2009.06.01

低調

 先週末から精神的に参ってしまっている。引き金になったのは、旦那さんがうつ病になってしまうというドラマをナナメに見たことであるのは間違いない。ドラマの中の妙なところに共感してしまい、すっかり自分がきらいになってしまった。

 「どうしてもダメなら(本来の通院日は一週間先であるが)月曜に病院行くか?」というところまで追い詰められたが、処方されている薬を飲んで一晩寝たら、なんとかニュートラルに近い状態まで戻った。それでも夜にはまた低調の波が襲ってきて、布団の中で悶々とする日々が続いている。

 こんな有様であるから、開催が予定されているオフ会についても、状況いかんによっては参加を遠慮させてもらうかもしれない。こんなテンションの参加者がいても他の人たちを不快にするだけであろうし。

6月3日追記:どうやらどん底をやり過ごした感じ。ゆるやかでも回復に向かうといいのだが。

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2009.01.16

ユウウツの理由

 元日早々、乗り鉄に出かけたまではよかったが、帰りの車中で憂鬱の虫に囚われて複雑な心境で帰ってきた(翌日書いた記事)。素人判断ながらその理由に行き当たった、ような気がする。

 なんの気なしに読み返し始めた『騙される脳 ~ブームはこうして発生する~』(著:米山公啓、扶桑社新書)にこんな記述があった。「報酬系」という脳内現象について説明するくだりである。

 動物実験では、美味しいものを食べているときではなく、「美味しいものが食べられる期待感を持っているとき」、あるいは「予想外の時に美味しいものが食べられたとき」に、最もドーパミンが出ることがわかっています。

 またいくら美味しいものでも、飽きがきてしまうとドーパミンが出なくなります。再びドーパミンを出すには、また新しいものを探すしかないのです。(P.85)

 「あの列車に乗ろう」「ここで駅舎を撮そう」と予定を立てているときの方が乗っているときよりも楽しい理由が、報酬系の仕組みを持ち出すと理解できる。

 ならば机上で好きなだけ旅行の予定を組んで満足すればよさそうなものだが、予定を立てると出かけたくなるから始末に負えない。さりとて、出かけたら出かけたで帰り道で虚しい気分になってしまうのだ。

 脳の仕組みに少し明るくなってみても、その仕組みを上手に扱えないとは、なんと難儀な状態なのやら。

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2008.09.11

気持ちが堕ちた日

 先週末の6日、明らかに気持ちが堕ちた。当日は新調したメガネを引き取りに出向いたのであるが、駅で電車を待っているときに突然スイッチが切れたかのようにぷつんと堕ちたのであった。電車を待っているときにこうなると、通過する貨物列車をホームから眺めているうちに「ここに飛び込んだら楽になれるかな…」なんて気分になってしまうだけに危険きわまりない。この日はメガネを引き取るなりさっさと帰宅して、夕食もまともに取らぬまま寝てしまった。

 翌7日も堕ちた気分は浮上してはこず、食欲も湧いてこないまま、1日の大半を寝床で過ごした。いわゆる「寝逃げ」というやつだ。

 こうも明確なタイミングで気持ちが落ちこむのも珍しいが、さすがにそのままにしておけないので、週明けの8日に精神科でカウンセリングを受けた際にはそのときの気持ちを洗いざらいぶちまけた(つもり)。それがよかったのか、通院後はいくらか気持ちが楽になった。

 それでも積極的に「死にたい」と思わないまでも、「なにかにしがみついてでも生きていたい」という気持ちになれないのは相変わらずなのであるが。

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2008.08.26

歯医者に行く

 なぜか「歯医者」という単語を聞くと思い出すやりとりがある。あれは何回目のウルトラクイズであっただろうか、第2次予選名物のジャンケンで交わされた会話。

福留「ご職業は?」
挑戦者「歯科医をやってます」
福留「ハイシャ(敗者)と言いなさい!」

 お互い承知の上で交わされた会話であろう。この後のジャンケンで、歯科医の人は敗退したと記憶している。

 ……などと、現実逃避でもしなければ行く気になれない歯医者に、何年かぶりに、足取りも重く行ってきた。行かなければならないということは重々分かっていたつもりなのだが、いざ行こうと思うと気が重くなるのも事実である。まあ歯医者に嬉々として通う人もあまりいないだろうが。

 今日は初診ということもあって、歯のX線写真を撮り、おおまかな治療方針が決められた程度であった。正直なところ「どっちみちもう口ん中ボロボロだし、治すだけ無駄なんじゃないの」という気もするのだが、それでも「残っている歯と歯周病の治療を行う」旨を歯医者の先生は語った。終わってみたら、いつの間にか肩に力が入ってしまい、すっかり凝っていた。

 これから本格的に歯医者に通う日々が始まるのかと思うと、本気で気が滅入ってくる。ううう。

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2008.07.07

アナタハ神ヲ信ジマスカ?

 「外国人≒キリスト教の宣教師」という思い込みがあった時代には、タイトルにあるフレーズを聞いた人も少なからずいるだろう。そしてよっぽど敬虔な人でもない限りは、このフレーズを半笑いで受けとめていたはずだ。現在のおれが聞いても、おそらく諸手を挙げて「信じる、信じますッ!」とは言わないだろう。それでも「片手くらいは挙げてもいいかなあ、遠慮がちに」と思うようになったのは不思議なものだ。

 こんな気持ちになったのは、自分が精神的にかなりのところまで追い詰められているせいだと自己分析している。

 人間というのは「こりゃ今の自分の手に余るなあ」という状況に陥ると、人知を越えた“なにか”にすがりつきたくなるらしい。それが「唯一絶対の存在」に向けられるか、「八百万(やおよろず)の存在」に向けられるかは、人によって異なるだろうが。

 従姉の旦那さんは、肺癌で従姉が亡くなる直前まで治療の方法がないか加持祈祷の類にまですがったと聞いたし、半年前に自らの命を絶ったおれの弟は「信仰」なんて言葉とはおよそ縁がないと思っていたが、部屋からは『神との対話』やら『神へ帰る』といった本が見つかった。

 こうして「まいった、困った、どうしよう」と言っている人たちを救済するために、宗教というものが生まれたんだろうなあ。……カウンセリングで話しているうちにこんな展開になってしまい、さぞやK先生も驚いたことだろう。話していた本人が一番驚いているんだが。

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2008.06.09

そしてふたたび耳鼻科

 2ヶ月ほど引きずっていたのであるが、右耳の具合がどうも悪かった。音が籠もった感じに聞こえ、聞こえ自体もよろしくない。一昨日の朝に洗髪したらなぜか症状が急激に悪くなったので、おそるおそる2年前に受診した耳鼻科を訪ねた。

 個人経営のところであるから、順番が回ってくれば当然前回と同じ先生が診ることになる。患者が何人来ても、診察と治療は1人で行われるので、患者をさばくさまはさながらヒヨコの鑑別のようである。いつも話を聞いてもらっているカウンセリングのK先生が「腕は確かだが評判はあまり良くない」と話していたことになんとなく同意してしまう。

 ちゃっちゃと容態を診た先生は「最近風邪ひいた?」と訊いてきた。そんなことはないですが、と答えると、症状を説明してくれた。「水が溜まってるねー。中耳炎の一種」とのこと。すぐに処置するという。「ちょっとチクッとするよー。すぐ終わるから」とかなんとか言いながら、耳の中になにやら器具を突っ込んでチクッ。そのあとに小型の掃除機のようなもので耳の穴を吸われて終了。ここまで具体的な説明はない。「評判はあまり良くない」ゆえんであろう。

 会計で4290円を請求され、領収証の「手術」の項目に点数の記載があったことから、「いったいどんなことが行われたのだ?」と勘繰ったおれは、帰りの道すがら検索してみた。該当する病気はすぐに見つかった。

滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)は中耳に滲出液が貯留した状態であり、中耳炎の1種である。(引用元:ウィキペディア)

 具体的な病名で検索すると、さらに詳しい処置についての記載も見つかった。あの「チクッ」は鼓膜の切開で、掃除機は溜まっていた水を抜く処置であったのだ。患者が知らないうちに処置してしまったのは好判断かもしれない。なまじ知っていたら、それなりに恐怖心を抱いていただろう。なるほど、「腕は確か」だった。

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2008.04.27

自殺報道の害悪

 このところ「硫化水素を発生させて自殺」という報道が目に付く。自室なり車なりを内側から目張りして、簡単に手に入るアレとアレ(ここに具体的な品名を記すのはやめておく。調べる気になればいくらでも情報は入手できるのだから)を混ぜれば有毒ガスが発生して、ホトケさんができあがる。

 タチが悪いのは、この方法で自殺した場合、死ぬ気のなかった周囲の人間に二次被害が出る危険性があるということ。企図した人間が気を使ったつもりで「有毒ガス発生中」と張り紙をしてみても、それが気づかれなければなんの意味もない。

 連日のようにこんな気の滅入るニュースが流れてくると、さも自殺者が増えているように思えてしまうが、それはおそらく気のせいである。「硫化水素を使わなければ別の手段で自殺に及んだであろう」ということくらいはメディアの側でも察してもらいたい。報道すること自体が自殺方法を声高に喧伝してしまっていることに、マスコミは気づくべきだ。

「自殺の連鎖」を止めるには、家族など周囲の人たち、自殺に使われた商品を製造する企業など総合的な取り組みが必要だ。

 ……などという寝ぼけているかのような記事を書いている場合ではない。この論法を突き詰めると「首つりに使われるからロープは売るな」とか「リストカットに使われるから包丁を売るな」とか「飛び降り自殺に使われるからビルを建てるな」といった無茶苦茶な理屈がまかり通ることになってしまう。

 手元にある『145人の自殺者』という本では、「自殺を食い止める報道方法」として以下のようなものを挙げている。

  • 全身麻痺や脳障害など自殺未遂者の悲劇を強調する。
  • 人間が如何にあっけなく死に、その逆になかなか死ねないということを強調する。
  • いじめ、ストレス=自殺という単純な連想を慎む。
  • プライバシーの問題が絡むが自殺者と精神疾患の関連を明確にさせる。
  • 「また自殺、ふたたび自殺」など自殺を日常化させるフレーズを使わない。

 文章の結びにはこうある。

 極論だが、最も有効な自殺防止策は自殺に関する報道はしないということになる。

 『完全自殺マニュアル』の類の情報を批判する前に、報道に携わる者として「何を報じ、何を報じるべきでないか」を考えるべきではあるまいか。

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2008.04.26

ふたたび脳外科の日々と荒療治

 体調の異常を自覚したのは14日のことだった。カウンセリング前にラーメン屋でお昼をずぞぞぞと食していたときのこと。後頭部に凝ったような痛みがおき始めた。「あれ、これは手術直後に出ていた症状なのでは…?」とか思っているうちに時間の経過とともに痛みは強くなり、夜には我慢できないものになった。

 こりゃかなわん、と翌日には脳外科に直行(幸いにも主治医の先生が外来に出ていた)。体を起こしているのがしんどい中、こういうときに限って何時間も待たされたりするのはたまったものではない。それまで170に設定されていたバルブの圧を190に上げてもらって当日は帰ったのだが症状は治まらず、2日後には再度外来を受診した。

 主治医のI先生は「こうなったら最後の手段」と前置きして、バルブの圧設定を最大の200に上げた。「あのー、これで症状が改善しなかったらどうするんでしょう?」と訊いてみると、シャントを抜くことも選択肢のひとつとのこと。

 幸いこれである程度症状は軽くなったので、首が痛いのを我慢しながら21日には新しいデジカメを物色してみたり、22日には「内容がないよー」な映画(当初の予定通りVシネでよかったんじゃないのか?)を見に行ったりしてみた。不思議なことに、これが荒療治として効果があったのか、その後で一眠りしたところ、さらに症状が軽くなった。

 それでも頭痛と耳鳴りが治まらないので、24日に3度目の受診をした。体を起こしていなければ首の痛みは起きないので、シャントのどこかが目詰まりしているということではないとのこと。I先生の診断によれば頭痛は首の筋肉の凝りが原因らしく、服薬と貼り薬で症状を抑えることができるという。

 これで2年ぶりに苦しめられた症状からはようやく解放されたのであった。はぁぁぁ。くそー、なんで今ごろになってあの症状が出てくるんだよぉ。

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2008.02.01

駆け抜ける嵐

 昔から「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」というが、我が家にとって2008年の1月は特殊な感覚の月となった。8日に弟がいなくなり、16日に遺体で発見されるまでの9日間はとてつもなく長く感じたものだが、それからの約半月は文字通り怒濤の勢いで駆け抜けていった。

 かくのような尋常ならざる事態が降りかかっていたこともあり(四十九日法要が済んでいないので、まだやらなければならないことは残っている)、mixiの方では弔問コメントも頂戴したりしたのであるが、とりあえず普段通りの生活は送れているのでご心配なく。まあmixiの日記やらコメントやらを読める人は「なんだ、元気そうじゃないの」と感じたであろうが。

 世間では「うつ病は心の風邪」というフレーズから、簡単に治るものと認知している人も少なくないだろう。実際にはこうした最悪の事態も招来しうるものであることを知ってほしい。おそらくは自殺者遺族の共通の思いであろう。

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2008.01.17

HEAVEN KNOWS

 弟が逝った。本来の順番ならば家族では一番最後に墓に入るはずの弟が、真っ先に逝ってしまった。一足先にmixiの方では報告したのだが、こちらでも簡単に報告しておく。

 8日の朝食を家族と一緒に取ったのを最後に、自分の車で外出した弟はその夜帰ってこなかった。以前にも同じようなことがあったことを踏まえて、その日のうちに警察への捜索願は出したものの、どうやらその晩に弟は我が身を処することにしたらしい。愛車の運転席が永遠の眠りへの寝床となった。

 発見の報が入ったのは昨日16日のことである。車はひとけのない山林の中に停まっており、マフラーから運転席へホースが導かれていた。検視に当たった医師の所見によれば、死因は一酸化炭素中毒とのことである。時節柄遺体が綺麗なままだったのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 生前こころを病んでいた弟は、思っていることを家族に漏らすことをしなかった。週に一度通っていた精神科の主治医だけが愚痴や本音を吐き出せる相手だったらしい。それを思うと、おれ自身の日頃の言動も今回の事態の遠因になっているように思えてならない。今更言ってみたところで死んだ人間が生き返るわけでもないが、こればかりは悔やんでも悔やみきれない。

 故人にとっては不本意だったかもしれないが、弟は今日無言の帰宅をした。葬儀は身内だけで済ますことになっている。バカ話をする相手を永遠に失った空虚な気持ちは、これからおれを苦しめ続けることになるだろう。

 うちで息を引き取った猫たちにあの世で会ったらよろしく伝えてくれや、この大馬鹿野郎め。「こっちじゃオレたちの方が先輩だぞ」と言われても知らんからな。

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