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2008.05.21

常総線 騰波ノ江駅

 騰波ノ江という、一度見ただけではまず「とばのえ」とは読めない名前の駅を初めて認識したのは、昨年11月に初めて乗るつくばエクスプレスを目当てに出かけたときのことだった。このときは天候が悪かったのと、気持ちがほとんどつくばエクスプレスの方に向いていたために「常総線は前座みたいなもん」などというファンに聞かれたら2、3発ははたかれそうなことを考えていた。半ば上の空で秋葉原で落ち合う約束をしている友人たちとの連絡に夢中になっていたところに、「由緒ある田舎の駅でござい」と言わんばかりの味のある駅舎が目に飛び込んできて驚いたのであった。

雨の騰波ノ江駅
2007年11月10日撮影

 その騰波ノ江駅の駅舎が6月末を持って解体され改築されるというニュースを聞いて、「見られなくなる前に行ってこなければ」と強く思うようになった。で、今回の出馬と相成った次第である。

下館駅にて  アプローチは水戸線の下館駅から。6番線に停まっているド派手なラッピング列車に乗り込んで出発。下館から3駅目が今回の目的地である騰波ノ江である。わずか3駅ではあるが、下館からの営業キロが10.1キロとわずかに10キロを越えるため料金は430円と結構なお値段となっている(9キロ超10キロ以下なら400円)。

下館方面行きホームの駅名票  下館から13分ほどで騰波ノ江に到着。2面2線の、列車の行き違いができるホーム。乗ってきた取手行きと、反対側に入線した下館行きを見送ったところで下館行きのホームにある駅名票を1枚。

名所案内  木造の駅舎の壁面に打ち付けられた「名所案内」。附近一帶の「梨名産地」が名所になるかは微妙なところである。

関東の名駅百選の認定書  誇らしげに飾られた「関東の名駅百選」の認定書とプレート。今はなき鹿島鉄道の鉾田駅もその中のひとつであった。

スポンサー名入り駅名案内板  酒造メーカー(とおぼしき)の名前の入った駅名案内板。この手の案内板も現在の関東鉄道ではこの駅を残すのみという。改築と共に消える運命か。

駅舎全景
 外に出て駅舎の全景を1枚。こんな晴天よりは黄昏時よりも遅い時間の方が絵になりそうな駅舎。駐輪場に停めてある自転車は下妻や下館の学校に通う高校生たちが乗ってきているのだろう。電話ボックスも設置されてはいるが、携帯電話が普及した今のご時世に利用者はどれほどいるのやら。
 自動販売機の左側に見える引き戸は風呂場のある離れへつながっている模様。

別棟のトイレ  駅舎に似せて造られたと思われる別棟のトイレ。最近造られたらしく、さすがに水洗式だった。

待合室の過去の遺物  待合室も撮ってみる。これまた今となっては過去の遺物以外の何物でもない伝言板と、かつてここに駅員が常駐していた名残である「お忘れもの」の掲示板。

「腰掛け」が語る歴史  上の写真の反対側。壁に添って作り付けられた腰掛けが83年の歴史を語る。時刻表を掲出するために付けられた真新しい枠がどうしても浮いて見える。

駅ノート  関鉄レールファンCLUBが設置した駅ノート。表紙の裏側には、会の会長さんが騰波ノ江駅の歴史と思い入れをびっしりと寄稿していた。置かれて日が浅いこともあって書き込みの量はまばら。今後の存続を願いつつ、おれも一筆入れさせてもらった。駅ノートというものに書き込んだのは初めてのことだった。

ホーム側から見た駅舎
 去り際に下館方面行きのホームからもう1枚。新しい駅舎がこの風合いを残してくれることを願わずにはいられない。できればこの駅舎がなくなる前にもう一度訪れたい、そんな気持ちにさせてくれる駅であった。

6月6日追記:解体前の最後の週末にはイベントも開催されるそうだ。多くの人に別れを惜しんでもらうのもいいが、ひっそりとした光景の方がこの駅には似合っているように思うのはよそ者の勝手な思い込みであろうか。

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2008.05.20

『「最長片道切符の旅」取材ノート』

 鉄道紀行文学の大家である故・宮脇俊三が30年前にデビュー第2作『最長片道切符の旅』を書くに当たって書き留めた、いわば「ネタ帳」をおおっぴらにした本である。故人の意図しないところでこうした出版物を出してしまっていいものかは賛否が分かれるところであろう。

 それでもその「ネタ帳」の時点で、文体がしっかりと「宮脇俊三の文章」になっているのはさすがとしか言いようがない。このメモを元に、実際に出版された形になるまで肉を付け、あるいは削っていったと考えるとき、その労苦は並大抵のものではなかったであろうことは容易に察しが付く。

 この本を、出版と同時に単行本として復刊された『最長片道切符の旅』の副読本と位置づける読者は多いだろう。こう書いているおれ自身もそうであるから。ただ、帯に付された「甦る伝説の旅の臨場感!」というコピーはなんとかならなかったのだろうか。「するとなんですか、『最長片道切符の旅』自体には臨場感が欠けているとでも?」などといういちゃもんのひとつも付けたくなる。

 もっと許せないのは、明治学院大学教授の原武史(敬称略)の付けた脚注である。「ここは分かりにくいだろうな」という箇所に解説を加えるだけならともかく、脚注にかこつけて一人称でものを語っている箇所があちこちにあり、読んでいてイライラさせられた。

一九八七年八月に私が訪れたとき、すでに北見トンネルはあった。北見の市街地を抜けるためにつくられたようだ。東京や大阪ならともかく、北海道で山もないのにトンネルがあるのを皮肉ってこう書いたに違いない。(P.27)

「あなたには聞いていません」(声:コウ・ウラキ)

おそらく、別保-上尾幌間を指すのだろう。小さな峠を越えるのだが、私が乗ったときも見事なエゾマツやトドマツの大木を車窓から何本も発見できた。(P.30)

「あなたには聞いていません」

いまなら海外旅行に行くような女性2人づれが、このころは北海道をよく旅行していた。私が慶応高校に通っていたとき、先輩から女性をナンパしたいなら北海道のユースホステルで2人づれをねらえ、学校名を明かせば必ず引っ掛かると言われたのを思い出す(実践はしなかったが)。(P.35)

「あなたには聞いていません」

 ……この調子で頼んでもいない自己主張を展開するのだから始末に負えない。どこの世界に名札をつけて舞台に上がる黒子がいるというのか(「欽どこ」か!)。こんな黒子が暴走する前に舞台袖で押さえつけとけよ、編集者。ただでさえ脚注が多すぎる本は読みづらくなる。その脚注で解説者が自分の昔話などを始めるのだからたまったものではない。文庫化するときにはこうした箇所を一切合切削ることを強く要望する。

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