2009.04.20

創元版『銀英伝』に閉口す

 創元SF文庫でひさしぶりに『銀河英雄伝説』を通読した。

 ちょっと前に徳間デュアル文庫で刊行されたときには、あまりの挿絵の多さに閉口して「いつから『銀英伝』はライトノベルになったんだ」とぼやいたものだが、今回は今回でしょうもない誤植に閉口させられている。

 現時点で刊行されている「千億の星、千億の光」までを読んだ限りでは、本伝の後半から目に付くようになったように思う。たとえばこんな――

「おれは卿らに戦闘のやりかたを教えた。だが、掠奪や暴行や放火のやりかたを教えた憶えはないそ」(外伝1 P.116)

 最後に濁点を打ち忘れただけで、格好良く決まったはずの台詞も台無しである。本伝の終わりの方でも同じようなタイミングの箇所に同じような誤植があって、どっとしらけた。他にも『銀英伝』読者にはおなじみのフレーズである「金髪の孺子」が「金髪の揺子」になっているところもあったり、「拘泥」に「こうでん」とルビが振られている箇所もあったりで、思わずため息が出てしまう。

 編集者はちゃんと校正作業をしているのだろうか? 巻末にはお約束のように「創元SF文庫版では徳間デュアル文庫版を底本とした。」との一文が挿入されているが、まさか誤植の責任をデュアル文庫の担当者に押し付けるつもりではあるまいな。

 どうにも困ってしまうことには、この創元SF文庫版が「最終決定版」らしいということであろうか(外伝2解説文より)。こんな仰々しい看板を掲げるなら、ちゃんとやることをやってほしいものである。

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2008.09.28

『パソコンは日本語をどう変えたか』

 今朝の読売新聞に書評が載っていた本。個人的にはちょっと前に読んだものだが、いい機会なので読書録代わりにここに書いておく。

 こんなタイトルが付いているが、全体の8割くらいは『プロジェクトX』ばりに「コンピュータ上で日本語を表示させるために、技術者たちがどれほど苦労してきたか」というエピソードがつづく。バックに中島みゆきの「地上の星」と田口トモロヲのナレーションが欲しくなるが、このくだりは実に興味深くもあり、ちょっと懐かしく、読み応え十分である。コンピュータで日本語処理が実現する以前には「コンピュータで使えないくらいなら漢字なんか廃止してしまえ」などという乱暴な意見が大まじめに論じられていたというのはなんともおっかない。

 本書の終わりの方では、パソコンと携帯電話が普及した昨今では日本人の漢字の知識はどうなっているのか、触れられている。やっぱりなあ、とは思ったが、「読めるけど書けない」という傾向が見られるのは情けない限りである。

 パソコンの普及に伴って、P.244ではこんな指摘も挙がっている。

  • 難しい漢字も読めるが「手で」書けない
  • やたらと難しい漢字を使いがち

 前者については身に染みて痛感する。誰でも書けそうな字なのにど忘れしてしまい、「この字どう書いたっけ?」と慌てた経験は幾度となくある。おれもいちおう漢検の準2級を持ってはいるのだが、それでもこのざまである。くわばらくわばら。

 一方後者については、他人の文章を眺めていて実感する。「いわゆる」という言葉を漢字にする人をよく見かけるが、こうした人の9割以上は自分で「所謂」とは書かないはずだ。そりゃあもう、賭けてもいいくらい。

 先人たちの偉業に敬意を払うと同時に、手書きの重要性を再認識させられた1冊であった。

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2008.09.18

ふかしすぎの『タイタニア』

 第1巻の発売がかれこれ20年も前、その1年後に第2巻、そのまた2年後に第3巻が発売になったものの、いっこうに続編が書かれることないまま版元が移り、それでも続編が書かれることなく4年が経過したところでなぜかアニメ化が決定した田中芳樹の『タイタニア』。アニメの放映に併せて、今度は講談社に版元が移って文庫化された。

 それにしても、なんでこの時期になってのアニメ化なのだろう? 小説の方は、どうしても比較対象にされるであろう『銀河英雄伝説』より小物の印象はぬぐえないし、なによりも半端な状態で20年近くほったらかしにされてる(口の悪いファンは「実は『タイタニア』は全3巻で完結なのだ」とも言ったものだ)し、アニメにしたところでニーズがあるとは考えにくいのだが。

 ああそれなのにそれなのに。文庫版の帯にはそんな境遇の作品とは思えないような大げさなコピーが付けられていた。

 日本最高の 叙事詩 ついに 発動!!

 ……だって。いやはや、ずいぶんとふかしたものである。このコピーから、原作者に20年近く目をかけられていない作品のアニメ化とは想像もできない。正直なところ、アニメ化の報を聞いたときにまず思ったことは「やっぱりネタづまりなんだなあ、日本のアニメ業界は」であった。ひとまずは期待しないで見てみるつもりである。

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2008.08.18

ライトノベルが想定する読者層とは?

 このタイトルに関して、出版各社は読者の漢字読解能力(ボキャブラリーと言い換えてもいい)をどの程度と見積もっているのだろうか?

 先日買ってきたものはシリーズ物の1冊でアニメ化もされている作品(そんなものはライトノベル業界には別段珍しくもないない)であるが、「こんな言葉にまでルビが必要か?」というくらいふりがなが振ってある。初出の固有名詞やら当て字と思われるフレーズであれば納得もできるが、「警察」だの「消防署」だのといった、義務教育の教科書にもごく普通に出てくるであろう言葉にまでふりがなが振られている文面というのはあまり見てくれのいいものとは言えない。

 また、シリーズを通して読んでいると1箇所ないし2箇所は校正の修正漏れが目に付いたりする。見つけたときは「おれがこんな言い回しを知らないだけなのかも…」と一歩下がった見方をするのだが、辞書を引いてみると単に校正作業で漏れただけであることがはっきりするのである。そうと分かると、作者と担当編集者にバカにされているような、なんとも言えぬ妙な気分になってくるのであった。しかも、そんなチョンボが初版から16版までの4年強にわたってほったらかしになっている状況もコワいと言えばコワい。

 ふりがなのある箇所を多くして読者の敷居を下げるのもひとつの販売方法なのかもしれない。ならばなおのこと、そこに書かれている日本語は正確を期するべきではないのか? いかにライトノベルといえどもそれは小説であって、間違い探しのクイズ本ではないのだから。

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2008.08.08

鉄の地巡礼・Scene4「大宮発祥の地と世田谷文学館」

埼玉新都市交通の車両(鉄道博物館駅にて)  明けて7月17日、朝食後にはやばやとチェックアウトして大宮駅へ引き返す。来るときは徒歩であったが、復路には埼玉新都市交通を利用した。スタイルといいカラーリングといい、どことなくおもちゃのような列車に揺られること3分で、もう大宮である。

 大宮を訪れた以上は、駅から徒歩20分のところにある地名発祥の地を訪れておきたい。というわけで、武蔵一宮氷川神社へ向かう。地名が意味する「大いなる宮居」が指す神社はここである。平日の午前中であるから人通りもまばらな参道を抜けて、さらにまばらな境内へ。ひとけのない拝殿で控えめに柏手を打って、とりあえずの目標は達成。駅へ引き返す。

参道に設置された石碑 二の鳥居 屋根を修繕中の楼門 拝殿

 大宮からは埼京線で一気に新宿まで出る。埼京線には幾度か乗る機会があったが、大宮から赤羽・池袋を経由して新宿に至るルートは初めての乗車。これでようやく路線本来の区間(池袋-赤羽間)にも乗ることができた。

京王線新宿駅ホームにて  新宿からは京王線に乗車。これも今まで乗る機会のなかった路線である。頭端式の地下ホームにはターミナル駅の風格がどことなく漂う。普通列車に揺られること20分弱で芦花公園駅に到着。

 駅から出ると、そこかしこに世田谷文学館のポスターが見られる。前日に攣った脚に幾ばくかの不安を感じながら歩くこと5分ほどで、目的の世田谷文学館に到着。会場内での写真撮影は御法度なので、チケット購入前にカメラを鞄に押し込んだ。

芦花公園駅前にて 世田谷文学館入口

「展覧会きっぷ」  いきなり入館チケットで面食らう。さながら駅のマルス端末で発券したかのようなデザイン。高さもほぼ同じという徹底ぶりには恐れ入る。入館券でなく「展覧会きっぷ」としてあるのもいい。パンフレットの内側には国鉄の乗りつぶしに使用した白地図の縮小コピーが使用されていて、これまたファンを唸らせる。

 展示は『阿房列車』に始まる鉄道紀行文学の歴史から、「中公に宮脇あり」と謳われた編集者時代、『時刻表2万キロ』以降の作家としての顔、また、二児の父としての顔なども紹介する展示がこれでもかと並べられている。『最長片道切符の旅』で切符購入に使用した手書きのメモまで展示されていたのには「こんなものも保存されていたのか!」と感心せずにはいられない。

 展示を見ているうちに時間の経過を忘れた。それでも会期中にもう一度出向いて、目に焼き付けたい気持ちになった。

この項終わり

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2008.05.20

『「最長片道切符の旅」取材ノート』

 鉄道紀行文学の大家である故・宮脇俊三が30年前にデビュー第2作『最長片道切符の旅』を書くに当たって書き留めた、いわば「ネタ帳」をおおっぴらにした本である。故人の意図しないところでこうした出版物を出してしまっていいものかは賛否が分かれるところであろう。

 それでもその「ネタ帳」の時点で、文体がしっかりと「宮脇俊三の文章」になっているのはさすがとしか言いようがない。このメモを元に、実際に出版された形になるまで肉を付け、あるいは削っていったと考えるとき、その労苦は並大抵のものではなかったであろうことは容易に察しが付く。

 この本を、出版と同時に単行本として復刊された『最長片道切符の旅』の副読本と位置づける読者は多いだろう。こう書いているおれ自身もそうであるから。ただ、帯に付された「甦る伝説の旅の臨場感!」というコピーはなんとかならなかったのだろうか。「するとなんですか、『最長片道切符の旅』自体には臨場感が欠けているとでも?」などといういちゃもんのひとつも付けたくなる。

 もっと許せないのは、明治学院大学教授の原武史(敬称略)の付けた脚注である。「ここは分かりにくいだろうな」という箇所に解説を加えるだけならともかく、脚注にかこつけて一人称でものを語っている箇所があちこちにあり、読んでいてイライラさせられた。

一九八七年八月に私が訪れたとき、すでに北見トンネルはあった。北見の市街地を抜けるためにつくられたようだ。東京や大阪ならともかく、北海道で山もないのにトンネルがあるのを皮肉ってこう書いたに違いない。(P.27)

「あなたには聞いていません」(声:コウ・ウラキ)

おそらく、別保-上尾幌間を指すのだろう。小さな峠を越えるのだが、私が乗ったときも見事なエゾマツやトドマツの大木を車窓から何本も発見できた。(P.30)

「あなたには聞いていません」

いまなら海外旅行に行くような女性2人づれが、このころは北海道をよく旅行していた。私が慶応高校に通っていたとき、先輩から女性をナンパしたいなら北海道のユースホステルで2人づれをねらえ、学校名を明かせば必ず引っ掛かると言われたのを思い出す(実践はしなかったが)。(P.35)

「あなたには聞いていません」

 ……この調子で頼んでもいない自己主張を展開するのだから始末に負えない。どこの世界に名札をつけて舞台に上がる黒子がいるというのか(「欽どこ」か!)。こんな黒子が暴走する前に舞台袖で押さえつけとけよ、編集者。ただでさえ脚注が多すぎる本は読みづらくなる。その脚注で解説者が自分の昔話などを始めるのだからたまったものではない。文庫化するときにはこうした箇所を一切合切削ることを強く要望する。

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2007.09.01

『知られざる日本の恐竜文化』

 正直、この本が想定している読者層が分からない。濃いめの恐竜ファンなのか、そうでないのか。少なくとも前者ではあるまい。冒頭に断り書きがある。

 本書がおもにとりあげるのは、日本および海外の(オタク的)恐竜文化と、そこに携わる人々の行動や心情にかかわる話題である。サブカルチャーとしての恐竜を扱った本は、これまでに類例がまったくないとは言わないが、きわめて珍しいだろうと思う。 (P.10)

 …そりゃそうでしょうよ。「知られざる日本の恐竜文化」(著:金子隆一、祥伝社新書)の大部分は、そんな金子氏の業界(?)批判ともグチとも取れる文章で埋まっている。しかしながら、恐竜オタクの金子氏の記述には特撮オタクの端くれとして首をひねりたくなるものもある。

―ゴジラ・マニアは各作品を独特の符丁で呼ぶ。〔中略〕アニメ「とっとこハム太郎」と併映された前作(引用者註:2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のこと)は「ハムゴジ」という具合― (P.82)

 『大怪獣総攻撃』のゴジラを「ハムゴジ」と呼ぶ人を、おれは見たことも聞いたこともない。さらに付け加えると、ファンが「独特の符丁で呼ぶ」のは作品ではなく、ゴジラの着ぐるみそのもののことである。他にも「2006年までシリーズは継続」というとんちんかんな記述も見られる(現時点での最終作『ゴジラ FINAL WARS』は2004年公開)。やっぱり平成ゴジラは真面目に見ていなかったんだろうな。本文中の別の箇所でオタキングの著書の誤りを指摘している一方で、これはあんまりではないのか。

 また、著者の「オレはこんなに物を知ってるのに、他のやつらはあまりにも物を知らん」という思考パターンが随所に散見されており、思わず鼻白んでしまう箇所が少なくない。『宇宙空母ブルーノア』(具体的に作品名は挙げられていないが「戦艦ではなく空母が宇宙を飛ぶ」のくだりを読めばおのずと明らか)の設定に関わった際に、他のスタッフが科学的常識を持っていなかったことを嘆きながらも、ある人物だけが理解を示してくれたことを記した文章をこう結んでいる。

 そうか、やっぱりあの人もこちらでは居心地が悪かったんだろうなあ。「オフィス・アカデミー」の総帥、西崎御大もあの人とは反りが合わなかったらしく、他の人はちゃんと名字を読んでいたのに、あの人だけは名前を呼びすてだった。「おいヤスヒコ、おいヤスヒコ」と……。 (P.111)

 著者はうまくオトしたつもりなんだろうが、安彦良和が第1作から『新たなる旅立ち』までヤマトに関わっていたことを知っている人間はただしらけるだけである。「反りが合わない」人間をそんな長期にわたってスタッフとして起用するものだろうか?

 著作自体の内容がグチっぽいので思わずこちらの感想もグチっぽくなってしまったが、見るべき点がないわけではない。恐竜絶滅の仮説として広く人口に膾炙している天体衝突説が、地球科学の研究者の間で半ば否定されているというのは寡聞にして知らなかった。

 いかなるジャンルであれ、最新情報に対するアンテナを動かしていないと、いい意味でのオタクでありつづけることはできない。そして、そうでない人たちの懐を当て込んだ安易な恐竜ビジネスは、その濃度をどんどん薄めながら今後も日本を舞台に展開されていくのだろう。

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2007.07.31

『そこが知りたい「脳の病気」』

 このブログでも何度か触れたが、昨年生まれて初めて体にメスが入った。しかも頭。入院自体が物心ついて初めてのことだったので、脳外科という診療科目の内容に興味を持つことになった。そんなわけで手に取ってみたのが医学博士の天野惠市氏が書いた『そこが知りたい「脳の病気」』である。

 おおよそひとつの症状についてひとつの章が割かれており、中には「それも『脳の病気』の範疇なの?」というものもあるが(頭部外傷や首・背中・腰のけがなど)、テレビへの出演もあるという筆者らしく、かみ砕いた表現で書かれている。ただ、読点を多用しがちなのはかえって読みづらくしているような気もする。それから、病名やら部位の英文表記を逐一付記する必要はあったのか? んなもんよりも図版のひとつも入れてほしかった。専門家でもない人が「第3-第4腰椎間」なんて言われたときに具体的な場所をピンポイントで理解できるとは思えないぞ。

 入手して真っ先に開いてみたのはやはり「水頭症のはなし」である。自分と関係の深い話題に最初に食いついてしまうのは、これ人情だと思う。天野氏の記述によると、おれが施術された脳室腹腔シャント術という手術はこういうものである。

頭の中で吸収しきれなくなった髄液を、細くてやわらかいチューブを皮下に通して、おなかの中に導き、腹腔内で腹膜から吸収させる。腹膜が持つ大きな吸収能力を活用する手術である。頭の中から、いっきに髄液がおなかの中に移行すると、まずいことが起こるので、髄液の流れを、圧にしたがって自動調節する小さなバルブが途中についている。

 手術した箇所が箇所だったし、上記のような手術をしたので本人はほとんど改造手術でも受けたかのような気分にもなったのだが、これに続く「脳外科では頻繁に行われる小手術のひとつである」という一文はちょっとした衝撃だった。「あれだけのことをしても小手術なのか?」と。落ち着いて考えれば、手術に要した時間は実質小一時間だし、検査と術後を合わせても入院期間は半月程度であった。広範囲にわたって頭蓋骨を切開したり、長い期間のリハビリが必要な症状で入院してくる人もいるのだから、脳外科の医者の視点からすれば「小手術」なんだろうなあ。

 ともあれ、脳外科の意外な守備範囲の広さにも気付かされる一冊である。

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2007.06.22

朝日ソノラマ、店じまいへ

 毎月20日に配信されるはずのメールマガジン「ソノラマ文庫 Monthly Hotline」の号外が21日にやってきた。はて、何事? …と思ったら。

※重要なお知らせ

読者のみなさまへ
                                          2007.06.21
                                          株式会社朝日ソノラマ

当社は9月で店仕舞いします


  長年にわたり朝日ソノラマの本をご愛読いただきありがとうございます。
 さて、当社は9月末日で営業活動を停止します。本日、その旨を記者発表しました。
 1959年9月の創業以来、今年で48年になります。日本初の「音の出る雑誌」を発行するなど、多くの人々に親しまれてきた出版社だと自負しています。最近も、コミックスを中心に、地味ながら手堅い経営をしてきました。
 しかしながら、最近の出版界の状況、当社の経営見通しなど、さまざまな観点から検討の結果、やむなく店仕舞いすることになりました。時代の流れに抗し切れず、誠に残念な結果です。

〔後略〕

 メールマガジンのタイトルに相反して、ソノラマ文庫の新刊は今年1月に「吸血鬼ハンター」シリーズの新刊案内がぽこっと出ただけで、このところソノラマノベルスのアナウンスばかりになっており「ソノラマ、どうしたのかなあ」と思っていたのだった。そうか、店じまいかあ……。

 物心ついた頃には「朝日ソノラマ」という会社の名前はソノシート付絵本のおかげで知っていたし、なじみ深いものでもあった。特撮専門誌の「宇宙船」(2005年に休刊)もあったし、中学生の頃には「クラッシャージョウ」シリーズにはまり、ハンドルの元ネタにも出会い…というわけで、ぶるないという人間の精神構成に多大な影響を与えた出版社であったと言いきってもいいだろう。

 せめてものご奉公をと考え、出て間もない「ウルトラマンメビウス」のムックをアマゾンでポチしたのであった。

 10月以降は朝日新聞社出版本部に出版権が移り、「ソノラマ」のブランド自体は存続されるそうだ。ちょっと寂しくなるけど、今までありがとう、朝日ソノラマ。

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2007.01.29

Vista発売前夜

 今朝のニュースを見ていて「あぁ、そういや明日だっけ、発売」くらいにしか思っていなかったWindows Vista。別段今使っているXPに不満はないし、むしろVistaで動かないフリーソフトが意外に多いのは大きなデメリットだ。そんなわけで、新しいOSが発売されるからと言っても導入するつもりは目下のところない。XPのサポートも2014年4月まで行われることが決まったし、そんなに買い急ぐ必要性も感じていない。

 マイクロソフトには独裁を連想させるイメージがあるのか、ルーマニアではこんなジョークのネタにされている(「世界の紛争地ジョーク集」より)。

 ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトが新しく自動車業界に進出することになった。しかし、できあがった車は以下のようなものだった。

  1. 特に理由がなくても二日に一度は突然動かなくなる
  2. 高速道路ではそれが特に顕著である
  3. こうした場合、最悪のケースとしてはエンジンを総取り替えしなければならない
  4. ユーザーは新しい道ができるとそのたびに、新しい車に買い替えなければならない

 どこの国でも、マイクロソフト製のOSの印象というやつはこういうものなのかもしれない。

 そんな評価はお構いなしに、恒例と化した午前0時の発売開始イベントは行われる。asahi.comより。

 ビスタは30日、全世界で同時に店頭発売されるが、時差の関係で、日米欧の主要市場では日本が一番早い販売となる。ヨドバシカメラの秋葉原店「マルチメディアAkiba」(東京都千代田区)とビックカメラ有楽町店本館(同)が女性タレントらを招き、販売開始へのカウントダウンを行う。東京・秋葉原では、ヨドバシのほかに九十九電機(同)などが深夜販売を計画しており、電気街はビスタ登場に沸き返る。(時事)

 XPのサポート延長が発表されたのは24日のことだから、仮に店側が「こりゃイベントになるほど客は集まらんぞ」と思っても手遅れである。少なくとも「沸き返る」ような大騒ぎにはならないであろうことは容易に想像が付く。文字通りの寒い夜になってもおれの知ったことではない。どうせ他人事だし。

追記トラックバックを頂戴して、20時30分現在のビックカメラ有楽町店前の画像を拝見した。見事なまでに閑古鳥が鳴いている模様。やっぱりねえ…。

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