« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005.11.30

お前は間違っているはずなんだ!

 ココログのユーザーがみんなしてご立腹である。無論他人事ではない。おれとて相当腹に据えかねるところがある。しばらく前からココログの管理画面は夜遅くなるとレスポンスが悪くなった。これだけでもユーザーのストレスは相当に溜まっていたはずである。そこへきて、24日の日中に約6時間にわたるメンテナンスが行われた。やれやれ、これで深夜帯のレスポンスの悪さが解消されるのか――そう思ったユーザーの期待を見事なまでに裏切る、別件の告知がなされた。ココログフリーのサービス開始である。レスポンスの悪さはほったらかしで。

 このココログフリー、無料ではあるが、それまでもっとも安価な料金プランであった「ベーシック」より高機能である点が、ベーシックプランを使っているユーザーから不満の声が上がった。当然である。なんでカネを払っていないユーザーが払っているユーザーより好待遇を受けなければならんのか。しかも、このフリー版の方は現在のところ深夜帯でもレスポンスが快適であるというからタチが悪い。

 そうしたユーザーの怒りの炎にガソリンをぶちまけるようなトピックが、ココログのスタッフによって書かれた。「ぼくらはこんなに苦労しましたあ」な書き出しもかなりアレだが、どうにも首をひねらざるを得ない記述がそこにあった。

今回のリリースで残念だったのは、既存のベーシック/プラス/プロを、同時にバージョンアップできなかったことです。ギリギリまで頑張ったのですが、どうしても間に合わない部分が出てきてしまい、リリースを2006年3月に延期させていただくこととしました。

 ……ココログのスタッフは物事の優先順位の付け方を間違っているのではないだろうか? トピックでは今回のココログフリーのサービス開始をさも一大事のように取り上げているが、既存のユーザーからすれば、そんなものは「スタッフサイドの自己満足」以上には映らない。そんなことより先に手を付けるべきことがあるんじゃないのか? 最優先事項は「深夜帯のレスポンスの悪さを解消すること」。機能の強化だの保存容量の大容量化だの無料サービスだのは後回しで十分なことだ。

 NIFTY-Serve時代からの古参ユーザーがいつまでも義理堅くココログを使い続けるとは思わない方がよろしいですぞ、スタッフの皆様。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

アニメソングのリアレンジに関する一考察

 既存のアニメソングをリアレンジしての再利用というパターンが増えている。狩人さんのトピックにもあるが、ここ数年に限っても、これだけのものが再度の映像化に際してアレンジを変えて使われている(これでもすべてではない)。狩人さんのトピックに挙がっている中で一番再利用されているのは「キューティーハニー」であろうと思われる。これまで4度アニメ化されているが、ここまで徹底して同じ詞と曲(作詞:クロード・Q、作曲:渡辺岳夫)が使われている例はないのではなかろうか。いい機会なので、順を追って聞き比べてみよう(文中敬称略)。

 まずオリジナルに当たる1973年放映の「キューティーハニー」。編曲は小谷充、ボーカルは前川陽子。当時のアニメソングの作りとしては特に奇をてらった作りはしていない。むしろ特筆すべきはボーカルで、わずか2分強という短い演奏時間内で「かっこよさ」と「色っぽさ」がめまぐるしく入れ替わり、それでいて不自然さをまったく感じさせない(同様のことはは翌年放映の「魔女っ子メグちゃん」にも言える)。ちなみにハニー役は増山江威子。

 時代はずっと下って、次に製作されたのは1994年にOVAで発売された「新キューティーハニー」。編曲とボーカルはles 5-4-3-2-1(これ、なんと読むのだろう?)。イントロでのおなじみのフレーズにギターを使用していたりと、アレンジはロック寄り。間奏のギターソロがなんか不思議。構成上3番をカットして、1番のサビを繰り返して曲は終わる。曲の終りに入る、いかにも「サンプリングしてみました」な「かわるわよ!」のリフレインは少々くどい。翌年発表された第2期シリーズでは歌詞が英語になり、アレンジも変更されたものが使用されている。ハニー役は根谷美智子。

 1997年には、ロングヒットとなった「美少女戦士セーラームーン」シリーズの後番組として「キューティーハニーF」が放映された。Fは「フラッシュ」と読むが、間違ってもゼーバーなんて武器は使わない(当たり前だ)。編曲は亀山耕一郎、ボーカルはSALIA。この両名は後年スーパー戦隊シリーズの楽曲にも関わっている。ほぼ全体にわたってホーンセクションが鳴りまくるにぎやかなアレンジ。作品自体の方向性もあってか、お色気はかなり抑えめ。3番の部分はばっさりカットされているので演奏時間は2分を切る短さ。ハニー役は永野愛。

 2004年には庵野秀明監督による実写版「キューティーハニー」が劇場公開され、その後を受ける形でOVAの「Re:キューティーハニー」が製作されている。OPには劇場版と同じ曲が使用されており、編曲はh-wonder、ボーカルは倖田來未。よく言えば「今風」、悪く言えば昔気質のアニメソングファンには不評の「タイアップ風」とも解釈できるアレンジ。曲にお色気の要素はほとんどなく(締めの「かわるわよ!」もない)、ボーカリストはビジュアルイメージで選ばれたのではないかと勘繰ってしまうのだが、そこのところどうなのだろう? アレンジャーが同じせいか、曲の終り方は「FINAL FANTASY X-2」の「real Emotion」にそっくり。ハニー役は堀江由衣。DVD-BOXには以上4人のハニー役が一堂に会するドラマCDが収録されて話題になった。

 「歌は世に連れ」なんて言葉があるが、やはり年代を追ってまとめて聞いてみると、作風の違いが曲にも反映されているように思える(倖田版はその点いささか微妙だが)。この曲は知名度の高さゆえに数える気が起きないほど多くの歌手がカバーしているが、小谷・前川コンビのもの以上に永井豪の原作のエッセンスが凝縮されたバージョンは、今後も現れてこないのではあるまいか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.25

ヤマタケさんの訃報

 現在では「『ルパン三世』の音楽」と聞いたら、8割から9割の人は1977年から音楽を担当している(一時期降板していたが)大野雄二氏のあの曲を連想するであろう。しかし、最初にTVアニメ化されたとき(1971年)に音楽を担当したのは山下毅雄氏であった。いかんせん大野氏の曲のイメージが強すぎるせいか、71年版ルパンのEDをカバーしておきながら作曲者の名前が大野氏になっている不届きなアルバムを買ったこともある。

 ことルパンに関しては不遇である山下氏が21日に亡くなった。詳しいプロフィールや音楽を担当した作品などは、腹巻猫さんのこちらが詳しい。「七人の刑事」や「タイムショック」の音楽もこの人の作曲だったとは不勉強にも知らなかった。リンク先にもあるが、7000以上の曲を世に送り出したという業績は「凄い」の一語に尽きる。作った人がこの世を去っても、曲は永遠に残る。次にカラオケに行く機会があれば「冒険者たちのバラード」でも歌って故人を偲ぼうかと思う。謹んで哀悼の意を表す次第。

 おれが山下氏の訃報を知ったのはブログの更新チェックをかけたときにひっかかったnikkansports.comでだったのだが、24日23時45分時点の第一報では見出しの表記が「山下雄」になっていた(クレームが付いたのか翌日の8時59分には修正された記事がアップされている)。ただでさえ人名の表記は間違えてはいけないのだが、あまつさえ訃報の記事で間違えるとはけしからぬ所業である。書いた記者は猛省するように。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.23

「Destination」を聴く

 FictionJunction YUUKAのファーストアルバム「Destination」を聴いた。1曲目の『I'm here』、タイトルナンバーの『destination』、その筋(って、どんな筋だ?)には「ヤンマーニ」コーラスでおなじみで中毒性の高い『nowhere』(やっぱりあのコーラスは「ヤンマーニ」以外に聞こえません)と、どちらかというとクールな印象の曲が序盤に固まった構成になっているのがちょっと意外ではあった。そのあとには、アニメはともかく曲そのものは掛け値なしで名曲の『暁の車』をはさんで、以降は柔らかな印象の曲が続いていく。

 全体の構成としてはちょうど真ん中に入っている『聖夜』は、リリース時期を考慮して入れたクリスマス物かと思っていたのだが、作者本人によるライナーを読んでみると、曲自体は以前に作られていたということで、これまた意表を突かれた感がある。おれ自身はクリスチャンではないし、クリスマスに対する思い入れは一般的日本人よりはるかに少ないのだが、この種の曲を聞いているとなんとなく優しい気持ちになるから不思議だ(同様のことは「メリークリスマス」というフレーズにも言える)。

 作品イメージとしては「ヤンマーニ」の印象の強い「MADLAX」で、『瞳の欠片』をOPに採用するのはある種冒険だったのではなかろうか。絵を見ずにこの曲だけを聞いて、作品の舞台が内戦の国であると誰が連想できるだろう? まあ確かにこのユニットのカラーが一番出ている曲ではあると思う。

 このアルバムに限ったことではないが、梶浦由記作の曲でタイトルが英語(「NOIR」ではフランス語だったか)のものでは表記が小文字だけなのには何か理由があるのだろうか? ちょっと気になる。

 あーあとですね、公式サイトの方で「VocalにYUUKAさんをフューチャリングしたこのプロジェクト」という記述がありますが、それを言うなら「フーチャリング」じゃなくて「フーチャリング」ですよ、梶浦さん(『暁の車』発表時のユニット名は「FictionJunction featuring YUUKA」だったし)。更に細かく突っ込んじゃうと、「フィーチャリングした」よりは「フィーチャーした」の方が本来の使い方なのではないかと……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.21

あほらしい「スキウタ」

 大晦日の風物詩であるNHKの「紅白歌合戦」ではあるが、おれは小学生の頃からどうにもいけ好かなかった。「今年も残りあと○時間です」などという押し詰まった時間に、いい歳こいた大人が「赤組がんばれ」だの「白組がんばれ」などとやっているのがあほらしく映ったのである。運動会かっつうの。

 視聴率が80%を越えていた時代もあったが、現在では各地でカウントダウンイベントなどが開催されるためなのか、製作陣は視聴率の低下に頭を痛めている。低下したと言っても、いまだに軒並み50%以上の視聴率を取るのだから、日本人の半分は年越しそばをすすりながら「紅白」を見ていることになる。音楽業界でも「紅白出場」の4文字は一種のステータスだ(逆に「紅白出場を蹴るのがステータス」と考える向きもいるようだが)。

 その「紅白」が、視聴者から「紅白歌合戦で聴きたい歌」の調査を行った。「スキウタ」というやつである。「これだけ価値観が多様化しているご時世にそんなことをする意義があるのか?」と思っていたら案の定、10月10日時点で39万7000曲が投票されたという(nikkansports.com)。同月6日に発表された中間発表(集計は9月30日時点)は、その集計方法から考えれば「票が操作されたとしか考えられない」もの(註:リンク先はPDF形式)であった。

 11月21日付のZAKZAKの記事によれば、

 中間発表では上位30曲を発表したが、6割が携帯電話やパソコンからのネット投票。年代別に見ると、20代が19.6%に対し、70代は4.8%と、若年層に人気の歌が上位を多く占めた。

 ネットからの投票が6割を占めるとなれば、高齢者の意向はほとんど反映されないと言っていい。それなのに、なんで白組の上位10曲に橋幸夫の曲が3曲も入っているのか。この結果で製作陣が「視聴者の生の声が聞けた」などと抜かすようであれば、確実に受信料の支払いを拒否する人間が増えるだろう。先の記事にはNHKの担当者のコメントも載っているのだが、

 NHKの担当者は「アンケート結果を参考にしながらも、それだけで(紅白出場者を)決めない。これまでの実績やウチへの貢献度も含め総合的に判断する」と説明するが、アンケート結果をどう具体的に反映するかには言葉を濁す。

 ……じゃああれですか、あの「スキウタ」とかいう企画は単なるポーズですか? 広範囲の年齢層の声を取り入れるのであれば、今回の集計方法には問題がありすぎるし、アンケートを採っておきながら結果を反映しないのであれば、企画そのものがムダだ。「NHKの番組は皆様の受信料で作られています」と言うのであれば、もうちょっと有効に使ってほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.16

生きているのか、死んでいないのか

 夕食の席で、弟(現在休職中)が勤務地の希望書とかいうものを持って来るなり、ドラキュラの心臓に白木の杭を打ち込むような一言を放った。

「君はいつまで無職でいるつもりなんだい?」

 その希望書とやらいうものには、なぜか家族構成を記入する欄があり、余計なことに職業まで記入するようになっていた。まあ家族構成を申告するなら職業まで申告するのが普通であろうが。そして、おれの名前のところには「無職」と記されていた。事実、現状そうなのだから仕方がない。しかし、不要な買い物で散財し自分の部屋を物置状態にして、別室で寝起きしているやつに言われたくはないのもまた、正直な気持ちであった。

 「おれはてめえの世間体のためにいるんじゃねえぞ」という、実際に口にしようものなら確実に火に油を注ぐ一言を飲み込む代わりに、食欲のないようなポーズを取って食卓を辞した。そのまま気まずい空気の中で食事をしても味など感じられなかっただろうけど。

 時折考える。「今の自分は生きているのか、それとも死んでいないだけなのか」と。

 現在のおれの日常は、横になっている時間がほとんどである。気が向いたときに文庫本を読み、気が向いたときにネットをのぞき、気が向いたときにブログなど書き、腹が空いたら何か口にし、それ以外の時間は寝ていると言っても過言ではない。ただ無為の時間だけが流れていく。

 自殺するような度胸もないし、さりとてこの先どうするかも考えていない。いっそのこと、寝ているときにでも誰か殺してはくれないものだろうか。

|

2005.11.12

現代アメリカを嗤う本

 個人的に心の師と仰いでいるいしいひさいちの「大統領の陰謀」に、こんな4コマ漫画がある。第41代アメリカ大統領のブッシュ(現大統領の親父)がこれから第42代大統領となるクリントンに話をしている、というシチュエーションである。

ブッシュ「ビル、大統領の職を譲るに当たって言っておきたいことがある」
クリントン「なんでしょう」

ブッシュ「困ったな、と思ったらどんなときでも」

ブッシュ「とにかく困ったな、と思ったらいつでもいいから」
クリントン「わかりました。テキサスまで相談に行きますよ」

ブッシュ「とりあえずイラクを空爆するんだ」
ずっこけるクリントン。

 細部の記憶は曖昧だが、おおむねこんな感じである。おれがこのネタを読んだのはイラク戦争後だっただけに「おいおい、シャレになってねえよ」と思ったものである。

 かつてのアメリカは日本人にとってあこがれの対象だった。「ニューヨークへ行きたいか~!」という問いかけに、東京ドームに集まった5万人以上の人々が「おー!」と応える場面もあった。今でも一部のスポーツ選手にとって、アメリカはあこがれの対象たり得る国であるだろう。

 だが、2001年の同時多発テロ以降、2003年のイラク戦争以降、その印象は大きく揺らいではいないだろうか。「世界の警察」を自任してきた姿勢はむしろ傲然で独善的に映ってはいないだろうか。そんな現代アメリカをジョークで嗤う本が「世界反米ジョーク集」(早坂隆・著)である。出版されたのはだいぶ前であるが、最近になってようやく読むことができた。ジョークそのものは「あはは」と笑えるが、それを裏打ちする現実に関する記述についてはさすがに笑えない。だからこそ「それなら笑いのネタにしてしまえ」というスタンスがあるのだろうが。この本に紹介されているジョークをいくつか挙げてみる。

問い:ブッシュとチェイニーとラムズフェルドの三人が、砂漠で首まで埋められて顔だけなんとか出していた。これはいったい何を意味する?
答え:砂が足りなかった。 (P.102より)

 二〇〇X年、ブッシュ大統領は結局、戦争犯罪人として国際法廷で死刑を宣告された。ブッシュは怒りで顔を紅潮させながら、叫ぶようにして言った。
「確かにイラクではうまくいかなかったかもしれない。しかし、たった一つの国に対して間違いを犯しただけで、死刑だなんてあまりにひどすぎる!」
 すると裁判官は顔色一つ変えずにこう言った。
「あなたを死刑にするのはイラクが原因ではない。これから幾つものイラクのような国ができるのを予防するためです。あなたは差し迫った脅威ですからね、つまり予防的先制攻撃ですよ」 (P.22より)

「未来の時制における国家的危機が、至近かつ特定の方向からのものであって、しかもその存在が明白であるとき、先制的自衛権を確立してそれを排除することは、為政者の重大な責任であり、市民の神聖な義務である。より安全で、しかも行動の自由が確保された未来、それこそが子孫につたえるべき最高の遺産ではないか」(「七都市物語」(P.86より)。もちろんこの発言はフィクションであり、ブッシュのものではないが、そう言われても違和感がないところが怖い。

 アメリカの五人の歴代大統領、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュが一緒に飛行機に乗っていた。初めにワシントンが言った。
「私は誰か一人に幸福を与えよう」
 彼は一枚の一ドル札を出して飛行機から放り投げた。
 続いてリンカーンが言った。
「では私は五人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五枚出して飛行機から放り投げた。
 次にジェファーソンが言った。
「では私は五〇〇人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五〇〇枚出して飛行機から放り投げた。
 その後、クリントンが言った。
「では私は世界中の人々に幸福を与えよう」
 彼はブッシュを飛行機から放り投げた。 (P.24より)

 こんな国に盲従していていいのか、ニッポン? と本気で言いたくなる現実がこの本には次々と出てくる。「アメリカは同盟国である」というのであれば、相手が間違った方向に進もうとしているのを止めてやるのが対等の友人関係というやつではなかろうか。少なくとも現在の日本はアメリカと対等とは言い難い。むしろ属国である。おれは創刊当初から小泉内閣メールマガジンを読んでいたが、アメリカのイラク攻撃支持を表明したその日に速攻で購読を解除したのをふと思い出した。

 まあこうした一連のジョークを許容するあたりもアメリカらしいと言えるのだろうけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.09

写真週刊誌とセブン第12話

 特撮ファンにとって、「ウルトラセブン」の第12話『遊星より愛をこめて』が欠番になっているのは常識と言っていいだろう。「セブン」のファンであれば「なぜ12話は欠番なのか?」という疑問は誰でも一度は通る道である。ちょっと深く足を突っ込んでいる人であれば、欠番に至った経緯もおおよそご存知であるはずだ。2ちゃんねるにある「セブン」のスレッドでは、始めの方に次のような簡単な説明がある。

【幻の第12話についての簡単な説明】
ウルトラセブンで欠番になっているのは第12話「遊星より愛をこめて」。
スペリウム爆弾の実験による放射能で、血液を汚染されたスペル星人が、
腕時計に擬装した装置で 自分達の血液の代わりとなる地球人の血液搾取を目論む話。
放送終了後、怪獣図鑑の類で独自に命名された「ひばく星人」(円谷の命名ではない)
という 俗称が問題となり、ストーリーと全く無関係に欠番となる。
「ウルトラセブンの欠番」という言葉のみ一人歩きしているため、
ネタを真に受けたり誤認したまま発言する人が後を絶たない。
詳しくは下記のサイトを参照のこと。

712資料館
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~cokanba/

 表向き欠番とはなっているが、どういうルートで流出したのやら、この第12話のビデオが存在することが話題になったことがある。しかもそのビデオを、1988年から89年にかけて幼女を誘拐して殺害した犯人が所有していたことが話題性に拍車をかけた。おれはそのビデオは持っていないが、「ぶるないさんなら持ってると思った」と言われたことはある。

 そんな中、特撮板のセブンスレッドにこんな書き込みがなされた。

164:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 02:33:48 PRR5W9Hy0
明日発売の写真週刊誌FLASHで、

ウルトラセブン封印された第12話 ウルトラセブン「遊星より愛をこめて」  フラッシュ(11/22) 77
闇に葬られたウルトラ怪獣を追え!-なぜ放送禁止になった? ウルトラセブン第12話、スペル星人  フラッシュ(11/22) 81

 正直なところ、「なんで今ごろ?」という感は否めなかったが、写真週刊誌とは言え「ごく普通のマスコミ」が、この種の話題に触れることは珍しい。発売日である8日には弟がそのFLASHを買ってきたので読んでみた。なんと記事には袋とじまで付いていた。そのページには赤い文字で、

 史上最大の「放送禁止場面」を
 総力ルポ&袋とじで再現!

 ……との煽り文句が添えられていた。しかし、実際にその袋とじを開いた人は愕然としたはずである。以下に同スレッドでの袋とじを開いた人の反応を抜粋する(この中にはおれが書き込んだものもある)。特撮板でハンドルを記入しなかったときの名前が、この第12話に由来しているのは言うまでもない。

178:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 21:28:27 JXtrUkLH0
FLASH読んだ。
袋とじの噛ませ犬っぷりが凄まじいな。
実のある記事は立ち読みで十分な分量。
詳しい話が知りたければ「封印作品の謎」を読めってのが結論なのか?

180:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 22:36:35 KL1xUGQlO
円谷の台所事情がいよいよってなったら‥‥解禁も‥‥今更の感強しだが‥‥

 181:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 23:02:25 rD2aEjnzO
>>178
12話の映像が袋とじにあるのかと思って購入したのに……

あれは見事にやられたな_| ̄|○


>>180
今の円谷プロはウルトラだけしか道がないから、最後の手段として12話がいつか解禁されそうな気がする。

183:名無しより愛をこめて 2005/11/09(水) 00:55:23 H04OUBBx0
>>181
フラッシュの袋とじは確かに面食らった、フィルムコミックみたいのだったら良かったんだが・・
12話が出るとしたら、単品じゃないと全話もってる人が気の毒ですなぁ

188:名無しより愛をこめて 2005/11/09(水) 12:36:29 FKo2GeBv0
当然だ。
写真週刊紙の袋綴じ企画が袋綴じするに値するような内容だったものを私は見たことがない。
だが実際の12話も見れないからあれこれ妄想をふくらませて、実際見ると大した出来じゃない
という作品なので、これは正しく12話の本質を突いた企画かもしれない。

 袋とじの内容にはがっかりした人がほとんどのようであるが、逆に「総力ルポ」の方は、この話に関わったいろいろな人にコメントを求めていたり(実際に被爆した人にもビデオを見せてコメントしてもらっている)、12話が封印されるきっかけを作った人と12話を担当した脚本家の対談が掲載されていており、わずかなページ数ながらなかなかに読み応えのある内容ではあった。この記事の参考文献となった「封印作品の謎」(安藤健二・著)ではより突っ込んだ取材がなされており、「スペル星人を『ひばくせい人』と命名したのは誰なのか」、「スペル星人のデザインを被爆者を想起させるものにしたのは誰なのか」といった点まで言及されているので、くわしいところが知りたい人は読んでみるといい。

 さて、おれはこの12話を見たことはないが、「動いているスペル星人」を見たことはある。かれこれ25~26年くらい前の話になるが、TBSで放送されていた「夕やけロンちゃん」という番組内で流していた「ウルトラファイト」でである。スペル星人登場時のサブタイトルは『遊星の悪魔スペル星人』。その頃にはセブンの12話が欠番になっていることは知っていたので「こいつがそれに出てきたやつなのか…」と思いながら見た記憶がある。おそらく現時点において、公共の電波で動いているスペル星人が流れたのはこれが最後であろう。

 先のスレッドの188氏が触れているが、12話のお話としての出来はあまりよろしくないらしい。まあ実相寺昭雄監督作品という時点で、一般受けしないであろうことは容易に察しがつくけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »