2008.11.12

1万2千円のアメ

 さんざんすったもんだした「定額給付金」の概要が「1人あたり1万2千円の給付」で固まった。とは言うものの、これが本当に低迷する日本経済を押し上げる起爆剤になると本気で信じているおめでたい人間がどの程度いるのだろう。

 今回の景気対策とやらも、結局のところ10年前の地域振興券がお色直しして出てきただけではないのだろうか。あのときは公明党のご機嫌取りを兼ねており(どちらが主でどちらが従か怪しいところである)、自民党側からも難色を示す意見が相次いだというが、今回は今回で選挙対策の臭いがぷんぷんする。「もうすぐ増税するから、今のうちに使っといてね」という魂胆なのだろうか。首相は近い将来の消費税率アップを明言してるし。

 どうにも煮え切らない感がぬぐえないのは、「国はカネを用意するだけであとの雑事は自治体まかせ」であるからだ。概要がなかなか固まらなかった要因のひとつである所得による給付制限まで地方に投げてしまっては、誰のための制度なのか分かりゃしない。よく「アメとムチ」という言い回しが使われるが、かくも露骨に「はーいアメですよー」とアメが提示される例もそうないのではあるまいか。

 ふと思い立って手元の辞書を引いてみると、飴には「(比喩的に)喜ばせて人をだますもの」という意味もあるそうだ(旺文社国語辞典による)。的確すぎて言葉もない。

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2008.08.09

一方その頃…

 世間的には北京オリンピックの開幕でちょっとした躁状態にあるようだが、その一方で実弾で勝負を始めた国がある。それはロシアとグルジア。

タス通信などによると、グルジア軍が7日夜から8日にかけて、同国からの分離独立を求める南オセチヤ自治州の州都ツヒンバリに進攻し、同自治州で平和維持活動を行うロシア軍司令部や兵舎などを空爆、戦車による砲撃も行った。

YOMIURI ONLINE

 オリンピックの開幕に際してはテロが懸念されていたけれど、そんなレベルじゃない国家間のケンカが始まろうとしている。やれ空爆だの戦車が砲撃だのとなると穏やかではない。「なにも開会式当日を狙ったみたいにドンパチ始めなくたって…」とも思うのだが、首相という「影の実力者」がモスクワにいないタイミングを見計らったとも解釈できるわけで、ケンカをふっかけた側の思惑は計り知れない。

 正直なところ、おれ個人は北京オリンピック自体に興味はないのだが、母国が殴り合いのケンカを始めてしまったロシアとグルジアの選手団の心中はいかほどのものなのだろう。「平和の祭典オリンピック」なんて言葉が陳腐で無意味なものに聞こえて仕方がない。

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2007.07.17

かな書きの功罪

 台風と地震のダブルパンチの陰に隠れてしまった気もするが、参議院選挙運動の真っ最中である。当然のことながら我が家の近くにもポスターが掲示されている。おれの住んでいる県の選挙区では6人が立候補しているのだが、選管の立てた掲示板を見てみると、全員が名前のどこかをかな書きしている。うち1人は苗字も名前も両方ひらがな表記である。それは漫画家のペンネームか。

 候補者側としては「有権者に親近感を持ってほしい」とか「名前を憶えてもらいたい」みたいなもっともらしい理由があるのだろうが、個人的にはこの傾向は嫌いである。有権者は議員になる人物に「あんたに任せた」と票を投じる。その人物の名前くらい漢字で書けなくてどうするのだ。どうせ多少うろ覚えでも、投票用紙に記入するコーナーに行けば「この人たちが立候補してます。他の名前書いちゃダメですよ」と、目の前に立候補者一覧が貼られているではないか。

 だいたいかな書きは漢字で書いたものと比べると、間が抜けて見える(当ブログのタイトルがいい見本だと思う)から困る。いわゆる平成の大合併でかな書きの地方自治体がどっと増えたが、意味もなくかな表記にしているところは何を考えているのだろう。「難読である」とか「漢字で書くと画数が多く、縮小すると字が潰れてしまう」とかならまだ納得もできる。小学生でも読み書きできる地名をわざわざかな表記する発想をおれは理解できない。Wikipediaを眺めていると、逆に漢字を濫用する例が目について、これはこれで閉口するのだが。

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2007.07.01

政治家に学ぶ「誠意のない謝り方」

 曲がりなりにも防衛省のトップにいる人のする発言じゃないよなあ、と思わされた久間防衛大臣の「原爆投下『しょうがない』」発言。周りからさんざんにつつき回されて謝罪のようなことをしたが、どうにもそのコメントに誠意がこもってないように感じられて仕方ない。asahi.comより。

 久間防衛相は1日、長崎県島原市内で記者会見し、米軍による日本への原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば、大変申し訳なかったという気持ちだ」と陳謝し、発言を事実上撤回した。〔中略〕

 久間氏は会見で「しょうがない」発言について「例えとして原爆の話までしなくてもよかったと思う。原爆(投下)を認めた、『しょうがない』と言った、と受け取られてしまったところに、今思うと私の説明の仕方がまずかったんじゃないかという気がする」と釈明した。

 前段での発言では「という気持ちだ」は不要だし、後段の「まずかったんじゃないかという気がする」は「まずかった」とすべきではないのだろうか? 心の底から謝るのであれば、スパッと言い切らないと相手に誠意は伝わらない。「選挙が近いし、有権者にマイナスイメージを与えるのはまずいよなあ」という計算が動いているのが手に取るように分かるぞ。

 やはりそのへんのせこい魂胆は透けて見えるらしく、大臣のお膝元である長崎原爆被災者協議会の会長の怒りはコメントを受けてもなお収まらない。時事ドットコムより。

 久間章生防衛相が米国の広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言し、1日に陳謝したことについて、長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(76)は「核問題が現内閣で軽々しく扱われている。久間防衛相だけでなく安倍内閣全体の問題だ」と怒りをあらわにした。
 山田事務局長は、久間防衛相の原爆発言をめぐる陳謝について「参院選への関係から謝るそぶりを見せただけでは」と批判した上で、「きちんと撤回すべきだ」と指摘した。

 久間さん、あなたの「謝罪もどき」はみみっちい損得勘定のせいで、伝わるべき相手に伝わっていませんよ。……それにしても、どうして安倍内閣の閣僚連中はこういうやつらばかりなんだ。支持率も下がるわけだよなあ。

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2007.05.14

2千円札はババ抜きのジョーカーと言っても過言ではないのだ!

 今朝の読売新聞1面に載っていて、思わず目を丸くした記事「2千円札、なぜ使われない?…日銀に8割の7億枚眠る」。そういや見ないよねえ、2千円札って。最後に見たのは支払用の袋から牛乳屋のおっちゃんに渡したときで、受け取ったおっちゃんも「珍しいねえ」と驚いていたものだ。

 記事から引用する。

 日本銀行が在庫として保管している2千円札が2006年度末で約7億2405万枚と、00年度の導入以来最高となった。

 これまでに製造された8億8000万枚のうち、06年度末の流通枚数は約1億5595万枚で、残る8割以上が日銀の金庫に眠っている計算だ。

 2千円札は西暦2000年や沖縄サミット開催をきっかけに、00年7月に発行された。当時はハイテク技術を駆使した偽造防止のほか、少額支払いが便利になると期待された。

 日銀がなんだかんだと理屈を付けても、発行当時からして「西暦2000年だから2千円札作っちゃおうぜ」以上の理由で作られたとは思えなかった。例えば紙幣で8千円を支払うときに、感覚的にどれが一番判りやすいか(「1万円札を出して2千円分のおつりをもらう」ってのはナシね)。

  1. 千円札8枚
  2. 2千円札4枚
  3. 5千円札1枚+千円札3枚
  4. 5千円札1枚+2千円札1枚+千円札1枚

 多くの人が3番目のケースを支持するものと思う。2番目は1番目よりはマシであろうが、受け取った側が若干とまどうことが予想される。最悪なのは上で例に挙げなかった「2千円札と千円札をごっちゃにして支払う」ケースだろう。払う側も受け取る側も足し算しなければならないから。さらに、2千円札と千円札は色合いが似ているせいで混同しやすいというのもよろしくない。

 かくして2千円札は「自分の手元に回ってきたら、さっさと他の誰かに押し付けてしまいたい」という、ババ抜きにおけるジョーカーのような存在になってしまった。その押し付け合いの果てに、発行枚数の8割が死蔵される事態になったのである。いっそのこと潔く「2千円札を発行したのは失敗でした」と認めて印刷そのものをストップしてしまった方が賢明ではないのか?

 記事の結びにはこうある。

 日銀は7億枚余りの2千円札を本、支店で保管している。7億2405万枚を積み上げると高さは約72キロ・メートルにも達する。高さ3メートルに積んでまとめても、テニスコート(約261平方メートル)よりひと回り広い空間が必要になる。日銀は「保管場所に困っているわけではないが、なぜこれほどまで使われないのか、正直なところわからない」と途方に暮れている。

 これを読んで「その1割でもオレに分けてくれれば、ぜーんぶ流通させてやるぜ」と、文字通り現金な発想をした輩も少なくないと思う。おれもそんな輩の1人だったから。

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2006.09.26

組閣の速報って重要か?

 今日は脳外科の通院日ということで、母親が運転する車で病院へ向かった。車のラジオからはNHK第1の午後のワイド番組が流れている。走り始めた頃はリスナーからの電話での相談に専門家が答えるコーナーの真っ最中。今日は肝臓に関する相談を受け付けていた。

 で、あるリスナーが電話で自分の症状を話していると、司会のアナウンサーが「申し訳ありませんが、報道センターからニュースをお伝えします」と進行をぶった切った。大きな事件でも起きたのかと思ったが、安倍内閣の閣僚のポストがひとつ決まったことを伝えただけで、マイクはすぐにスタジオに戻った。その後も閣僚が決まるたびに、いちいち番組の流れに割り込んでそのニュースが伝えられた。

 組閣の情報というやつは、病気かもしれない症状に悩む人をほったらかしにしてまで伝えなければならないほどに速報性を求められるものなのだろうか? どうせ閣僚名簿の空欄が埋まれば、速報で伝えるまでもなく新しい官房長官が記者会見を開いて閣僚の顔ぶれを発表するし、当の閣僚自身もマイクの前に立つ。何を慌てて速報を入れる必要があるのだろう。

 実際のところ、日本国民のどの程度が閣僚の人事に関心を持っているのか、それ自体が疑問である。ラジオを聞いていて「そんなもん後にしろ」と思ったのは、電話で相談していた当事者とおれ以外にもいたのではあるまいか。

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2006.09.15

教育改革の悪夢

 次期首相の最有力候補である安倍晋三官房長官の「教育改革」とやらに、琉球大学で教鞭を執っている前野昌弘さんがご立腹である(ご本人は「笑え」と記しているが、内心では相当アタマに来ているとお見受けする)。

 産経Web【教育を考える】で、側近という名の手下連中が安倍官房長官の妄言を披露しているのだが、これがまさに「木を見て森を見ず」を地でいくような内容なのである。往々にして頭でっかちの議員どもに案を出させると、問題の最前線にいる人たちからすると「寝言を抜かすのは寝てからにしろ」というものが出来上がってくるものだが、ここに挙がっている「教育改革」とやらの内容は、寝言を大書して落款まで押したような代物である。

 おれが怒るべき点は前野さんが先に怒っているので、それはその道のプロに任せるとして、どうにも首をかしげたくなるのが、これ。

例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。

 この人たちは辞書を引いたことがあるのだろうか? おれの手元にある国語辞典で「ボランティア」を引くと、こう出ている。

ボランティア <volunteer 志願者> 公共福祉事業に自分から進んで技能や労力を無償で提供する人。

 ……強制してやらされる作業を「ボランティア」とは言わねえだろ。

 こんな義務教育をちゃんと受けてきたかどうか怪しいやつが次の首相になるのかと思うと、現場の教育関係者諸氏は暗澹たる気持ちになるに違いない。現場(前野さん)の本音は大きく強調された一文と、文末に小さく書かれた一文に集約されている。ウクレレを手にした牧伸二が歌い出しそうである。

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2005.11.12

現代アメリカを嗤う本

 個人的に心の師と仰いでいるいしいひさいちの「大統領の陰謀」に、こんな4コマ漫画がある。第41代アメリカ大統領のブッシュ(現大統領の親父)がこれから第42代大統領となるクリントンに話をしている、というシチュエーションである。

ブッシュ「ビル、大統領の職を譲るに当たって言っておきたいことがある」
クリントン「なんでしょう」

ブッシュ「困ったな、と思ったらどんなときでも」

ブッシュ「とにかく困ったな、と思ったらいつでもいいから」
クリントン「わかりました。テキサスまで相談に行きますよ」

ブッシュ「とりあえずイラクを空爆するんだ」
ずっこけるクリントン。

 細部の記憶は曖昧だが、おおむねこんな感じである。おれがこのネタを読んだのはイラク戦争後だっただけに「おいおい、シャレになってねえよ」と思ったものである。

 かつてのアメリカは日本人にとってあこがれの対象だった。「ニューヨークへ行きたいか~!」という問いかけに、東京ドームに集まった5万人以上の人々が「おー!」と応える場面もあった。今でも一部のスポーツ選手にとって、アメリカはあこがれの対象たり得る国であるだろう。

 だが、2001年の同時多発テロ以降、2003年のイラク戦争以降、その印象は大きく揺らいではいないだろうか。「世界の警察」を自任してきた姿勢はむしろ傲然で独善的に映ってはいないだろうか。そんな現代アメリカをジョークで嗤う本が「世界反米ジョーク集」(早坂隆・著)である。出版されたのはだいぶ前であるが、最近になってようやく読むことができた。ジョークそのものは「あはは」と笑えるが、それを裏打ちする現実に関する記述についてはさすがに笑えない。だからこそ「それなら笑いのネタにしてしまえ」というスタンスがあるのだろうが。この本に紹介されているジョークをいくつか挙げてみる。

問い:ブッシュとチェイニーとラムズフェルドの三人が、砂漠で首まで埋められて顔だけなんとか出していた。これはいったい何を意味する?
答え:砂が足りなかった。 (P.102より)

 二〇〇X年、ブッシュ大統領は結局、戦争犯罪人として国際法廷で死刑を宣告された。ブッシュは怒りで顔を紅潮させながら、叫ぶようにして言った。
「確かにイラクではうまくいかなかったかもしれない。しかし、たった一つの国に対して間違いを犯しただけで、死刑だなんてあまりにひどすぎる!」
 すると裁判官は顔色一つ変えずにこう言った。
「あなたを死刑にするのはイラクが原因ではない。これから幾つものイラクのような国ができるのを予防するためです。あなたは差し迫った脅威ですからね、つまり予防的先制攻撃ですよ」 (P.22より)

「未来の時制における国家的危機が、至近かつ特定の方向からのものであって、しかもその存在が明白であるとき、先制的自衛権を確立してそれを排除することは、為政者の重大な責任であり、市民の神聖な義務である。より安全で、しかも行動の自由が確保された未来、それこそが子孫につたえるべき最高の遺産ではないか」(「七都市物語」(P.86より)。もちろんこの発言はフィクションであり、ブッシュのものではないが、そう言われても違和感がないところが怖い。

 アメリカの五人の歴代大統領、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュが一緒に飛行機に乗っていた。初めにワシントンが言った。
「私は誰か一人に幸福を与えよう」
 彼は一枚の一ドル札を出して飛行機から放り投げた。
 続いてリンカーンが言った。
「では私は五人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五枚出して飛行機から放り投げた。
 次にジェファーソンが言った。
「では私は五〇〇人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五〇〇枚出して飛行機から放り投げた。
 その後、クリントンが言った。
「では私は世界中の人々に幸福を与えよう」
 彼はブッシュを飛行機から放り投げた。 (P.24より)

 こんな国に盲従していていいのか、ニッポン? と本気で言いたくなる現実がこの本には次々と出てくる。「アメリカは同盟国である」というのであれば、相手が間違った方向に進もうとしているのを止めてやるのが対等の友人関係というやつではなかろうか。少なくとも現在の日本はアメリカと対等とは言い難い。むしろ属国である。おれは創刊当初から小泉内閣メールマガジンを読んでいたが、アメリカのイラク攻撃支持を表明したその日に速攻で購読を解除したのをふと思い出した。

 まあこうした一連のジョークを許容するあたりもアメリカらしいと言えるのだろうけど。

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2005.09.29

約217000件

 タイトルにある数字は、このトピックを書くに当たってGoogleで「杉村太蔵」をキーワードにして検索したときに出てきたものである。ちょうど1週間前に杉村氏について触れたトピックを書いたときには「約25700件」だったことを考えると、良くも悪くも、いかに世間が杉村氏に関心を抱いているかうかがい知れる(約217000件の中には1週間前に書いたトピックも含まれているはずので人のことはとやかく言えないのであるが)。

 このブログに「杉村蔵」のキーワードでたどり着く人が散見されるのだが、正しくは先に挙げたとおり「杉村蔵」である。こき下ろすにしても擁護するにしても、人の名前は間違えないように気をつけよう。試しにGoogleで「杉村大蔵」をキーワードにして検索してみると、約11900件がヒットした。いずれはこのトピックもその中に含まれるのだろうな、やれやれ。

 閑話休題。その杉村氏が27日に一連のバカ発言(新聞などは気を遣ってか「奔放発言」と表記している)について謝罪会見を開いた。曰く「国会議員としての自覚が足りないまま、幼稚で無責任な発言を繰り返してしまいました。反省しています」(asahi.com)。……「幼稚で無責任な発言を繰り返」すのは、国会議員として以前に一社会人としてどうかと思うんだが。小泉首相はこの会見を受けて「若いんだから、ある程度、規格外れの意見を発言をするのもいいんですよ」などとコメントしているが、杉村氏の場合は許容できる「規格外れ」の程度を著しく逸脱していたと思うのはおれだけではないと思う。

 週刊誌の取り上げ方はさらに辛辣であった。今日発売の週刊新潮でも先述の会見について触れ、「本を読んだりして当選後の自分の言動について考えた」との発言に対して「本は何冊くらい読んだんですか?」と質問したところ、「1冊です」と答えたそうだ(このあたりのやりとりについては新聞各紙は報じていない)。やはり自覚がたらんのではなかろうか。もしその1冊がマンガだったりしたら、日本中の有権者が怒り出すこと必至である。

 杉村氏のブログも、当選後のお礼が書かれた後は更新がない。更新する気がないのなら、そんなブログはとっとと閉めてしまいなさい、カネのムダだから。「元ヒラリーマン・26歳」の視点で書かれた国会議員の日常というのは結構面白い素材になるのではないかと思うのだが、もったいない。

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2005.09.22

約25700件

 タイトルにある数字は、このトピックを書くに当たってGoogleで「杉村太蔵」をキーワードにして検索したときに出てきたものである。「頭の中には脳の代わりに豆腐が入っているのではないか」と思ってしまうようなバカ丸出しの言動をマスコミが取り上げないわけはなく、全国の真っ当な有権者たちは怒ったり呆れたりしている。少数ながら期待している人たちもいるようではあるが。

 杉村氏自身がブログを持っているので、そこが検索結果の筆頭に表示されたのは言うまでもないが、当選後の本人のブログにはこう書いてあった。

 私、杉村太蔵は、衆議院議員選挙比例区南関東ブロックで当選を果たしました。これもひとえに、皆様からのご声援の賜物と考えております。

 まあ当選した政治家にしてみれば定型文のようなものである。しかし杉村氏は比例区のみの立候補だった。該当するブロックに住んでいる有権者たちが上記の文章を読んだらこう言うだろう、「お前に入れたんじゃねえよ」と。

 今更結果を云々しても詮なきことだが、杉村氏が当選できたのは(あるいは「当選してしまったのは」)、小選挙区と比例区に重複立候補していた候補者たちが小選挙区で26人も当選して当選順位が繰り上がったからに過ぎない。でなければ名簿の35位に名前が記載されていた杉村氏が当選できるわけがない。まさに「棚からぼた餅」である(ちなみにGoogleで「杉村太蔵 棚ボタ」のキーワードで検索してみたら約98件が、「杉村太蔵 棚ぼた」では約44件がヒットした)。

 今朝の日刊スポーツ社会面では、そんな杉村氏のおバカ語録が初登院の記事の周りを囲んでいた。

  • 棚からぼたもちということわざはボクのためにあるのか
  • ヒラリーマンだったじゃないですか。どんなものかと思います、料亭というものが。早く行ってみたい
  • (武部幹事長から)うそはつくな、悪いことはするな、ナンパはするな、女には気をつけろ、と注意を受けました
  • (佐藤)ゆかりタンとボクでは同じ外資系でも天と地の差
  • 新幹線も飛行機もグリーンですよ、グリーン
  • 当選して最初に議員報酬を調べました。年収2500万です

 さらに記事のリードには「お父さん、お母さんに『お前らしくやれ』と言われた。感じたことはどんどん言いたい」とのコメントが載っていた。この人は国政についてどうこう言う前に、一般常識を身につけるべきであろう。飛行機に「グリーン席」なんて物はないし、年上の女性を「ゆかりタン」と呼ぶのはあまりにも品格がなさすぎるし、公の場で自分の両親を「お父さんお母さん」呼ばわりするのは小学生くらいでやめておいた方がいい。親は自分たちの子供にどんな教育をしてきたのだろう。

 一連のバカ発言が腹に据えかねたのか、自民党本部に抗議のメールを送った人もいる。リンク先にはメールの全文が掲載されているが、その文章には大いに共感させられた。おれは自民党を支持しないが、できることなら杉村氏の代わりに国会に送り出したいくらいである。

 いずれにせよ、次回の総選挙が終わったときに杉村氏が座る椅子は衆議院にはないだろう。それ以前に自民党が候補として擁立するかどうかすら怪しいものだが。

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