« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007.08.22

水郡線に乗りに行く

 現在水郡線で運用されているキハ110系気動車がもうすぐ他線区へ転出されるということで、今月26日まで記念ヘッドマークを付けた列車が水戸-郡山間を1日2往復するとの記事を新聞で読んだ。「これは撮りに行かねば。ついでにキハE130系にも乗ってこよう」ということで、初めて「水郡線に乗る」ためだけに出かけることにした。

 ヘッドマーク掲出列車の運行予定はJR東日本水戸支社のサイトで確認。最初はヘッドマーク付きの列車で水戸を発つことを考えたが、発想を転換して、郡山方面に先回りして上菅谷で水戸に向かうヘッドマーク付きをつかまえることにした。上菅谷では時間を持て余してしまうことを見越して、支線の方にも足をのばす。

 12時15分水戸発の常陸大宮行きで出発。さっそくキハE131形に行き当たった。

キハE131形

乗降口の段差  ホームのそば屋で昼食を済ますつもりだったのだが予想外にお客が多く、昼食を後回しにして席を確保することにする。ここでいきなり新型車両の洗礼を受けた。乗車口に中途半端な段差があって、つまずきそうになったのであった。

キハ110系の段差  床面はキハ110系よりも45ミリ下げてあるそうだが、もうちょっと下げられなかったものか。

防犯カメラ?  座る場所を見つけたところでふと天井を見てみると、防犯カメラと思しきものが設置されていた(写真は少々ブレてしまった)。最近は列車内もなにかと物騒だし。

 初期加速はディーゼル車とは思えないほどのスピード感。エンジン音の代わりにモーター音が聞こえてきてもおかしくないような不思議な感覚であった。駅間が短いのであまりスピードを味わえないのが惜しい(もっとも、水郡線内では時速85キロに制限されているが)。

 上菅谷で乗り換えて、常陸太田には12時47分着。ここに来るのは日立電鉄線が廃止になる直前に乗りに来て以来である。

旧常北太田駅  かつての常北太田駅へ行ってみる。現在は日立電鉄交通サービスの事務所として使用されているらしい。待合室はバスのそれとして使われているようで、椅子も自販機も現存していた。

昔ここにホームと線路がありました  改札口跡からホームがあったあたりを臨む。当然のことながらホームも線路も完全に撤去され、更地となっている。

 13時11分発の上菅谷行きで引き返す。駅の近辺にはコンビニの類がなく、空きっ腹を抱えたままである。

 ここで本日のメインイベント、13時30分に上菅谷に着くヘッドマーク付きキハ110系に乗り込む(写真の量だけではキハE130系の方がメインのようであるが…)。運行本数の関係か、平日の昼間にしてはかなりの乗車率であった。

ヘッドマーク掲出のキハ110系(上菅谷にて)

 水戸着13時49分。ヘッドマークに気を払うお客さんがいないのが寂しいが、今週末はそれなりににぎわうのであろう。常磐線ホームでこの列車の入線を待っていたのはmattohさん

ヘッドマーク掲出のキハ110系(水戸にて)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007.08.16

摂氏34度の退屈

 こんなタイトルを付けて、ネタの分かる人がどのくらいいるのだろう? …とか思いつつも付けてしまうのであった。

 「ラニーニャ現象が観測された」なんてニュースを聞いた(日本では夏が暑く、冬が寒くなる)と思ったら、今年の夏は常軌を逸した暑さになっている。今日は茨城県内でも猛暑日を観測した箇所が14地点中12地点というから普通じゃない。「なーんもする気が起きん」というレベルならまだしも、熱中症で死者が出た、なんて暑さにもなると笑い事では済まない。

 あづいあづいとボヤいているうちに、今日は岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度の日本最高気温が観測された。それまでの記録は1933年に山形市で記録された40.8度で、74年ぶりの記録更新だというから余計にげんなりする。この夏の間に記録更新の可能性も十分にありうるだけに、げんなりの度合も半端ではない。

 こんな殺人的な暑さの中、明日からの3日間は有明で「全日本オタクの祭典・夏の大会」が開催される。ビッグサイトは会場の構造上熱が籠もりやすいので、救護室がさながら野戦病院の様相を呈するであろうことは想像に難くない。

 やはり日本の暑さは「おー暑いのー、屁も出んぞ」くらいが適当なのであろう。せめて風があれば体感温度も少しは下がるんだがなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.07

最初から最後まで茨城県庁だぜ!

 電王とゲキレンジャーの映画を見てきた。時間帯は昨年とほとんど同じだったのだが、お客の入りは今年の方がちょい多め。なんか腐女子系列っぽいグループもちらほら。中にはウラタロスに釣られちゃったらしい女性ファン(黒縁メガネに青いウィッグを着けた、見ていて少々イタイタしい外見)もいたりして、改めて電王のファン層の広さを思い知ったりした。限定版のパンフも公開から4日目なのに早々に売り切れてたし。

以下、ネタを割りまくっているので見ていない人は注意されたし

 前座その1、電影版ゲキレンジャー。「香港ロケ」が売りのひとつだったはずだが、「ここ香港で撮りましたあ!」というシーンがエンディングくらいにしかないというのはどういうことなのか。セット内のシーンがほとんどだし、名乗りもいつもの岩場だし。

 香港には中国への返還を翌年に控えた1996年に行ってきたが、期せずして確認してしまったのは「ゴジラVSデストロイア」での香港ロケが観光地を回るだけの「手抜き」としか言いようのないロケだったこと。「あー、あのカットはここから撮ったのね」というのが観光地めぐりをしていて気付いてしまうようでは程度が知れる。「VSデストロイア」の場合、ゴジラの香港襲撃はついでみたいなものだから笑って許せもするが、ゲキレンジャーが香港ロケをタイトルにまで入れておいてあの内容なのは、ロケ地である香港に失礼なのではあるまいか。

 前座その2、モモタロスのなつやすみ。…笑うところはどこですか? それこそ「モモタロス人気あるみたいなんで作ってみました」という雰囲気が全編に漂う、良くも悪くも看板に偽りない「おまけ」。

 で、モモタロスに言わせれば「前振り」になるであろう2本を見た後で「俺、誕生!」突入。

 おー、ジュエリーホープ、外見だけじゃなくて屋内まで茨城県庁でロケしとる(U良太郎とK良太郎の登場シーンも県庁の敷地内。結構広いのだ)。先日のテレビ放映分でずいぶんと映画の方のシーンも見せられてしまったので新鮮味が足りなかったりするが、それでもきっちり見せ場として用意されているので十分OK。

 石室コマンダー牙王と配下のイマジン連中の個性が今ひとつ弱い印象(ウィングフォームの出番も「劇場版限定」の割にあっけない)もあったが、モモタロスたち4バカがドタバタ暴れ回るのを見る映画と割り切れば(いや、割り切らなくても)十分楽しめた。長石監督も「深く考えないで見てね」という趣旨のコメントをしてたし。

 案外劇場版での最大の見ものは、小太郎が変身するミニ電王かも知れん。変身前の溝口琢矢くんが自らスーツを着て立ち回りまで演じているが、「俺、参上!」のポーズはかなり堂に入ったものだったと思う。ホント、ここ数年の子役の演技レベルは間違いなく上がっているなあ。1970年代あたりにゲストで出ていた子役とは雲泥の差があるぞ(当時の方々には失礼だが)。

 昨年かなりガッカリさせられた分、今年は存分に楽しめた。できればメイキングやらディレクターズカット版やらいろいろ舞台裏も見てみたい気持ちにしてくれる、楽しい映画であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.01

二十世紀はバイバイ 何だかんだにサンキュー

 作詞家の阿久悠氏が亡くなった。享年71。

 つい先日NHKを見ていたら、半田健人がますだおかだに歌謡曲のうんちくを語る番組に「解説者」として出演していたのを見たばかりだったので、この訃報には驚いた。その番組での阿久氏は顔色も悪く、ずいぶんやつれた印象を受けたので「どこか悪いのでは?」とも思ってはいたのだが。

 阿久氏というと、1970年代の歌謡曲(このころはJ-POPなどというスカしたフレーズは存在しなかった)の作詞家を代表する人物であった。Wikipediaを見てみても綺羅星の如くヒット曲のタイトルが並んでいる。守備範囲は歌謡曲にとどまらず、およそ歌詞の付いている曲であれば、それこそ「適当に石を投げれば当たる」くらい数多くのジャンルの曲に詞を提供している(アニメソングや校歌なども)。その数は5000を越えるというから恐れ入る。

 で、訃報に触れるにあたってタイトルにはどの曲から歌詞を拝借するか悩んだ結果、大多数のアニメファンが挙げるであろう『ヤマト』は敢えてはずし、氏が手がけたアニメソングとしてはリストの終わりの方に記載されるであろう『はれときどきぶた』3代目のオープニング「BOO ~おなかが空くほど笑ってみたい~」から感謝の意を込めて引っ張ってみた。

 阿久さん、何だかんだにありがとうございました。ゆっくりお休みください。

8月2日追記:冒頭で触れた番組は5月に収録されたという記事(デイリースポーツ)を読んだ。体調の悪化はそのすぐ後であったようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »