「ちん電」の消えた駅
単に列車が廃止になっても、翌日から駅に変化が起こることはあまりない。駅の時刻表からその列車の名前が消えるくらいであろう。これが路線自体の廃止ともなると、必然的に駅のあちこちに変化が生じる。
今日は通院日だった。そして「ちん電」と地元の人々に呼ばれていた日立電鉄線が廃止されてから初めて大甕駅を訪れる日でもあった。「ちん電」という呼び名は、発車時に車掌がちんちんとベルを鳴らしたことに由来するそうだ(日立電鉄線はかなり早くからワンマン運転を導入していたが)。以前出張で行った大阪の地下鉄でも車掌が鳴らしていたが、今はどうだろう。
「ちん電」のホームを見てみると、当然だが人の気配がぱったりと途絶えていた。営業時と変わらなかったのはジュースの赤い自販機くらいか(これらもいずれは回収されるのであろうが)。跨線橋の日立電鉄線のホームに向かう通路がふさがれており、乗換案内の表示も黒テープで×が付けられていた。
跨線橋の上り口にある案内板に目をやると、「日立電鉄線」の部分の文字が黒テープで潰されていた。下に残る「HITACHI LINE」の英文表記がなにやら寂しく見える。
自動券売機の上にある運賃表を見てみると、日立電鉄線の部分が紙で隠されていた(携帯のカメラで撮ったのだが分かるだろうか?)。おそらくは次回のJRの運賃改定までそのままになるのではないだろうか。写真は撮らなかったが、自動券売機にあった「日立電鉄線」用のボタンもテープで消されていた。
廃止直前の頃には「運行再開を考慮して、鉄道設備は5年はそのまま保存」との要望が上がっていることを新聞記事を読んだが、施設の老朽化などの問題からそれは難しいかも知れない。
かつて、亡くなった紀行文作家の宮脇俊三氏は鉄道の廃線跡を歩いた紀行文を発表していた。「ちん電」の痕跡が消える前に歩いてみたいような気持ちになった。
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