2008.08.10

昭和と平成の高校野球事情

 北京オリンピックが開幕して影が薄くなった感があるが、夏の全国高校野球も若干控えめに開催されている。見ていて思うのは、自分が高校生だった1980年代半ばと比べると「高校野球も変わったもんだなあ」ということである。

 おれの高校時代の野球の応援というと、「カットバセー、○○(打者の名前)、××(対戦校の名前)たっおーっせー、おー!」とコールするのが定番だったが、もうずいぶん前に「××倒せ」は御法度になってしまった。教育上好ましくない表現だったのだろうか?

 また、タイムリーヒットが出たときやサヨナラ勝ちしたときなどにおおっぴらに喜びを表現する選手も、昭和の時代にはいなかったはずだ。手元にある、いしひさいちの『嗚呼!栄冠は君には輝かない』には、優勝してキャプテンを胴上げする選手たちを主審が注意するネタの漫画がある(作中に「昭和63年」との記述がある)が、今では優勝して監督やキャプテンを胴上げするのは当然のように行われているし、それを咎める審判もいない。かつて「喜怒哀楽の感情のうち、高校球児が試合中に表現していいのは『哀』だけ」とビートたけし(だったと思う)が皮肉った現実など、憶えている方が少数派ではないのか。

 ……と、当世の高校野球事情は確実に変化しているが、朝日放送系列で放映されている『熱闘甲子園』のお涙頂戴路線は年号が平成に変わって20年が経過しても相変わらずである。そしておれは、そんな『熱闘甲子園』が昔も今も嫌いなのであった。

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2007.10.23

それいけ!ワンマンマン

 以前いしいひさいちがこんなタイトルの本を出そうとしたら、モデルにされた当人から苦情が来て差し止めになったという、読売新聞社主筆。自分のところの野球チームがクライマックスシリーズで屈辱的な3連敗を喫したもんだから、報道陣の前でキレてしまった。nikkansports.comより(強調部分は引用者による。以下同じ)。

 大勢の報道陣が集まったホテルのフロアで、渡辺会長のダミ声が響き渡った。5年ぶりのリーグ制覇を果たしながら、CSで3連敗して日本シリーズ出場権を逃しただけに「制度がよくない。リーグ優勝はなんの意味もない。おれがオーナーの時は絶対に反対した。誰がどうしたか知らねぇが、こんなくだらん制度をつくった」と次から次へと不満をぶちまけていった。

 クライマックスシリーズという制度にはおれも不満がある。そもそも「ない方がいい」と思ってもいる。日本シリーズにはリーグ優勝したチームが進むべきだし、対等でない条件でプレーオフ(言葉を飾ってはいるが、やはりこれはプレーオフであろう)が行われるのもおかしい。パ・リーグのクライマックスシリーズを見ている時点で、「セカンドステージで巨人が負けたら、ナベツネが怒り出して『こんな制度やめちまえ』って言うんだろうな」という話題は家人との間に上っていた。そんな予想から1ミリもずれないこの発言はさすがだ、ワンマンマン。記事を読んでおれと弟は大爆笑した。

 しかし、記者の方は冷静である。「わがままな支配力」を持つ権力者に痛烈な一撃を加えている。

 確かにCS制度の改革の余地はあるが、敗戦が決まった直後での批判は負け惜しみ以外のなにものでもない。ましてや球団トップの人間が、自軍の監督批判は論外。シーズン中間報告やリーグ優勝報告では絶賛していた原監督の采配も、たった3試合のCSでの敗戦で、あっさり手のひらを返して猛批判。白けムードが漂った。大権力者の傍若無人な発言がチームの士気を弱め、巨人人気を低迷させていることに、まだ気がついていないようだ。

 ……この記事をブログのネタにするために考えごとをしていたら、頭の中に「アンパンマンのマーチ」が変な歌詞で流れてきた。

そうだ うれしいんだ
稼ぐ よろこび
どうせ胸の傷はいたまない

なんのために生まれて
なにをして生きるのか
儲けられないなんて
そんなのはいやだ!
カネを稼ぐ ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
あさましく
そうだ うれしいんだ
稼ぐ よろこび
どうせ胸の傷はいたまない
ああ ワンマンマン
いやしい 君は
行け!自分のカネ 稼ぐため

 曲がりなりにもメディアを仕切っている以上は、不特定多数の無名人が発する罵詈雑言を封殺することなどできないことはご承知でしょう? ワンマンマンどの。

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2007.05.11

なにやってんだ高野連

 野球部の特待生問題に関する高野連の対応が連日報じられているが、あまりにも場当たり的、悪く言えば行き当たりばったりな対応は、報道を見ていてイライラしてくる。MACさんの記事に寄せたコメントと重複するが、大学では一芸入試が認められているのに、どうして「野球だけダメ」なのか? 高野連はそんな問いに対して万人が納得できる回答を示せないでいる。読売新聞5月3日の記事より。

 しかし、「なぜ野球だけが駄目なのか」という疑問には、過熱した戦前の学生野球の歴史や「高校野球は教育の一環、フェアプレーの精神で行われている」などと、脇村会長はこれまでと同じ説明を繰り返した。

 他のクラブ活動は「教育の一環」ではないと? 野球以外の体育会系クラブの競技は「フェアプレーの精神で行われて」いないと? 西武球団の裏金問題に端を発した一連の騒動が起きるまで、高野連は越境入学などを事実上黙認してきておきながら、どうして事が大きくなってからしゃしゃり出てきて監督者面するのか。いくら現状に即していないとは言え「ルールはルール」、それを守らない側に対して制裁を加えるのは当然の措置だろう。でも、あんたたちは「そういうことはいけませんよ」と指導なり監督する立場にあるんじゃないのか? 騒動の収拾を現場に押しつけた当の脇村高野連会長はぬけぬけとこうコメントした(読売新聞5月11日の記事より)。

 脇村会長の話「憲章違反の学校が多く、現場が混乱したから、緩和措置を決めた。できるだけ理解をいただきたい」

 自分たちで混乱の種をまいておいて、よくもそんなことが言えるもんだ。あんたたちの後手後手の対応が現場を混乱させた要因のひとつなのに。

 ふと思い立って、日本学生野球憲章を読んでみようとしたら、あまりにも難解な前文が書かれていて頭がくらくらしてきた。

 われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める。

 これが制定されたのと同じ年に公布された日本国憲法の前文と比べてみると、「なんだこりゃ?」である。よほど語彙の豊富な人でなければ文脈を理解することはできないのではあるまいか。こういうものに縛られているせいで、高校野球には一抹の硬さが感じられるようにも思える。……もうちょっと楽しく野球しようよ。

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2007.04.05

バカにバカと言われる人たち

 西武球団の金銭授受問題に関してコメントを求められた「ワンマンマン」ナベツネの回答。nikkansports.comより。

 巨人渡辺恒雄球団会長(80)は4日夜、都内ホテルで会食後、西武の調査委員会が「他球団でも同じようなことをやっているのでは」など同様の金銭授受が他球団にもあることを示唆した中間報告の内容に強い不快感を示した。「西武とは、これから話し合っていかないといけない」とした上で「あの人たち、バカだね。(大切なのは)まず自分の身を正すことであって、モラルの欠如だな。非常識だ。バカバカしい」と怒りをあらわにした。

 言っていることはごもっともである。「お前らもやってるんだろう?」と言う以前に、「自分たちがしてきたことはいけないことだ」と認識しなければいけないのではあるまいか。……とは言うものの、コメントしたのがナベツネであるだけに説得力がまったくない。「あんたが言えた義理か」とツッコミのひとつも入れたくなった人はおれだけではないと思う。自分が過去にしてきたことを棚に上げて、やれモラルだやれ非常識だとコメントするなど笑止である。

 取材を受けたのが夜の会食後というから酒も入っていたかもしれないが、曲がりなりにも会長というポストにある人が、平気で「バカ」と連発するのはいかがなものか。こういう人が会長をやっている巨人っていったいどうなっているんだろう。

 得てして心にやましいところがある人ほど必要以上に饒舌になるものだが。

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2007.01.07

箱根駅伝を走ったお仲間

 年末年始のローテンションのせいで書きそびれていたが、幼少期に水頭症の手術を受けた選手が箱根駅伝に出場していた。その選手は日体大の6区を走った石谷慶一郎くん。

 彼の場合は先天性の水頭症であったらしい。おれも同様の症状で都内の病院に入院したことがあるのだが、いつの間にか脳室の大きさが正常になったらしく(幼少期の水頭症では、頭蓋骨がくっついていないために頭そのものが大きくなるという)、手術は行われないまま退院した。両親はこのときのことが頭から離れなかったらしく、その後もおれが「頭が痛い」などと口にすると「検査してもらった方がいいんじゃない?」と切り返したものである。そうして長いこと大過なく暮らしてきたのだが、昨年になってついに手術を受ける羽目になった(経緯に関しては「水頭症」のカテゴリーにまとめたのでここでは触れない)。ニュースサイトなどで報じられているところによると、石谷くんが受けた手術もおれと同じ「脳室腹腔シャント術」であったようだ。

 たしかに水頭症の症状はこの手術でどうにかなる。しかし体内に異物を埋め込んでいる以上、それがいつトラブルを起こすかは分からない。折悪しく石谷くんの身にそのトラブルが降りかかったのは全国高校駅伝の当日だった。彼の不調のためにチームは棄権を余儀なくされ、石谷くんは「自分のせいで…」と自責の念にさいなまれたという。同様の手術をしている人には誰にも起こりうることなのだが。

 そんな無念を、彼は箱根の山くだりでの力走にぶつけたのだった。これが報じられることで、水頭症という病気の世間への認知度も上がるのではないだろうか。それにしても、自分と同じ病気を持った選手が箱根駅伝で走っているというのは妙な仲間意識を持たせてくれる。

 来年も出場するときはちゃんと見るからな、石谷くん。お互いがんばろうぜ。

2008年1月3日追記:今年も石谷くんは6区を走ったが、14位からひとつ順位を上げたにとどまり、走っている姿もほとんど撮してもらえなかった。日体大も総合順位は12位でシード権を失った。残念。

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2006.08.23

暇人たちのハンカチ探し

 夏の高校野球で優勝投手となった早稲田実業の斎藤投手は、普通ならアンダーシャツの袖で拭う顔の汗を、タオル地のハンカチで丁寧に拭くことで実績以上に話題になった。誰が名付けたのか「ハンカチ王子」などという気色の悪いニックネームまでいつの間にか付いていた。本人はこう呼ばれることをどう思っているのだろう。

 そんな斎藤投手の功績にあやかろうというのか、同じものを持ちたがる人が少なからずいるらしい。nikkansports.comより。

 佑ちゃんの「青いハンカチ」を探せ-。早実斎藤佑樹投手が使ったタオル風ハンカチが話題を集めているが、全国のデパートなどには「どこのブランドか教えて」と問い合わせが相次いでいる。デパート側もメーカーなどに聞いているが、いまだに斎藤のハンカチは特定されていない。テレビ局のワイドショーもチームを結成して探している。デパートでは、似た模様の青いハンカチをまとめ買いする人も現れているとか。

 これが「芸能」扱いの記事というあたりにどうしようもない救いのなさが垣間見える(記事の書き出しが『佑ちゃんの「青いハンカチ」』という段階で正直げんなりだ)。どこのブランドのものか知ってどうしようというのだろう。本人が汗を拭いたものならそれこそいい験担ぎになるだろうが、いくら同じものを手に入れたところで、所詮は何枚生産されているかすら分からないただのハンカチの1枚に過ぎない。わざわざ「チームを結成して探している」というワイドショーのスタッフには「よくやるよ」と言ってやりたい。ワイドショーの作り手ってヒマなんだねえ。

 記事には西武百貨店池袋本店の談話も載っている。

 22日は、開店と同時に青いハンカチをまとめ買いする客や、1人で複数枚買う女性客がいたという。同店では「まだ、あのハンカチのブランドなどは特定できていないのですが、縁起がいい『幸せの青いハンカチ』ということで、同じ青色のハンカチを買う人が増えたようです」と話した。斎藤が使うタオル地のハンカチはもともと、実用性が高いことから今年は売れていたが、ここ数日はさらに売り上げが伸びたという。

 なぁにが「幸せの青いハンカチ」だ、ケッ、と関心のない人間の立場からすると思ってしまう。どうせ年末の今年を回顧する番組で取り上げられて、その後は斎藤投手が再びプロ野球選手としてマスコミに登場したときに「あー、夏の甲子園で優勝したときに買ったんだっけ」という思い出のアイテムになるのが関の山だろう。

 流行り物は必ず廃れるもの。どうせ数年も経てば「幸せの青いハンカチ」とやらでそこいらのホコリを拭くんだろう?

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2006.08.20

引き分け再試合、その裏で…

 今年の全国高校野球決勝、大会3連覇を狙う駒大苫小牧と悲願の初優勝を狙う早稲田実業の対戦は白熱した投手戦となり、7回まではスコアボードにゼロが並び、延長戦でもお互いチャンスをものにできぬまま、大会規定の15回終了を持って引き分け再試合となった。

 3回途中から登板した駒大苫小牧の田中投手も、15回を完投した早稲田実業の斎藤投手も、160球以上の力投を見せた。特に斎藤投手は延長戦に入っても3連投しているとは思えない気迫のピッチング。試合経過を追っているうちに「どっちが勝ってもいいや」という心境になった人もいたのではないだろうか。

 それだけに、再試合が翌日の13時開始という日程はどうにかならなかったのだろうか? FREE TIMEさんが指摘しているが、インターバルを置くなり試合開始時刻を遅らせるなりの処置がなぜ取れないんだ、高野連。今大会では雨による順延もなかったから日程には十分余裕があるはずなのに。「過酷な大会日程が将来有望な芽を摘んでしまう」とは以前から言われているが、田中・斎藤両投手が無茶な日程のせいで潰れてしまわないことを祈る。

 そんな「引き分け再試合」のとばっちりを食らってしまったのが両校応援団のみなさん。asahi.comより。

 試合終了、引き分け再試合。選手たちに、総立ちで拍手を送った応援団だが、「今夜の宿はどうしよう」。翌21日も甲子園で応援するため、ホテルに延泊を頼んだり、帰りの飛行機の切符を変更したりと、大忙しだった。

 こういう報道を目にしてしまうと、安易に「再試合するなら1日開けろ」とは言えなくなってしまう。選手はともかく、応援団の交通費と宿泊代は自腹なのだから。

 明日の甲子園球場方面の天気は今日と同じように晴れとのこと。選手も応援団も「熱闘甲子園」の時間まで起きてないで、たっぷり休養を取って再試合に臨んでほしいと思う。

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2006.07.20

無責任な引責

 所属選手の起こした不始末を受けて、茨城ゴールデンゴールズの萩本欽一監督は「チーム解散」というひとつの決断を下した。しかし本当にそれでいいのだろうか。全国的にはもちろんのこと、地元茨城での影響も計り知れないものがある。今のところ耳に入ってきている声は圧倒的に萩本監督の慰留を求めている。そりゃそうだ。どう考えても一選手の不祥事とチームそのものの存続を秤にかけるというのは間尺が合わない。

 監督も事態の重大さのあまりに「解散」という言葉を使ってしまったのかもしれない。それにしたって、チームの関係者が雁首揃えて路頭に迷うというのはあんまりだ。ゴールデンゴールズの選手たちは野球がやりたくて集まってきたのだ。ある人はかつての野球少年の夢を捨てきれずに、またある人はそれまでの職場を捨ててまで、新しい土地での新生活を選んだのである。そんな人たちに対して「ボクもうイヤになっちゃったから、チームは解散ね」などと言えるのか。もしそうだとしたら、おれはスポーツマンとしての萩本監督を買いかぶっていたことになる。

 19日の記者会見で「今の気持ちは」と訊かれた萩本監督はこう答えている(nikkansports.comより)。

事が大きいのでどう考えていいのか。でもやめる以外考えられない。応援してくれた方には申し訳ないけど、やっぱり相手の方にも失礼だし。それに一番野球に対して失礼しちゃったんだから。

 ……いや、ファンよりもまず自分たちの選手たちのことを考えてくださいよ、監督。当面はきついバッシングも覚悟しなければならないだろうが、チームそのものを解体してしまう以外に監督兼オーナーとして果たすべき役割があると思う。茨城ゴールデンゴールズはあなたの私物でないことをお忘れなく。

7月22日追記:asahi.comの報道によると、萩本監督は解散を撤回する意向らしい。ふぅ。

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2006.06.17

「ゴォ―――――ル」

 サッカーというスポーツは不思議なもので、あまり興味がないおれがぼーっと見ているだけのはずなのに、気が付くと画面に見入っていたりする。興味がない人間でこれだから、興味ありありな人だと、おれの10080倍くらいの集中力で試合を食い入るように見る。のめり込み方が尋常でないから試合後にはサポーター同士で乱闘沙汰なんかになったりする。

 のめり込むのはサポーターに限った話ではない。試合を実況するアナウンサーも相当なハイテンションになっている場合が少なからずある。Jリーグ設立以前の中継では、サッカーの実況に慣れていなかったアナウンサーが「シュート! 右に切れた、ファール!」なんて珍実況をやらかしたこともあると聞く。

 そんなころから今なお続くパターンの「絶叫型実況」の典型として、今回の記事タイトルのように「お前はいつまで叫ぶつもりなのだ」と突っ込みたくなるくらい、無闇に長く「ゴォ―――――ル」と叫ぶアナウンサーがいまだにいる。バリエーションとして、シドニーオリンピックの日本×南アフリカ戦で「ゴール」と29回も連呼してひんしゅくを買った実況アナウンサーもいる。どうにもこのタイプの実況は苦手である。局アナ時代の古舘伊知郎がプロレス中継で確立させたスタイルが「こんなのもありなんだ」と認知されてしまったのではないかと個人的には思う(F1の中継ではずいぶん叩かれたが)。

 ……などと書いている翌日にはサッカーワールドカップで日本×クロアチア戦が行われる。ことスポーツ実況に関してはいい評価を聞かないテレビ朝日が、地上波では中継を担当する。実況を担当するのは、これまたあまり評判のよろしくないアナウンサーのようである。日本が先制点を取ろうものならどれほどぶっ壊れるのやら。

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2006.06.13

勝敗と観戦態度

 世間的にはサッカーのワールドカップが開幕し、さも日本中がサッカー一色のような状態になっている。多分にマスコミが煽っている気もするし、「日本代表を応援しねえやつは日本人じゃねえ」みたいな風潮が少なからずあるような気もする。

 いざ開幕して日本代表の初戦が行われ、その試合が土壇場で逆転負けなんか食らったりすると、こんなことを言い出す人がいたりする――「やはり横になって試合の中継を見てたのがいけなかったんですかねえ」。いや、そんなの関係ないから。実際にスタジアムに足を運んで「応援が足りなかった」と痛感するというのはあるかもしれない。しかし、前出のようなことを口走る人はたかだかテレビあるいはラジオ観戦である(ラジオだったら『観戦』じゃないか)。日本がそうであったように、オーストラリアでも横になってビールかなんかをかっくらいながら試合を見ていた人もいたはずである。

 むしろテレビで観戦している人間が「自分の応援が足りなくてひいきのチームが負けた」などとほざくのは、実際に試合をしている選手に対して失礼なのではあるまいか。試合をしているのは周囲の取り巻きじゃなくて選手なのだから。

 応援と試合の勝敗の相関関係なんぞはこんなものである。

  • 応援したらひいきのチームが勝った。
  • 応援したがひいきのチームが負けた。
  • 応援しなかったがひいきのチームが勝った。
  • 応援しなかったらひいきのチームが負けた。

 引き分けの可能性を除外すれば、これだけのことである。モノポリーでダイスを振るのに思わず念を込めてしまうのと次元は一緒だ。世間がどう騒ごうが、スポーツの国際大会である以上、優勝した国に優勝杯が行くだけの話である。別に国際的な主導権を握られるとか、自国の領土をぶんどられるとかされるわけでもない。もうちょっと肩の力を抜いて楽しく観戦しようよ、スポーツなんだから。

 ……などと無責任なことを言えるのは、単におれがワールドカップに対する興味がないせいであるが。

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