2008.02.04

妙案求む!

 我が家に通っている2匹のちび猫たち(昨年10月17日付の記事を参照)に元気がない。食事も水も取ろうとせず、ただ衰弱していく一方である。ケンカが原因なのか、何らかの病気に罹患したのかは不明であるが、寒い今の時季、このままでは死んでしまうことは確実であろう。

 至近にある動物病院に連絡したら「ネットに入れて連れてきてください」とのこと。2度にわたる捕獲作戦(ゆの単独で1回、2匹まとめてで1回の計2回)が実施されたのであるが、やはり人間が野良猫を捕獲するのは容易ならぬことなのであった。病身だというのに、こちらが捕まえようとすると文字通りの死力を振り絞って逃げ回るのだ。

 かくして人間たちは頭を抱えてしまった。「魚を捕まえるタモ網があれば楽に捕まえられるのではないか?」、「ひだまり荘(猫たちが入っている箱の名前)で寝ているところにフタをして、箱ごと病院に移送してしまえばいいのではないか?」といった案が出はしたものの、決定打には至らず今日は日が暮れた。

 ……というわけで、弱っている野良猫を首尾良く捕まえる妙案を切実に求めます。食事を取ってくれないので「餌に睡眠薬を混ぜる」という手は使えないのでご注意を。

2月9日追記:今朝方、ひだまり荘の中でゆのが冷たくなっているのが発見された。奇しくも弟の月命日であった。助けてやれなくてごめんよ、ゆのっち。

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2007.10.17

我が家の来訪者たち

 我が家には、生まれて間もなくやってきてかれこれ13年になるナコというメス猫がいる。……のだが、それ以外に庭先にやってきては食べ物を無心する猫たちがいる。今回はそんなやつらをご紹介。

グレ
オス猫のグレ(2007年1月2日撮影)。命名はうちの母親による。母が名前を付けると例外なく見たまんまのものになってしまう。体の色がグレーなのでこんな名前になった。写真では分かりにくいかもしれないが、実はかなりでかい。上の写真から10ヶ月経った現在では、顔の横幅が増してさらに貫禄が付いている。

ちび猫たち
左はニャン太、右はゆのっち(2007年10月13日撮影)。命名は弟。通い始めた頃は、例によって母のストレートな命名で「コアカ」に「コミケ」(『小さくて赤い猫』と『小さい三毛猫』の意)という名前で呼ばれていたが、「いつまでも小さいままじゃいないだろ」という主張が通り、この名前で呼ばれるようになった。名前の由来は「ひだまりスケッチ」から(ゆのっちはともかく、ニャン太という名前は1コマしか出てこないのだが…)。ゆのっちは三毛猫なので十中八九メスであろうと思われるが、ニャン太の性別は確認していない。「もしメスだったらどうしよう…」とは命名者の弁。

 我が家に来始めた頃のちびたちは人間どもの一挙手一投足にびくびくしていたが、最近ではだいぶ神経が図太くなってきて、ニャン太などは庭先で昼寝するレベルまで慣れてきている。体をなでさせてくれるところまであと少しか?

 挙動を観察する限りでは、このちび猫たちはどうやら前出のグレの子供であるらしい。ある程度成長したときに親猫に縄張りを追い出されるのか、それとも禅譲されるかは時が来てみないと分からない。誰がいなくなっても、きっと寂しくなるのだろうなあ。

ナコ、13歳の誕生日に
で、こちらが現在の主であるナコ(2007年6月29日撮影)。写真は13歳の誕生日に撮ったもの。すっかりおばあさん猫になったが、やんちゃなところは変わっていない。人間たちは「長生きしてね」と願ってやまない。

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2006.08.24

直木賞作家の「子猫殺し」

 今回は敢えて当事者についての敬称を省かせていただく。

 おれが直木賞作家の坂東眞砂子が日本経済新聞夕刊に書いた「子猫殺し」の件を知ったのは、人気ブログである「きっこのブログ」(8月21日分)であった。同日付の記事に坂東の書いたエッセイの全文が引用掲載されているので、気分が悪くなってもいい覚悟がある人、このごろ血圧が下がり気味なので立腹して血圧を上げたい人などは読んでみるといい。

 坂東自身、そのエッセイで「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるか分かっている」と書き出しているので、遠慮なく糾弾させていただく。あんたみたいな飼い主に飼われている猫たちがかわいそうだ。あんたは自分の都合で生まれてきたいのちを奪っているんだぞ。それを自己正当化するために駄文を連ねるんじゃない。あんたは自分が崖から投げ落とした猫が絶命する瞬間を一度でも見たことがあるのか?

 やはり坂東を糾弾したきっこさんは、8月23日の記事で飼っていた猫を病気で亡くしたときの体験を書いている。おれも昨年の12月に、目の前で猫が息を引き取る瞬間を目の当たりにしたことを書いた

 この世に生を受けた以上は猫だって生きていたいはずである。それでも母胎感染によって、生まれたときから猫エイズなり猫白血病なりのウイルスを背負ってきてしまい、長く生きられないことを運命づけられてしまう不幸な猫もいる。そんな猫を出さないために、雄猫の去勢手術や雌猫の避妊手術は飼い主の義務であるとおれは考える。そしてその生を全うするまで飼うのも飼い主の義務だと思う。しかし坂東の見解はずいぶんと異なり、こう書いて問題のエッセイを結んでいる。

 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

 本当に「殺しの痛み、悲しみも引き受けて」いるというのであれば、かくも厚顔無恥な文章を全国紙に発表できるわけがないと思うが。

 今回の騒ぎを取り上げたZAKZAKに坂東のコメントが載っている。

 坂東さんは日経を通じて「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ」とコメントしている。

 ……あんたの書いたエッセイの方がよっぽど意味不明だ。

 坂東が住んでいるタヒチはフランス領であり、フランスの法律では子犬や子猫を殺す行為は最高2年の拘禁刑になるという。一度刑務所にぶちこんで、死んだ子猫たちに対して詫びさせた方がいいのではなかろうか。

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2006.02.25

ネコ・ねこ・猫

 28日までしもだて美術館で開催されている「岩合光昭写真展 ネコ・ねこ・猫」を、珍しく家族総出で見に行った。事の発端は20日におれが東海駅で目にしたチラシを持ち帰ったことである。このチラシで大きく載っている猫が、我が家の猫によく似ていたのであった。

美術館前の開催告知
しもだて美術館前の開催告知

 我が家に棲息する人間は例外なく猫好きなので、きわめて突発的に筑西市にある美術館へと出かけることと相成った。クルマに揺られること90分強、名前だけはご立派な国道50号線の窮屈さに辟易しつつたどり着いたしもだて美術館は、ガラス張りの、街並みにはいささか不釣り合いな(失敬)モダンな建物の3階にあった。

 会場に入ったおれたち一行は目尻が下がりっぱなしであった。その一方で、昨年12月半ばに他界したトンスケそっくりの猫の写真があまりにも多いので「やっぱりトンスケ柄の猫ってありふれてるんだな」と再確認もしてしまった。

 同じフロアでは一般から募集した「どうぶつ写真コンテスト」も開催されていたのであるが、ノートパソコンのキーボードの上に前足を置いた格好で写っている猫の写真はかなりツボに入った。

 プロとアマチュアの愛らしい猫たちの写真を堪能しつつも、帰宅して我が家で一番大きな顔をしている愛猫ナコを見ると、「やっぱりナコが一番いい」などと言っている(ペットを飼っている人なら、自分のところのが一番かわいいに決まっているのである)のだから、勝手なもんである。

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2005.12.16

トンスケ永眠

 2005年12月16日19時53分、我が家の愛猫であるトンスケが永眠した。我が家で臨終を迎えた3匹目の猫である。前の2匹と大きく違うのは、おれ自身が臨終を看取ったという一点に尽きる。以前記したように、猫白血病と猫免疫不全の両ウイルスに冒された体はやはり長くは持たなかった。

 トンスケはすでに前の晩から歩くことすらままならぬ状態となり、今朝方一緒だったという弟が言うには、その時点でかなり苦しそうな声を出していたという。家族中が「今日あたりだろう」という覚悟を否応なく強いられた。

 今日は通院日だったのだが、主治医のN先生にはそんなトンスケの話しかできなかった。

 病院からの帰りがけに、おれは酒屋に立ち寄って老酒を一瓶買い込んだ。おれなりの覚悟のつもりである。「トンスケが逝ったときにはこれを飲んで弔おう」と。

 そうして覚悟したつもりでも、やはり苦しそうに鳴くトンスケの姿を見るのはつらかった。助けを求めるような、おれたちを呼んでいるような、悲痛な鳴き声だった。消えていこうとしているいのち、そしてそれを目の当たりにしながらもそれを救えない自分。無力感に打ちのめされながら、おれにできることは最期を看取ることだけだった。最後の1時間、トンスケはもう何も見えていないであろう目を開いたまま寝息のような息を立てていたが、幾度かあの悲痛な声を上げると数回激しく震え、そのまま動かなくなった。それが冒頭の時刻である。

 一緒に臨終を看取った弟と共に手を合わせたあと、おれは弟と2人で先の老酒一瓶をあっという間に空にした。

 トンスケ、おまえはわずか2年と少々ではあったけど、紛れもなく家族の一員だったよ。向こうにいるボーズとヌックによろしく。おやすみ。そして、ありがとう。

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2005.12.11

聞きたくなかった…

 以前、猫の日にかこつけて我が家の猫を紹介したが、オス猫のトンスケがここ数日元気がない。日がな一日座り込んで動く気配を見せず、口からは粘っこそうなよだれを垂らしている。「これは変だ」ということで、母が動物病院に連れて行ったのが昨日のことである。その母は帰宅するなり外出してしまったので、そのときに病状を訊くことはできなかった。夜になって再度の帰宅をした母に診断結果を訊いたところ、あまりに酷な答えが返ってきた。

 猫白血病ウイルス猫免疫不全ウイルス、双方とも陽性。

 医師の話によると治らない病気であるらしい。それを聞いたとき、全身から血の気が引いたような気がした。注射と投薬で治るだろうと高をくくっていた自分が腹立たしくなった。

 おれは神なんて信じていないが、我が家で臨終を迎えた2匹の猫たちに、今は祈りたい。「お前たちの弟を、まだそっちに連れて行かないでくれ」と。

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2005.02.22

今日は猫の日

 ……というわけで、今回は我が家にいる人間以外の家族を紹介してみたい。メス猫とオス猫が一匹ずついるのだが、つがいではない。

ナコ

 こちらがメスのナコ。1994年6月29日生まれ。生まれた年の8月に神奈川にいる従姉の家から、はるばる母猫と兄弟のオス猫と一緒にやって来た。母猫にはシャル、弟の猫にはタムという名前を付けていた。お気づきの方もいると思うが、「サムライスピリッツ」という剣術格闘ゲームのキャラクターから名前を拝借した。

 ただ、このとき我が家には既にオス猫が一匹同居していた。しばらくするとタムは家から姿を消した。おそらくはこのオス猫に追い出されてしまったのだろう。

 また、ナコがある程度成長した頃になって、シャルが家から姿を消した。ナコに縄張りを譲ったのだろう、と我が家の家族は推測した。

 そうこうしているうちにナコは10歳の誕生日を我が家で迎えた。もうすっかりおばちゃん猫である。いつの間にかおれと弟は「ナコさま」と敬称付きで呼ぶようになった。10歳の誕生日には弟が奮発してケーキを調達してきて、ロウソクも10本立ててナコの長寿を祝った。野良猫だったことがないせいか、この歳になっても甘えん坊で、冬場になるとおれの布団の上で丸くなって眠る。

トンスケ

 こちらがオス猫のトンスケ。年齢不詳(おそらくは1~2歳くらいと思われる)。ちょうど2年くらい前から我が家の周辺に出没するようになった。以前ははどこかの家で飼われていたと思われる。首にちょっときつめの豹柄の首輪が付いていたのである。現れた当初は、母が家に寄りついてくる鳥にやっていたパンくずを食べていた(弟曰く『イヤシい猫だった』)。

 もともと飼い猫だったためか、人間に対する警戒心はほとんどなく、サッシを開けてやるとほいほい入ってくるようなやつだった。煮干しやらキャットフードやら餌付けするうちに、こいつは次第に我が家の猫と化しつつあった。そして「もうこいつは我が家の猫だ」と認識せざるを得ない事態が起きた。

 我が家の2階には猫専用の出入り口が作ってある。家に誰もいなくなったときには、猫たちはそこから勝手に出入りするのである。2003年11月22日の夜、こいつはそこから入り込んで玄関先に座り込んでいたのである。「ここはお前の家じゃないよ」と外に出しても、また2階の入口から入ってきて玄関先に座り込む。こうしてトンスケは名実共に我が家の猫となってしまったのである。

 トンスケという名前が付くまでは、ちょっとした紆余曲折があった。最初に弟が「とんかつ」と命名した。「ながされて藍蘭島」(作・藤代健)という漫画に出てくるブタの名前である。しかし「猫に『とんかつ』とはあんまりだろう」ということで、いつの間にやらトントンという、パンダのような名前で呼ばれるようになった。「名前をどうするか」で紛糾していた折り、NHKの「首都圏ネットワーク」の中で放送されていた「天気なんでだろう」に登場する「あめスケ」という猫のキャラクターが目に付いた。気象予報士である岩田総司さんがイラスト中に描くこのキャラクターがお気に入りだったおれは、この名前を拝借することにした。かくてこの押しかけ猫はトンスケと呼ばれるようになった(なぜか両親はそろって『トンチ』と呼ぶが)。不思議なことに、家族の中では父に一番なついている。

 我が家が今の家に引っ越してきて丸16年が過ぎたが、どういうわけか家の周りから猫の気配が消えたことはない。たくさんの猫たちが現れては消えていった(我が家で臨終を迎えた猫も2匹いる)。家族全員が猫好きということもあるが、他になにか、猫を引きつけるものがあるのではないかと思われている。

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