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2006.05.31

つうこんのいちげき!

 先日の「退院後の経過報告・その2」で触れた造影立体CT検査を受けに行ってきた。指示通りに朝食を抜いて、水と駅の自販機で買ったお茶だけを腹に入れて電車に乗り込んだ。時間にあまり余裕がなかったので、最寄り駅からは1台だけ客待ちをしていたタクシーで病院へ向かう。さすがに1300円と値は張ったが、指定時間に遅れるよりはマシと割り切ることにする。

 検査入院以来すっかりおなじみになった感のあるCT室へ入って、検査台に横になる。ここで造影剤を点滴で注入するのだが、液が濃いために太めの針を刺すとのこと。この病院では何度もあちこちに針を刺されてきたが、みなさん手際が鮮やかだったので「今回も大丈夫だろう」と高をくくっていたのだが、さすがにちょっと痛かった。

 検査台に横になると、額のあたりと上顎のあたりをテープで固定される。事前の案内書には「検査中は検査担当者とマイクを通してお話ができるようになっていますので、安心してください」と書かれていたが、顎を押さえられた状態でどうやって話せというのだろう。おれは腹話術師じゃないぞ。

 そうこうしているうちに造影剤が注入される。「注入の際、熱感が伴います」と案内書にはあったが、たしかにわずかな時間ながら首の付け根から股のあたりまで内側から火照るような感覚があった。

 検査自体は用意から撮影完了まで10分程度と短かったが、その後点滴が落ちきるまで外来の「処置室」という部屋で横になる。むしろこの時間の方が長く、検査の倍以上の時間を要した。なんにもすることがないので、頭の中で「SF交響ファンタジー第1番」を鳴らしていたが、これは誰にも分からなかったはずである(おれ以外に分かった人がいたとしたら猛烈に恥ずかしいが)。

 点滴終了後、検査の結果が出るのは1週間ほど後であること、検査に使用したフィルムの使用料はその時に別途請求するとの説明があった(判断するために何枚のフィルムを使用するか事前には分からないため)。

 そうしてやっとお会計。名前を呼ばれて窓口に出向くと、事務担当のおねえさんは言った。「7890円になります」

 まさに痛恨の一撃。そんなにかかるとは思ってもいなかったので、頭の中には「ガーン!」と太い描き文字が現れた。表情には出なかったと思うが。落ち着いて領収証を見てみると、確かに「画像診断」の項目に2631点とある(厚生労働省が定める「医療診療報酬点数表」の冒頭に「療養に要する費用の額は、1点の単価を10円とし、(中略)算定するものとする」との記載がある。保険適用のため本人負担分はこの3割)。あやうく「すいません、今日持ち合わせがないんですけど…」という恥ずかしいことを口走るところであった。あぶないあぶない。

 さすがに痛恨の一撃を食らったあとでは帰りにタクシーなど使う気になどなれず、ひさしぶりにバスに乗った。駅までの運賃は220円。なんだか往路のタクシー代があほらしくなった。

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2006.05.29

その数字は誰のせい?

 今朝方ニュースサイトをチェックしていて目に付いた、YOMIURI ONLINE(読売新聞)の「ウィニー利用50万台以上、問題化の後も増加」。ネットワークセキュリティ会社の調査によると、かのWinnyを利用しているパソコンは50万台以上に達するそうだ。しかも、情報流出が問題視され始めた2月以降も増加の傾向にあるという。

 しかし、考えようによっては「情報流出が問題視され始めたからこそ増加し始めた」とも取れる。これについては以前こちらの記事のコメント欄でも言及したが、「こんな経路で情報が流出しちゃいましたあ」という報道がなされることによって、それまで「ファイル共有ソフト」というものの存在を知らなかった人が知ってしまう。そんな人たちは「おっ、このソフトを使えばすけべえな画像なんかもタダで手に入るのか」みたいな発想からこの種のソフトに無警戒に手を出した挙げ句、ウィルスに引っかかって情報を世界中にばらまいてしまう。

 さらには一部のネット専門誌などでは堂々とこの種のソフトの存在を喧伝してさえいる。「著作物はアップロードしないように」などと免罪の文句を付け足してはいるが、これはむしろ「著作物が簡単に手に入る」ことを裏書きしているようなものだ。

 情報誌のように特化された媒体を除くと、ファイル共有ソフトに対する一般的なマスコミの認知度はかなり低い。NHKなどは2004年に利用され始めたShare(仮称)を今年の4月に「新手のソフト」とニュースで報道して失笑を買っている。そして案の定、その後Share(仮称)を媒介しての情報流出が起こっているのだから始末に負えない。

 マスコミがしていることは放火ではないが、可燃物の周りに油を撒くくらいのことには相当するのではあるまいか。

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2006.05.28

BSのアニソン特番

 去る5月3日にNHKはFMで丸半日を費やして「ヲタな人たち」の相手をしたのであるが、今度はBSでの公開放送である。曲目と出演者はこちらにあるので、ここでは改めて言及しない。選曲からして、はっきり言って現在進行形の「よい子のみんな」は置いてけぼりで、「かつてよい子だったかもしれない人たち」か、この手の曲のファン以外で楽しめた人がどのくらいいたか、はなはだ疑問である。

 この種の番組が企画されて放送されるときには、お約束のように「オリジナルの歌手が歌います」という文言が持ち出されるが、これも場合によりけりだなあ、と他のチャンネルに浮気しながら見て思った。「スーパーロボット大戦」シリーズの人気があるおかげでこの種のイベントに担ぎ出される回数が多い人と、そうでない人の差が残酷なほど露呈してしまっていた。中には相次ぐイベントですっかり擦り切れているように思えた人もいたが、具体的に名前は挙げない。

 「懐かしのアニメソング」のたぐいのイベントで頻繁にお呼びがかかる人は、年を取っていても声に張りがあったり、往年の体形を維持していたりするが、そうでない人の場合、聞くのが苦痛に感じるほど声が劣化していたり、はたまた往時のファンが見たら幻滅するような体形に変容していたりする(これも具体的な名前を挙げるのはやめておく)。こういうのを見聞きしてしまったアニメの方のファン(歌手のファンでなく)はどう思ったやら。

 マイナス面ばかりを挙げてしまったが、思わず「おおっ!」と唸ってしまったのは前川陽子(敬称略)であった。さすがに30年前とまったく同じとはいかないものの、「魔女っ子メグちゃん」や「キューティーハニー」(後者はメドレーに内包)での実年齢を感じさせない色気のある歌いっぷりには「おそれいりました」とひれ伏すしかない。

 それにしても、昨年末の「紅白」で舞台上に響鬼を出してしまったのと同じような演出をまたやってしまうあたりは悲しいくらいにNHKだなあ。

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2006.05.24

退院後の経過報告・耳鼻科編

 昨日の記事で触れた耳の異常にどうにも我慢ができず、今日紹介された耳鼻科へ行ってきた。個人経営の小さなところで、診察を担当するのは院長と思しき先生1人だけ。それでも待合室の一角に畳のスペースがあったのは、首が痛くなったときに横になれたのでありがたかった。

 さすがに脳神経外科と違って、患者の年齢層は幅広い。お母さんにだっこされて診察室で殺されそうな悲鳴を上げる子供から、杖に頼って歩くお年寄りまで、文字通りの老若男女が待合室にはいた。

 待たされることおよそ1時間、通された診察室で一通り症状を訊かれたあとで、鼓膜に異常がないかのチェックと再度の聴力検査。以前から左耳で高い周波数の音が聞こえないのは承知していたが、診断の結果によると8000ヘルツの音が左ではほとんど聞こえていないという。また、右耳の通りが悪くなっており、左右のバランスが崩れているために聴覚に異常が出ているのだろうとの所見であった。

 そして先生はおもむろに言った。「ちょっと空気通してみましょうか」

 右の耳に管のような機器が当てられ、右の鼻の穴には細い金属製の管が差し込まれる。鼻に入れられた管はかなり奥まで入ったのでかなりの不快感を伴う。その管の先から空気が強引に送り込まれる。思わず反射的に管を抜く方向に首が動いてしまうが、そこで先生は「逃げない逃げない」と我慢を強要する。こんなことされたら子供は泣くわな。

 なるほどこの直後はよくなったように思ったが、家に帰る頃にはまた左で耳鳴りがしている(これを書いている時点でも耳鳴りはやんでいない)。そう言えば昨日診てもらった脳外科のI先生は「脳の手術を行った直後はどのような症状が出てくるか予測が付かない」ということを話していた。それまで自分で正常だと思っていた状態は実は異常で、現在の状態は客観的には正常だが体は異常と認識している、紛らわしいがそういうことらしい。

 耳鼻科の先生は「おかしいようだったらまた来てください」と言っていたが、鼻に管を差し込まれるアレは正直勘弁してほしい。いずれにせよ、またもうしばらくは様子見である。

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2006.05.23

退院後の経過報告・その2

 前回の記事で触れた、起立時の首の痛みにはいささかながら慣れてきたような気がする。しかし、聴覚の方の異常は相変わらずである。時報は「プップップッ、ポーン」と鳴るが、最初の3音がカラオケでキーを下げたように低く聞こえる(最後の『ポーン』は普通に聞こえる)。それ以外の音もおおむね籠もって聞こえるのも相変わらずだ。

 今日の診察でそのあたりも訴えたところ、聴覚の検査をしてみることとなった。まあ出てくる結果ではある程度の見当が付いているのだが。おれは幼少期から、左耳で高音域が聞こえない。検査を受けるたびに「中耳炎をやったことはありますか?」と訊かれるのだが、それがないのが不思議だ。この件については「餅は餅屋」ということで耳鼻科への紹介状を書いてもらうことになった。なんだか病院をたらい回しにされているような気がしないでもない。

 今回の診察で気になる要素がもうひとつ。脳の血管の写真を見たところ、妙な形をした箇所が見つかったという。単に血管が曲がっているだけなのか、あるいは動脈瘤なのか、この写真では分からないとのこと。そこでまたまた検査項目が増えることになった。造影剤を注入して、脳の血管の立体写真を撮る。この検査は今月末に行われる。

 バルブの圧の調整は見送られることになった。あまり上げすぎると水頭症と同じ症状を起こすためだとか。「もうしばらく現在の圧で様子を見ましょう」とのこと。

 なにぶんにも診てもらっている場所が場所なので、治療に当たる側も慎重にならざるを得ないのだろう。……それにしても、紹介してもらった耳鼻科にはいつ行こう?

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2006.05.20

退院後の経過報告・その1

 昨日の記事で触れたとおり、上半身を起こした状態が持続できない。昨夜は首が痛いのを我慢しながらテレビを見ていたら、耳にまで異常が起こりだした。音が籠もったように聞こえるようになり、ひどいときには耳鳴りまでする。うわー、おれの体はどうなってしまったんだ?

 そのへんの疑問も持ちつつ、今日は退院後初めての診察に出かけた。おれは免許を持っていないので(持っていたとしても車など運転できる状態ではないが)親の車で出向いたのだが、普通に座っていることなどできようはずもなく、シートを目一杯倒した状態で、さらに首の下にタオルを突っ込んでいた。待合室でも、しんどくなって横になることがしばしばあった。そういった状況で待たされるのは、正直なところかなり苦痛である。次回以降は出かける時間をもう少し考えよう。

 ようやく診察の順番が回ってきて、I先生に状況を話すと、どうやら髄液の流量を調節するバルブの設定に問題があるらしい。これには個人差があるのでトライアンドエラーの繰り返しになると言う。前回の調整では120から140にしたのだが、そのバルブの圧をまた少し上げて150にしてみるとのこと。以前にも触れたように、この作業自体にはさほど時間はかからない。胸部にあるバルブの位置を確認して、体の上から機器でちょこっと操作してやるだけのことだ。

 前回の調整ではけっこう劇的に体に変化があったが、今回は「ホントにやりました?」と訊きたくなるくらい実感がない。設定変更後は24時間経過を見なければならないが、これを書いている時点では昨日までと体調にはほとんど変化がないように思える。

 次にI先生が外来を受け持つのは週明けの23日になる。この日までに好転が見られなければ、再度設定変更をお願いしに参上しなければならない(問題がなければ次回の診察は2週間後)。「手術しました、はい、おしまい」とならないところがなんとももどかしい。

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2006.05.19

首から上だけロボコップ

 水頭症の手術から約2週間が経つ。体の中に新たに機械を埋め込んだものの、ポーズを取って変身する方法に変わったり、1分間だけ通常の100倍の力が出せるようになったり、頭にパーマがかかったり、言葉遣いが荒っぽくなったりなんてこともなく術後の生活を送っている。パーマ以前にまだ坊主頭なんだが。それに変身ってなんだ。

 ただ、どうにも体が慣れていないためかいささか支障が生じてもいる。起きた状態でいると首と頭の境目のあたりが凝ったように痛みだすのである。昨日本屋まで1時間ほど出かけてみたのだが、本探しをしているうちに猛烈に首が痛みだし、しまいには動かせなくなった。横を向こうと思ったら上半身ごと向かなければならない。さながらロボコップだ。帰宅するまでえらい苦痛を味わった。

 シャント手術の後に首が痛むというのはよくあることらしい。ひどいときには首に板が入ったように感じられ、下が向けなくなるという(こうなった場合は感染が疑われる)。目下のところそこまでひどくはなっていないし、仰向けに寝れば間もなく痛みも引くのであまり気にしてはいないが。

 それにしてもこの痛み、薬で抑えられないものだろうか? 明日が退院後初めての診察日なので、そのへん訊いてみようと思う。

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2006.05.18

冥福ってなんだっけ

 2006年に入って、やたらアニメや特撮に関わった人たちの訃報が続いている。それだけに「ご冥福をお祈りします」というフレーズを目にする機会も多い。

 が。

 故人の死を悼むにあたって、このフレーズは本当に適切なのだろうか? 以前ヨハネ・パウロ2世が逝去したときにも疑問に思ったのだが、g_takiさんからのトラックバックを頂戴してまたまた再考することになった。日本人は宗教的には無頓着であるためか、誰が亡くなっても「ご冥福を~」という言い回しが安直に使われる。「とりあえずこう言っておけば余計な波風は立たないだろう」という、これまた情けないほど日本人的な「事なかれ主義」が露出してはいまいか。

 そもそも「冥福」という言葉が指すものは何か。これはg_takiさんの記事でも引用されているとおり、「冥土での幸福」を意味する。では「冥土」とはいかなるところであるか。手元の辞書を引いてみると「死んだ者の魂が行くところ」(旺文社国語辞典)とある。そして「冥」という字が示すものは「くらいところ」だ。死んだらそういうところに行くと考えられているようだが、仏教の一宗派である浄土真宗は異なる(前出の引用元によると、そもそも仏教自体に『冥福』という概念がないらしいが、手元の辞典では仏教由来の言葉とされている)。浄土真宗では「死んだ者の魂は浄土に行く」とされている。ゆえに仏式の葬儀で行われる「清めの塩」も浄土真宗での葬儀では使われない。以前葬儀を執り行った住職の法話によると「生前親しくしていた人を、亡くなった途端に穢れもの扱いするのはおかしいです」という。

 仏教ひとつを取り上げてもかくも奥が深い。ましてや他の宗教においてをや。クリスチャンが死後に「冥土に行く」なんてありえないのではあるまいか(功徳のあったクリスチャンは天国に召されるに決まっている)。あしあたり故人を悼むにあたっては、「謹んで哀悼の意を表します」あたりがどの宗派でも使えるフレーズであろう。

 なんにせよ、「これはおかしいのではないか」と思うこと、それを自分の頭で考えることは大事なことだと思う。考えることをやめてしまったら、人間はヒト以下の生物になってしまうから。

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2006.05.17

魔女役者よ永遠に

 女優であり声優である曽我町子さんが亡くなった。享年68。亡くなったのは7日早朝で、訃報は9日の朝刊(読売新聞の場合)に載っていた。なにぶんにもこのとき入院中だったので、訃報を知ったのは病院から一時帰宅した13日とえらく遅かった。

 新聞などでは「オバQの初代声優」という肩書で取り上げているところが多かったが、おれにとって曽我さんは、いつどこに出てきても「アヤしいおばさん」であった。怪しい魔法使いだったり、怪しい占い師だったり、とにかく全方位に向かって怪しいオーラを発散させる役者さんだったのである。そんな役柄なのに、どこか憎みきれないユーモアを醸し出していたのは、やはり曽我さんの持ち味と言うべきか。

 特撮ファンには俳優特有の「持ち役」みたいな認識がある。マッドサイエンティストなら天本英世、主人公の味方の科学者なら平田昭彦、ちょっと頭のおかしい脇役なら大村千吉、そして魔女なら曽我町子であった(以上敬称略)。曽我さんの他界で、みなさん過去の人になってしまった。新聞の訃報欄に名前が載らない日などないのだが、ことのほか今年はアニメや特撮に関係した人たちの訃報が多いように思う。

 いくつかブログなどを見てみたが、みな一様に驚きを隠せないように感じられるのは「曽我町子は自分に不死の魔法をかけているんじゃないのか?」と半ば本気で信じているからのような気がしてならない。そんなわけで、曽我さん、あの世に飽きたらいつこちらに帰ってきてもいいですよ。きっとみんな「ああ、やっぱり帰ってきた」と受け取るはずですから。

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頭がくらくら・術後編

 考えようによっては「改造手術」と呼べなくもない手術を受けたおれは、5月7日の朝をICUのベッドで迎えた。

5月7日(入院3日目、術後1日目)
 力を入れると痛むために、腹に力が入らない。聞くところによると、右の腹の筋肉が切られているので2、3日は痛むとのこと。「自分はかなりの手術をしたのだ」と改めて実感させられる。
 朝食におかゆ(と、その他もろもろ)が出る。時計がないので何時に出たのかすら分からない。食欲がなく、わずかに手を付けた程度。
 前後して尿管に入っていた管を抜いたが、看護師の人が言うように「ちょっと変な感じ」がした。膀胱から直接尿を出していたのではなく、尿が出るところに管を通していたのである。そりゃ変な感じのひとつやふたつするだろう。
 午前中にICUから一般病棟(もといた病室)に戻る。あやうく朝食べたものを戻しそうになるのを必至にこらえる羽目になる。昼食が出たものの食欲皆無。椀のフタも開けずに下げてもらう。
 よせばいいのに、夕食前のお茶を口にしたら再度吐き気。胃薬が処方される。

5月8日(入院4日目、術後2日目)
 午後にバルブ圧の調整。レントゲン室に連れて行かれ、胸の部分に体の外から機械を当ててちょっといじって調整そのものはおしまい。これは磁気を使って行うもので、調整のためにいちいち体を切開しないで済むという利点があるが、反面で強い磁気を帯びたものに近づくと設定が変わってしまう危険性があるから恐ろしい。「リニアモーターカーに乗れないじゃん、おれ……」と妙な悲観をしたことを、この場で正直に白状してしまおう。
 このときの調整で「120から140にしました」とI先生は言うのだが、何のことなのか今もって分からない。
 手術前から左腕に刺しっぱなしになっていた点滴の針がようやくはずれる。「点滴が終わったので、積極的に水分を取るようにしてください」とも。

5月9日(入院5日目、術後3日目)
 右の腹に負担をかけないで寝起きする要領を体得する。人間、必要に迫られるといろいろと思いつくものである。しかし、上半身を起こしていると首の後ろあたりが猛烈に痛くなり、起きていられなくなる。これは食事の時間が一番しんどいかもしれない。

5月10日(入院6日目、術後4日目)
 おそらくは生まれて初めて、病院のベッドの上で誕生日を迎えた。
 回診で回ってきた先生(I先生ではない)に「できるだけ体を起こしているように」と言われる。術後の体に慣れろ、という意味だろう。
 昼食にそばが出る。事前に「今日のお昼は天ぷらそばなんですけど」と聞かされていたので、てっきりエビ天が載っているものを想像してしまったが、実際にはかき揚げだった。「天ぷらは要らないからそばを5割増しにしてくれ」と言おうかとも考えたが、実行は差し控えた。
 消灯前の時間になって猛烈に腹が下る。今まで溜まりに溜まっていたものが一気に出てきたのだろうか?

5月11日(入院7日目、術後5日目)
 やはり5分も上体を起こしているとしんどい。繰り返し「体を慣らすように」とか「上体は起こしているように」と言われるのだが、言うのと実際にやるのは大違いである。
 午後になって一眠りしようとしたら、シーツ交換でベッドを追い出される。近場で本を読んでいるうちに首の痛みがなくなっていることに気付く。

5月12日(入院8日目、術後6日目)
 朝起きてすぐに血液検査のために採血。この病院の人たちは一様に注射が上手だ。点滴やら何やらであちこちに針を刺されたが、検査入院の時から数えても、注射で痛い思いをしたのは数える程度しかない。
 なんと昼食に刺身が出る。それはいいのだが、いくら栄養的なバランスを考慮した結果であろうとはいえ、刺身と一緒にパックの牛乳を付けるのは無粋だと思う。
 夕方に抜糸。まさかナースセンターの一角をカーテンで仕切ってやるとは思わなかった。頭の傷は当然見えないが、胸や腹の抜糸風景はおっかなくて見られなかった。

5月13日(入院9日目、術後7日目)
 経過が順調であれば退院、の日である。昨日の抜糸前に「特に問題なければ退院許可ということになると思います」と言われていたのであった。
 ところが、その問題が勃発した。おれは退院する気満々で、ナースセンター前にある精算機でテレビカードを清算しにやってきたのだが、その場でI先生と鉢合わせした。「ちょっと傷見せてもらっていいですか?」と言われると、断る理由はこちらにはない。すると……頭に開けた2箇所の傷のうち、1箇所が完全に塞がっていないという。先生は「感染のおそれがあるので、もう2、3日入院してもらって様子を見たいんですが」と言いだした。こっちは荷物もまとめて、すっかり退院モードに入っているというのに。
 押し問答の果てに、無理を言って一時帰宅ということになった。しかし、やはり本調子からはほど遠く、自宅までの車中でもひさしぶりの自宅でも気分が優れず、「すみません、わたくしが悪うございました」と、あっさり病院へUターンした。病院に向かう車の中でもうんうん唸っていたのは言うまでもない。
 夜の血圧測定時に、担当の看護婦さんから「I先生は慎重な人だから」という評を聞く。さもありなん。

5月14日(入院10日目、術後8日目)
 NHKのニュースなどではまず流れない、いわゆる「B級ニュース」が読みたくなって、自宅から古新聞をまとめて持ってきてもらう。幸か不幸か、ブログのネタになりそうなものもいくつか見つかった。
 さすがにこれだけの期間病院にいると書くネタもなくなってくる。

5月15日(入院11日目、術後9日目)
 入院するときに持ち込んだ文庫本の中の1冊、「ターミナル・マン」(マイクル・クライトン著)を何年かぶりに読む。買ったのは10年以上前だが、「そういや脳外科病院が舞台の話だったっけ」という理由で選んだものだ。まさかその脳神経外科の病床で読むことになるとは買った当時には思ってもみなかった。てんかんの発作を脳に電極とコンピュータを埋め込んで制御しようとする話であるが、1972年に発表されたものとは思えない妙なリアリティを感じる。
 退院の可否は明日のI先生の回診の時には分かるそうだ。

5月16日(入院12日目、術後10日目)
 朝方救急車がやってくる音を聞いて「また急患か」と思いつつ、その一方で「緊急手術が入ったりするんだろうな」などとも考える。予想は的中して、I先生はその緊急手術に回ってしまい、回診には現れなかった。やってきた別の先生に「頭にある傷口近くの腫れは引かないんですか?」と訊いたところ、「少しは引くと思うが、チューブを埋め込んでいるので完全に元通りにはならない」との回答。
 午後になって、手術から解放されたI先生に傷口を診てもらう。先日塞がっていなかった箇所も問題なく、今度こそ大手を振って退院できることとなった。
 退院に当たって、「患者カード」なるものを渡された。つまり「こいつに強い磁気を当てる必要があるときには気をつけろ」という証明書のようなものである。心臓のペースメーカーを連想してもらうと分かりやすいかもしれない。折り紙付きの改造人間になったような妙な気分である。とは言うものの、先日の一時帰宅の際にあったような不快感はすでにない。
 夕食時、おれは約2週間ぶりのアルコールを口にした。そば焼酎をロックで。美味であった。

 これで病院通いから解放されたわけではなく、週末には再度診察を受けなければならない。今後も定期的に検査を受けることになるだろう。ともあれ、今はI先生を始め治療に尽力してくれたすべての人たちに感謝したい。

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2006.05.16

頭がくらくら・手術編

 各方面に多大なる心配をおかけしつつ、ようやく入院生活から帰ってきた。とどろく叫びを耳にしたわけでもないし、凶悪怪獣たおすためでも正義と平和を守るためでもないが、とにかく帰ってきた(元ネタが分からない人、いたらごめんね)。ともあれ、今回の一大イベント(?)を記録を残すべく、病室にノートを持ち込んで可能な限り経過をメモした。「ピンチは誰かにアピール出来るいいチャンス」ときただにひろしも歌っていたことだし、こういうことは積極的にネタにしないと。

 今回の手術に至る経緯も記事にはしてあるので、経過をご存知ない方、あるいはおさらいをしておきたい方(なんのだ?)は、以下の順にお読み頂きたい。

  1. 頭がくらくら(4月17日)
  2. 頭がくらくら・その後(4月21日)
  3. 頭がくらくら・診断編(4月27日)
  4. 頭がくらくら・入院前夜編(5月4日)

5月5日(入院1日目、手術前日)
「午前10時ごろに受付してください」と言われていたので、かっきり10分前に受付へ。すると話が通っているらしく、2階のナースセンターへ向かうよう指示される。通されたのは、検査入院のときと同じ部屋で、ベッドの位置まで同じだった。
 事前の説明では手術は午前10時からとのこと。食事は夕食までで、水分は消灯時刻(21時)以降摂取禁止とのお達し。
 また、「手術を受けられる方へ」と題された冊子が置いてあり、「明日以降はこれこれこういう手順で事態が進みます」との説明が書かれていた。いわゆるインフォームド・コンセントというやつである。中には「緊張をやわらげる」ために肩に筋肉注射をするとも書いてある。往々にしてこういう一文が余計に人を緊張させるものである。
 正午、端午の節句ということで昼食に柏餅が出る。こういうしゃれっ気はけっこう好きだ。
「前日には風呂に入っておくように」との指示に従って、準備されたところで入浴。この風呂が予想外にぬるく、浸かっているだけで湯冷めしそうであった。実際にはぬるいくらいの湯加減が湯冷めしにくいのだが。
 15時45分、担当のI先生が病室にやってくる。検査入院のあとに症状が軽減したことは伝えたが、先生曰く「目詰まりした中脳水道の通りが自然に良くなることはまずない」とこと。また、手術の時間が変更になり、午後2時からになったと聞かされてうんざりする。何時間空きっ腹に耐えなきゃならないんだよ……。

5月6日(入院2日目、手術当日)
 空腹感と室内が騒がしいせいで未明に目が覚める。時計を見ると午前3時過ぎ。窓側が明るいので、もう夜が明けたのかと勘違いしたが、実際にはそちら側のベッドでトラブルがあったらしく看護師の人たちの声が聞こえる。その後まんじりともしないうちに本当に夜が明けた。
 顔を洗って髭を剃る(これも指示にあった)。やたらと喉が渇いている。「水がダメならエスタゲンドリンクをくれ」と言いたくもなったが、こんな濃いネタ(知らない人は「クラッシャージョウ 最終兵器アッシュ」をご覧ください)が通用するとも思えなかったので口にはしなかった。
 手術とは無関係の人たちの朝食が済んだころ、手術用の点滴が打たれる。意外に手首に近いところだったのでちょっと驚く。その後手術室の担当者がやってきて、コンディションを訊く。今日はおれの前に3件の手術が入っているとも話してくれた。
 あれだけ飢えと渇きに苦しんでいたのに、昼食時のころにはなんとも感じなくなってきていた。ここいらで、なぜか「SF交響ファンタジー」やら伊福部昭のゴジラやらすぎやまこういちのゴジラやら服部隆之のゴジラやら大島ミチルのゴジラやら聞いてみる。これで妙にリラックスするおれは、きっとどこかおかしい。
 13時30分、手術用の格好に着替え…と言っても実態はストレッチャーの上でオムツだけの格好になったのであるが。ここで昨日おれを過剰に緊張させた肩への筋肉注射。腕がいいのか技術の進歩なのか、拍子抜けするくらい痛くなかった。思わず「あのう、筋肉注射って、これで終わりですか?」とマヌケな質問をしてしまったくらいだ。
 予定時刻が近づいたころ、前の手術が長引いているとの連絡。おれの手術開始は30分程度遅れるらしい。むきだしの背中にストレッチャーのシートが張り付いて居心地が悪い。
 14時25分頃になって、ようやく手術室へ搬送。場数を踏んで慣れているのか、手術スタッフの表情から緊張は読み取れない。手術台によっこらせと移され、ここで鼻から口のあたりを覆う少々小さめのマスクがあてがわれる(このマスク越しに全身麻酔のガスが送られる)。「ゴム臭いな」とか思っているうちに意識途絶。
 名前を呼ばれているのに気付いて目を覚ますと、2時間ほどが経過していた。呼吸を確保するために管を突っ込まれていた喉が痛い。そのままなすすべもなく(意識が回復しても体が思うように動かない)CTと頭部のX線撮影を経て、集中治療室(ICU)へ移送。
 ――このあたりから時間の感覚が怪しくなる――
 ICUで手術終了を待っていた家族と面会。弟に丸坊主になった頭で驚かれる。実際に手術に要した時間は1時間程度で滞りなく終わったそうだ。
 ICUではひっきりなしに血圧を測られ(当初は15分おき、3時間くらい後からは1時間おき)、照明もやたら眩しいのでゆっくり眠ることができなかった。この悪条件に加えて、急患のベッドが隣に運ばれてきてからは余計にうるさくなった。この患者は意識がほとんどないのだが、「どうしてこのおっさんは自分のいびきで目を覚まさないのだ?」と勘繰りたくなるほど物凄いいびきをかいており、さらに面会人が次々とやってくるからたまらない。ICU担当の看護師から氷枕を出してもらい(手術直後ということで熱が出ていた)、枕元にあったタオルを目隠し代わりにして、むりやり眠った。室内に時計がないので、何時なのか、もう日付は変わっているのか、などといったことは一切分からぬまま……。

 かなり長くなってきてしまったので、以降に関しては「術後編」に続く。

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2006.05.04

頭がくらくら・入院前夜編

 検査入院から退院して一週間、いよいよ手術のための入院が明日に迫った。……のだが、ここ数日のおれは不思議なくらい落ち着いている。むしろ旅行前日のようなうわついたような気持ちでさえある。もちろん意味もなくはしゃいでいるわけではない。

 いくつかある理由のひとつは、先週の入院以降、くらくらする感じがほとんどないことである。「ひょっとすると、目詰まりしていた中脳水道の通りがよくなって、溜まっていた髄液が抜けたのではないのか?」と思えるくらいだ(親の話では、赤ん坊の時の水頭症もいつの間にかよくなったという)。一応これは入院時にI先生に伝えておく必要があるだろう。もしかしたら手術なしで済むかもしれないわけだし。

 もうひとつの理由は、前回の唐突な入院と違って、事前の準備にたっぷりと時間を取っていることであろう。 古本屋に行って病室で読む予定の本を物色してみたり、MP3プレイヤーに入れる曲をリッピングし直してみたりと、やっていることは旅行前の準備と少しも違わない。

 入院中の記録は可能な限り詳細にしておこうと思っているが、さすがに病室にノートパソコンを持ち込むのは防犯の観点上まずそうなので、メモ帳に逐次記録していくつもりである。前回の入院では、わずか4日間であったにも関わらず退院後に手先が鈍ったような感覚があったので、少しは飲食と読書以外にも手を使おうという魂胆である。

 ……というわけで、当人は現在のところ至って元気である。予定では入院は明日から一週間ないし10日前後とのことだが、どうなるかは分からない。ともあれ、退院後にはご心配をおかけしている各位にちゃんと報告するので、それまでお待ちをいただきたく。

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2006.05.03

「今日は一日『アニソン』三昧」にいらつく

ご注意:この記事は2006年に書かれたものであり、それ以降については言及していません。書かれているのは2006年に放送されたものに対するグチだけであることをご了承ください。

 なにをとち狂ったか、NHK-FMが約13時間(合間にニュース等の時間を含む)に及ぶアニメソングのリクエスト番組を放送している。しかし、「餅は餅屋」というように、慣れないことというものはあまりするものではない。「青春ラジメニア」のリスナーがこの番組を聞いたら、こう思ったに違いない―

「関西から嘉門達夫を呼ぶくらいやったら、なんで岩ちゃん呼ばへんねん?」と(関西弁テキトーだけど、間違ってても怒らないでね)。

 アニメソングというのは、音楽ジャンルの中でもかなり特異なものであるし、愛好者同士でないと通用しないような符丁も多い。案の定、まるっきり畑違いのジャンルの番組を任されたNHK有働アナウンサーの進行は見事なまでにグダグダである。岩ちゃん(「青春ラジメニア」のメインパーソナリティー、岩崎和夫氏)が進行していれば、少なくとも「クリィミーマミ」のタイトル名程度でかむようなことはなかったのではあるまいか。ことアニメソングに関しては、関連番組を20年以上やっている関係で新旧取り混ぜて詳しいし(嗜好的には少々古いものに傾くが)。

 他にも「翔べ!ガンダム」では別人のカバーバージョンを平気で流してフォローしなかったり、「CAT'S EYE」は杏里のセルフカバーの方を流したり、とリクエストしたリスナーの心情を忖度しないスタッフ側のポカも大いに気になった。

 つまるところ、この種の番組の作りに、思考回路が妙なベクトルで固定されてしまったおれが耐えられないだけの話ではある(実際、第1部終了の時点で番組に付いていくのは放棄した)。聞きたい曲はおおむね手元にあるわけだし。やはり音楽というものは、聞きたいものを聞きたいときに聞きたいように聞くのが精神衛生上はいいとつくづく思う。

 スタッフの皆様、もしまたこんな企画をやることがあったら、もうちょっとお勉強してください。たぶんおれは聞かないと思うけど。

2007年3月11日追記:性懲りもなく今年も4月30日にこの企画をやるらしい。たぶん聞かないけど。

2007年5月1日追記:これだけしつこく「聞かない」と連発したのに、かなり長時間付き合ってしまった。今年の放送分に関しては人様のブログのコメント欄でグチりまくったので、ここには書かない。それにしてもNHK、学習しないなあ。

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BSアニメ夜話・ヤッターマンの巻

 昨晩放送の「BSアニメ夜話」、お題は『ヤッターマン』であった。お題がお題だったので思わず見てしまったが、正直なところ山本正之がゲストで出ていなかったら最後までは見ていられなかっただろう。番組の構成からして、この作品をどう扱ったらいいものか持て余しているのがありありと窺えたし、なによりも松村邦洋の発言がことごとく滑りまくっていたのが痛すぎた。そもそも、いい年こいたオトナが公共の電波を使って「ヤッターマン」を論じること自体がなんかおかしいような気がして仕方がない(語り口は終始居酒屋での飲み会みたいであったが)。

 それでは「お前には思い入れがないのか?」と問われれば、もちろんそんなことはない。番組自体はリアルタイムで見ていた。ただ、後半になってゾロメカ同士が小芝居をやるようになってからは子供心にだいぶ引いた覚えがある。シリーズ当初のようにヤッターマンが一方的にドロンボーをやっつける展開は楽しんでいたのだが、ゾロメカの団体戦に負けたドロンボー一味が悪あがきのひとつもせずに(その後にはこわーいお仕置きが待っているというのに)潔く自爆してしまうのはいかがなものか。

 この「ヤッターマン」に限らず、「タイムボカンシリーズ」において本当に人気があり実質的に主役であったのは、やはり「三悪」であろう。一貫してキャストが不動であったことが何よりの証拠である。

 そういや以前オフ会で「天才ドロンボー」を鼻眼鏡着用でボヤッキーのパートを歌うという見削りなマネをしたっけ…(あれはでかい鼻の部分のプラスチック臭がきつくて閉口した)。あれ、写真が家のどこかにあるはずなんだよなあ。探してみたいような、見つかったらのけぞるほど恥ずかしい思いをしそうな気もする。

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