『パソコンは日本語をどう変えたか』

 今朝の読売新聞に書評が載っていた本。個人的にはちょっと前に読んだものだが、いい機会なので読書録代わりにここに書いておく。

 こんなタイトルが付いているが、全体の8割くらいは『プロジェクトX』ばりに「コンピュータ上で日本語を表示させるために、技術者たちがどれほど苦労してきたか」というエピソードがつづく。バックに中島みゆきの「地上の星」と田口トモロヲのナレーションが欲しくなるが、このくだりは実に興味深くもあり、ちょっと懐かしく、読み応え十分である。コンピュータで日本語処理が実現する以前には「コンピュータで使えないくらいなら漢字なんか廃止してしまえ」などという乱暴な意見が大まじめに論じられていたというのはなんともおっかない。

 本書の終わりの方では、パソコンと携帯電話が普及した昨今では日本人の漢字の知識はどうなっているのか、触れられている。やっぱりなあ、とは思ったが、「読めるけど書けない」という傾向が見られるのは情けない限りである。

 パソコンの普及に伴って、P.244ではこんな指摘も挙がっている。

  • 難しい漢字も読めるが「手で」書けない
  • やたらと難しい漢字を使いがち

 前者については身に染みて痛感する。誰でも書けそうな字なのにど忘れしてしまい、「この字どう書いたっけ?」と慌てた経験は幾度となくある。おれもいちおう漢検の準2級を持ってはいるのだが、それでもこのざまである。くわばらくわばら。

 一方後者については、他人の文章を眺めていて実感する。「いわゆる」という言葉を漢字にする人をよく見かけるが、こうした人の9割以上は自分で「所謂」とは書かないはずだ。そりゃあもう、賭けてもいいくらい。

 先人たちの偉業に敬意を払うと同時に、手書きの重要性を再認識させられた1冊であった。

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ふかしすぎの『タイタニア』

 第1巻の発売がかれこれ20年も前、その1年後に第2巻、そのまた2年後に第3巻が発売になったものの、いっこうに続編が書かれることないまま版元が移り、それでも続編が書かれることなく4年が経過したところでなぜかアニメ化が決定した田中芳樹の『タイタニア』。アニメの放映に併せて、今度は講談社に版元が移って文庫化された。

 それにしても、なんでこの時期になってのアニメ化なのだろう? 小説の方は、どうしても比較対象にされるであろう『銀河英雄伝説』より小物の印象はぬぐえないし、なによりも半端な状態で20年近くほったらかしにされてる(口の悪いファンは「実は『タイタニア』は全3巻で完結なのだ」とも言ったものだ)し、アニメにしたところでニーズがあるとは考えにくいのだが。

 ああそれなのにそれなのに。文庫版の帯にはそんな境遇の作品とは思えないような大げさなコピーが付けられていた。

 日本最高の 叙事詩 ついに 発動!!

 ……だって。いやはや、ずいぶんとふかしたものである。このコピーから、原作者に20年近く目をかけられていない作品のアニメ化とは想像もできない。正直なところ、アニメ化の報を聞いたときにまず思ったことは「やっぱりネタづまりなんだなあ、日本のアニメ業界は」であった。ひとまずは期待しないで見てみるつもりである。

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ライトノベルが想定する読者層とは?

 このタイトルに関して、出版各社は読者の漢字読解能力(ボキャブラリーと言い換えてもいい)をどの程度と見積もっているのだろうか?

 先日買ってきたものはシリーズ物の1冊でアニメ化もされている作品(そんなものはライトノベル業界には別段珍しくもないない)であるが、「こんな言葉にまでルビが必要か?」というくらいふりがなが振ってある。初出の固有名詞やら当て字と思われるフレーズであれば納得もできるが、「警察」だの「消防署」だのといった、義務教育の教科書にもごく普通に出てくるであろう言葉にまでふりがなが振られている文面というのはあまり見てくれのいいものとは言えない。

 また、シリーズを通して読んでいると1箇所ないし2箇所は校正の修正漏れが目に付いたりする。見つけたときは「おれがこんな言い回しを知らないだけなのかも…」と一歩下がった見方をするのだが、辞書を引いてみると単に校正作業で漏れただけであることがはっきりするのである。そうと分かると、作者と担当編集者にバカにされているような、なんとも言えぬ妙な気分になってくるのであった。しかも、そんなチョンボが初版から16版までの4年強にわたってほったらかしになっている状況もコワいと言えばコワい。

 ふりがなのある箇所を多くして読者の敷居を下げるのもひとつの販売方法なのかもしれない。ならばなおのこと、そこに書かれている日本語は正確を期するべきではないのか? いかにライトノベルといえどもそれは小説であって、間違い探しのクイズ本ではないのだから。

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鉄の地巡礼・Scene4「大宮発祥の地と世田谷文学館」

埼玉新都市交通の車両(鉄道博物館駅にて)  明けて7月17日、朝食後にはやばやとチェックアウトして大宮駅へ引き返す。来るときは徒歩であったが、復路には埼玉新都市交通を利用した。スタイルといいカラーリングといい、どことなくおもちゃのような列車に揺られること3分で、もう大宮である。

 大宮を訪れた以上は、駅から徒歩20分のところにある地名発祥の地を訪れておきたい。というわけで、武蔵一宮氷川神社へ向かう。地名が意味する「大いなる宮居」が指す神社はここである。平日の午前中であるから人通りもまばらな参道を抜けて、さらにまばらな境内へ。ひとけのない拝殿で控えめに柏手を打って、とりあえずの目標は達成。駅へ引き返す。

参道に設置された石碑 二の鳥居 屋根を修繕中の楼門 拝殿

 大宮からは埼京線で一気に新宿まで出る。埼京線には幾度か乗る機会があったが、大宮から赤羽・池袋を経由して新宿に至るルートは初めての乗車。これでようやく路線本来の区間(池袋-赤羽間)にも乗ることができた。

京王線新宿駅ホームにて  新宿からは京王線に乗車。これも今まで乗る機会のなかった路線である。頭端式の地下ホームにはターミナル駅の風格がどことなく漂う。普通列車に揺られること20分弱で芦花公園駅に到着。

 駅から出ると、そこかしこに世田谷文学館のポスターが見られる。前日に攣った脚に幾ばくかの不安を感じながら歩くこと5分ほどで、目的の世田谷文学館に到着。会場内での写真撮影は御法度なので、チケット購入前にカメラを鞄に押し込んだ。

芦花公園駅前にて 世田谷文学館入口

「展覧会きっぷ」  いきなり入館チケットで面食らう。さながら駅のマルス端末で発券したかのようなデザイン。高さもほぼ同じという徹底ぶりには恐れ入る。入館券でなく「展覧会きっぷ」としてあるのもいい。パンフレットの内側には国鉄の乗りつぶしに使用した白地図の縮小コピーが使用されていて、これまたファンを唸らせる。

 展示は『阿房列車』に始まる鉄道紀行文学の歴史から、「中公に宮脇あり」と謳われた編集者時代、『時刻表2万キロ』以降の作家としての顔、また、二児の父としての顔なども紹介する展示がこれでもかと並べられている。『最長片道切符の旅』で切符購入に使用した手書きのメモまで展示されていたのには「こんなものも保存されていたのか!」と感心せずにはいられない。

 展示を見ているうちに時間の経過を忘れた。それでも会期中にもう一度出向いて、目に焼き付けたい気持ちになった。

この項終わり

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「最長片道切符の旅」取材ノート

 鉄道紀行文学の大家である故・宮脇俊三が30年前にデビュー第2作『最長片道切符の旅』を書くに当たって書き留めた、いわば「ネタ帳」をおおっぴらにした本である。故人の意図しないところでこうした出版物を出してしまっていいものかは賛否が分かれるところであろう。

 それでもその「ネタ帳」の時点で、文体がしっかりと「宮脇俊三の文章」になっているのはさすがとしか言いようがない。このメモを元に、実際に出版された形になるまで肉を付け、あるいは削っていったと考えるとき、その労苦は並大抵のものではなかったであろうことは容易に察しが付く。

 この本を、出版と同時に単行本として復刊された『最長片道切符の旅』の副読本と位置づける読者は多いだろう。こう書いているおれ自身もそうであるから。ただ、帯に付された「甦る伝説の旅の臨場感!」というコピーはなんとかならなかったのだろうか。「するとなんですか、『最長片道切符の旅』自体には臨場感が欠けているとでも?」などといういちゃもんのひとつも付けたくなる。

 もっと許せないのは、明治学院大学教授の原武史(敬称略)の付けた脚注である。「ここは分かりにくいだろうな」という箇所に解説を加えるだけならともかく、脚注にかこつけて一人称でものを語っている箇所があちこちにあり、読んでいてイライラさせられた。

一九八七年八月に私が訪れたとき、すでに北見トンネルはあった。北見の市街地を抜けるためにつくられたようだ。東京や大阪ならともかく、北海道で山もないのにトンネルがあるのを皮肉ってこう書いたに違いない。(P.27)

「あなたには聞いていません」(声:コウ・ウラキ)

おそらく、別保-上尾幌間を指すのだろう。小さな峠を越えるのだが、私が乗ったときも見事なエゾマツやトドマツの大木を車窓から何本も発見できた。(P.30)

「あなたには聞いていません」

いまなら海外旅行に行くような女性2人づれが、このころは北海道をよく旅行していた。私が慶応高校に通っていたとき、先輩から女性をナンパしたいなら北海道のユースホステルで2人づれをねらえ、学校名を明かせば必ず引っ掛かると言われたのを思い出す(実践はしなかったが)。(P.35)

「あなたには聞いていません」

 ……この調子で頼んでもいない自己主張を展開するのだから始末に負えない。どこの世界に名札をつけて舞台に上がる黒子がいるというのか(「欽どこ」か!)。こんな黒子が暴走する前に舞台袖で押さえつけとけよ、編集者。ただでさえ脚注が多すぎる本は読みづらくなる。その脚注で解説者が自分の昔話などを始めるのだからたまったものではない。文庫化するときにはこうした箇所を一切合切削ることを強く要望する。

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知られざる日本の恐竜文化

 正直、この本が想定している読者層が分からない。濃いめの恐竜ファンなのか、そうでないのか。少なくとも前者ではあるまい。冒頭に断り書きがある。

 本書がおもにとりあげるのは、日本および海外の(オタク的)恐竜文化と、そこに携わる人々の行動や心情にかかわる話題である。サブカルチャーとしての恐竜を扱った本は、これまでに類例がまったくないとは言わないが、きわめて珍しいだろうと思う。 (P.10)

 …そりゃそうでしょうよ。「知られざる日本の恐竜文化」(著:金子隆一、祥伝社新書)の大部分は、そんな金子氏の業界(?)批判ともグチとも取れる文章で埋まっている。しかしながら、恐竜オタクの金子氏の記述には特撮オタクの端くれとして首をひねりたくなるものもある。

―ゴジラ・マニアは各作品を独特の符丁で呼ぶ。〔中略〕アニメ「とっとこハム太郎」と併映された前作(引用者註:2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のこと)は「ハムゴジ」という具合― (P.82)

 『大怪獣総攻撃』のゴジラを「ハムゴジ」と呼ぶ人を、おれは見たことも聞いたこともない。さらに付け加えると、ファンが「独特の符丁で呼ぶ」のは作品ではなく、ゴジラの着ぐるみそのもののことである。他にも「2006年までシリーズは継続」というとんちんかんな記述も見られる(現時点での最終作『ゴジラ FINAL WARS』は2004年公開)。やっぱり平成ゴジラは真面目に見ていなかったんだろうな。本文中の別の箇所でオタキングの著書の誤りを指摘している一方で、これはあんまりではないのか。

 また、著者の「オレはこんなに物を知ってるのに、他のやつらはあまりにも物を知らん」という思考パターンが随所に散見されており、思わず鼻白んでしまう箇所が少なくない。『宇宙空母ブルーノア』(具体的に作品名は挙げられていないが「戦艦ではなく空母が宇宙を飛ぶ」のくだりを読めばおのずと明らか)の設定に関わった際に、他のスタッフが科学的常識を持っていなかったことを嘆きながらも、ある人物だけが理解を示してくれたことを記した文章をこう結んでいる。

 そうか、やっぱりあの人もこちらでは居心地が悪かったんだろうなあ。「オフィス・アカデミー」の総帥、西崎御大もあの人とは反りが合わなかったらしく、他の人はちゃんと名字を読んでいたのに、あの人だけは名前を呼びすてだった。「おいヤスヒコ、おいヤスヒコ」と……。 (P.111)

 著者はうまくオトしたつもりなんだろうが、安彦良和が第1作から『新たなる旅立ち』までヤマトに関わっていたことを知っている人間はただしらけるだけである。「反りが合わない」人間をそんな長期にわたってスタッフとして起用するものだろうか?

 著作自体の内容がグチっぽいので思わずこちらの感想もグチっぽくなってしまったが、見るべき点がないわけではない。恐竜絶滅の仮説として広く人口に膾炙している天体衝突説が、地球科学の研究者の間で半ば否定されているというのは寡聞にして知らなかった。

 いかなるジャンルであれ、最新情報に対するアンテナを動かしていないと、いい意味でのオタクでありつづけることはできない。そして、そうでない人たちの懐を当て込んだ安易な恐竜ビジネスは、その濃度をどんどん薄めながら今後も日本を舞台に展開されていくのだろう。

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そこが知りたい「脳の病気」

 このブログでも何度か触れたが、昨年生まれて初めて体にメスが入った。しかも頭。入院自体が物心ついて初めてのことだったので、脳外科という診療科目の内容に興味を持つことになった。そんなわけで手に取ってみたのが医学博士の天野惠市氏が書いた『そこが知りたい「脳の病気」』である。

 おおよそひとつの症状についてひとつの章が割かれており、中には「それも『脳の病気』の範疇なの?」というものもあるが(頭部外傷や首・背中・腰のけがなど)、テレビへの出演もあるという筆者らしく、かみ砕いた表現で書かれている。ただ、読点を多用しがちなのはかえって読みづらくしているような気もする。それから、病名やら部位の英文表記を逐一付記する必要はあったのか? んなもんよりも図版のひとつも入れてほしかった。専門家でもない人が「第3-第4腰椎間」なんて言われたときに具体的な場所をピンポイントで理解できるとは思えないぞ。

 入手して真っ先に開いてみたのはやはり「水頭症のはなし」である。自分と関係の深い話題に最初に食いついてしまうのは、これ人情だと思う。天野氏の記述によると、おれが施術された脳室腹腔シャント術という手術はこういうものである。

頭の中で吸収しきれなくなった髄液を、細くてやわらかいチューブを皮下に通して、おなかの中に導き、腹腔内で腹膜から吸収させる。腹膜が持つ大きな吸収能力を活用する手術である。頭の中から、いっきに髄液がおなかの中に移行すると、まずいことが起こるので、髄液の流れを、圧にしたがって自動調節する小さなバルブが途中についている。

 手術した箇所が箇所だったし、上記のような手術をしたので本人はほとんど改造手術でも受けたかのような気分にもなったのだが、これに続く「脳外科では頻繁に行われる小手術のひとつである」という一文はちょっとした衝撃だった。「あれだけのことをしても小手術なのか?」と。落ち着いて考えれば、手術に要した時間は実質小一時間だし、検査と術後を合わせても入院期間は半月程度であった。広範囲にわたって頭蓋骨を切開したり、長い期間のリハビリが必要な症状で入院してくる人もいるのだから、脳外科の医者の視点からすれば「小手術」なんだろうなあ。

 ともあれ、脳外科の意外な守備範囲の広さにも気付かされる一冊である。

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朝日ソノラマ、店じまいへ

 毎月20日に配信されるはずのメールマガジン「ソノラマ文庫 Monthly Hotline」の号外が21日にやってきた。はて、何事? …と思ったら。

※重要なお知らせ

読者のみなさまへ
                                          2007.06.21
                                          株式会社朝日ソノラマ

当社は9月で店仕舞いします


  長年にわたり朝日ソノラマの本をご愛読いただきありがとうございます。
 さて、当社は9月末日で営業活動を停止します。本日、その旨を記者発表しました。
 1959年9月の創業以来、今年で48年になります。日本初の「音の出る雑誌」を発行するなど、多くの人々に親しまれてきた出版社だと自負しています。最近も、コミックスを中心に、地味ながら手堅い経営をしてきました。
 しかしながら、最近の出版界の状況、当社の経営見通しなど、さまざまな観点から検討の結果、やむなく店仕舞いすることになりました。時代の流れに抗し切れず、誠に残念な結果です。

〔後略〕

 メールマガジンのタイトルに相反して、ソノラマ文庫の新刊は今年1月に「吸血鬼ハンター」シリーズの新刊案内がぽこっと出ただけで、このところソノラマノベルスのアナウンスばかりになっており「ソノラマ、どうしたのかなあ」と思っていたのだった。そうか、店じまいかあ……。

 物心ついた頃には「朝日ソノラマ」という会社の名前はソノシート付絵本のおかげで知っていたし、なじみ深いものでもあった。特撮専門誌の「宇宙船」(2005年に休刊)もあったし、中学生の頃には「クラッシャージョウ」シリーズにはまり、ハンドルの元ネタにも出会い…というわけで、ぶるないという人間の精神構成に多大な影響を与えた出版社であったと言いきってもいいだろう。

 せめてものご奉公をと考え、出て間もない「ウルトラマンメビウス」のムックをアマゾンでポチしたのであった。

 10月以降は朝日新聞社出版本部に出版権が移り、「ソノラマ」のブランド自体は存続されるそうだ。ちょっと寂しくなるけど、今までありがとう、朝日ソノラマ。

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Vista発売前夜

 今朝のニュースを見ていて「あぁ、そういや明日だっけ、発売」くらいにしか思っていなかったWindows Vista。別段今使っているXPに不満はないし、むしろVistaで動かないフリーソフトが意外に多いのは大きなデメリットだ。そんなわけで、新しいOSが発売されるからと言っても導入するつもりは目下のところない。XPのサポートも2014年4月まで行われることが決まったし、そんなに買い急ぐ必要性も感じていない。

 マイクロソフトには独裁を連想させるイメージがあるのか、ルーマニアではこんなジョークのネタにされている(「世界の紛争地ジョーク集」より)。

 ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトが新しく自動車業界に進出することになった。しかし、できあがった車は以下のようなものだった。

  1. 特に理由がなくても二日に一度は突然動かなくなる
  2. 高速道路ではそれが特に顕著である
  3. こうした場合、最悪のケースとしてはエンジンを総取り替えしなければならない
  4. ユーザーは新しい道ができるとそのたびに、新しい車に買い替えなければならない

 どこの国でも、マイクロソフト製のOSの印象というやつはこういうものなのかもしれない。

 そんな評価はお構いなしに、恒例と化した午前0時の発売開始イベントは行われる。asahi.comより。

 ビスタは30日、全世界で同時に店頭発売されるが、時差の関係で、日米欧の主要市場では日本が一番早い販売となる。ヨドバシカメラの秋葉原店「マルチメディアAkiba」(東京都千代田区)とビックカメラ有楽町店本館(同)が女性タレントらを招き、販売開始へのカウントダウンを行う。東京・秋葉原では、ヨドバシのほかに九十九電機(同)などが深夜販売を計画しており、電気街はビスタ登場に沸き返る。(時事)

 XPのサポート延長が発表されたのは24日のことだから、仮に店側が「こりゃイベントになるほど客は集まらんぞ」と思っても手遅れである。少なくとも「沸き返る」ような大騒ぎにはならないであろうことは容易に想像が付く。文字通りの寒い夜になってもおれの知ったことではない。どうせ他人事だし。

追記トラックバックを頂戴して、20時30分現在のビックカメラ有楽町店前の画像を拝見した。見事なまでに閑古鳥が鳴いている模様。やっぱりねえ…。

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そして殺人者は野に放たれる

 特撮もののテレビシリーズのひとつ「怪奇大作戦」で、現在欠番扱いとなっているエピソードが1本ある。第24話『狂鬼人間』がそれだ。犯人は“脳波変調機”で一時的な精神障害者を作り出し、殺人を起こさせる。殺人を犯しても、刑法第39条第1項にある「心神喪失者の行為は、罰しない」が適用されて無罪放免となってしまう。SRI(科学捜査研究所)は犯人を追いつめるが、犯人は自ら脳波変調機で永遠の狂人になってしまい、このエピソードは嫌な後味を遺したまま幕を下ろす。

 特撮ものとは関係のない立場から『狂鬼人間』封印への経緯を探った「封印作品の謎」(著・安藤健二)で、おれは「そして殺人者は野に放たれる」(著・日垣隆)の存在を知った。日垣氏は、自著についてこう語っている――

 本書は、愉快な書物ではありません。あまりにも深刻な事件が多すぎて、ご気分を害することもあるでしょう。けれども、「正常と異常の境界線はどこにあるのか」「なぜ人は罪を犯すのか」は、おそらく人間にとって大切なテーマだろうと思います。(文庫版あとがきより)

 実際に読んでみると、「日本という、この国の司法制度はいったいどうなっているんだ?」という著者の怒りが痛いほど伝わってくる。「通り魔殺人で4人もの命を奪った犯人が『覚醒剤を使用していたこと』を理由に刑を軽減された」とか、「客の乗ったバスに放火して6人を殺した犯人が『多量のアルコールを摂取して酩酊状態にあったこと』を理由に刑を軽減された」……なんて事例が次々と暴き出される本である。愉快になれるわけなどない。ましてや前述の2人は判決で心神耗弱が認められると「してやったり」とばかりに笑みを浮かべたという。

 日垣氏は刑法のみならず、それを運用する側にも容赦ない刃を振るっている。検察は「起訴しても無罪判決を下されては出世に響く」という理由から、39条が適用されそうな案件については起訴そのものをしない。弁護士はなんとか39条が適用されるように被告人を誘導する。裁判官は何事にも「まず判決ありき」で、自分の頭でものを考えない(引用されている判決文の悪文ぶりには頭が痛くなる)。こんな状態でまともな裁判が執り行われるとはとても思えない。現行刑法が運用される限りは――少なくとも第39条が削除されるまで――どのような立場であれ、彼らのご厄介にはなりたくないものだ。

 さて、冒頭に挙げた『狂鬼人間』のケースであるが、もし実行に移されてしまったら犯人にはいかなる処分が下されるのか? けっこう真面目に考察したものがWikipediaからリンクされている。

11月29日追記:この題材を取り上げるのに前後して、連邦でも『狂鬼人間』が取り上げられた。もちろん偶然の一致。リンク先のYouTubeの映像はいつまで見られるか分からないので、これを機に見てみるのも封印作品を見る手段のひとつではある。

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「青ベル」再読

 現在のところ、Wikipediaには「青の騎士ベルゼルガ物語」の記事がない。本家「ボトムズ」の方はこれでもかといわんばかりに充実しているのだが、派生作品に関してはほとんど記事が作られていなかった。「ないんだったら作ればいいじゃん」というわけで、「機甲猟兵メロウリンク」と「赫奕たる異端」についてはおれが起稿した(関係スタッフで記事がなかったものも数人分を起稿)。さしあたり残るは自分のハンドルの元ネタでもある「青ベル」なのだが、記憶に任せて記事を起こすわけにもいかないので、ひさしぶりに全4巻を通読してみた。

 なんだ、これは?

 ハンドルの大元になった第1巻から第2巻まではいいのだが、やはりそこから先がいけない。特に完結巻の『絶叫の騎士』、初版発行時からずっと思っていることだが、あの展開はやりすぎだ。「ひさしを貸して母屋を取られる」という言葉があるが、これを地でいく展開である。極端に喩えるなら、雨宿りのために軒下に入れてもらったやつが、「好きにしていていいですよ」と言われた途端にその家をぶち壊してしまうようなものであろうか。

 今回読んだのは1997年に発行された新装版の方なのだが、新装版刊行に際して、作者のはまさのりは何をしたのであろうか? 表記のブレがほったらかしになっていたり、『絶叫の騎士』で主人公のケイン・マクドガルの人格が変わっているように思える(それ以前であればしないような口の利き方をしている)のもそのままである。なるほど、「改訂版」じゃなくて「新装版」というのはそういうことなのね、と納得せざるを得なくなった。

 はたして、ぶるないは本当に「青ベル」の記事を起こすのか? それはワイズマンのみぞ知るところである。これの記事を書こうと思ったら「兇兵器ヴァン・ヴィール」も読み返さないとなあ。前途は多難だ。

追記:その後4月28日に「青ベル」の記事が起こされたが、その作業を行ったのはおれではない。こちらでも事前に用意していた文言を追記していってはいるが。

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おえんわ、こりゃ…

 「おえん」は岡山弁で「いけない」とか「だめ」という意味だそうだ。岡山の方、用法が間違ってたらごめんなさい。なんで茨城県人のおれが岡山弁をタイトルに持ってきたのかと言えば、それはひとえに「よみがえる空」の影響を受けてしまったせいである。これの第1話冒頭で主人公の内田一宏が読んでいた本、サン=テグジュペリの「人間の土地」(訳:堀口大學)を実際に読んでみたのだが…。

 その感想が一言、「おえん」である。時代背景の違いのせいなのか、日頃縁のない飛行機乗りのエピソードというのはどうにもピンとこない。正直なところ、「読んだ」とは言い難い。活字を目で追っていただけで、内容がちーっとも頭に入ってこなかった。寝る前に眠剤を飲んでいるせいもあるとは思うが、気が付いたら朝になっていて、枕元にしおりの挟まれていない本が置かれているという状況が何度あったことか。内田はこの本(文庫本ではなく単行本である)を高校卒業時にプレゼントされているのだが、本当に読んでいたのか疑問にすら思った。なにせ贈り主は相当の読書家であるし。

 おれが読んだのは新潮文庫版で、表紙のイラストと解説を宮崎駿が書いている。宮崎アニメはどうも肌に合わないので見ていないが、「紅の豚」なんぞはサン=テグジュペリの影響が大きいのだろうな。

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現代アメリカを嗤う本

 個人的に心の師と仰いでいるいしいひさいちの「大統領の陰謀」に、こんな4コマ漫画がある。第41代アメリカ大統領のブッシュ(現大統領の親父)がこれから第42代大統領となるクリントンに話をしている、というシチュエーションである。

ブッシュ「ビル、大統領の職を譲るに当たって言っておきたいことがある」
クリントン「なんでしょう」

ブッシュ「困ったな、と思ったらどんなときでも」

ブッシュ「とにかく困ったな、と思ったらいつでもいいから」
クリントン「わかりました。テキサスまで相談に行きますよ」

ブッシュ「とりあえずイラクを空爆するんだ」
ずっこけるクリントン。

 細部の記憶は曖昧だが、おおむねこんな感じである。おれがこのネタを読んだのはイラク戦争後だっただけに「おいおい、シャレになってねえよ」と思ったものである。

 かつてのアメリカは日本人にとってあこがれの対象だった。「ニューヨークへ行きたいか~!」という問いかけに、東京ドームに集まった5万人以上の人々が「おー!」と応える場面もあった。今でも一部のスポーツ選手にとって、アメリカはあこがれの対象たり得る国であるだろう。

 だが、2001年の同時多発テロ以降、2003年のイラク戦争以降、その印象は大きく揺らいではいないだろうか。「世界の警察」を自任してきた姿勢はむしろ傲然で独善的に映ってはいないだろうか。そんな現代アメリカをジョークで嗤う本が「世界反米ジョーク集」(早坂隆・著)である。出版されたのはだいぶ前であるが、最近になってようやく読むことができた。ジョークそのものは「あはは」と笑えるが、それを裏打ちする現実に関する記述についてはさすがに笑えない。だからこそ「それなら笑いのネタにしてしまえ」というスタンスがあるのだろうが。この本に紹介されているジョークをいくつか挙げてみる。

問い:ブッシュとチェイニーとラムズフェルドの三人が、砂漠で首まで埋められて顔だけなんとか出していた。これはいったい何を意味する?
答え:砂が足りなかった。 (P.102より)

 二〇〇X年、ブッシュ大統領は結局、戦争犯罪人として国際法廷で死刑を宣告された。ブッシュは怒りで顔を紅潮させながら、叫ぶようにして言った。
「確かにイラクではうまくいかなかったかもしれない。しかし、たった一つの国に対して間違いを犯しただけで、死刑だなんてあまりにひどすぎる!」
 すると裁判官は顔色一つ変えずにこう言った。
「あなたを死刑にするのはイラクが原因ではない。これから幾つものイラクのような国ができるのを予防するためです。あなたは差し迫った脅威ですからね、つまり予防的先制攻撃ですよ」 (P.22より)

「未来の時制における国家的危機が、至近かつ特定の方向からのものであって、しかもその存在が明白であるとき、先制的自衛権を確立してそれを排除することは、為政者の重大な責任であり、市民の神聖な義務である。より安全で、しかも行動の自由が確保された未来、それこそが子孫につたえるべき最高の遺産ではないか」(「七都市物語」(P.86より)。もちろんこの発言はフィクションであり、ブッシュのものではないが、そう言われても違和感がないところが怖い。

 アメリカの五人の歴代大統領、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュが一緒に飛行機に乗っていた。初めにワシントンが言った。
「私は誰か一人に幸福を与えよう」
 彼は一枚の一ドル札を出して飛行機から放り投げた。
 続いてリンカーンが言った。
「では私は五人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五枚出して飛行機から放り投げた。
 次にジェファーソンが言った。
「では私は五〇〇人に幸福を与えよう」
 彼は一ドル札を五〇〇枚出して飛行機から放り投げた。
 その後、クリントンが言った。
「では私は世界中の人々に幸福を与えよう」
 彼はブッシュを飛行機から放り投げた。 (P.24より)

 こんな国に盲従していていいのか、ニッポン? と本気で言いたくなる現実がこの本には次々と出てくる。「アメリカは同盟国である」というのであれば、相手が間違った方向に進もうとしているのを止めてやるのが対等の友人関係というやつではなかろうか。少なくとも現在の日本はアメリカと対等とは言い難い。むしろ属国である。おれは創刊当初から小泉内閣メールマガジンを読んでいたが、アメリカのイラク攻撃支持を表明したその日に速攻で購読を解除したのをふと思い出した。

 まあこうした一連のジョークを許容するあたりもアメリカらしいと言えるのだろうけど。

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写真週刊誌とセブン第12話

 特撮ファンにとって、「ウルトラセブン」の第12話『遊星より愛をこめて』が欠番になっているのは常識と言っていいだろう。「セブン」のファンであれば「なぜ12話は欠番なのか?」という疑問は誰でも一度は通る道である。ちょっと深く足を突っ込んでいる人であれば、欠番に至った経緯もおおよそご存知であるはずだ。2ちゃんねるにある「セブン」のスレッドでは、始めの方に次のような簡単な説明がある。

【幻の第12話についての簡単な説明】
ウルトラセブンで欠番になっているのは第12話「遊星より愛をこめて」。
スペリウム爆弾の実験による放射能で、血液を汚染されたスペル星人が、
腕時計に擬装した装置で 自分達の血液の代わりとなる地球人の血液搾取を目論む話。
放送終了後、怪獣図鑑の類で独自に命名された「ひばく星人」(円谷の命名ではない)
という 俗称が問題となり、ストーリーと全く無関係に欠番となる。
「ウルトラセブンの欠番」という言葉のみ一人歩きしているため、
ネタを真に受けたり誤認したまま発言する人が後を絶たない。
詳しくは下記のサイトを参照のこと。

712資料館
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~cokanba/

 表向き欠番とはなっているが、どういうルートで流出したのやら、この第12話のビデオが存在することが話題になったことがある。しかもそのビデオを、1988年から89年にかけて幼女を誘拐して殺害した犯人が所有していたことが話題性に拍車をかけた。おれはそのビデオは持っていないが、「ぶるないさんなら持ってると思った」と言われたことはある。

 そんな中、特撮板のセブンスレッドにこんな書き込みがなされた。

164:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 02:33:48 PRR5W9Hy0
明日発売の写真週刊誌FLASHで、

ウルトラセブン封印された第12話 ウルトラセブン「遊星より愛をこめて」  フラッシュ(11/22) 77
闇に葬られたウルトラ怪獣を追え!-なぜ放送禁止になった? ウルトラセブン第12話、スペル星人  フラッシュ(11/22) 81

 正直なところ、「なんで今ごろ?」という感は否めなかったが、写真週刊誌とは言え「ごく普通のマスコミ」が、この種の話題に触れることは珍しい。発売日である8日には弟がそのFLASHを買ってきたので読んでみた。なんと記事には袋とじまで付いていた。そのページには赤い文字で、

 史上最大の「放送禁止場面」を
 総力ルポ&袋とじで再現!

 ……との煽り文句が添えられていた。しかし、実際にその袋とじを開いた人は愕然としたはずである。以下に同スレッドでの袋とじを開いた人の反応を抜粋する(この中にはおれが書き込んだものもある)。特撮板でハンドルを記入しなかったときの名前が、この第12話に由来しているのは言うまでもない。

178:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 21:28:27 JXtrUkLH0
FLASH読んだ。
袋とじの噛ませ犬っぷりが凄まじいな。
実のある記事は立ち読みで十分な分量。
詳しい話が知りたければ「封印作品の謎」を読めってのが結論なのか?

180:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 22:36:35 KL1xUGQlO
円谷の台所事情がいよいよってなったら‥‥解禁も‥‥今更の感強しだが‥‥

 181:名無しより愛をこめて 2005/11/08(火) 23:02:25 rD2aEjnzO
>>178
12話の映像が袋とじにあるのかと思って購入したのに……

あれは見事にやられたな_| ̄|○


>>180
今の円谷プロはウルトラだけしか道がないから、最後の手段として12話がいつか解禁されそうな気がする。

183:名無しより愛をこめて 2005/11/09(水) 00:55:23 H04OUBBx0
>>181
フラッシュの袋とじは確かに面食らった、フィルムコミックみたいのだったら良かったんだが・・
12話が出るとしたら、単品じゃないと全話もってる人が気の毒ですなぁ

188:名無しより愛をこめて 2005/11/09(水) 12:36:29 FKo2GeBv0
当然だ。
写真週刊紙の袋綴じ企画が袋綴じするに値するような内容だったものを私は見たことがない。
だが実際の12話も見れないからあれこれ妄想をふくらませて、実際見ると大した出来じゃない
という作品なので、これは正しく12話の本質を突いた企画かもしれない。

 袋とじの内容にはがっかりした人がほとんどのようであるが、逆に「総力ルポ」の方は、この話に関わったいろいろな人にコメントを求めていたり(実際に被爆した人にもビデオを見せてコメントしてもらっている)、12話が封印されるきっかけを作った人と12話を担当した脚本家の対談が掲載されていており、わずかなページ数ながらなかなかに読み応えのある内容ではあった。この記事の参考文献となった「封印作品の謎」(安藤健二・著)ではより突っ込んだ取材がなされており、「スペル星人を『ひばくせい人』と命名したのは誰なのか」、「スペル星人のデザインを被爆者を想起させるものにしたのは誰なのか」といった点まで言及されているので、くわしいところが知りたい人は読んでみるといい。

 さて、おれはこの12話を見たことはないが、「動いているスペル星人」を見たことはある。かれこれ25~26年くらい前の話になるが、TBSで放送されていた「夕やけロンちゃん」という番組内で流していた「ウルトラファイト」でである。スペル星人登場時のサブタイトルは『遊星の悪魔スペル星人』。その頃にはセブンの12話が欠番になっていることは知っていたので「こいつがそれに出てきたやつなのか…」と思いながら見た記憶がある。おそらく現時点において、公共の電波で動いているスペル星人が流れたのはこれが最後であろう。

 先のスレッドの188氏が触れているが、12話のお話としての出来はあまりよろしくないらしい。まあ実相寺昭雄監督作品という時点で、一般受けしないであろうことは容易に察しがつくけれど。

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「ブログの女王」の本

 巷ではすっかり「ブログの女王」と呼ばれ、一躍時代の寵児となっている眞鍋かをりさんの「眞鍋かをりのココだけの話」を買ってきた。本当は別の本を買いに行ったのであるが、お目当ての本は見つからず、言ってみれば「補欠合格」のようなものだったのではあるが。

 中身を読んでみて軽い驚きを覚えた。今まであった「サイトの内容を書籍化したもの」とは一線を画していたからである。これまでのものはあくまでも文章が主であり、文字サイズを頻繁に変えてみたり、はたまた顔文字を頻出させたりするものはなかった(少なくともおれが読んだ限りではあるが)。以前からあったものがエッセイに近いものであったのと比べると、この本の内容はむしろ2ちゃんねるの書き込みに近いものを感じる(実際2ちゃんねらーではなかろうか?)。おれと眞鍋さんでは年が一回り以上離れているのもそう感じさせた一因かも知れない。

 また、すべてのトピックにその時思っていたことなどを「追記」として書き足しているのにも驚いた。おれがブログを書き始めて8ヶ月ちょっとであるが、その時の状況やら心境やらはいちいち憶えていない(そりゃお前のトシのせいだろ、とか突っ込まないように)。トピックの文面を改めて読み返すと思い返すものもあるのだろうが。

 そうしていろいろと刺激を受けた一冊であったのだが、今後このブログの文体やらスタイルやらが変わるかと言ったら、そんなことはおそらくないだろう。カッコつけるわけではないが、人によって似合う服が異なるように、ブログの流儀というやつも書き手によって違ってくるはずだ。むしろ違ってくれないと面白味に欠けるではないか。

 巻末に「読まれるブログにするための眞鍋かをり流〈10カ条〉」として、その中に、

要はブログ始めるならまずウチに来い!!ってことですかね(笑)。

 ……という一文があったが、本当だろうか。ものの試しにこの記事でトラックバックを送ってみることにしよう。

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義経はジンギスカンになった!…のか?

 新聞の最下段にはメジャーマイナーを問わず、出版社の出す本の広告が出ている。今朝、読売新聞朝刊のその欄に目をやったおれは「は?」という顔になった。左から2番目の欄にあった本のタイトルは「義経はジンギスカンになった!その6つの根拠」、著者は「歴史作家 丘英夫」(この「歴史作家」って怪しい肩書だなあ)とあった。

 「源義経は衣川で死なず、蝦夷を経由して大陸に渡ってジンギスカンになった」という説は、今更大見得を切ってまで発表するような大胆な仮説ではない。有名どころでは高木彬光の「成吉思汗の秘密」という推理小説があるし、かの「ルパン三世(第2シリーズ)」でも『ジンギスカンの埋蔵金』(第37話)という「義経=ジンギスカン説」を元にしたエピソードがあったくらいである。明らかに「今年は大河ドラマで『義経』やってるし、便乗して一儲けしちゃうもんね」的魂胆がうかがい知れる。

 で、この記事を書くにあたって、「義経 ジンギスカン」をキーワードにしてGoogleで検索してみると結構な数がヒットした。筆頭にあったのは大阪府立中之島図書館のページで、ここによると、

 最初に唱えたのは江戸後期に来日したあのシ-ボルトで、大正の終わり頃に一般的なものとなりました。

義経=ジンギスカン伝説が受け入れられた背景には実は中国大陸の利権を狙う当時の日本の社会的な風潮があったとされています。つまり、大陸に渡って開拓を進める日本人を鼓舞するために、かつてユ-ラシアを支配した偉大な先祖(つまりジンギスカンとなった義経のことです)がいたことにしようとしたのです。

〔中略〕

 最終的にこの伝説を決定づけたのが小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』でした。 松山巖氏はこの本が出版された後の読者の声をまとめて、大陸に向かう日本人を鼓舞するのに大いに役立ったと指摘しています(「英雄生存伝説と日本起源論異説」『ユリイカ』1989年9月号)。

 ……とある。ここで触れられている「成吉思汗ハ源義経也」は1924年に出版されて当時のベストセラーとなり、「成吉思汗の秘密」のネタ本にもなったという(このあたりの経緯については毎日新聞のこのページに詳しい)。

 もちろん、この「義経=ジンギスカン説」は歴史上の定説ではない。おれの高校3年の時の担任でもあった日本史の先生はこの説を一蹴したものである。曰く「義経は小柄な体格と伝えられているが、ジンギスカンは天を突くような大男だったと伝えられている。たかだか数年でそんなに体格が変わるわけがない。たまたま義経が日本史から姿を消した年代と、ジンギスカンが現れた年代が近かっただけだ」。

 実際のところ、この説自体が状況証拠の積み重ねに過ぎず、推測の域を出ないのが実態である。とかく英雄の記録というものは美化されがちである(有名な「ひよどり越え」も後年の創作であるらしい)。逆に言うと、それだけ義経という人物が英雄視されている証拠でもあるのだろうし、歴史を研究する人々の興味をかき立てるのであろう。

 もっとも、事実は義経本人しか知らぬところであるのだが。

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七都市物語シェアード・ワールズ

 田中芳樹の「七都市物語」は、1990年に文庫化されるまで「存在は知っているが読んだことがない」作品であった。なにせ雑誌掲載の読み切り形式だったので、読む機会に恵まれなかったのである。それが待望の文庫化となり、実際に読んでみるとこれが取っつきにくかった。誰が主人公なのやら分からなかったからである。ところが何度か読み返すうちに面白く読めるようになってきた。田中氏の代表作である「銀河英雄伝説」と比べると、口も性格も悪いキャラクターたちの言動が楽しめるようになってきたのである。

 1994年にはこの中の1エピソードである『北極海戦線』がアニメ化されたが、これはフォローのしようがないくらいひどい出来だった。「アニメ化されるのであれば是非このシーンは見てみたい」と思っていたシーンがことごとくアニメ版には盛り込まれていなかったというのもあるが、原作からしてあまり長い話でないものを無理矢理前後編に引き延ばして発売するという形式そのものが間違っていたように思う。もっと身も蓋もない言い方をしてしまうと、アニメ版のスタッフは「七都市物語」の面白さの本質を理解していなかったのではないかとすら思える。

 文庫版が発売されてから15年も経って、なぜか版元の異なる徳間書店から「『七都市物語』シェアード・ワールズ」が刊行された。4人の作家による「七都市」の世界を舞台にした作品集である。4月30日初刷であるが、今ごろになって読んでみた。たまたま弟の部屋にあったのを借りてきたのである。

 これでおしなべて作品の出来がよければ「『七都市』のファンなら必読だ!」と勧めるところなのだが、そう言い切れないから困ってしまう。「メインディッシュを先に食べさせられて、前菜が後になって出てくるような構成になっている」という印象を受けた。特に最後に収録されている『もしも歴史に……』は、キャラクターの台詞がライトノベル風の記述をされているのが気に入らなかったし、なによりも原作にも登場するキャラクターであるユーリー・クルガンの性格が改変されているのが許し難い。

 「七都市」の、というよりはむしろ執筆陣のファンであるという人の方が楽しめるのかも知れない。

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イラスト対決・初版VS新装版

 いわゆる「ライトノベル」というジャンルに分類される小説においては、表紙イラストが重要な要素を占めている。CDに「ジャケ買い」というものがあるように、おそらくは表紙イラストに釣られて買ってみてバカを見たという人も少なからずいるはずである。

 こちらのブログでコトブキヤの原型師である松田元祥氏が「青の騎士ベルゼルガ物語」の表紙イラストについてこんなコメントをしている。

青騎士の小説初版の表紙は全てATのイラストです。あまり見かけませんね。再販のイラストもそれはそれで熱い物が有りますぞ!

 ……そうかなあ? むしろイラスト担当の幡池裕行氏の絵柄が変わりすぎていて、初版のイラストを知る人間から言わせれば「誰だ、お前?」という印象の方が強い。では意地悪くも両者を比べてみよう。

Berserga_old
初版イラスト

Berserga_new
新装版イラスト

 新装版1巻のケイン・マクドガルの目つきの悪さは相当なものである。2巻のロニー・シャトレはともかく、「K'」の表紙はどこのチンピラかと思ってしまったし、「絶叫の騎士」に至ってはそれこそ「誰だ、こいつ?」である(おそらくはマティ・ウォルシープであろうと思われるが、本文中のイラストとイメージが違いすぎる)。

 ちなみに第1巻の初版発行は1985年、新装版第1巻は1997年の発行である。これだけの年数が経過すれば絵柄が変化してしまっても致し方ないか。表紙以外の両者の目立った相違点は、1巻と2巻の登場人物紹介イラストが同じものになったことと、「絶叫の騎士」にあとがきが付いたくらいである。どうせ再販するんだったら1985年のものをそのまま出してくれたらよかったのに、と思った人もいるのではなかろうか。

 「青の騎士」同様にソノラマ文庫発行のもので新装版が発行されたものとしては「クラッシャージョウ」シリーズ(作・高千穂遙)や「妖精作戦」シリーズ(作・笹本祐一)などがあるが、前者は表紙イラストのみならず本文にも改訂が加えられ、後者は表紙のみならず本文中のイラストも変更され、改訂も行われた(この新装版が出るずっと前に表紙と本文イラストが変更されたものも出た)。「青の騎士」が新装版発行に当たって改訂が行われなかったのは、その余地がなかったからなのか、それとも単に面倒だったからかは作者本人ならぬ身には分からないことである。

 なお、初版はもちろん、新装版も現時点では絶版となっている。

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「B級ニュース」の味

 日曜日の古本漁りで買ったものの中に「B級ニュース図鑑」(著・泉麻人)がある。初版発行時に弟が購入し、おれ自身かなり読んだのだが、ひさしぶりに読みたくなり、探すのも面倒なので買ってしまった。

 この本の中には1956年から1990年までの新聞記事となったものの中から、「教科書や年鑑などには決して載らないトホホな事件」が約122点、泉氏のコメント付きで掲載されている。この本はけっこうウケたらしく、後発で「○級ニュース云々」というタイトルの本が少なからず出版された記憶があるが、記事の選択やそれに付けられるコメントのセンスは泉氏のそれに及ばない感があった。

 本のコンセプトがコンセプトだけに、この本で初めて触れる事件が多い中で、読んでいて思わず「あっ!」と声を上げたものがあった。記事の大見出しは「死のゲップ我慢」、昭和58(1983)年3月20日付の記事である。そこからちょっと抜粋すると(文中の固有名詞は仮名)――

 高萩署の調べだと、正彦君はこの日、同校柔道部員の仲間六人と学校帰りに近くの店から缶入りの炭酸飲料六本を買い、部員の家で、回し飲みしながらげっぷを出さない我慢比べをしていて気分が悪くなったという。

 その結果、記事内で言うところの正彦君は急性心不全で死んでしまったのである。この事件は茨城県内で起きたことのみならず、幼なじみが通っていた中学校で起きた事件であったためにはっきり記憶に残っていたのである。故人には申し訳ないのだが「こんな死に方はしたくないよなあ」と当時友人たちと話した憶えがある。考えようによっては「そんなんで死んじゃうものなのか」とも言えるのだが。

 この本にはこういった事件が「これでもか」というくらい並んでいる。目次から目立った記事を列挙してみよう(掲載順)。

  • カミソリ、クギなど八十二本
  • 永代橋のアーチからミイラ
  • 虫入り七味トウガラシ
  • また電話ボックスに坊やかまれる
  • 万国博の目玉男一週間
  • トラ捜索中にマージャン
  • またドラクエIII脅し取られる
  • 「口から火噴き」2人やけど

 この本自体が1990年の発行なので、普通の書店よりは古本屋の方が見つけやすいと思う。興味が湧いたら探してみることをお勧めする。

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「週刊こどもニュース」を見よ

 日曜日の夕方に弟と2人で古本屋に出かけた。弟の目的はどうだったかともかく、おれは文庫本を物色するつもりでいた(もともと漫画にはあまり興味がない)。

 文庫の棚の列までたどり着いたところで真っ先に目に入ってきたのは「これが「週刊こどもニュース」だ」(著・池上彰)であった。「こどもニュース」は見ていなくても、関東地方に長いこと住んでいてNHKを習慣的に見ていた人には著者の名前に憶えがあるかも知れない。関東ローカルのニュースで、終わり頃の軽いニュースを締めるときにダジャレで締めていた人である。

 その池上氏が進行役として出演していたのが「週刊こどもニュース」である。池上氏は進行役のみならず、本来おとな向けのニュースをこども(番組では小学5年生以上を想定しているそうだ)に分かるようにかみ砕いていく作業にも携わっていた。この大変な作業を「こどもニュース」のスタッフたちは毎週やっているのだから頭が下がる。読んでもらうのが手っ取り早いのだが、日頃ニュースを見聞きしていて分かっているつもりでも実は分かっていないということが多いのではないだろうか。

 惜しむらくは、その池上氏が4月改編で11年間務めた番組を降板してしまったことである。「こどもニュース」はまったく新しい出演者で始まったが、現時点でまだ1回しか放送されていないので、まだ海のものとも山のものともつかぬ状態ではあるが、裏番組で放送されている、ヘンに戦争を美化しているような、おもちゃ屋とCD会社の30分間のCMを見るよりは有意義ではないかと思う。

追記:adv55さんのブログにも「こどもニュース」を賞賛する記事を見つけた。記事に付いたコメントを読んだところ、池上氏はNHKを退局されるとか。残念なことだ。

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