凶行とこころの闇
14日に寝屋川市の小学校で起きた事件に関してブログで言及するのも 「今更」の感があるが、なにか書き残しておかなければいけないような必要性にとらわれて、こうしてキーボードをタイプしている。…… とはいうものの、事件当日から「なにか書かねば」という気持ちばかりが先行してしまい、書いては消し書いては消しを繰り返した。
今回の事件に関して、他人様のブログをいくつか拾い読みしてみると、犯人の少年が小学生の頃に受けた仕打ちに対して同情的なニュアンスのものがあることに気付く。特にmanic-depressiveさんの記事にある昔の体験は、 犯人の少年のかつての境遇とよく似ている。また、こむりんさんの記事では、こころの病を持つ身として少年に対して同情的だ。
かく言うおれも、少年がいじめを受けていたという時期と同じ年頃にはいじめに遭っていた。毎日のように特定個人から攻撃を受ける日々が続いた。 担任は直接的にはなにもしてくれなかったが、攻撃が目に余るようなときには勇気のある友達がかばってくれた。その甲斐あってか、 どうにか学校には通えていた。苦痛ではあったが。manic-depressiveさんと同様に、あの頃直接いじめに関わっていた連中とを、おれは忘れられない。そんな連中と一緒にいたことを記録として手元に残すのが嫌で、 卒業アルバムも処分してしまったが、それでもこころの奥底にこびりついた暗い記憶は消えてはくれない。
もし精神的に不安定な状況下で当事者と出くわしてしまい、手元に凶器があったら、おれもそいつらに襲いかかるかもしれない。殴った側が己の拳の痛みを忘れても、殴られた側はその痛みを忘れることは決してないのだ。
15日付のYOMIURI ON-LINEの記事にこんな記述がある。
同小関係者によると、 少年は徹夜でテレビゲームに熱中し、授業中に居眠りすることが度々あった。6年生当時、男性教諭に 「また寝とるわ」と言われ、 クラスメートから笑いが起きたことがあったという。
確かに徹夜でゲームに興じていた少年と、それを放任していた家庭にも落ち度はあるだろう。しかし、学校でこんなことをされたら当人はどう感じるだろうか? 当の男性教諭は事情聴取に対して「恨まれるような心当たりはない」と話しているというが、 それは単に少年のこころを傷つけていることに対する自覚がないだけではないのだろうか?
17日付の記事によると、 少年が熱中していたゲームは「仮想の街を舞台にナイフや銃でゾンビを倒していくストーリー」のものだったという。おそらくは 「バイオハザード」シリーズか、それに類するゲームであろう。少年の目には、襲い来るゾンビが当時の担任やクラスメートの顔に見えていたのかもしれない。
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コメント
個人的はゲームと暴力性を結びつけるのはどうかと思います。
ポイントは怒りにまかせて手を上げてしまうかどうか。その一歩が闇に踏み込むことになるのだと思います。
投稿: manic-depressive | 2005.02.21 00:25
コメントありがとうございます。
ご指摘の通りと思います。こころの闇というのは、どんな人でもすぐ隣にあるようですね。
今回の事件で、またぞろ「専門家」という人たちが出てきて「仮想世界と現実を混同したとも考えられる」なんてステレオタイプのコメントしてるのを見ると、正直うんざりします。
投稿: ぶるない | 2005.02.21 05:43