個人的に心の師と仰いでいるいしいひさいちの「大統領の陰謀」に、こんな4コマ漫画がある。第41代アメリカ大統領のブッシュ(現大統領の親父)がこれから第42代大統領となるクリントンに話をしている、というシチュエーションである。
ブッシュ「ビル、大統領の職を譲るに当たって言っておきたいことがある」
クリントン「なんでしょう」
ブッシュ「困ったな、と思ったらどんなときでも」
ブッシュ「とにかく困ったな、と思ったらいつでもいいから」
クリントン「わかりました。テキサスまで相談に行きますよ」
ブッシュ「とりあえずイラクを空爆するんだ」
ずっこけるクリントン。
細部の記憶は曖昧だが、おおむねこんな感じである。おれがこのネタを読んだのはイラク戦争後だっただけに「おいおい、シャレになってねえよ」と思ったものである。
かつてのアメリカは日本人にとってあこがれの対象だった。「ニューヨークへ行きたいか~!」という問いかけに、東京ドームに集まった5万人以上の人々が「おー!」と応える場面もあった。今でも一部のスポーツ選手にとって、アメリカはあこがれの対象たり得る国であるだろう。
だが、2001年の同時多発テロ以降、2003年のイラク戦争以降、その印象は大きく揺らいではいないだろうか。「世界の警察」を自任してきた姿勢はむしろ傲然で独善的に映ってはいないだろうか。そんな現代アメリカをジョークで嗤う本が「世界反米ジョーク集」(早坂隆・著)である。出版されたのはだいぶ前であるが、最近になってようやく読むことができた。ジョークそのものは「あはは」と笑えるが、それを裏打ちする現実に関する記述についてはさすがに笑えない。だからこそ「それなら笑いのネタにしてしまえ」というスタンスがあるのだろうが。この本に紹介されているジョークをいくつか挙げてみる。
問い:ブッシュとチェイニーとラムズフェルドの三人が、砂漠で首まで埋められて顔だけなんとか出していた。これはいったい何を意味する?
答え:砂が足りなかった。 (P.102より)
二〇〇X年、ブッシュ大統領は結局、戦争犯罪人として国際法廷で死刑を宣告された。ブッシュは怒りで顔を紅潮させながら、叫ぶようにして言った。
「確かにイラクではうまくいかなかったかもしれない。しかし、たった一つの国に対して間違いを犯しただけで、死刑だなんてあまりにひどすぎる!」
すると裁判官は顔色一つ変えずにこう言った。
「あなたを死刑にするのはイラクが原因ではない。これから幾つものイラクのような国ができるのを予防するためです。あなたは差し迫った脅威ですからね、つまり予防的先制攻撃ですよ」 (P.22より)
「未来の時制における国家的危機が、至近かつ特定の方向からのものであって、しかもその存在が明白であるとき、先制的自衛権を確立してそれを排除することは、為政者の重大な責任であり、市民の神聖な義務である。より安全で、しかも行動の自由が確保された未来、それこそが子孫につたえるべき最高の遺産ではないか」(「七都市物語」(P.86より)。もちろんこの発言はフィクションであり、ブッシュのものではないが、そう言われても違和感がないところが怖い。
アメリカの五人の歴代大統領、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュが一緒に飛行機に乗っていた。初めにワシントンが言った。
「私は誰か一人に幸福を与えよう」
彼は一枚の一ドル札を出して飛行機から放り投げた。
続いてリンカーンが言った。
「では私は五人に幸福を与えよう」
彼は一ドル札を五枚出して飛行機から放り投げた。
次にジェファーソンが言った。
「では私は五〇〇人に幸福を与えよう」
彼は一ドル札を五〇〇枚出して飛行機から放り投げた。
その後、クリントンが言った。
「では私は世界中の人々に幸福を与えよう」
彼はブッシュを飛行機から放り投げた。 (P.24より)
こんな国に盲従していていいのか、ニッポン? と本気で言いたくなる現実がこの本には次々と出てくる。「アメリカは同盟国である」というのであれば、相手が間違った方向に進もうとしているのを止めてやるのが対等の友人関係というやつではなかろうか。少なくとも現在の日本はアメリカと対等とは言い難い。むしろ属国である。おれは創刊当初から小泉内閣メールマガジンを読んでいたが、アメリカのイラク攻撃支持を表明したその日に速攻で購読を解除したのをふと思い出した。
まあこうした一連のジョークを許容するあたりもアメリカらしいと言えるのだろうけど。
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