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2005.06.06

臨界事故「負の遺産」解体へ

 1999年。7月に「恐怖の大王」とやらは降ってこなかったが、9月の終わりにとんだ災難がおれの近所に降って湧いた。日本の原子力史上最悪の事故となった、JCO東海事業所で発生した臨界事故である。あの日のことは今でもはっきり憶えている。

 第一報は仕事場で聞いた。「東海村で事故」というから、てっきり海岸沿いにある原研(現・核燃料サイクル機構)での事故だと思っていたのだが、ニュースサイトに出ていた付近の地図に、よく知っている交差点の名前を見つけたときには血の気が引いた。自宅から1キロも離れていないところでの事故というのは、まるっきり予想外だった。そもそもそんな近くに放射性物質なんて危ないものを扱う施設があること自体知らなかった(これはおれに限らず、近隣住民のほとんどがそうだった)。

 その日は常磐線がストップする前に帰宅した。日は落ちて周囲は夜のとばりに包まれていたが、東海村役場の窓という窓すべてに灯りがついているのが見えた。やがて半径350メートル圏内に避難勧告が出され、10キロ圏内に屋内退避勧告が出た。自宅から見える道路から車が消え、我が家の周囲はさながらゴーストタウンと化した。

 翌日退避勧告が解除されると、今度はマスコミが大挙して押しかけた。事故のあった建物の上空にヘリが飛び、最寄りのコンビニの駐車スペースには県外ナンバーの車が目に付き、当時村役場の近所にあったコンビニではカップラーメンの棚がごっそりカラになった。

 ……とまあ、当時そんな光景が展開されたわけであるが、臨界が起きた施設の解体が始まったとの報道(asahi.com)が今日あった。例の作業員がバケツでウランをどばどば入れて臨界を引き起こした沈殿槽などの設備は、レプリカが作られて展示されるという。適当な喩えではないが広島の原爆資料館のような感じになるのだろうか。

 この事故の原因はヒューマンエラーであった。スリーマイル島の事故しかり、チェルノブイリの事故しかり、そして先日の福知山線の事故しかり。なかなか人間は失敗を教訓として生かせないようである。

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