかっただろう。

 想像であるが、この高校3年生は、家庭に配布される広告入りの「福島駅時刻表」あたりを見て乗る列車を決めたのだろう。しかし、書店などで売られている分厚い時刻表で東北新幹線のページを見てもらえば分かることだが、前述したように停車駅は列車によって異なるのである。中には上野、大宮と停車した後は仙台まで停まらない列車もある。大学受験という人生の一大イベントを控えていて、なぜその手間を惜しんだのか。

 記事は当の高校生が受験した東北学院関係者のコメントで締めくくられている。「受験生は交通手段の勉強も必要」。まったくもって同感である。

 教訓。終点まで乗らない列車を利用するときは、その列車が目的の駅に停まることを乗車前に確認しておくべし。

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2005.02.02

ブログにノイズはあるか?

 自分で付けたこのタイトルに関して個人的見解を言わせてもらうなら、「ブログにノイズなんてものはない」。 まだブログを始めて1ヶ月も経ってないのにエラそうな物言いだと取られそうだが。始めるに当たって石橋を叩くつもりで買った 「ココログオフィシャルガイド2005」によれば、

〔前略〕ブログは誰でも、いつでも、好きなときに、自分のペースでつくれる雑誌のようなものだ。(P.120より)

 ……だそうである。まあ こちらの御仁のように、ベタベタ貼られたアフィリエイトリンクにご立腹される向きもあるだろうが、雑誌だったら載っている広告に腹を立てる者はいないだろう(例外はあるかもしれんが)。たしかに小遣い稼ぎを目的にブログを始めるというのは、動機としてはいささか不純であると思うけど、かつて森鴎外(だったと思う。間違ってたらツッコんでください)が「小説とは何を書いてもよいものである」と言ったように、ブログも公序良俗に反しない限りは何を書いてもよいのだと思う。提灯記事を書こうが、現在の政治家をこき下ろそうが、 「ゆうべは2時間しか寝てない」と自分の不健康ぶりを自慢しようが、それは書き手の自由であって、読む側にはそれらから選ぶ権利がある。雑誌を読むときに自分が興味のない記事や広告を読み飛ばすのと同じことだ(『そういうのをひっくるめてノイズと言うのだ』となると、反論の余地もないが)。

 ただ、前出のリンク先でも危惧しているように、マスコミの「個人がお小遣い稼ぎするためのツール」としてブログを取り上げる風潮はいかがなものかと思う。実際にブログを書いている立場から見ると、なんか目的と手段をはき違えているような印象を受けるのだ。ブログには自己表現を求める人が多いそうである。先に「ブログも何を書いてもよい」と書いたが、自分の主義主張を曲げてまで書くようなものでもないと思う。読者に媚びへつらって小銭を稼いで何が楽しいのだろう? どうせ書くなら楽しまなきゃ損というものだ。

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一太郎危うし?

 昨日2ちゃんねるのATOKスレッドがなにやら騒々しかったのはこのせいだったのか、 と今朝のニュースを見て納得した。原告側には失礼だが、なんかどうでもいいような点に難癖つけているような気がしないでもない。井上健語さんのMAKOTO3.NET Blogが言及しているような点が本当に裁判の争点だとしたら、子供のケンカみたいである。この調子で訴訟をぼかすか起こしていったら、すべてのWindows対応ソフトメーカーを敵に回すのではないかという余計な心配までしてしまう。

 この手の権利関係のもめ事というと、某美少女ゲームで大儲けした某ゲームメーカーを思い出す。このメーカーはプロ野球選手会の承諾を得ずに日本野球機構のみの承諾で、選手の氏名・肖像権等の使用について独占使用権の契約を取り付け、結果的に公正取引委員会からの警告を受けている(あえてこのあたりのニュースに関するリンクはしない)。

 余談はさておき、一太郎というと、初めてPCで使ったワープロソフトとして印象深い。出張先でテストのチェックシートをこのソフトで作っていたのだ(まだOSはMS-DOSの時代だ)。日によっては一日中ノートPCでチェックシート作りをしていたため、それまでカナ入力をしていた癖までローマ字入力式に矯正されてしまった。故にMS-IMEよりはATOKの方が手になじんでいる。仕事の都合上、やむを得ずWordを使わざるを得ない状況(調子に乗って保存もしないで作業していているうちにソフトが落ちて痛い目にあったこと数知れず)でも自分のPCにはATOKを入れて使っていた。

 ほとんどワープロソフトの世話にならなくなった今でもATOKだけは手放せず、毎年今の時期になると欠かさずバージョンアップもしてきた。我ながらマメなことだ。

 これまた余計な心配なのだが、こちらのブログによると、一太郎はNHK御用達のワープロソフトらしい。今回の訴訟沙汰の結果如何によっては一太郎は市場から駆逐されてしまうわけで、そうなった場合NHKがどうするか見てみたい気もする。一太郎が販売中止という事態になっても、ATOKは道連れにしないでほしいと切に願う。

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2005.02.01

アクセス解析から見えるもの

 お気づきの方もおられると思うが、昨日から画面の右上に回転する十字手裏剣のアイコンがこのブログに付いた。これまたご存知の方が多いと思うが「忍者TOOLS」のアクセス解析サービスを使わせてもらうことにしたのである。

 もともとこのブログを申し込んだときにアクセス解析サービスが利用できるプランを選んだので、ある程度のアクセス状況は知ることができたのだが、もっと突っ込んだところが知りたくなったので、@niftyから見れば外部のサービスを使う気になった。

 設置から約20日で累計アクセス数が670件ほど。たいした宣伝もしていないのに(ココログに更新報告は送っているが)これだけのアクセスがあるのはけっこうなことだと、自分では思う。もちろん来訪者のリンク元としてはトラックバック先のページや検索エンジンからのものが多いのだが、中には自分のブログのアクセス記録からここにたどり着いたという友人もいる。アクセス数の何割かはブックマークからのものである。ありがたやありがたや。

 さすがに「忍者TOOLS」のアクセス解析は驚くほど詳細である。アクセスした日時やリモートホストが分かるのは当然としても、ディスプレイの大きさや発色数まで分かってしまうとは思わなかった。昨日のアクセス記録にはFOMA携帯からアクセスした人がいたことも分かりなかなかに面白かった。

アメリカ版たんつぼ小僧」や「最近のライダー俳優」 の記事へのアクセスが目立つ。まあライダー俳優のその後の動向というのはファンにとっては気になるだろうし、前者についてはリンク元へのアクセス数が多いことの証明でもあるだろう。

 検索エンジン経由でこのブログへたどり着いた方へ。お探しのキーワードに即した内容じゃなくて申し訳ないです。それとも満足な結果が得られてますか? そうであればいいんですけど。すいませんねえ、長々とした独り言で。

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