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2005.07.30

水金地火木土天海冥、その次は?

 昔のSF物なんかでは地球が属する太陽系に10個以上の惑星がある設定の作品があったりしたものだが(最多は「銀河疾風サスライガー」の50個か?)、実際に10番目の惑星が見つかった(asahi.com)となると、これはやはりニュースだ。なにせ冥王星発見から75年間も大きな天体は見つかっていなかったというのだから。

 晴れて「太陽系第10惑星」と認定されれば、おそらくは冥王星までの慣例に倣ってギリシア神話から命名されるのであろうが(「ヤマト」に出てきたときには「第10番惑星」という味気ないネーミングだったっけ)、さてどんな名前が付くのやら。何年か後には「おれたちは太陽系の惑星を『水金地火木土天海冥』って憶えさせられてたんだぜ」なんてのが話のネタになったりするのだろうか。

 それにしても、記事の結びにある、

惑星の定義はあいまいで、冥王星を惑星と呼ぶことにも異論がある。

 ……という一文にはちょっと驚いた。天文学の歴史がどれくらいのものなのか知らないが、いまだに「惑星」の明確な定義がないとは。あまつさえ冥王星は惑星ではないかも知れないとは。これを契機に国際天文学連合できっちり定義付けしたらいいのでは? こういうことでもないと「この際『惑星』の定義をはっきりさせよう」なんて気にはならないだろうから。

 余談になるが、関連情報としてリンクが張られていた「最小の太陽系外惑星を発見 「地球型」の可能性」という記事にはいささか拍子抜けした。「地球型」なんていうから、てっきり他の恒星系に可住惑星が見つかったのかと思ってしまったではないか(それだったら「太陽系第10惑星発見」どころの騒ぎではなくなるだろうが)。組成成分が岩石のものを「地球型」、ガス状のものを「木星型」っていうのね、やれやれ。

追記:asahi.comの記事では詳しく触れられていなかった「冥王星を惑星と呼ぶことにも異論がある」のゴタゴタについてはSankei Webが記事にしていた。この分では惑星として認定されるかどうかも怪しいなあ。

2006年8月16日追記:どうやら国際天文学連合は惑星の定義づけに腰を上げたようだ。関連する記事をこちらに書いたので参考まで。

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2005.07.29

日本の夏、高校野球の夏

 時期が時期のせいか、このブログに「高校野球」とか「応援」などをキーワードにして来訪される人も少なからずおられる。記事そのものは選抜大会のときのものだから、旬をはずしている感があるのが申し訳ないのだが。

 28日には茨城県大会でも決勝戦が行われ、藤代が初出場を決めた。その試合が始まって間もない1時過ぎに「どれ、NHKの中継でもちょっと見るか」とTVのスイッチを入れてみた。ちょうどニュースが終わる頃だった。やがて中継が始まったのだが、解説者の名前と肩書を見て驚いた。20年前におれの母校が甲子園出場をしたときの野球部監督だったのである。試合終了時に、実況していたアナウンサーが思わず「藤代、甲子園を制しました!」と口走っちゃったのはご愛敬か。制したのは県大会だってば。

 ところで、選抜大会で意表を突いた応援の選曲でおれを驚かせてくれた愛工大名電は28日現在でも愛知県大会のトーナメント表にその名を残している。夏も甲子園に来るなら、また既成観念に囚われない選曲をしておれを驚かせてほしい。密かに応援してるぞ。

7月30日追記:その愛工大名電は春夏連続の甲子園出場を果たした。よかったよかった。また応援で「ヤットデタマンの歌」とか聞かせてくれるのかな?

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2005.07.27

どこをどう間違えたら

 …と思わずにはいられないasahi.comのこの記事。事件そのものはありふれた(?)強盗なのだが、記事の見出しのおかげで、とてつもなく妙な事件になってしまったような気がする。いわゆる「B級ニュース」の香りが漂ってくるヘンな事件だ。

 犯人のおっさんは「言い訳をしようと思った」と供述しているが、その言い訳とやらがまた振るっている。

 「レジで1000円札と包丁を間違えて出したらブザーを鳴らされた」

 だから、どこをどう間違えたらお札と包丁を間違えるんだ。どうせ言い訳するなら、もうちょっともっともらしいのを考えなさいっての。25日に京浜急行の駅でつまらない動機から人を刺して重傷を負わせたおっさんも「護身用」と称して包丁を持ち歩いていたというが、いくら物騒なご時世とはいえ、日頃から包丁なんかを持ち歩いているような奴の神経はまともとは言えない。

 などというおれは、出かけるときのバッグのポケットにビクトリノックスのツールナイフ(トラベラーPD)を入れている。これを買った頃に見ていたアメリカのドラマ「冒険野郎マクガイバー」の影響をもろに受けたせいなのだが、以前いた職場で必要に駆られて取り出したら「それ、護身用に持ち歩いてんの?」と訊かれたものだ。失敬な。なにかと重宝するから(特にはさみとプラスドライバー)持ち歩いてるだけなのに。

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2005.07.24

ほんとに時代劇ですか?

 先日公式ブログが立ち上げられた「劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼」であるが、TVシリーズの方を楽しませてもらってる身から言わせてもらうと「こんなんで本当にいいのか?」という部分がある。

 タイトルこそ「仮面ライダー」ではあるが、「響鬼」ではそれまでのシリーズのお約束をことごとくひっくり返してきた。変身するのに特定のポーズを取らない。敵に対するとどめとしてキックを使わない。挙げ句の果てには主人公がバイクに乗らない(TVシリーズではもうすぐ乗るようだが)。それでも不思議と世界観になじめてしまったのには我ながら驚きである。叩いている人もいるようではあるが、長年続いているシリーズでここまで異色なことをやれば拒絶反応を起こす向きが出ることは製作側も想定の範囲内だろう。

 で、今回の劇場版である。なにせTVシリーズからして「和風」をコンセプトとして打ち出している作品だけに、「劇場版は時代劇」と聞かされても驚きはしなかった(さすがに仮題として付けられていた「戦国大決戦」というタイトルのセンスはいかがなものかと思ったが)。とは言うものの、現代が舞台のライダー(作中では「鬼」と呼ばれる)のコンセプトをそのまま戦国時代に持ち込んでしまっていいんだろうか?

 「響鬼」に登場する鬼たちは「音撃」と呼ばれる攻撃方法で「清めの音」を相手に打ち込んで倒す。響鬼は太鼓、威吹鬼はトランペット、轟鬼はギターといった具合である。太鼓はともかく、トランペットだのギターだのが戦国時代にあったんか、おい。劇場版に登場する西鬼がトライアングルを使うと知ったときには開いた口が塞がらなかった。なんか製作側の「『必殺仕事人』だって相当時代考証無視してたんだから、これくらいやってもいいじゃん」という開き直りが感じられるのはうがった見方だろうか。

 もうひとつ言及しておきたいのは主題歌についてである。告知CMで「いかにも時代劇」な光景のバックに流れてきた「おれぁえいべっくすのあーてぃすとなんだぜぇい」と激しく自己主張するかのような曲には嫌悪感すら抱いた。曲のタイトルからして「Flashback」って、それが時代劇映画につける主題歌のタイトルなのか、ええ? 思わず「主題歌プロデュース」という肩書のm.c.A・Tの胸倉をつかんで問いつめたい衝動に駆られてしまうのはおれだけではないと思うが、どうか。以前からAvexはSony Musicと並んで露骨なタイアップ路線を展開することでアニメソングファンの反感を買っているので、いささか諦観してもいるのだが。

 ……なんてことをつらつらと考えていると、『戦国への道!』というトピックにこんな文章が掲載されていた。

じつは「時代劇じゃない」んです。
『響鬼』の映画が、結果的に・世間的に、《時代劇》に分類されるってだけ。

わたしたちが制作してるのは、時代劇じゃなくて《響鬼の映画》です。
たった1本の映画で、『響鬼』という物語のテーマはもちろんのこと、世界観を十二分に表現しつくさなければいけない。『響鬼』の代表作にならなければいけない。
……となると、鬼たちや「猛士」の草創期までさかのぼって描かないといけないのは当然のことです。
それをやると、結果的に「時代劇」ってことになっちゃうんですよね。

 つまるところ、時代劇なのか、そうじゃないのか、どっちやねん。

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2005.07.23

「ヒデタ」じゃねえ!

 発売日から遅れること2日、ようやく「ヒデ夕樹 スーパー・ベスト」を入手した。入手が若干遅れたのはこのアルバムが発売されることを知ったのが遅かったからであるが、収録曲のラインナップを見た瞬間、心の中にある物欲メーターが振り切れた。

 腹巻猫氏によるライナーの言を引用すると、ヒデ夕樹の曲は「歌った作品数は多くはないが、そのどれもが強烈な印象を残す名曲ばかり」である。惜しむらくは、その多いとは言えない作品群の知名度があまり高くないことであろうか。「海のトリトン」や「人造人間キカイダー」あたりはともかく、「スターウルフ」だの「スパイダーマン」(東映版)だのを憶えている人がどれほどいるのだろう。かく言うおれとてあまり偉そうな口を叩ける立場ではない。曲はよく知っているのだが、その曲が使われた作品そのものの印象が希薄なのである(自慢にならないが見たことのない作品も何本かある)。

 ヒデ夕樹は、ヒデ夕木とか秀夕木といったさまざまな名義で歌っていたが(これがカラオケで曲探しするときにささやかな障害になったりする)、最初の「ヒデ」のカタカナ表記に引きずられて「夕」をカタカナの「タ」と誤表記する不心得者が少なからず存在するのが嘆かわしい(実際に上記のリンク先(Amazon)でそれをやっている)。ある日カラオケに行って「ヒデタ 樹」という表示を見て頭を抱えたこともある。もしこの記事を読んでいる業界関係者がいたら、その方々には謹んで申し上げる。

 「ヒデ夕樹」を「ヒデタ樹」と表記するのはやめてくれ。

 さて、収録曲についての感想であるが、「風よ光よ」(「快傑ライオン丸」OP)に始まる“特撮ヒーローの世界”のブロックには、北斗百裂拳で秘孔を突かれまくった悪党のような状態になった。もう「ひでぶ」とでも叫んで吹っ飛ぶしかない。あたりに家人がいないのをいいことに「フラッシュ!イナズマン」あたりを歌ってる姿は、隠しカメラで盗撮でもされていたら相当恥ずかしい光景だったであろう。まあそのくらい曲に対する思い入れがあるということでもあるのだが。

 ともあれ、収録曲のタイトルに惹かれる物があったら「買い」のアルバムである。

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2005.07.17

『七都市物語シェアード・ワールズ』

 田中芳樹の「七都市物語」は、1990年に文庫化されるまで「存在は知っているが読んだことがない」作品であった。なにせ雑誌掲載の読み切り形式だったので、読む機会に恵まれなかったのである。それが待望の文庫化となり、実際に読んでみるとこれが取っつきにくかった。誰が主人公なのやら分からなかったからである。ところが何度か読み返すうちに面白く読めるようになってきた。田中氏の代表作である「銀河英雄伝説」と比べると、口も性格も悪いキャラクターたちの言動が楽しめるようになってきたのである。

 1994年にはこの中の1エピソードである『北極海戦線』がアニメ化されたが、これはフォローのしようがないくらいひどい出来だった。「アニメ化されるのであれば是非このシーンは見てみたい」と思っていたシーンがことごとくアニメ版には盛り込まれていなかったというのもあるが、原作からしてあまり長い話でないものを無理矢理前後編に引き延ばして発売するという形式そのものが間違っていたように思う。もっと身も蓋もない言い方をしてしまうと、アニメ版のスタッフは「七都市物語」の面白さの本質を理解していなかったのではないかとすら思える。

 文庫版が発売されてから15年も経って、なぜか版元の異なる徳間書店から「『七都市物語』シェアード・ワールズ」が刊行された。4人の作家による「七都市」の世界を舞台にした作品集である。4月30日初刷であるが、今ごろになって読んでみた。たまたま弟の部屋にあったのを借りてきたのである。

 これでおしなべて作品の出来がよければ「『七都市』のファンなら必読だ!」と勧めるところなのだが、そう言い切れないから困ってしまう。「メインディッシュを先に食べさせられて、前菜が後になって出てくるような構成になっている」という印象を受けた。特に最後に収録されている『もしも歴史に……』は、キャラクターの台詞がライトノベル風の記述をされているのが気に入らなかったし、なによりも原作にも登場するキャラクターであるユーリー・クルガンの性格が改変されているのが許し難い。

 「七都市」の、というよりはむしろ執筆陣のファンであるという人の方が楽しめるのかも知れない。

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2005.07.15

歌欲空回り

 今までこのブログでは取り上げなかったが、実は結構カラオケ好きだったりする。いろいろあってここ1年ちょっと歌いに行ってないのだが、他人様のブログで「こんな曲歌っちゃいました」なんてリストを見せられると、マタドールに挑発された牛のように興奮してきてしまう。「だぁ~ッ、歌いてえッ!」という欲求が鎌首をもたげるのである。

 今回おれの目の前で赤い布をちらつかせたのは、つきあいの長いType774さんのこのトピックであった。このトピックへのコメントで触れているとおり、週末である今日は溜まりに溜まった歌欲を発散させる腹づもりだった。なにせ今日は2週に一度の通院日で、薬を受け取る薬局の隣がカラオケ屋なのだ。しかもこのカラオケ屋には「10万曲サイコー!」が売り文句のUGAがある。

 UGAのあの売り文句は伊達ではなく、気まぐれで検索をかけてみた曲が実際に配信されていて驚いたりした。真っ先に検索をかけたのは子門真人の曲だったのだが、今日日「スターウォーズのテーマ~カンテナバンド」(この曲のカラオケによる著作権収入はちゃんとジョン・ウィリアムスにも入るのだろうか?)なんかが配信されていても驚くには値しないが、検索結果の中に「青春ラジメニアの歌」を見つけたときにはさすがに我が目を疑った。

 かくのごとく下準備を万端に整えて、まずは病院へ。たまたま主治医の先生がいないとのことだったので処方箋だけ受け取って、今度は薬局へ。いつもと同じ処方のためか、大して待たされずに薬が出てきた。待機してもらっていた弟と落ち合って「さあ、歌うど!」と隣にあるカラオケ屋に入ったまではよかったのだが……。

 非情にも受付のお姉さんの第一声は「ご予約はされてますか?」であった。週末とはいえ平日の14時過ぎだというのに満室だというのである。しかも部屋が空くまで1時間半もかかるという。そしてこのカラオケ屋の周辺でそれだけの時間をつぶせるような場所はない。となると、おとなしく退散する以外の選択肢は考えられず、おれたちはいつかのリターンマッチを心に誓って店を後にした。

 帰りの車中では、おれが持ち込んだ伊福部昭のマーチ集が空しく響いていた。

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2005.07.11

安物買いの銭失い

 先週末に、修理に出していたDVD/LDプレイヤーが戻ってきたので、「どれ、ネットで集めた動画をあのプレイヤーでも見られるようにしてみっか」と思いつき、実行に移すことにした。

 …とかいいつつ、実は思いついたのは今回が初めてではない。前回はオーサリングから書き込み用のソフトにSOURCENEXTPower Producer Personalを使ってみたのだが、こいつは書き込み段階で幾度となくコケまくり、何枚ものDVD-Rを無駄にすることになってしまった。それでも1枚は書き込みまで完走したのだが、何故か前出のプレイヤーでは再生できなかった(弟所有の4600円というバカ安のDVDプレイヤーでは再生できたのだが)。

 他に安価でまともに動作するオーサリングソフトはないか(とりあえずオーサリングさえできれば書き込むためのソフトはあるので)とネットを徘徊してみたら、DivXToDVDというフリーソフト(今のところ、らしいが)があることを発見。試してみるとちゃんと動作する。おお、大丈夫そうだ。続いてDVD-Rに書き込んでみる。これも一発で滞りなく完了。「なあんだ、無駄な金使っちゃったなあ」とか思いつつ、いそいそと例のプレイヤーで再生してみる…が、これまた再生できない。「プレイヤーがDVD-Rを認識できない」という可能性は、以前に再生できた実例があるのであり得ない。

 となると、DVD-Rのメディアとプレイヤーの相性が悪いのか? このとき使っていたのはTDKの超硬DVD-R VIDEOである。これ以外で信頼の置けそうなマクセルのDVD-Rを買ってきて書き込んでみたところ、今度はちゃんと再生できた。

 やれやれと思っていたら、約5分ごとに勝手にチャプターが設定されていることに気付いた(これはDivXToDVDの仕様らしい)。それに映像と音声がずれている物もある。PCでオーサリングされたファイルを再生してみると、ずれはこの段階で起きていた。

 さすがにここまでトラブルに見舞われると頭にも来る。おれは観念して、TMPGEnc DVD EASY PACK DVD作成入門セットを注文することにした。これでトラブルが完全に回避できるという保証はどこにもないのだが。

 まったくもって「安物買いの銭失い」というか「ただより高いものはない」というか、身につまされた今回の一件であった。

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2005.07.07

怪獣一人語り・キングギドラの巻

 ゴジラシリーズは1954年から半世紀に渡って28作品が製作され、そのうちの26作品でゴジラは他の怪獣と闘っている。好きな怪獣、印象に残った怪獣は個人によって違ってくるだろうが、「ゴジラのライバル」というイメージで語られる怪獣と言えば、キングギドラを筆頭にあげる人が多いだろう。

 そのキングギドラの初登場は、第1作の「ゴジラ」からちょうど10年後にあたる1964年公開の「三大怪獣 地球最大の決戦」である。「モスラの巻」を読んだ人はお気付きになるだろうが、この年にはゴジラ映画が2本公開されている(もう1本は「モスラ対ゴジラ」)。これはこの年に開催された東京オリンピックにあやかったわけではなく(「地球最大の決戦」には多少の影響があったかも知れないが)、黒澤明監督の「赤ひげ」の製作が遅れて当初の公開予定に間に合わなくなったために「地球最大の決戦」が急遽製作されたという事情がある(手間のかかる怪獣映画を急遽作ってしまったというのも凄い話だ)。そのせいか、ゴジラの熱線には従来の合成による処理がほとんど行われず、水を霧状にしたものを熱線に見立てたりしている。

 モスラのときの例に倣ってキングギドラの登場作品をリストアップすると以下のようになる(下記の作品以外にTVシリーズ「流星人間ゾーン」(1973年放映)の第5話と第6話、「モスラ3 キングギドラ来襲」(1998年公開)にも登場している)。

  1. 1964年「三大怪獣 地球最大の決戦
  2. 1965年「怪獣大戦争
  3. 1968年「怪獣総進撃
  4. 1972年「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
  5. 1991年「ゴジラVSキングギドラ
  6. 2001年「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃

 初登場したときには「金星にあった高度な文明をわずか3日で滅ぼした」(金星での3日間が地球で言うところの約729日に相当する点には突っ込んではいけない)宇宙からの災厄を体現したかのような存在であったが、次の「怪獣大戦争」以降では一気に侵略者の手先の怪獣になりはててしまった。やられ役怪獣の悲しいサガとでも言うべきであろうか。

 さらに「怪獣総進撃」では、ただの恐竜にすぎないはずのゴロザウルスに背後から蹴りを入れられてからはゴジラ・アンギラス・ゴロザウルスの3頭に袋叩きにされ、あわれにも地上に骸を晒している。「ゴジラ対ガイガン」では情けなさに輪がかかり、新怪獣ガイガンの引き立て役にまで落ちぶれてしまう。

 「ゴジラVSキングギドラ」は、いわゆる「平成VSシリーズ」での最高傑作と推すファンも多いが、おれ個人としてはこの声には賛同しかねる。初めてゴジラとキングギドラがサシで対決しているのだが、落ち着いて考えるとストーリー展開上ゴジラとキングギドラが闘う必然性がまったくないことに気付く。製作者側も観客側も「ゴジラとキングギドラは闘うものだ」という先入観に支配されているせいで体よくごまかされているに過ぎないのだ。タイムトラベルというネタの処理に見事に失敗した例と言えよう。メカキングギドラもあまりかっこいいとは言えないものだったし。

 「大怪獣総攻撃」でのキングギドラは、本編中では作中に登場する「護國聖獣傳記」での呼称に倣い基本的に“魏怒羅”と呼ばれる。それまでになく凶悪で強いゴジラを強調するためか、サイズもゴジラより一回り小さく設定されている。従来とは逆に、キングギドラがゴジラの懐に突っ込んで闘うというシチュエーションが発生してしまったため、あろうことかスーツアクターが首の部分に腕を入れて動かす(要するに「レッドスネークカモン」状態)という着ぐるみも製作され、シーンによっては妙に首の短い不格好なキングギドラがスクリーンに現れることになった。また、クライマックスでのゴジラとの闘いが海中戦になってしまったために、本来の個性が十分発揮できなかったのも惜しまれる。

 なんだか書いているうちにグチっぽくなってきてしまったが、キングギドラは「ゴジラよりもさらに強い怪獣」であってほしい。一度原点に立ち返り「本能の赴くままに破壊の限りを尽くす宇宙からの脅威」としての、キングギドラ単体での映画が作られないものだろうか。本気になって作れば、現在公開中であるスティーブン・スピルバーグ監督の「宇宙戦争」も目じゃない物になると思うのだが。

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へそくりの平均額は230万円?

 初めてネット上でこのニュース(ITmedia Survey)を見たときは「は?」と思いつつ見出しを一瞥しただけだったのだが、今朝方の地元のラジオ番組で話題にしていたのでよく聞いてみたら、ニュースとしての話題性だけを優先したようなネタだったので、この場で改めてウソ臭さを検証してみたい。

 へそくりを持っている主婦は44%、平均額は約230万円

 この見出しだけでは「うちのカミさんも、どこにこんな大金を隠してるか分からんぞ」と疑心暗鬼に駆られるダンナさんもいるはずである。ところが記事の先を読んでいくと――

 損保ジャパンDIY生命は、「2005年夏のボーナスと家計・資産形成の実態調査」を行い、その結果を発表した。調査は20~50代のサラリーマン世帯の主婦500名(各年代ごと125名、平均年齢39.2歳)を対象に実施。

 調査対象はたったの500人? 統計学の専門家が聞いたら、おそらく「このサンプル数では信用できない」と言い切られるであろう。

 最近見てないが、なにかにつけて統計を取る必要が生じる「トリビアの種」では、必ず調査の前に統計の専門家に信用たりうる数字を尋ね(たいていの場合は2000件)、それ以上の件数のサンプルを取ってくる。以前「主婦のへそくりの隠し場所で一番多い場所はどこか」というネタを扱ったときには、日本の47都道府県それぞれ60件の家庭、合計2820件を調査している。隠し場所についての結果はこちらをご覧いただくとして、注目すべきはこの調査の時に算出されたへそくりの平均額が約17万円だったということだ。桁が1個違うんですけど

 先の記事に話を戻すと、「へそくりの平均額は約230万円」という数字にもからくりがあった。

 また、夫に内緒の資産(へそくり)を持っている主婦は、約44%。全体ベースで平均約100.4万円、持っている人の平均は230.2万円で、年代が上がるにつれ額は高くなる傾向に。700万円以上というツワモノも2.8%に上る。

 調査結果をパーセントで示しているせいで実際の数字が分かりにくくなっているが、記事の下の方にあるグラフから実数を算出すると、調査した主婦のうちへそくりをしているのは218人である。記事の見出しにあった「約230万円のへそくり」をしているのは、この218人での平均だ。「700万円以上というツワモノ」とやらも実数に直すと1.4人に過ぎない。そもそも500人中過半数の282人がへそくりをしていないのだから、「少人数だが高額のへそくりをしている人間が平均値をつり上げている」というのが、この統計もどきの正体と見るべきである。

 以前にもこのブログで取り上げたが、ベンジャミン・ディズレイリの有名な箴言を最後に紹介しておく。

 「嘘には3つの種類がある。嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ

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2005.07.06

怪獣一人語り・モスラの巻

 新作映画が公開されるわけでもないのに、なんで今ごろモスラの話をするのか? それは狩人さんのブログでのコメントで「ダウト」をかけられたからである。「ついでだから他の怪獣についてもちょっと語っちゃおうかなあ」などという思惑が働いたことも事実であるが。

 モスラのスクリーンデビューは1961年公開の「モスラ」である。なんとこの映画は「全世界一斉公開」であった。当時はもちろん、現在の邦画の状況を考えても画期的なことである。そしてこの怪獣はゴジラと比肩しうる東宝の人気怪獣となった(1996年から1998年にかけてモスラを主役としたシリーズも製作されている)。以後はもっぱらゴジラシリーズのゲストキャラクターとなるのだが、この登場回数がまた多い。ゴジラシリーズでの登場作品をリストアップすると次のようになる(これら以外に「ゴジラVSスペースゴジラ」(1994年公開)にもちょこっと出るがストーリーに絡まないので除外)。

  1. 1964年「モスラ対ゴジラ」(成虫・幼虫)
  2. 1964年「三大怪獣 地球最大の決戦」(幼虫)
  3. 1966年「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(成虫)
  4. 1968年「怪獣総進撃」(幼虫)
  5. 1992年「ゴジラVSモスラ」(幼虫・成虫)
  6. 2001年「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(幼虫・成虫)
  7. 2003年「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(成虫・幼虫)
  8. 2004年「ゴジラ FINAL WARS」(成虫)

 以上の8作品のうち、モスラに付きものの小美人(あるいはそれに類する存在)が登場するのは1~3・5・7・8。恥ずかしながら3は未見なので言及は避けるが、これまたモスラに付きものの「モスラの歌」が劇中で歌われたのは1・5・7の3本。それらの作品で歌を披露したのはそれぞれ、1ではザ・ピーナッツ、5では今村恵子と大沢さやか、7では長澤まさみと大塚ちひろ。この歌を作曲したのは東宝特撮映画音楽の大御所である伊福部昭ではなく、1961年の「モスラ」で音楽を担当した古関裕而である。そのためか、1984年のゴジラ復活ブームに乗って続々と復刻されたサントラ群の中に「モスラ」は含まれず、オリジナルであるところのザ・ピーナッツが歌っている音源をおれは持っていない。

 それでも「モスラの歌」を歌える東宝特撮ファンは少なくない。むしろ古参のファンでこの曲が歌えないのはもぐりである、と言ってもいいかもしれない。もちろんビデオ等でこの歌を繰り返し聞いて憶えた向きもあるだろうが、おれが「モスラの歌」を憶えたのは1983年から1984年にかけて発表された「ゴジラ伝説」というアルバムによってであった(手元にあるのは、1986年に発売された、3枚のアルバムを作品公開年代順に再構成したCD)。これはシンセサイザー奏者の井上誠が、往年の東宝特撮映画音楽を編曲し演奏したものである。このアルバムで「モスラの歌」を歌っているのは双子デュオの燕奈緒美・真由美。かつてザ・リリーズとして活動していたと言えばピンと来る人も多いだろうか。ザ・ピーナッツと同じく双子のデュオが歌っているというのが高ポイントである。このアルバムをかなりのヘビーローテーションで聴いたせいか、おれは「モスラの歌」どころか「キングコング対ゴジラ」での原住民の歌(「あーしーあなろい あせけ さもあい」というあれである)まで歌えるようになってしまった。

 ……と、ここまで書いてきておいて言うのもアレなのだが、おれ個人としてはモスラはあまり好きな怪獣ではない。同じように空を飛ぶ怪獣ならラドンの方が好きだし、愛着もある。なんでモスラが好きではないのか。理由は簡単で、見てくれはただの大きな蛾のくせにゴジラと対決するたびに勝っているからである。また、怪獣という存在でありながら人間に対する脅威ではないというのも理由のひとつとして挙げられるだろうか。蛇足ながら付け加えると、「ゴジラVSモスラ」における、あまりにもブザマな造型と操演(まるでぬいぐるみみたいな成虫の造型や、幼虫が国会議事堂に突っ込んでいくシーンは目に余る)もこれに一役買っている。逆に「東京SOS」での成虫の造型と操演には快哉を叫びたくなるくらい感動したものだが。

 予想通り、というか予想以上に長く(これでもまだ書き足りない気がする)なってしまいましたが、これで納得いただけましたでしょうか、狩人さん。

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2005.07.05

鍼灸治療初体験

 先週頭から続いている腰痛は一時期ほどではなくなったのだが、まだ痛みが残っている。そこで今日は思い切って鍼治療をお願いすることにした(鍼は保険の対象外)。先生には「1時間くらいかかるけど、いい?」と訊かれたが、別に時間に追われる生活を送っているわけでもないのでOKした。

 するといつもと違ってカーテンで囲まれたベッドへと案内された。ズボンのベルトをゆるめてうつぶせになると、なんと膝下のあたりまでズボンをおろされた。さすがにこれには驚いたが、なるほどこれではカーテンで隠すわけだと納得もした。

 そしていよいよ鍼が登場するのだが、ここから先は後ろが見えないので想像を交えながら書くことにする。おれの場合、患部は腰なのだが、鍼は意外に広範囲に打たれた。一番頭に近いところでは背中の真ん中あたり、それから尻の上あたり、さらに意外にも両膝の裏、もちろん患部のあたりにも。全部で10本前後は打たれただろうか。そうして打たれた鍼に電気で刺激が送られる。これは我慢できないほどの痛みではない。むしろすぐに慣れてしまった。これに加えて赤外線ヒーターのようなもので患部が温められる。この状態で時間が来るまでしばらくほったらかし。

 やがて先生がセットしたタイマーがジリジリと鳴って、これで終わりかと思ったらまだ先があった。先生は換気扇を回してなにやら準備している。そして「ちょっと熱いよー」などと言う。こういう時の「ちょっと」は、大抵の場合「かなり」と置換が可能である。そうこうしているうちに視界の一角を白い煙が流れていった。鍼だけだと思っていたら、第2段階は灸だった(後で聞いたところによると、直接モグサを乗せるようなものではないそうだが)。これは「ちょっと」のレベルを上回るくらい熱かった。

 これが終わってようやく解放されたのだが、家に帰ったところで、途中立ち寄ったコンビニにもらった湿布を忘れてきたことに気付いた。迂闊である。おれがどこかに置き忘れた湿布を見つけた店員さんはどう思ったやら。


7月6日追記:コンビニに忘れてきたと思っていた湿布はズボンのポケットから発見された。ますます迂闊である。

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「日本沈没」再映画化

 昨年秋の新潟県中越地震以降、スマトラ島沖で地震と津波での甚大な被害が出たかと思ったら、福岡県西部でも大きな地震が起き、4月にはこんなことをブログに書いていたら、その陰でこの映画の製作準備が進められていたのか。時期的にはいささか間が悪いような気がしないでもない。これで映画の公開後に本当に日本が沈むような事態にでもなったら、それこそシャレにならない。

 4日に行われた製作発表では監督と主演俳優、それと製作費20億円というあたりが報じられているくらいで、突っ込んだところまでは発表されていない。中日スポーツの記事では「最新CG技術が駆使され」とあるが、人間ドラマと同じかそれ以上に重要視されるであろう特撮パートはどうなるのだろう。「製作費20億」と聞いて、おれは一瞬ながら「ゴジラ FINAL WARS」の悪夢のような出来を想像してしまったのだが。

 欲を言えば、映画でリメイクするのではなく、せめて1クールでいいからTVシリーズとしてリメイクしてほしかった。特撮ファンの間では、1973年公開の映画よりその後半年間かけて放映されたTVシリーズの方が高い評価を受けている。2時間前後で日本をぼちゃんと沈めてしまうよりは、時間をかけてじわじわ沈めていった方が緊迫感があるのではなかろうか。でもビデオで撮影される現在のTVドラマで、この手のスペクタクル物をやるのは無理というものか。

 映画とは直接の関係はないが、今朝方ラジオでこのニュースを読んだ地元ラジオ局の女性パーソナリティーは、原作者の名前を「こまつ・うきょう」と読んでいた。一緒に番組をやっていた男性パーソナリティー(おれと同世代)からの訂正のツッコミもなし。二人とも小学校から国語教育受け直してこい。

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うつで失ったもの

 うつが原因で会社を退職してだいぶ経つ。今となっては現状のぬるま湯状態に慣れきってしまった感もあり、社会復帰は困難を極めるのではないかと思われる。が、現状打開のために動き出せないのにはそれなりの理由がある。まあ「それはお前の甘えだ」と指弾されてしまうと返す言葉もないのだが。

 うつになって失ったもの、それは己に対する自信である。自分の可能性というやつが信じられなくなってしまったのだ。だから、なにか新しいことに挑戦しようという意欲も湧いてこない。おかげでいい歳こいた現在でもクルマの免許すら持っていない。「おれみたいなのが免許を取って車を運転するようになったら、他のドライバーに迷惑がかかる」なんて考えが頭の中を支配しているものだから、とてもじゃないが教習所に通おうという発想が出てこない。

 また、人と接触する機会も減ったように思う。ここ1ヶ月で家族以外に会話らしい会話をしたのは、精神科の主治医と看護婦さん、それと接骨院の先生とその奥さん、あとは電器店にDVDプレイヤーを修理に出したときの店員さんくらいである。それ以外だとブログを介してコメントのやりとりをした人が数名と、2chでの「名無し」さんたちがいる程度(このへんは「会話した」レベルには入らないな)。一時期頻繁に電話でやりとりしていたこともあった面々とのつきあいもほとんど切れてしまった。

 こんな状態で社会復帰できる状態まで自分を持っていけるのか、まったくもって自信がない。

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2005.07.03

イラスト対決・初版VS新装版

 いわゆる「ライトノベル」というジャンルに分類される小説においては、表紙イラストが重要な要素を占めている。CDに「ジャケ買い」というものがあるように、おそらくは表紙イラストに釣られて買ってみてバカを見たという人も少なからずいるはずである。

 こちらのブログでコトブキヤの原型師である松田元祥氏が「青の騎士ベルゼルガ物語」の表紙イラストについてこんなコメントをしている。

青騎士の小説初版の表紙は全てATのイラストです。あまり見かけませんね。再販のイラストもそれはそれで熱い物が有りますぞ!

 ……そうかなあ? むしろイラスト担当の幡池裕行氏の絵柄が変わりすぎていて、初版のイラストを知る人間から言わせれば「誰だ、お前?」という印象の方が強い。では意地悪くも両者を比べてみよう。

Berserga_old
初版イラスト

Berserga_new
新装版イラスト

 新装版1巻のケイン・マクドガルの目つきの悪さは相当なものである。2巻のロニー・シャトレはともかく、「K'」の表紙はどこのチンピラかと思ってしまったし、「絶叫の騎士」に至ってはそれこそ「誰だ、こいつ?」である(おそらくはマティ・ウォルシープであろうと思われるが、本文中のイラストとイメージが違いすぎる)。

 ちなみに第1巻の初版発行は1985年、新装版第1巻は1997年の発行である。これだけの年数が経過すれば絵柄が変化してしまっても致し方ないか。表紙以外の両者の目立った相違点は、1巻と2巻の登場人物紹介イラストが同じものになったことと、「絶叫の騎士」にあとがきが付いたくらいである。どうせ再販するんだったら1985年のものをそのまま出してくれたらよかったのに、と思った人もいるのではなかろうか。

 「青の騎士」同様にソノラマ文庫発行のもので新装版が発行されたものとしては「クラッシャージョウ」シリーズ(作・高千穂遙)や「妖精作戦」シリーズ(作・笹本祐一)などがあるが、前者は表紙イラストのみならず本文にも改訂が加えられ、後者は表紙のみならず本文中のイラストも変更され、改訂も行われた(この新装版が出るずっと前に表紙と本文イラストが変更されたものも出た)。「青の騎士」が新装版発行に当たって改訂が行われなかったのは、その余地がなかったからなのか、それとも単に面倒だったからかは作者本人ならぬ身には分からないことである。

 なお、初版はもちろん、新装版も現時点では絶版となっている。

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