日立駅とその周辺
先週ハチロク見物をするついでに、かつて頻繁に利用していた日立駅をひさしぶりにじっくり見てきた。ご無沙汰しているうちに周辺店舗の店子が入れ替わっていたりして、ずいぶん驚かされた。
写真(上)中央の右側に見えるオブジェは、「日立製作所発祥の地」であることを象徴するタービン動翼(説明を信用する限りでは本物であるらしい)。以前はこの場所に噴水があったが、駅前ロータリーの整備作業に伴って撤去され、バス乗り場の位置も大幅に変更されている。おれと同じバスでかみね公園へ向かったお年寄りは、「乗り場が変わって分かりにくくなった」と口にしていた。
おれが最寄り駅として利用していたころには、駅の西側にだだっ広い空間があった。駅の至近に日立製作所が製品を搬出するために使う多くの引き込み線があったのだが、物流の主流が鉄道からトラックへと移行したこともあって、事実上ほったらかしになっていたのである。このスペースには駅前ロータリーよりも早く手が入り、日立新都市広場の整備やイトーヨーカ堂日立店がオープンするなどして、人の流れを国道6号線寄りから駅前に集中させることとなった。その弊害として、それまでの繁華街は半ばゴーストタウン化し、2005年には老舗デパートのボンベルタ伊勢甚日立店も閉店に追いやられてしまった。
物流の中心だったことの名残は駅構内にも残っている。
ホーム北側にある「中央口」の利用客は、否応なくこの長ーい跨線橋を通らなければならない。写真に写っている線路は一番右のもの以外はJR貨物の管轄下にある(写真左側にJR貨物のマークが入ったコンテナが見える)。しかしながら、写真の通りほとんど利用されていないのが現状で、利用者は「無駄に長い距離を歩かされている」という心境にあるのではなかろうか。写真の右側のさらに奥には3番線ホームがあり、その南端には「海岸口」がある。日立駅本来の駅舎はこの位置にあった。
利用者が少ないのか、こちらの駅舎はこぢんまりとしている。親に話を聞いてみると、かつては海岸口を「旧駅」、中央口を「新駅」と呼び分けていたそうだ。
そんな日立駅を橋上駅とする計画が進んでいる。駅ビルを造るのではなく、平屋の橋上駅となるようだ(もっとも、中央口と海岸口では高低差があるので構造上は立体的になるが)。コンペティションの結果では、このような駅舎になるらしい。利用者の利便性を高めるのはけっこうなのだが、かつての中心街がすっかり寂れているのはどうにも空しい。かみね公園から駅までを歩いてみたが、「景気の回復傾向なんてウソだ」と思わざるを得なくなったのが正直な感想である。
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