2009.11.26

やればできるんじゃん。

 近年ではめっきり声優の歌う曲しか出していない感のあるキングレコードが、雷にでも打たれたか、突然往年の遺産を大放出した(←かなり失礼な物言い)。同日発売の「ロボットアニメ大鑑」3作品。サンライズ作品を一括りに、それ以外をCD2枚組の上下巻に収録の大盤振る舞いの「おっさんホイホイ」である。……なんだよキングさん、やればできるんじゃないの。

 とりあえず予算の都合上「サンライズ ロボットアニメ大鑑」のみをゲット。1977年の『無敵超人ザンボット3』から1993年の『熱血最強ゴウザウラー』までのTV作品から57曲。もう曲名を眺めているだけでげっぷが出そうである。

 そうしていると、『装甲騎兵ボトムズ』(1983年)と『重戦機エルガイム』(1984年)のあいだに大きな断層が生じているように見える。それまで「いかにもアニメソング」然としていた曲が続いてきたところから大きく舵を切り、『エルガイム』以降の楽曲はかなり歌謡曲よりに傾斜している。作詞家やら作曲家が歌謡曲のそれになったという点が大きいのだろうが、この頃からアニメ作品そのもの以外に歌い手も売り出すようになったように思う。

 いわゆる「勇者シリーズ」が2作目の『太陽の勇者ファイバード』(1991年)からCDの版元がビクターに移った頃を転機に、一連のサンライズ作品はキングからビクターへと引っ越しだした。これがキングにとっても転機だったんだろうな。

 ひとまずは残りの「ロボットアニメ大鑑」上下巻も早急に入手したいところではある。上巻の2枚組は相当にカオスな様相を呈している感じではあるが。

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2009.11.16

CVという表記

 アニメの公式サイトなどで配役を紹介する場合、「CV:だれそれ」という表記を目にすることが多い。すっかりおっさん頭と化したおれは未だにこうした表記に慣れないでいる。なぜなら、アニメ業界がキャストをCVと略すようになった時期をある程度特定できて、その元締めもある程度特定でき、それが感覚的に「けっこう最近」であるからだ。ウィキペディアの「声優」の項目からちょっと引用すると、

なお、声優名の前にCVと付いていることがあるが、これは「キャラクターボイス(Character Voice)」の略で、そのキャラクターの声を担当する声優であることを表す。この言葉は1980年代後半にアニメ雑誌『アニメック』で副編集長だった井上伸一郎が提唱した造語で、その後、井上が角川書店に移籍して創刊した『月刊ニュータイプ』によって普及した[1]。

 おれの記憶で一番古い「これからは声優のことをCVって略そうぜ」的な記述は、ニュータイプ誌創刊直前くらいのタイミングで角川から出ていた『重戦機エルガイム』のムックだったと思う。『エルガイム』のムックだから1985年初頭くらいのことである。当時高校生だった(自分でタイプしてひょえーとのけぞってしまう)おれは「横文字かっこいいぜってことですか、そーですか」と冷ややかな視線を送っていたものだが、気がついたら角川の出版物のみならず、そこら中がこの表記を採用していて驚かされたものだ。角川のイメージ戦略恐るべし。

 ともあれ、CVという略し方はアニメファンの間だけの約束事、という感はぬぐいきれず、ウィキペディアでも「CVという表記は使わないことにしましょう」という了解がなされているのにはちょっと安心する。

 というわけで、石頭と言われようと「声優をCVと略すことに抵抗する運動」を脳内で展開する所存である。

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2009.01.10

高橋良輔監督作品を中心にいろいろと…

 この手のお題を提示されたときに困るのは「順位を付けろ」という注文であるが(本当に好きなものに順位なんか付けられるかい)、幸いそういうものではないようなので、つらつらと。したがって順不同。

  • 炎のさだめ(『装甲騎兵ボトムズ』オープニング)
  • いつもあなたが(同エンディング)
  • ガリアン・ワールド(『機甲界ガリアン』オープニング)
  • 星の1秒(同エンディング。個人的にはカラオケの定番曲)
  • 夢色チェイサー(『機甲戦記ドラグナー』前期オープニング)
  • 銀河旋風ブライガー(同名作品オープニング)
  • Red fraction(『BLACK LAGOON』オープニング)
  • テイキング・オフ!(劇場版『銀河鉄道999』挿入歌)
  • HUMAN TOUCH(『機動新世紀ガンダムX』第1期エンディング)

 『ガリアン』の2曲については、昨年トークライブで曲ができるまでのいきさつを聞いて更に好きになった。オープニングなどはいかにも80年代の曲という感じなのだが、ちゃんとアニメのテーマ曲であることを踏まえて作られているというのが作品のファンとしては嬉しい限り。

 ラインナップ的には浮いている感じの『BLACK LAGOON』も、PC上での再生回数ではけして引けを取らない。いろんな意味でカラオケで歌うのはちと無理っぽいが。

 しかし、なんだかんだ言って好きな曲が多すぎる上に思い入れも半端なくあるので、逐一リストアップしていったらきりがない、というのが本音。

コネタマ参加中: 大好きなアニソン(アニメソング)は何?

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2008.10.17

やっぱりふかしすぎの『タイタニア』

 とりあえず第2話まで放映された『タイタニア』を見てみたが……。やはり監督が同じせいか、どうしても「『銀英伝』で見た夢をもう一度」という印象しか残らない。ただでさえ誰が主人公なのかよく分からない原作を、さらに取っつきにくくしているというか、なんというか。

 キャスティングを見る限りでは、「銀英伝に出た人は原則として使わない」という方針が貫かれているようである。ただでさえ銀英伝のレストアみたいな作品なのだから、既存のキャラクターイメージがかち合う危険を避けるためにも当然の措置ではあろう。銀英伝ほど固有名詞付きのキャラクターがぞろぞろ出てくる作品世界もそうはないし、それに比べればタイタニアの登場人物は多すぎるとは言えないし、長さ自体も短いし。

 オープニングとエンディングを勢力ごとに色分けしてしまう手法も銀英伝譲りと言えるかもしれないが、どうせ踏襲するならキャストのクレジットを分けて表示する手法までまねてほしかった。敵も味方も一緒くたに表示されてしまっては、原作を読んでない視聴者が混乱するぞ。

 エンディングを見ていて気になった点がもうひとつ。反タイタニア陣営のキャラクターで、アニメ版には登場しないらしいキャラクターが2人いる。ミランダ公女とその旦那である。公女殿下の方はともかく、旦那の方はあまりアニメ向けのキャラクターではなさそうなので存在を抹消されたようにも見えるが、見方がひねくれすぎであろうか。石黒監督が文庫版の解説で「原作をいじらせてもらう」とコメントしている以上は、第3話から登場のリラ・フローレンツが「実は公女殿下です」というくらいの設定変更はやらかしているかもしれない。

 なんだかんだいいながら、「様子見」といいながら半年間しっかり視聴してしまう可能性は大いにあるが、序盤の2話を見た時点での印象は「やっぱりふかしすぎだよ、あの帯のコピーは…」ということであった。これから半年、どうなるんだか。

10月31日追記:なんだ、ちゃんと豪快な公女殿下も口のきけない旦那も出てきたじゃないか(エンディングにもちゃんといるし)。それにしてもスケールが今ひとつ狭苦しいように見えるのは気のせいだろうか。

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2008.09.18

ふかしすぎの『タイタニア』

 第1巻の発売がかれこれ20年も前、その1年後に第2巻、そのまた2年後に第3巻が発売になったものの、いっこうに続編が書かれることないまま版元が移り、それでも続編が書かれることなく4年が経過したところでなぜかアニメ化が決定した田中芳樹の『タイタニア』。アニメの放映に併せて、今度は講談社に版元が移って文庫化された。

 それにしても、なんでこの時期になってのアニメ化なのだろう? 小説の方は、どうしても比較対象にされるであろう『銀河英雄伝説』より小物の印象はぬぐえないし、なによりも半端な状態で20年近くほったらかしにされてる(口の悪いファンは「実は『タイタニア』は全3巻で完結なのだ」とも言ったものだ)し、アニメにしたところでニーズがあるとは考えにくいのだが。

 ああそれなのにそれなのに。文庫版の帯にはそんな境遇の作品とは思えないような大げさなコピーが付けられていた。

 日本最高の 叙事詩 ついに 発動!!

 ……だって。いやはや、ずいぶんとふかしたものである。このコピーから、原作者に20年近く目をかけられていない作品のアニメ化とは想像もできない。正直なところ、アニメ化の報を聞いたときにまず思ったことは「やっぱりネタづまりなんだなあ、日本のアニメ業界は」であった。ひとまずは期待しないで見てみるつもりである。

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2008.02.26

Magic play is dancing?

 asahi.comにこんな見出しの記事が載っていた。「「キャッツ・アイ」逮捕 20代の女怪盗3人 大阪」。リードの部分を引用する。

 大阪府高石市の民家に空き巣に入ろうとしたなどとして、高石署は25日、いずれも大阪市西淀川区に住む20代の無職の女3人を住居侵入の疑いで逮捕したと発表した。〔中略〕捜査員らは3人の女怪盗が登場する人気漫画にちなみ、容疑者らを「キャッツ・アイ」と呼んで取り調べにあたっていた。

 しかし記事を読んでみると、この3人は姉妹ではないし、狙った獲物が絵画専門だったわけでもなく、現場にカードを遺していたとか、盗みに入るときにレオタードを着用していたという記述もない。漫画の『キャッツ・アイ』とは「女3人組の窃盗団」という以上の共通項はない。大阪府警高石署の捜査員たちの安直きわまりない発想には猛省を促したい。まあ、通報があったときには誰かがお約束で「キャッツだぁ~!」と叫んでいたかもしれんが。

 「女3人の窃盗団」が「キャッツ・アイ」呼ばわりされるのであれば、「男3人+女1人のドロボー一味」を「ルパンファミリー」と呼ぶのも許されることにならんか? ……それは許されざる一線という気もするぞ。

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2008.02.20

アニメ業界の音楽事情というやつ

 BSで放映された『アニメギガ』を見た。ゲストは“燃える作曲家”・田中公平。番組の最後で「田中さんにとって、アニメとはなんですか?」という問いに対する答えが印象的だった。曰く――、

「子どもが子守唄の次に耳にするのがアニメ音楽。だからこそ本物を聞かせてあげたい」

 至言である。アニメの音楽に対して真摯に取り組む人でなければ、こんな言葉は出てこないだろう。

 逆にそんな人たちを取り巻く環境はどうなっているのか。四半世紀も前に山本正之が「アニメがなんだ」の歌詞で皮肉った「歌とドラマと ぜんぜん合ってない」状況は輪をかけてひどくなり、露骨なタイアップは大手を振ってまかり通っている。本編の音楽を担当する作曲家が知らないところで主題歌(とはもはや呼べない曲)作りが進行し、曲を提供する側も作品のことなどちっとも考えない曲をぬけぬけと提出し、そんな曲に制作サイドがOKを出す。……こんな環境下で「本物」が作れるのか?

 そんな状況で作られる楽曲であるからして、歌詞にしても「子どもが歌う」ことなんざ考えちゃいない。日本人には「英語=カッコいい」という傾向が顕著であるから、作詞者が「どーだい、カッコいいだろう!」という感覚で付けられた歌詞にはかなりの割合で英語が入っている。誰とは言わないが、「アニメのための曲作り」を大義名分に掲げている人でさえ、この呪縛から逃げられないでいる。……そこに「子どもも聞く曲」はあるのか?

 21世紀に入ってから作られたアニメソングの中で、どれほどの曲がいわゆるスタンダードナンバーにまで昇華されるのか、はなはだ疑問だ。「そんなのできっこねえ」というのが個人的見解である。

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2007.10.14

儲けは出ているか?

 今に始まった話ではないが、アニメ製作者の賃金のレベルはどう考えても手間に見合うだけのものではない。一説によれば、アニメ草創期に手塚治虫が制作費を低く抑えてしまったせいであるという。そんな低賃金にあえぐ末端の製作者たちがとうとう声を上げた。asahi.comより

 世界に誇る日本のアニメ。市場規模は2000億円以上といわれるが、原画を描く制作現場では月収10万円に満たない人も少なくない。こうした状況を改善しようと、アニメーターや演出家らが13日、「日本アニメーター・演出協会」(JAniCA)を設立した。

 約70人が参加。代表は「北斗の拳」監督で、協会設立を呼びかけた芦田豊雄スタジオライブ社長が務める。東京・荻窪で開かれた設立会見で芦田さんは、「業界は『低賃金でもアニメが好きだから』という働き手の気持ちを利用してきたが、このままでは優秀な人材が入ってこなくなる」と訴えた。

 正直なところ、声を上げるのが20年くらい遅かったのではないかという気もするが、芦田代表のコメントは文字通りの「血の叫び」であろう。甘い汁を吸っているのは本当に一握りの連中だけで、それ以外の人々は安い賃金でこき使われている。「牛馬の如く」という喩えがあるが、牛や馬は働いた分餌がもらえるだけでも末端のアニメ製作者諸氏よりマシな待遇かもしれない。

 「待遇に見合った給料をよこせ」と言うのは至極真っ当な労働者の権利である。ただ、こうして団体設立に至ったことが裏目に出はしないかが心配だ。作品制作の全権を握っている人間が「あっそう。じゃあこれからは安く仕事してくれる中国や韓国の人らに頼むから、キミらはクビね」などと言いだしたらそれこそヤブヘビになってしまう。ただでさえ動画や背景、仕上げといったセクションが海外へ丸投げされるケースが少なくないのだから。

 日本には大小400社を超すアニメ制作会社があり、そこで働くアニメーター・演出家は正確な統計はないものの4500人程度とみられている。協会によれば、アニメーターは1日平均10時間以上働いても、全体の2~3割は年収100万円前後。新人は半年で半数が、1年後には7割が辞めていくという。

 市場規模の数字にだまされてはいけない。景気がいいのはうわべだけの話で、今日もアニメーターたちは命をすり減らしながら働いている。

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2007.08.01

二十世紀はバイバイ 何だかんだにサンキュー

 作詞家の阿久悠氏が亡くなった。享年71。

 つい先日NHKを見ていたら、半田健人がますだおかだに歌謡曲のうんちくを語る番組に「解説者」として出演していたのを見たばかりだったので、この訃報には驚いた。その番組での阿久氏は顔色も悪く、ずいぶんやつれた印象を受けたので「どこか悪いのでは?」とも思ってはいたのだが。

 阿久氏というと、1970年代の歌謡曲(このころはJ-POPなどというスカしたフレーズは存在しなかった)の作詞家を代表する人物であった。Wikipediaを見てみても綺羅星の如くヒット曲のタイトルが並んでいる。守備範囲は歌謡曲にとどまらず、およそ歌詞の付いている曲であれば、それこそ「適当に石を投げれば当たる」くらい数多くのジャンルの曲に詞を提供している(アニメソングや校歌なども)。その数は5000を越えるというから恐れ入る。

 で、訃報に触れるにあたってタイトルにはどの曲から歌詞を拝借するか悩んだ結果、大多数のアニメファンが挙げるであろう『ヤマト』は敢えてはずし、氏が手がけたアニメソングとしてはリストの終わりの方に記載されるであろう『はれときどきぶた』3代目のオープニング「BOO ~おなかが空くほど笑ってみたい~」から感謝の意を込めて引っ張ってみた。

 阿久さん、何だかんだにありがとうございました。ゆっくりお休みください。

8月2日追記:冒頭で触れた番組は5月に収録されたという記事(デイリースポーツ)を読んだ。体調の悪化はそのすぐ後であったようだ。

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2007.06.29

「だが、今は去っていく」

 声優でありナレーターでもあった中江真司氏が28日に亡くなった。享年72。

 近年ではすっかり「『トリビアの泉』のナレーター」という肩書が板に付いていたように思うが、「冒険王ビィト」や「金色のコルダ」などアニメ声優としても活動していたことを知ったのはWikipediaで中江氏の記事を検索してである。

 それでも、おれの世代からすればやはり仮面ライダーシリーズでのナレーションの印象が強烈に残る。カラオケで「レッツゴー!! ライダーキック」を歌ったときに、後奏にぴったり収まるように「仮面ライダー・本郷猛は改造人間である。…」のナレーションを入れて悦に入った特撮ファンは少なくないだろう。そういえば21世紀の初日に出かけたカラオケで、V3のオープニングでこれやったっけ。

 独特の語り口には、いつどこで聞いても中江氏と分かる個性が光っていた。ウルトラセブンのパチンコ台のCMではメトロン星人の声を往時と変わらない名調子で当てていたし、DSのソフトのCMでも「トリビア」ばりのシュールな雰囲気を醸し出していた。

 つい3ヶ月前に小林恭治氏の訃報を聞かされたばかりだというのに、中江氏の訃報まで聞かされるとは思ってもいなかった。名ナレーターの魂の安らかならんことを。

「平和と正義の7人の戦士、仮面ライダー。彼らは、地上に悪のある限り、その勇姿を現すに違いない。だが、今は去っていく。さようなら、仮面ライダーよ。さようなら」(「仮面ライダーストロンガー」最終話より)

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