なにやってんだ高野連
野球部の特待生問題に関する高野連の対応が連日報じられているが、あまりにも場当たり的、悪く言えば行き当たりばったりな対応は、報道を見ていてイライラしてくる。MACさんの記事に寄せたコメントと重複するが、大学では一芸入試が認められているのに、どうして「野球だけダメ」なのか? 高野連はそんな問いに対して万人が納得できる回答を示せないでいる。読売新聞5月3日の記事より。
しかし、「なぜ野球だけが駄目なのか」という疑問には、過熱した戦前の学生野球の歴史や「高校野球は教育の一環、フェアプレーの精神で行われている」などと、脇村会長はこれまでと同じ説明を繰り返した。
他のクラブ活動は「教育の一環」ではないと? 野球以外の体育会系クラブの競技は「フェアプレーの精神で行われて」いないと? 西武球団の裏金問題に端を発した一連の騒動が起きるまで、高野連は越境入学などを事実上黙認してきておきながら、どうして事が大きくなってからしゃしゃり出てきて監督者面するのか。いくら現状に即していないとは言え「ルールはルール」、それを守らない側に対して制裁を加えるのは当然の措置だろう。でも、あんたたちは「そういうことはいけませんよ」と指導なり監督する立場にあるんじゃないのか? 騒動の収拾を現場に押しつけた当の脇村高野連会長はぬけぬけとこうコメントした(読売新聞5月11日の記事より)。
脇村会長の話「憲章違反の学校が多く、現場が混乱したから、緩和措置を決めた。できるだけ理解をいただきたい」
自分たちで混乱の種をまいておいて、よくもそんなことが言えるもんだ。あんたたちの後手後手の対応が現場を混乱させた要因のひとつなのに。
ふと思い立って、日本学生野球憲章を読んでみようとしたら、あまりにも難解な前文が書かれていて頭がくらくらしてきた。
われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める。
これが制定されたのと同じ年に公布された日本国憲法の前文と比べてみると、「なんだこりゃ?」である。よほど語彙の豊富な人でなければ文脈を理解することはできないのではあるまいか。こういうものに縛られているせいで、高校野球には一抹の硬さが感じられるようにも思える。……もうちょっと楽しく野球しようよ。
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コメント
TB有難うございます。
とうとう高野連も方針転換しましたね。学校サイドにマル投げで、何ともスッキリしない感じです。現状追認ではあるのですが、来年以降どうするか、解決には程遠い内容ですね。
投稿: mac | 2007.05.12 08:56
なんといいますか、「根本的な解決を先送りにしただけじゃないか」という印象を受けます。野球憲章を無視していた学校側にももちろん問題はあるのでしょうが、今まで状況を黙認してきた高野連にはもっと問題があるように思います。
「憲章が現状に即していないのであれば、憲章の内容を変えればいい」という考えが会長にないあたりに静かな怒りを覚えます。
投稿: ぶるない | 2007.05.12 14:24