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2006.11.30

光の国に祈りをこめて

 今年はウルトラマンシリーズ誕生40周年だというのに、そのシリーズ最初の作品の立ち上げに尽力した人たちが相次いでこの世を去った。今朝方には実相寺昭雄監督(29日深夜没)の訃報が流れ、夜には音楽を担当した宮内國郎氏(27日没)の訃報が。同じ日にこうした事態に接することがなかったせいか、正直どうコメントしていいものやら分からない。

 実相寺監督は、ファンの間から「実相寺アングル」と呼ばれるほどの極端なアップ(普通は毛穴が写るほど寄ったりしない)やカメラと人物の間にものを入れる撮影方法、独特の照明の使い方などで知られる。
 本来子供がメインターゲットであるはずのウルトラシリーズでも堂々と自分の個性を押し出した作品を撮る監督で、「ウルトラセブン」の『第四惑星の悪夢』(第43話)や『円盤が来た』(第45話)は、あまりのシュールな作りに子供の頃はどこが面白いのかさっぱり分からなかった。後年製作された「ウルトラマンティガ」で監督した『花』(第37話)でも独特の個性は健在で、正直「これ、監督の名前を知らずに見ている人も楽しんでるのかな?」と思ったものである。
 今年の2月に他界した脚本家の佐々木守氏と組んでは、ちょっと斜に構えたような雰囲気を醸す作品群(劇場公開された「実相寺昭雄監督作品ウルトラマン」を見れば一目瞭然だ)を数多く遺した監督であるが、一番脂がのっていたのはやはり「怪奇大作戦」ではなかっただろうか。「今夜は追悼の意をこめて『京都買います』を見る」という実相寺ファンが多数いることと思う。

 とかく「ウルトラシリーズの音楽」というと、ワンダバコーラスで有名な冬木透氏の名前が挙がりがちであるが、「ウルトラQ」と「ウルトラマン」でジャズに根ざした劇伴を手がけた宮内氏の名前も忘れてはならないだろう。しかしながら、手元にある宮内氏の音楽がオムニバスに収録された主題歌と挿入歌の類しかないというのは、故人に対する礼を欠いてしまっているようにも思う。耳にする頻度の差もあってか、宮内氏の名前を聞いて真っ先に連想したのが「ウルトラファイト」の本編BGMだったりするのも我ながらいかがなものか。
 宮内氏が生前手がけた作品の中では、ウルトラ以外に映画「ガス人間第一号」(1960年公開)がある。ある意味のちの「ウルトラQ」にも通じるであろう作品で、傑作の呼び声も高い。訃報を知って見たい衝動に駆られたのが「ウルトラQ」でも「ウルトラマン」でもなく、この映画だったのはなんだか不思議だ。

 初代ウルトラマンが誕生して40年、当時製作に情熱を傾けていた人たちもずいぶん“光の国の住人”になってしまった。いずれ誰もがそうなるのだが、2人も相次いで旅立たれてしまうのはやはり一ファンとしては寂しい限りだ。

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2006.11.28

『そして殺人者は野に放たれる』

 特撮もののテレビシリーズのひとつ「怪奇大作戦」で、現在欠番扱いとなっているエピソードが1本ある。第24話『狂鬼人間』がそれだ。犯人は“脳波変調機”で一時的な精神障害者を作り出し、殺人を起こさせる。殺人を犯しても、刑法第39条第1項にある「心神喪失者の行為は、罰しない」が適用されて無罪放免となってしまう。SRI(科学捜査研究所)は犯人を追いつめるが、犯人は自ら脳波変調機で永遠の狂人になってしまい、このエピソードは嫌な後味を遺したまま幕を下ろす。

 特撮ものとは関係のない立場から『狂鬼人間』封印への経緯を探った「封印作品の謎」(著・安藤健二)で、おれは「そして殺人者は野に放たれる」(著・日垣隆)の存在を知った。日垣氏は、自著についてこう語っている――

 本書は、愉快な書物ではありません。あまりにも深刻な事件が多すぎて、ご気分を害することもあるでしょう。けれども、「正常と異常の境界線はどこにあるのか」「なぜ人は罪を犯すのか」は、おそらく人間にとって大切なテーマだろうと思います。(文庫版あとがきより)

 実際に読んでみると、「日本という、この国の司法制度はいったいどうなっているんだ?」という著者の怒りが痛いほど伝わってくる。「通り魔殺人で4人もの命を奪った犯人が『覚醒剤を使用していたこと』を理由に刑を軽減された」とか、「客の乗ったバスに放火して6人を殺した犯人が『多量のアルコールを摂取して酩酊状態にあったこと』を理由に刑を軽減された」……なんて事例が次々と暴き出される本である。愉快になれるわけなどない。ましてや前述の2人は判決で心神耗弱が認められると「してやったり」とばかりに笑みを浮かべたという。

 日垣氏は刑法のみならず、それを運用する側にも容赦ない刃を振るっている。検察は「起訴しても無罪判決を下されては出世に響く」という理由から、39条が適用されそうな案件については起訴そのものをしない。弁護士はなんとか39条が適用されるように被告人を誘導する。裁判官は何事にも「まず判決ありき」で、自分の頭でものを考えない(引用されている判決文の悪文ぶりには頭が痛くなる)。こんな状態でまともな裁判が執り行われるとはとても思えない。現行刑法が運用される限りは――少なくとも第39条が削除されるまで――どのような立場であれ、彼らのご厄介にはなりたくないものだ。

 さて、冒頭に挙げた『狂鬼人間』のケースであるが、もし実行に移されてしまったら犯人にはいかなる処分が下されるのか? けっこう真面目に考察したものがWikipediaからリンクされている。

11月29日追記:この題材を取り上げるのに前後して、連邦でも『狂鬼人間』が取り上げられた。もちろん偶然の一致。リンク先のYouTubeの映像はいつまで見られるか分からないので、これを機に見てみるのも封印作品を見る手段のひとつではある。

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2006.11.22

季節に挑む者

 もう11月も下旬だというのに、そいつはいまだに現れる。そいつの名は。もちろん刺されればかゆいし、なによりも嫌がらせでもするかのように耳元をかすめて飛ぶ、あの音が不快きわまりない。なんだってこんな時季になってまで蚊に悩まされなければならんのだ。

 たしかにこのところ暦の割には暖かいし、我が家の飼い猫も夜になるとおれの部屋にやってきて布団の上で眠る(重い上にけっこう蒸し暑い)。案外おれの部屋は夜には一番温暖なのかもしれない。だからといって蚊なんぞに飛び回られてはかなわない。まさか、今ごろになって羽化しているなんてことはないだろうな……。

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2006.11.10

自殺予告の連鎖

 文部科学省に自殺を予告する手紙が相次いで寄せられている。6日に匿名の自殺予告が届けられて以来、続々と文部科学大臣に「直訴」するケースが連日報じられている。

 しかし、一部の例外を除いて、なぜ彼らは匿名で自殺をほのめかすのだろう。6日に自殺予告を送りつけた生徒の場合、消印以外に身元を突きとめる手段がないから困ったものだ。それでいて文面はこうだ―

 大臣あての手紙では、「8日までになにもかわらなかったら、自殺します。場所は学校でします」とし、「11日土曜日に自殺することを証明します」と書いていた。「クラスのみんなへ」と原稿用紙に書かれた手紙の中では、「なぜ僕をいじめるのですか。『キモイ』からですか『クサイ』からですか」「なぜ僕をさけるのですか。なぜ僕のズボンをおろすのですか」などと訴えていた。(YOMIURI ONLINEより)

 自分がきわめて不本意な状況下にあるのなら、そしてそれを改善してもらいたいのなら、どうして自分を特定してもらえるデータを提供しないのだろう。これでは対処する側も困ってしまうではないか。彼は周りにいる大人たちを信用できないのだろうか。それでも自分からSOSを発信できるだけ、彼はまだ助かる見込みがあるだろう。

 いじめを苦にした自殺が報じられると、「自分以外の人たちのことも考えろ」とか「生きていたくても生きられない人たちがいるんだぞ」とか「死ぬ気になればなんでもできるだろう」といった論調で死者を鞭打つ手厳しい意見に行き当たることがある。そうした意見も分からないではないが、自殺を考えるほど追い込まれている人間は、人の迷惑など考える精神的余裕などありはしないことを理解してほしいと思う。

 おれ個人は、苦痛から逃避手段としての自殺を否定しない。今でも頭の片隅に「自殺」の二文字がちらつくことがある。「命あっての物種」だの「生きていればいいことだってある」だのといった決まり文句も、安っぽいコピーにしか聞こえないこともままある。「生まれ方が選べないなら、死に方くらいは自分で選ばせてくれ」とも思うのだ。今のところその気はあまりないが、何らかのはずみでトリガーが引かれる可能性がないとは言えないのが正直なところである。

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2006.11.06

SLと津和野と悪夢

 日子さんのこちらの記事を読んで否応なく思い出した、5年前のいい思い出だけどちょっとイヤな体験のお話。

 2001年の大型連休後半を、おれは山口で過ごした。「SLの切符取れたんだけど、来る?」との誘い文句に二つ返事で飛びついたのであった。贅沢なことに小郡(現在の新山口)-津和野間を、SLが牽く列車で往復である。運転当日に自宅から出発したのでは肝心の列車に間に合わないので、前日の5月2日に山口県入りした。

 翌3日は曇天で時折小雨もぱらつく空模様。やはり人気がある列車だけに、発車する1番線のホームは物凄い人だかりであった。連れとは別々の席になってしまったが、同じボックス席で一緒になった下関から来たという親子連れの親父さんのそのまた親父さんがSLの機関助士だったという話を聞いてすっかり意気投合、退屈せずに済んだ(連れは退屈しただろうなあ)。

 列車は定刻通りに津和野に到着。ここで普通なら観光となるのであろうが、おれの目当ては転車台であった。津和野駅構内にそれがある(機関車の方向転換ももちろんだが、展望車を最後尾に連結させるための転回作業もここで行われているはず)。

 案の定、転車台まで見に来る物好きはほとんどおらず、「貴婦人」の方向転換作業をじっくりと見学することができた。

方向転換その1
機関車が転車台の上に
方向転換その2
転回開始。正面に来たタイミングで1枚
方向転換その3
こんな感じで方向転換

 転車台付近では間近まで機関車に近寄れるので、動輪のでかさも実感できる。

 あまりじっくりしすぎると昼食を取る時間がなくなるので、ほどほどで駅の方へ引き返す。腹ごしらえを済ませた後で踏切の方に行ってみると、なにやら人がたくさん集まっている。転回作業を終えた列車が入線のために路線上に出てきたのであった。

「これは絶好のカメラアングル!」と判断したおれはカメラを構えて待つことにした。もっとこっちに来い、もうちょっと来い…ここだ! 満足してシャッターを切ったおれは駅へと向かった。撮れた写真を見て「うわぁー!」と叫ぶ羽目になったのは帰ってからのことである。

うわぁー!

 撮影時には列車に気を取られていたのだが、写真の右下にはVサインなんかかましているおばちゃんが写り込んでいた(おばちゃんに罪はないのでモザイク処理)。傑作になるはずだった写真が台無しになったのであった。

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2006.11.05

文化祭で鉄道模型

 東海村の文化祭で「鉄道模型運転会」なるものが開催されているというので、3日に出かけてきた。

入口の立て看板
入口の立て看板

 大会議室と中会議室の二部屋で行われていたのだが、大会議室はこんな感じ。

会場

 手前にあるのはNゲージのレイアウト。平均年齢は低め。デジカメで模型を撮っているおれは、さぞかし場内の人間から浮いていたことだろう。車輌を持ち込んで走らせている未来のてっちゃんも何人か見受けられた。

スーパーひたち
651系スーパーひたち

 接写モードで撮ったスーパーひたち用651系車輌。引き込み線に停まっているところを撮ったが、走行中は室内の灯りがつき、ヘッドマークも点灯する。Nゲージの車輌に接するのはひさしぶりだが、ずいぶん多機能になっているんだなあ。

E531系
E531系電車

 これまた接写で撮ったE531系電車(今ひとつピンが甘いのはご愛敬ということで)。こうして撮ってみると、Nゲージでも意外に精密に作られていることに気付かされる。

209系とE231系
209系とE231系

 常磐線の車輌ばかり撮るのもアレかなあ、ということで撮ってみた。これも結構リアルな作り。

HOゲージの列車群
HOゲージの列車群

 こちらはHOゲージの列車。右から3番目に停まっているキハ81形の先頭には「ひたち」の、左端の583系は「ゆうづる」のヘッドマークが付いていた(反対側は「みちのく」)。

はやぶさ
はやぶさ

 隣の中会議室にはHOゲージのレイアウトが組まれていた。走っているところを遅めのシャッタースピードで撮ったので先頭がぶれてしまったが、これはこれで迫力があっていいような気もする。現在では「富士」と併結になってしまい、見られなくなってしまったEF66に「はやぶさ」のヘッドマーク。

 それほど長い時間滞在していたわけではないのだが、しばらくぶりに接したせいか、いらぬ物欲がむくむくと頭をもたげてきた。カネも走らせるスペースもないくせに。

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