2008.01.10

「ごちそうさま」は?

 ひいきにしているラーメン屋がある。カウンター中心のこぢんまりとした店なので15人で満席になってしまうが、その筋のガイドブックに掲載されるくらい味の方では人気がある。小さい店であるだけに、他の客の挙動がどうしても気になってしまう。で、どうにも引っかかることがひとつ。

 どうして店を出るときに「ごちそうさま」を言わないのか?

 これは年齢・性別を問わないのである。客がお店の人と会話するのは、注文するときと替え玉を頼むときくらい。そんな客の挙動とはお構いなしに、お店の人たちは注文の品が出来上がれば「はい、お待たせしましたぁ!」、客が店を出るときには「ありがとうございましたぁ!」と元気な声をかけてくれるのであった。そこまで腰を低くしてもらっていて、どうして客がお店に礼儀を示さない? 「自分は客なんだから、そんなこと言わなくてもいいだろ」とか思っているのか? 自分ちの食事では食事の終わりに「ごちそうさま」って言わないのか?

 おれは外食したときには「ごちそうさまでした」を欠かさずに言うことにしている(ファストフード店を除く)。駅の立ち食いそば屋も例外ではない。この習慣のおかげで先のラーメン屋では会計時と店を出るときの2度、元気な声をかけられる。

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2007.12.31

砕け散るまでそば粉と戦う

 大晦日恒例の年越しそば。一部地域を除いてほぼ全国的に食べられているものであろう。その年越しそばを自宅で打って食する家庭はどのくらいあるのだろう。今年、我が家がその中の1軒に仲間入りした。

 話は1週間前に遡る。世間的にはクリスチャンもそうでない人も、こぞってクリスマスイブの狂騒のただ中にあった。そんなさなか、我が家にはそば打ちセット一式がやってきたのであった。当日は「大晦日の予行練習」と称してさっそくそば打ちが行われた。結果的には「致命的にまずくはないが旨いとも言えない」そばができあがった。こういうものは最初から上手にできるわけでもないので、「本番でうまくいけばいいや」くらいの気分でその日の夕食は終わった。

 そして今日が本番である(もっとも、今後も機会があれば打つんだろうが)。まだ陽光が窓から差し込む時間帯にそば作りは始まった。まず、そば粉とつなぎの小麦粉を計量してふるいにかけ、指でかき混ぜる。あらかた混ざったら、およそ2回に分けて水を加えながらさらに混ぜる。粉に水分が行き渡ったようであれば、これをまとめて捏ねる(意外に力仕事)。生地の具合にもよるが、前半戦では100回ほど練ったところで麺棒で延ばしていく(このあたりから担当は親父にバトンタッチ)。最初は円く、薄くなってきたら方形に延ばしていく。十分延びたところを麺切り包丁で切る。ゆでる前まではおおむねこんな感じで工程は進む。部屋に明かりが必要になる頃には打つ作業は終了した。

 ゆであがったそばを食べたのは、NHKが年内最後のまっとうな番組(もちろん「こどもニュース」のことである)を放映している時間帯。1週間前のリハではおれが太く切りすぎて失敗したところを、今回は親父殿がいい感じに切ってくれたので、十分年越しそばとして食するに耐えるものができあがった。満足満足。

 そば粉を混ぜている最中には、すっかり我が家の猫となりつつある「ニャン太」と「ゆのっち」の親猫である「グレ」(3匹の写真はこちらの記事を参照。ニャン太はしっかりオス猫であることが判明している)がしばらくぶりに我が家を来訪した。「暮れの元気なごあいさつ」というやつであろうか。

 我が家の猫たちを含めて、この記事を読んでいる人たちにとっての新しい年がいい年でありますように。……猫はブログなんか読まないか。

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2007.01.06

最後の昼食はチキンラーメン

 インスタントラーメンの産みの親であり、日清食品の創業者でもある安藤百福氏が5日に亡くなった。享年96。半月ほど前に「所さんの目がテン!」でカップラーメンが取り上げられたのを見たばかりだったので、少なからず驚いた。読売新聞朝刊が1面で訃報を報じていたのにはもっと驚いたが。

 世界最初のインスタントラーメンであるチキンラーメンの発売は1958年、カップラーメンの始祖であるカップヌードルは1971年の発売であるから、おれが物心ついた頃にはすでにカップヌードルがインスタントラーメンの主流になっていた。生前の安藤氏は毎日チキンラーメンを食べていたそうだが、おれ個人がチキンラーメンを食べた回数はカップヌードルのそれと比べると格段に少ない。

 なにかと「体に悪い」とやり玉に挙げられることの多いインスタントラーメンであるが、安藤氏の大往生という実例がその反証たり得るのではないかとも思ってしまう。もっとも安藤氏は週に一度のゴルフも楽しんでいたというから、全面的に擁護できるわけでもないのだが。

 ともあれ、ごちそうさまでした、安藤さん。そしてこれからも「いただきます」。

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2006.08.01

砕け散るまで餃子と戦う

 我が家の近所に小さな餃子専門店がある。存在に気付いたのはつい最近のことだ。「猫の額」どころか「ネズミの額」くらいの小さな店構えであるが、なにやら「ここの餃子を食べてみたい」という欲求に駆られるものがあった。客が数人入ると満席になってしまうくらいであるが、それ以上に通常の1.5倍から1.7倍はあると思われる餃子のボリュームには圧倒された。しかも安くて旨い。

 店舗が小さいせいか、客はほとんどテイクアウト組とみられ、店のすぐそばにあるビジネスホテルからおにぎりの注文を受けることもあると店主のおばちゃんは語っていた。折しも週末にはROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006が開催されるため、スタッフが大人数で泊まり込み(その後は観客がすれ違いにお客に入る)かなりの盛況となるらしい。店の規模からしてもそれほど多くのメニューはなく、あまり高望みをしてはいけないのかもしれないが、この味と価格でこぢんまりとやるのにはちょうどいいのかもしれない。

 別の先客と話しているところを聞いた限りでは、ほぼ毎日手作りしては貯めておく形のようだ(手作りであるがゆえに小さく作れないという事情もあるのかもしれない)。具は肉より野菜が多いようなので、案外女性客にもいいかもしれない。もっとも、食べるのに熱中していたのでどんな中身だったのかじっくり吟味はできなかったが。

 今後も月に1度くらいの割でここの味を楽しみに来るのもいいかも、というのが手放しの賛辞である。でも、ビールがあってもいいかもしれない、とちょっと思ったりもする。また来ますよ、おばちゃん。

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2006.02.12

コカ・コーラVSペプシコーラ

 先日ブログを開設した高橋“ボウケンレッド”光臣さんのブログで話題になっていた「ペプシとコーラならどっち派」で思い出したのが、昔ペプシがうった「ペプシ目隠しチャレンジ」というCM。

 被験者(?)に分からないように置かれたふたつのコーラを飲み比べてもらい、「どちらがおいしいか」訊いたところ45%がペプシを選んだ、というあれだ。当時あのCMを見た連中は、口をそろえて「残りの55%はコカ・コーラを選んだんじゃねえか」とツッコミを入れたものである(シェアを考慮すれば立派な数字ではあるのだが)。被験者が、自分の選んだのがペプシと分かった瞬間に「信じられない」といった感じのコメントをしていたのもずいぶん失笑を買ったものだ。

 ご多分に漏れず、おれも友人連中と実際に飲み比べをやった口である。両方飲んでみるとペプシの方が甘かった記憶がある。「どっちがいい?」と訊かれたら、おれもブランドイメージ抜きでコカ・コーラの方を選ぶ。甘さがくどいのはどうも苦手なので(茨城県人には愛好者が多いと言われるマックスコーヒーも苦手)。

 単に「コーラ」と言えば、今の日本人にとってはコカ・コーラの代名詞なのであろうが、かつては他のメーカーからもコーラが出ていたものである(「カフェイン含有量が従来比2倍のコーラ」とか)。最近はコーラ自体あまり飲まなくなったのでよく知らないのだが、現在コカ・コーラとペプシコーラ以外にコーラを販売している飲料品メーカーはどのくらいあるのだろうか?

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2005.12.31

砕け散るまで戦え!

 おれは基本的に小食な人間である。が、例外的にリミッターが外れてベルトの穴を1個ゆるめるくらい食べてしまうことがある。そんなメニューのひとつは餃子であり、もうひとつは日本そばである。

 そんなおれにとって、大晦日の年越しそばは口から麺が出てしまうほどの勢いで食べてしまう代物である。そんな無茶な食べ方を、おれは「砕け散るまで戦う」と表現する。元ネタは、タイトルに使った2002年公開の「ゴジラ×メカゴジラ」のキャッチコピー。「お互い死力を尽くして戦うぞ」という意気込みが伝わってくるいいコピーだと思う。

 できることなら年越しそばは温かいそばよりもざるそばの類の方が望ましい。まあ温かいそばでも出てくれば食べるのだが、ざるそばの場合は、そばとおれの胃袋との一騎打ちの様相を呈してくるので、より闘志がみなぎってくる(そんなことに闘志なんぞみなぎらすな、と言われてしまえばそこまでだが)。

 一度宇都宮で餃子とも気が済むまで戦ってみたいのだが、むしろ盛岡名物のわんこそばと砕け散るまで戦ってみたい。今年「列島縦断乗りつくしの旅」で挑戦した関口知宏氏は60杯まで食べたが、ご当地の人に言わせると「男なら五十杯は当たり前、百杯食わにゃ惚れやせん」(宮脇俊三「途中下車の味」より)だそうだ。

 関東ではそばの後にはそば湯を飲むのが一般的だが、どうも西の方々にはこの習慣がないらしい。以前大阪より西で生まれたお二方と一緒に神田の有名店でそばをたぐったときに、そば湯を口にしたのはおれだけだった。西の方の人の口には合わないのだろうか?

 いろいろあった2005年ももうすぐ終わる。年越しそばと砕け散るまで戦ったあとには、初詣そっちのけで「第3回新春怪獣映画豪華無節操3本立て」に突入する予定である。

 ……あ、以前当ブログでテレビの大食い番組を頭ごなしに批判したことがあったなあ。飢餓に苦しんでいる地域にお住まいの皆様、本当に申し訳ございません。そばは心して食したいと存じます。

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