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2008.06.19

「鉄男」って誰のこと?

 記事を読んだときから、順調に物事が運ぶとは到底思えないと感じたお話。YOMIURI ONLINEから。

 国土交通省は7月1日から、鉄道ファン向けの参加型ホームページをインターネット上に新設する。

 鉄道ファンの男女を表す通称「鉄男」「鉄子」からホームページ名をとり、「鉄男・鉄子のみなさんの部屋」とする予定だ。

 こんなものを行政主導でやられてもなあ、というのが第一の疑問。環境問題がぎゃーすか騒がれるご時世であるから、「もうちっと鉄道を見直そう」という気運が高まるのはいいことかもしれない。しかし、「今ちょっとしたブームらしいから便乗しちゃおうぜ」というせこい計算が動いているようにも思えてならないのも、あながちうがった見方ではないだろう。

 それにも増して腑に落ちないのは 鉄道ファンの男女を表す通称「鉄男」「鉄子」 という文言である。そもそも「鉄道趣味は男のもの」みたいな不文律があって「女性の鉄道ファンは珍しい」と思われていたからこそ、漫画『鉄子の旅』のタイトルから「女性の鉄道ファン=鉄子」という呼び名が定着したのではないのか? 鉄道趣味に首を突っ込んで随分経つが、男の鉄道ファンを「鉄男」と呼ぶなんて話は聞いたことがないぞ。そんな情報はどこに流通しているのだ? おれがもぐりなのか?

 記事の続きにあるサイトの内容にも、正直首をかしげざるを得ない。

 内容の一例としては、「日本全国鉄道お宝マップ」として、駅の名物や歴史などを紹介する。このほか駅員など鉄道を支える人々のエピソードや心に残る対応などを掲載する。

 そんなものは個人運営のサイトやブログにいくらでも転がっているではないか。なにも国民の税金で運営するサイトでそんなことをする必要はないだろう。一介の鉄道ファンの意見が直接行政サイドに届くようにする、という点では意義のあることかもしれないが、「こんなサイト作ってどうすんの?」と思われているようではサイトの先行きは明るくない。

 記事自体とは直接の関係はないが、この記事の下に「関連記事・情報」として「【社会】 東急線電車内で女性に触る、28歳の国交省キャリアを逮捕」という記事にリンクが張られていたのがなんともトホホ。ちったあマジメに仕事しろ、国土交通省。

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2008.06.13

この路線どこ?

 耳鼻科通いのために電車に乗ったら、ドアの上にある路線図に見慣れない名前が。「ひたちなかシーサイドレールウェイ」

「ひたちなかシーサイドレールウェイ」?
携帯電話にて撮影

 もちろん、その路線が「ひたちなか海浜鉄道」を意味していることは地元民として承知している。しかし初めて常磐線を利用している人がこの図を見たらどう思うだろう? 勝田に近づいたとき、車内アナウンスでこの名前が使われることはない。「ひたちなか海浜鉄道湊線はお乗り換えです」と放送では流れるはずである(うろ覚え)。どうして放送と掲示が一致しないなどという紛らわしいことになったのだろう?

 それにしても、「路線名をそのままカタカナにしたらカッコいいんじゃね?」みたいな安直な発想には頭を抱えてしまう。走っている列車はこんなのだぞ。

勝田駅にて撮影 阿字ヶ浦駅にて撮影
2008年3月27日撮影

 いくら路線名を横文字名前にしてみても、走るものまで変わるわけじゃないことに早いところ気づけや。

 ちなみに「ひたちなかシーサイドレールウェイ」をキーワードにGoogleで検索してみると、ヒットしたのは25件だけだった(「ひたちなか海浜鉄道」では約197000件)。

7月7日追記:今日電車に乗ったところ、さすがにクレームが付いたのか、上からシールが貼られていた。写真に撮ってみたが「シーサイドレールウェイ」という字が見えるだろうか?

「ひたちなか海浜鉄道」。

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2008.06.09

そしてふたたび耳鼻科

 2ヶ月ほど引きずっていたのであるが、右耳の具合がどうも悪かった。音が籠もった感じに聞こえ、聞こえ自体もよろしくない。一昨日の朝に洗髪したらなぜか症状が急激に悪くなったので、おそるおそる2年前に受診した耳鼻科を訪ねた。

 個人経営のところであるから、順番が回ってくれば当然前回と同じ先生が診ることになる。患者が何人来ても、診察と治療は1人で行われるので、患者をさばくさまはさながらヒヨコの鑑別のようである。いつも話を聞いてもらっているカウンセリングのK先生が「腕は確かだが評判はあまり良くない」と話していたことになんとなく同意してしまう。

 ちゃっちゃと容態を診た先生は「最近風邪ひいた?」と訊いてきた。そんなことはないですが、と答えると、症状を説明してくれた。「水が溜まってるねー。中耳炎の一種」とのこと。すぐに処置するという。「ちょっとチクッとするよー。すぐ終わるから」とかなんとか言いながら、耳の中になにやら器具を突っ込んでチクッ。そのあとに小型の掃除機のようなもので耳の穴を吸われて終了。ここまで具体的な説明はない。「評判はあまり良くない」ゆえんであろう。

 会計で4290円を請求され、領収証の「手術」の項目に点数の記載があったことから、「いったいどんなことが行われたのだ?」と勘繰ったおれは、帰りの道すがら検索してみた。該当する病気はすぐに見つかった。

滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)は中耳に滲出液が貯留した状態であり、中耳炎の1種である。(引用元:ウィキペディア)

 具体的な病名で検索すると、さらに詳しい処置についての記載も見つかった。あの「チクッ」は鼓膜の切開で、掃除機は溜まっていた水を抜く処置であったのだ。患者が知らないうちに処置してしまったのは好判断かもしれない。なまじ知っていたら、それなりに恐怖心を抱いていただろう。なるほど、「腕は確か」だった。

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2008.06.08

電気街の殺人

 秋葉原で通り魔殺人事件が発生した。奇しくも2001年の同じ日に、大阪の小学校で児童らが無差別に殺傷されるという凄惨な事件が起きている。いやな偶然である。

 こうした事件の犯人は、判で押したように「(殺すのは)誰でもよかった」と口にする。今回も犯人は取り調べに対してそう答えたという。本当にそうなのだろうか? 事件が立件され、犯人が起訴されれば間違いなく弁護側は被告人の精神鑑定を要求してくるだろう。理由はもちろん「事件当時、被告人は心神喪失(もしくは心神耗弱)状態にあり善悪の判断能力がなかった」と主張するため。だが、仮にそう主張されたとしても裁判所は一蹴すべきである。

 犯人はレンタカーを借り、わざわざ地元から離れた秋葉原まで出向いて凶行に及んでいる。単に「誰でもいいから殺したい」のであれば、比較的近場である三島や沼津、秋葉原まで行かなくとも繁華街なら横浜や銀座でもよかったはずである。理由かはともかく「殺すのは秋葉原で」という明確な意図がそこにはある。そもそもまともな神経の持ち主であれば、「世の中がイヤになった」からといって無差別殺人に走ったりはしない。

 被害に遭われた人たちにお見舞い申し上げるとともに、警察に対しては厳しい取り調べをお願いしたい。

 この事件も他人事だと思っていると、「法律が発効になって間もない裁判員に自分が任命されて審理に当たらされる」可能性もゼロでないことをお忘れなく。

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2008.06.07

「SAVE THE FUTURE」ってうさんくさい

 その昔(と言ってもそれほど古くはないが)「人の命は地球の未来だ!」と言い切ったヒーローがいるが、そんな台詞を「そーかー?」と冷ややかな目で見ていたものである。

 地球ができて約46億年(推定)、いわゆる世界四大文明が発生したのは現在からたかだか7千年程度前でしかない。ホモ・サピエンスがこの惑星の支配者面をしているのは、地球そのものの歴史から見ればまばたき1回分よりもはるかに短い時間だ。単純に地上を支配していた期間だけで比較するなら、恐竜の方がよっぽど長い。その恐竜はとっくの昔に絶滅した。人類が破滅への道をたどらないなどとどうして断言できようか。

 …などとかなりの悲観論に走ってしまうのは、この週末にNHKが「SAVE THE FUTURE」、日テレが「Touch! eco 2008」などというスペシャル番組を組んでいるのを見てしまったからである。そんなキャンペーンをぶちあげて「地球環境を守りましょう」「二酸化炭素の排出量を減らしましょう」と主張する一方で、深夜の時間帯に放送される番組枠が減らないのはどういうことなんだろう。NHKに至っては「光熱費が半額・燃費向上CO2削減法」という内容の番組の再放送を夜中の2時台に組んでいる(光熱費をケチろうと思うなら、こんな時間にテレビなんぞ見ない方がいいに決まっている)。言行不一致も甚だしいんじゃないのか?

 現代の「生産-消費-廃棄」というサイクルの文明を手に入れた時点で、人間は首を吊るロープに頭を突っ込んでしまったのではなかろうか。もちろん登っていた踏み台はすでに蹴られている。あとできることと言ったら、ロープが締まる速度をわずかに遅くすることくらいであろう。締まりきるまでにどれほどの時間がかかるかは誰にも分からない。

 映画化されて続編も作られたマイクル・クライトンの『ジュラシック・パーク』に登場する数学者イアン・マルカムは、作中でこう言っている(映画にはないくだりである)。

危機に瀕しているのは地球じゃない。人類のほうだ。人間にはこの惑星を滅ぼすだけの力はない。救う力もない。しかし――自分たちを救済する力くらいはあるかもしれない……

 人類の危機と地球の危機を同一視するのは思い上がりもいいところだ。人類という種の存続が地球の未来に益をもたらさない可能性も、ちょっとは考えようよ。

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