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2005.12.29

「プロジェクトX」の幻想

 昨晩、足かけ5年続いた「プロジェクトX」が終わった。日本PTA全国協議会が選ぶ「子供に見せたい番組」の1位に選ばれる続ける一方で、「過労死推奨番組」との批判があったこともまた事実である。おれはどちらかというと後者の肩を持つ。最終回を見ていても(部分的であるが)、その思いを強く持った。

 この種の番組の最終回にはありがちな総集編だったが、ところどころにいかにも自画自賛な視聴者のコメントを挟んでいたのがどうにもいやらしい(視聴者の批判的コメントを最終回に流す度胸のある製作者などいないだろうが)。そのコメントがまた金太郎飴のように似たり寄ったりのものばかりだから余計にげんなりする。

 また、番組の性格上、自己犠牲とか粉骨砕身とか滅私奉公とか、そういったものが必要以上に賞賛されていたのも鼻についた。「目的のために努力すること」、「その努力を継続させること」はたしかに大切だろう。だが、この番組で取り上げられてきたような成功例が一握りのものに過ぎないことも忘れてはいけないのではあるまいか。世に名前が出ないまま消えていく芸能人やプロスポーツ選手は数知れないし、路頭に迷うことになった人たちのすべてが「努力しなかったからそうなった」ということはないだろう。

 「プロジェクトX」の基本スタンスは「成功者視点のサクセスストーリー」だった(製作者側は反論するかもしれないが、おれにはそう映った)。しかし、サクセスストーリーというものはPTAのセンセイ方やオカーサマ方が考えているほど役には立たないものである。そうそう都合よくベテラン技術者の経験が生かされたり、スタッフの1人に天啓が降ってきたりはしないものだ。成功よりも、むしろ失敗からこそ学ぶべきことが多いのではないか。

 かつて松本清張は言ったそうだ。「ものごとは常に底辺から見ること。上からは見ない」と。成功して勝利者になった者は、その足元に無数の敗者の屍があることを忘れてはならない。その屍を見ないで、あるいは見ないふりをして作られたサクセスストーリーなど、うわべだけの綺麗事に過ぎない。

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