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2005.03.03

アンチの不思議

 ある程度人気のあるものには、かなりの確率で「アンチ」という逆ベクトルの集団が付いてくる。「アンチ巨人ファン」なんてのがいい例で、我が家の父もそうである。おれも多分にその影響を受けており、正直言って巨人は毛嫌いしている。昨シーズンなどはカネに物を言わせて、誰が四番を打ってもおかしくないようなバッターばかりを集め、「終身名誉監督」というおかしな肩書きの人に「史上最強打線」とこれまたおかしなキャッチフレーズを頂戴していながら、終わってみればAクラスにとどまるのがやっとという体たらくであった。皮肉を込めて「『史上最強打線』じゃなくて『自称最強打線』の間違いだろ」と陰口を叩いていたものである。

 もちろん地上波で放送される巨人戦はほとんど見なかった。特に日テレ系の中継は見ていて不快になるのが分かり切っていたので、BSで他球団の試合ばかり見ていた。民放と違ってうっとうしいCMは入らないし、実況は落ち着いてるし、複数の解説者を持て余すこともない。いいことずくめである。おかげでストレスのないTV観戦が楽しめた。CMはともかく、他の点については民放各社も見習ってほしいくらいだ。

 さて、普通「アンチ」というと「声は大きいが少数派」というのがパターンであると思われるが、ファンとアンチの数を比較しようとしたときにどちらが多いのか判別できないケースが現れた。2002年10月に放送を開始した「機動戦士ガンダムSEED」のシリーズである。DVDやプラモデル、主題歌CD(もっともあれを主題歌と呼べるかどうか疑問であるのは近年のアニメのパターンである)といった関連商品はかなりのヒットを記録しているので、商業的には成功した作品であると言えるだろう。「SEED」のヒットを受けて、昨年10月からは早くも続編に当たる「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」の放映が始まっている。

 しかし商業的成功が作品の人気を証明しているかというと、そうとは思えないところが「SEED」の不思議なところである。かつて、それまでの「ガンダム」の世界観を完全に破壊して登場した「機動武闘伝Gガンダム」でさえここまで叩かれなかっただろうと思うくらい、「SEED」は批判もたっぷり浴びている。無駄に長い回想シーン、執拗に繰り返されるバンク、行き当たりばったりで作っているとしか思えないストーリー、エトセトラ、エトセトラ。おれも「SEED」は一応全話見たのだが、さすがに終盤の展開のムチャクチャぶりには付いていけなかった。

 そして今度の「DESTINY」である。よせばいいのに、古いガンダムファンの神経を逆なでしているとしか思えないことを臆面もなくやっている。かつてシャアを演じた池田秀一氏のレギュラー入り、「ザク」の名を冠したモビルスーツの登場(そういや「グフ」も出たらしい)など。「そうまでしてファンのご機嫌を伺いたいか」と勘繰りたくもなる。まあそんなわけで、おれは「DESTINY」を、第3話が新潟県中部地震の速報で中断されたのを機に視聴をやめた。

 不思議なのはアンチSEEDの行動である。「そんなに嫌いなら見なきゃいいじゃないか」という論法が彼らには通用しない。彼らは「批判する(言いがかりを付ける、と言い換えてもいい)ために見ている」のだ。それはあまりにも不毛ではないか? そんなに嫌な思いをしながら見ていて楽しいか? 不思議というか不可解である。

 ……などと考えを巡らせているうちに、以前友人が口にした言葉を思い出した。「まあアンチ巨人は巨人ファンのうちだからな」。また、アニメ版「プラネテス」の最終回にはそれをさらにかみ砕いたような台詞があった。「愛の反対は憎しみじゃなくて無関心」。なるほど、そう考えると「気になるから見る。見て叩く」という図式がちょっとは納得できるような気がする。阪神ファンが試合で巨人に勝ったときだけに「勝った勝ったまた勝った、弱い巨人にまた勝った♪」とやるのも、巨人という存在が気になるからなのだ。

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