価値観いろいろ

 建前上、日本は民主主義の国であるから、価値観の多様性は許容されなければならない、とは思う。とは言うものの、さすがにこの活動には発起人の正気を疑う。

二次元キャラとの結婚を法的に認めて下さい

 署名を集めて政府に(!)提出するそうな。100万人なんて過大な目標を設定しているのは高い志を抱いているためか、はたまた「どうせ賛同者なんて集まりゃしない」と諦観しているためか。どうせ架空のキャラクターに対して一方的に妄想を抱いているだけなんだから、結婚だの入籍だのと言ったことも脳内で処理すればいいものを。

 いずれにせよ、こんな署名活動に本気で熱を上げるようなやつとは関わり合いになりたくないものだ。

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病院システムのオンライン化に関する一考察

 昨日、水頭症手術のフォローアップのために脳外科の病院を訪れた。かかりつけのこの病院は2ヶ月ほど前に現在の場所に移転し、併せて敷地面積も大幅に広くなった。おれが移転後の病院を訪ねるのは初めてのことである。

 受付で診察券と保険証を出して、検査室の前で待つ。しばらくするとCTの検査室から名前を呼ばれて頭の写真を撮る。ここまで約20分。移転前と大差はない。「じゃあ診察室の前でお待ちください」ということで、今度は並んでいる診察室の前に場所を変えて再び待ち時間。次は診察室の方からお呼びがかかるはずなのだが、なかなか順番が回ってこない。急患が入って担当の先生がそちらに時間を取られる旨の放送はあったが、あと何人くらいで自分の順番なのか分からないまま待たされるというのはイライラが募るものである。

 診察の順番が回ってきたのは、検査が終わってから2時間も後のことであった。診察室に入ると、さっき撮った頭の断層写真はパソコンのディスプレイ上に表示されていた。以前撮った写真もデータ化されて、さっきの写真の隣に表示されている。なるほど、検査室から写真を持ってくる技師がいなかったわけだ。

 それにしてもこのシステムも良し悪しで、患者側は自分のカルテがちゃんと回るところを回っているのか不安になる。ただでさえ自分の順番がいつなのか分からないのに、写真のやりとりすら患者から見えないところに行ってしまってはなおさら不安である。

 順番がいつ回ってくるか、分かるようにはできないものだろうか? 個人情報保護の観点に立つと名前をそのまま出すのは問題があるが、そうでなくても「自分の順番」の前に何人待っているかを分かるようにする方法はありそうなものだが。

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気持ちが堕ちた日

 先週末の6日、明らかに気持ちが堕ちた。当日は新調したメガネを引き取りに出向いたのであるが、駅で電車を待っているときに突然スイッチが切れたかのようにぷつんと堕ちたのであった。電車を待っているときにこうなると、通過する貨物列車をホームから眺めているうちに「ここに飛び込んだら楽になれるかな…」なんて気分になってしまうだけに危険きわまりない。この日はメガネを引き取るなりさっさと帰宅して、夕食もまともに取らぬまま寝てしまった。

 翌7日も堕ちた気分は浮上してはこず、食欲も湧いてこないまま、1日の大半を寝床で過ごした。いわゆる「寝逃げ」というやつだ。

 こうも明確なタイミングで気持ちが落ちこむのも珍しいが、さすがにそのままにしておけないので、週明けの8日に精神科でカウンセリングを受けた際にはそのときの気持ちを洗いざらいぶちまけた(つもり)。それがよかったのか、通院後はいくらか気持ちが楽になった。

 それでも積極的に「死にたい」と思わないまでも、「なにかにしがみついてでも生きていたい」という気持ちになれないのは相変わらずなのであるが。

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歯医者に行く

 なぜか「歯医者」という単語を聞くと思い出すやりとりがある。あれは何回目のウルトラクイズであっただろうか、第2次予選名物のジャンケンで交わされた会話。

福留「ご職業は?」
挑戦者「歯科医をやってます」
福留「ハイシャ(敗者)と言いなさい!」

 お互い承知の上で交わされた会話であろう。この後のジャンケンで、歯科医の人は敗退したと記憶している。

 ……などと、現実逃避でもしなければ行く気になれない歯医者に、何年かぶりに、足取りも重く行ってきた。行かなければならないということは重々分かっていたつもりなのだが、いざ行こうと思うと気が重くなるのも事実である。まあ歯医者に嬉々として通う人もあまりいないだろうが。

 今日は初診ということもあって、歯のX線写真を撮り、おおまかな治療方針が決められた程度であった。正直なところ「どっちみちもう口ん中ボロボロだし、治すだけ無駄なんじゃないの」という気もするのだが、それでも「残っている歯と歯周病の治療を行う」旨を歯医者の先生は語った。終わってみたら、いつの間にか肩に力が入ってしまい、すっかり凝っていた。

 これから本格的に歯医者に通う日々が始まるのかと思うと、本気で気が滅入ってくる。ううう。

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ライトノベルが想定する読者層とは?

 このタイトルに関して、出版各社は読者の漢字読解能力(ボキャブラリーと言い換えてもいい)をどの程度と見積もっているのだろうか?

 先日買ってきたものはシリーズ物の1冊でアニメ化もされている作品(そんなものはライトノベル業界には別段珍しくもないない)であるが、「こんな言葉にまでルビが必要か?」というくらいふりがなが振ってある。初出の固有名詞やら当て字と思われるフレーズであれば納得もできるが、「警察」だの「消防署」だのといった、義務教育の教科書にもごく普通に出てくるであろう言葉にまでふりがなが振られている文面というのはあまり見てくれのいいものとは言えない。

 また、シリーズを通して読んでいると1箇所ないし2箇所は校正の修正漏れが目に付いたりする。見つけたときは「おれがこんな言い回しを知らないだけなのかも…」と一歩下がった見方をするのだが、辞書を引いてみると単に校正作業で漏れただけであることがはっきりするのである。そうと分かると、作者と担当編集者にバカにされているような、なんとも言えぬ妙な気分になってくるのであった。しかも、そんなチョンボが初版から16版までの4年強にわたってほったらかしになっている状況もコワいと言えばコワい。

 ふりがなのある箇所を多くして読者の敷居を下げるのもひとつの販売方法なのかもしれない。ならばなおのこと、そこに書かれている日本語は正確を期するべきではないのか? いかにライトノベルといえどもそれは小説であって、間違い探しのクイズ本ではないのだから。

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アナタハ神ヲ信ジマスカ?

 「外国人≒キリスト教の宣教師」という思い込みがあった時代には、タイトルにあるフレーズを聞いた人も少なからずいるだろう。そしてよっぽど敬虔な人でもない限りは、このフレーズを半笑いで受けとめていたはずだ。現在のおれが聞いても、おそらく諸手を挙げて「信じる、信じますッ!」とは言わないだろう。それでも「片手くらいは挙げてもいいかなあ、遠慮がちに」と思うようになったのは不思議なものだ。

 こんな気持ちになったのは、自分が精神的にかなりのところまで追い詰められているせいだと自己分析している。

 人間というのは「こりゃ今の自分の手に余るなあ」という状況に陥ると、人知を越えた“なにか”にすがりつきたくなるらしい。それが「唯一絶対の存在」に向けられるか、「八百万(やおよろず)の存在」に向けられるかは、人によって異なるだろうが。

 従姉の旦那さんは、肺癌で従姉が亡くなる直前まで治療の方法がないか加持祈祷の類にまですがったと聞いたし、半年前に自らの命を絶ったおれの弟は「信仰」なんて言葉とはおよそ縁がないと思っていたが、部屋からは『神との対話』やら『神へ帰る』といった本が見つかった。

 こうして「まいった、困った、どうしよう」と言っている人たちを救済するために、宗教というものが生まれたんだろうなあ。……カウンセリングで話しているうちにこんな展開になってしまい、さぞやK先生も驚いたことだろう。話していた本人が一番驚いているんだが。

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そしてふたたび耳鼻科

 2ヶ月ほど引きずっていたのであるが、右耳の具合がどうも悪かった。音が籠もった感じに聞こえ、聞こえ自体もよろしくない。一昨日の朝に洗髪したらなぜか症状が急激に悪くなったので、おそるおそる2年前に受診した耳鼻科を訪ねた。

 個人経営のところであるから、順番が回ってくれば当然前回と同じ先生が診ることになる。患者が何人来ても、診察と治療は1人で行われるので、患者をさばくさまはさながらヒヨコの鑑別のようである。いつも話を聞いてもらっているカウンセリングのK先生が「腕は確かだが評判はあまり良くない」と話していたことになんとなく同意してしまう。

 ちゃっちゃと容態を診た先生は「最近風邪ひいた?」と訊いてきた。そんなことはないですが、と答えると、症状を説明してくれた。「水が溜まってるねー。中耳炎の一種」とのこと。すぐに処置するという。「ちょっとチクッとするよー。すぐ終わるから」とかなんとか言いながら、耳の中になにやら器具を突っ込んでチクッ。そのあとに小型の掃除機のようなもので耳の穴を吸われて終了。ここまで具体的な説明はない。「評判はあまり良くない」ゆえんであろう。

 会計で4290円を請求され、領収証の「手術」の項目に点数の記載があったことから、「いったいどんなことが行われたのだ?」と勘繰ったおれは、帰りの道すがら検索してみた。該当する病気はすぐに見つかった。

滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)は中耳に滲出液が貯留した状態であり、中耳炎の1種である。(引用元:ウィキペディア)

 具体的な病名で検索すると、さらに詳しい処置についての記載も見つかった。あの「チクッ」は鼓膜の切開で、掃除機は溜まっていた水を抜く処置であったのだ。患者が知らないうちに処置してしまったのは好判断かもしれない。なまじ知っていたら、それなりに恐怖心を抱いていただろう。なるほど、「腕は確か」だった。

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「SAVE THE FUTURE」ってうさんくさい

 その昔(と言ってもそれほど古くはないが)「人の命は地球の未来だ!」と言い切ったヒーローがいるが、そんな台詞を「そーかー?」と冷ややかな目で見ていたものである。

 地球ができて約46億年(推定)、いわゆる世界四大文明が発生したのは現在からたかだか7千年程度前でしかない。ホモ・サピエンスがこの惑星の支配者面をしているのは、地球そのものの歴史から見ればまばたき1回分よりもはるかに短い時間だ。単純に地上を支配していた期間だけで比較するなら、恐竜の方がよっぽど長い。その恐竜はとっくの昔に絶滅した。人類が破滅への道をたどらないなどとどうして断言できようか。

 …などとかなりの悲観論に走ってしまうのは、この週末にNHKが「SAVE THE FUTURE」、日テレが「Touch! eco 2008」などというスペシャル番組を組んでいるのを見てしまったからである。そんなキャンペーンをぶちあげて「地球環境を守りましょう」「二酸化炭素の排出量を減らしましょう」と主張する一方で、深夜の時間帯に放送される番組枠が減らないのはどういうことなんだろう。NHKに至っては「光熱費が半額・燃費向上CO2削減法」という内容の番組の再放送を夜中の2時台に組んでいる(光熱費をケチろうと思うなら、こんな時間にテレビなんぞ見ない方がいいに決まっている)。言行不一致も甚だしいんじゃないのか?

 現代の「生産-消費-廃棄」というサイクルの文明を手に入れた時点で、人間は首を吊るロープに頭を突っ込んでしまったのではなかろうか。もちろん登っていた踏み台はすでに蹴られている。あとできることと言ったら、ロープが締まる速度をわずかに遅くすることくらいであろう。締まりきるまでにどれほどの時間がかかるかは誰にも分からない。

 映画化されて続編も作られたマイクル・クライトンの『ジュラシック・パーク』に登場する数学者イアン・マルカムは、作中でこう言っている(映画にはないくだりである)。

危機に瀕しているのは地球じゃない。人類のほうだ。人間にはこの惑星を滅ぼすだけの力はない。救う力もない。しかし――自分たちを救済する力くらいはあるかもしれない……

 人類の危機と地球の危機を同一視するのは思い上がりもいいところだ。人類という種の存続が地球の未来に益をもたらさない可能性も、ちょっとは考えようよ。

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ふたたび脳外科の日々と荒療治

 体調の異常を自覚したのは14日のことだった。カウンセリング前にラーメン屋でお昼をずぞぞぞと食していたときのこと。後頭部に凝ったような痛みがおき始めた。「あれ、これは手術直後に出ていた症状なのでは…?」とか思っているうちに時間の経過とともに痛みは強くなり、夜には我慢できないものになった。

 こりゃかなわん、と翌日には脳外科に直行(幸いにも主治医の先生が外来に出ていた)。体を起こしているのがしんどい中、こういうときに限って何時間も待たされたりするのはたまったものではない。それまで170に設定されていたバルブの圧を190に上げてもらって当日は帰ったのだが症状は治まらず、2日後には再度外来を受診した。

 主治医のI先生は「こうなったら最後の手段」と前置きして、バルブの圧設定を最大の200に上げた。「あのー、これで症状が改善しなかったらどうするんでしょう?」と訊いてみると、シャントを抜くことも選択肢のひとつとのこと。

 幸いこれである程度症状は軽くなったので、首が痛いのを我慢しながら21日には新しいデジカメを物色してみたり、22日には「内容がないよー」な映画(当初の予定通りVシネでよかったんじゃないのか?)を見に行ったりしてみた。不思議なことに、これが荒療治として効果があったのか、その後で一眠りしたところ、さらに症状が軽くなった。

 それでも頭痛と耳鳴りが治まらないので、24日に3度目の受診をした。体を起こしていなければ首の痛みは起きないので、シャントのどこかが目詰まりしているということではないとのこと。I先生の診断によれば頭痛は首の筋肉の凝りが原因らしく、服薬と貼り薬で症状を抑えることができるという。

 これで2年ぶりに苦しめられた症状からはようやく解放されたのであった。はぁぁぁ。くそー、なんで今ごろになってあの症状が出てくるんだよぉ。

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アニメ業界の音楽事情というやつ

 BSで放映された『アニメギガ』を見た。ゲストは“燃える作曲家”・田中公平。番組の最後で「田中さんにとって、アニメとはなんですか?」という問いに対する答えが印象的だった。曰く――、

「子どもが子守唄の次に耳にするのがアニメ音楽。だからこそ本物を聞かせてあげたい」

 至言である。アニメの音楽に対して真摯に取り組む人でなければ、こんな言葉は出てこないだろう。

 逆にそんな人たちを取り巻く環境はどうなっているのか。四半世紀も前に山本正之が「アニメがなんだ」の歌詞で皮肉った「歌とドラマと ぜんぜん合ってない」状況は輪をかけてひどくなり、露骨なタイアップは大手を振ってまかり通っている。本編の音楽を担当する作曲家が知らないところで主題歌(とはもはや呼べない曲)作りが進行し、曲を提供する側も作品のことなどちっとも考えない曲をぬけぬけと提出し、そんな曲に制作サイドがOKを出す。……こんな環境下で「本物」が作れるのか?

 そんな状況で作られる楽曲であるからして、歌詞にしても「子どもが歌う」ことなんざ考えちゃいない。日本人には「英語=カッコいい」という傾向が顕著であるから、作詞者が「どーだい、カッコいいだろう!」という感覚で付けられた歌詞にはかなりの割合で英語が入っている。誰とは言わないが、「アニメのための曲作り」を大義名分に掲げている人でさえ、この呪縛から逃げられないでいる。……そこに「子どもも聞く曲」はあるのか?

 21世紀に入ってから作られたアニメソングの中で、どれほどの曲がいわゆるスタンダードナンバーにまで昇華されるのか、はなはだ疑問だ。「そんなのできっこねえ」というのが個人的見解である。

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漢検初挑戦

 そんなわけで行ってきましたよ、漢検を受けに。都内で降った雪の影響を水戸あたりでもちょこっと受けつつも(常磐線の上りは6分の遅延)、会場の最寄り駅である水戸にはかなりの余裕を持って到着。

 そこまでは順調だったが、番狂わせがひとつ。会場になっている学校の方面に行くバスが意外に少ない。休日だったせいも多分にはあるだろうが、元から便数の多い路線ではなかったなあ、と20年ほど前には会場と同じ敷地にある学校に通っていたおれは思い出したのであった。自分で書いていて年月の経過にビックリである。

 試験会場は建物の5階にある教室であった。ふうふう言いながら上がっていって、「試験前に用足しを…」と思ったら、1階まで戻らないとトイレがないことに軽く絶望したりした。こういうことがあったりするから、試験会場には十分な余裕を持って着いておきたいものである。

 室内を見渡してみると、なぜか女性の比率が高めであった。ざっと見た感じでの男女比は1対3くらいか。制服姿がとても目立つ。

 開始前に解答用紙と問題がセットになったものが各人に配られる。解答用紙には受検票に書かれた番号と名前がすでに印字済み。試験と名の付くものにはすっかりご無沙汰していたおれにはけっこう新鮮な驚きであった。

 受検番号と名前が合っていることを確認したら、ふりがなを手書きで記入。おれはここで自分の受検対策が不十分なものであったことを早くも痛感させられた。手書きの感覚が鈍っている! ここ半月ほど急な法事でバタバタしていたこともあるが、DSのソフトばかりで練習していたせいで、手が「鉛筆で字を書く感覚」を忘れていたのであった。おかげで書き取り問題では、同じ文字を書いては消し書いては消しを繰り返す羽目になった。今後漢検の受検を考えている各位には「練習は鉛筆で手書きすること」を強く推奨したい(解答用紙は縦書きなので、そのへんも考慮した方がいいかもしれない)。

 実際に試験を受けてみてとんだ伏兵だったのは、漢字の部首を書く問題と、熟語の構成を問う問題。部首の方の配点はそれほど重要視されていないようだが、熟語の構成は意外な失点につながりかねないので要注意かも。

 解答そのものは20分の余裕を持って終わった。もっとも、解答用紙の回収後に配られた模範解答を見て、内心で思わず「うぎゃあ」と喚いた箇所もいくつかあったが。おれの受けた準2級の合格の目安は正答率7割程度だという。このラインはクリアしていると思うのだが、さてどんなものやら。合否の発表は40日ほど後とのことである。

3月6日追記:合否結果が届いた。結果は200点満点中178点で合格。とりあえず、もうひとつ上くらいは目指してみようかねえ。

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駆け抜ける嵐

 昔から「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」というが、我が家にとって2008年の1月は特殊な感覚の月となった。8日に弟がいなくなり、16日に遺体で発見されるまでの9日間はとてつもなく長く感じたものだが、それからの約半月は文字通り怒濤の勢いで駆け抜けていった。

 かくのような尋常ならざる事態が降りかかっていたこともあり(四十九日法要が済んでいないので、まだやらなければならないことは残っている)、mixiの方では弔問コメントも頂戴したりしたのであるが、とりあえず普段通りの生活は送れているのでご心配なく。まあmixiの日記やらコメントやらを読める人は「なんだ、元気そうじゃないの」と感じたであろうが。

 世間では「うつ病は心の風邪」というフレーズから、簡単に治るものと認知している人も少なくないだろう。実際にはこうした最悪の事態も招来しうるものであることを知ってほしい。おそらくは自殺者遺族の共通の思いであろう。

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HEAVEN KNOWS

 弟が逝った。本来の順番ならば家族では一番最後に墓に入るはずの弟が、真っ先に逝ってしまった。一足先にmixiの方では報告したのだが、こちらでも簡単に報告しておく。

 8日の朝食を家族と一緒に取ったのを最後に、自分の車で外出した弟はその夜帰ってこなかった。以前にも同じようなことがあったことを踏まえて、その日のうちに警察への捜索願は出したものの、どうやらその晩に弟は我が身を処することにしたらしい。愛車の運転席が永遠の眠りへの寝床となった。

 発見の報が入ったのは昨日16日のことである。車はひとけのない山林の中に停まっており、マフラーから運転席へホースが導かれていた。検視に当たった医師の所見によれば、死因は一酸化炭素中毒とのことである。時節柄遺体が綺麗なままだったのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 生前こころを病んでいた弟は、思っていることを家族に漏らすことをしなかった。週に一度通っていた精神科の主治医だけが愚痴や本音を吐き出せる相手だったらしい。それを思うと、おれ自身の日頃の言動も今回の事態の遠因になっているように思えてならない。今更言ってみたところで死んだ人間が生き返るわけでもないが、こればかりは悔やんでも悔やみきれない。

 故人にとっては不本意だったかもしれないが、弟は今日無言の帰宅をした。葬儀は身内だけで済ますことになっている。バカ話をする相手を永遠に失った空虚な気持ちは、これからおれを苦しめ続けることになるだろう。

 うちで息を引き取った猫たちにあの世で会ったらよろしく伝えてくれや、この大馬鹿野郎め。「こっちじゃオレたちの方が先輩だぞ」と言われても知らんからな。

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「ごちそうさま」は?

 ひいきにしているラーメン屋がある。カウンター中心のこぢんまりとした店なので15人で満席になってしまうが、その筋のガイドブックに掲載されるくらい味の方では人気がある。小さい店であるだけに、他の客の挙動がどうしても気になってしまう。で、どうにも引っかかることがひとつ。

 どうして店を出るときに「ごちそうさま」を言わないのか?

 これは年齢・性別を問わないのである。客がお店の人と会話するのは、注文するときと替え玉を頼むときくらい。そんな客の挙動とはお構いなしに、お店の人たちは注文の品が出来上がれば「はい、お待たせしましたぁ!」、客が店を出るときには「ありがとうございましたぁ!」と元気な声をかけてくれるのであった。そこまで腰を低くしてもらっていて、どうして客がお店に礼儀を示さない? 「自分は客なんだから、そんなこと言わなくてもいいだろ」とか思っているのか? 自分ちの食事では食事の終わりに「ごちそうさま」って言わないのか?

 おれは外食したときには「ごちそうさまでした」を欠かさずに言うことにしている(ファストフード店を除く)。駅の立ち食いそば屋も例外ではない。この習慣のおかげで先のラーメン屋では会計時と店を出るときの2度、元気な声をかけられる。

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砕け散るまでそば粉と戦う

 大晦日恒例の年越しそば。一部地域を除いてほぼ全国的に食べられているものであろう。その年越しそばを自宅で打って食する家庭はどのくらいあるのだろう。今年、我が家がその中の1軒に仲間入りした。

 話は1週間前に遡る。世間的にはクリスチャンもそうでない人も、こぞってクリスマスイブの狂騒のただ中にあった。そんなさなか、我が家にはそば打ちセット一式がやってきたのであった。当日は「大晦日の予行練習」と称してさっそくそば打ちが行われた。結果的には「致命的にまずくはないが旨いとも言えない」そばができあがった。こういうものは最初から上手にできるわけでもないので、「本番でうまくいけばいいや」くらいの気分でその日の夕食は終わった。

 そして今日が本番である(もっとも、今後も機会があれば打つんだろうが)。まだ陽光が窓から差し込む時間帯にそば作りは始まった。まず、そば粉とつなぎの小麦粉を計量してふるいにかけ、指でかき混ぜる。あらかた混ざったら、およそ2回に分けて水を加えながらさらに混ぜる。粉に水分が行き渡ったようであれば、これをまとめて捏ねる(意外に力仕事)。生地の具合にもよるが、前半戦では100回ほど練ったところで麺棒で延ばしていく(このあたりから担当は親父にバトンタッチ)。最初は円く、薄くなってきたら方形に延ばしていく。十分延びたところを麺切り包丁で切る。ゆでる前まではおおむねこんな感じで工程は進む。部屋に明かりが必要になる頃には打つ作業は終了した。

 ゆであがったそばを食べたのは、NHKが年内最後のまっとうな番組(もちろん「こどもニュース」のことである)を放映している時間帯。1週間前のリハではおれが太く切りすぎて失敗したところを、今回は親父殿がいい感じに切ってくれたので、十分年越しそばとして食するに耐えるものができあがった。満足満足。

 そば粉を混ぜている最中には、すっかり我が家の猫となりつつある「ニャン太」と「ゆのっち」の親猫である「グレ」(3匹の写真はこちらの記事を参照。ニャン太はしっかりオス猫であることが判明している)がしばらくぶりに我が家を来訪した。「暮れの元気なごあいさつ」というやつであろうか。

 我が家の猫たちを含めて、この記事を読んでいる人たちにとっての新しい年がいい年でありますように。……猫はブログなんか読まないか。

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高速スクロールのクレジットに「信用」はあるか?

 気が付いたら年の瀬である。新聞のテレビ欄には、ぶち抜きで長時間放映されるバラエティ番組が並んでいる。内容に満足できれば文句を言うこともないのだが、ダラダラとムダに長いだけで大して面白くもないのが困りものである。

 この手のバラエティを最後まで見ていると、エンディングに流れるスタッフクレジットの表示速度がやたらと速いことに気づかされる(民放ではしょっちゅうお目にかかる)。「どうせこんなところ誰も見ちゃいないんだから、ちゃっちゃと流して終わりにしようぜ」という作り手側の魂胆が透けて見える。それだけにどうにも許し難い。

 Wikipediaで「クレジットタイトル」を検索すると、こんな文章に行き当たる。(註:文面は本記事の執筆時点のもの)

クレジットの原義は「信用」である。作品の制作に関わったキャストやスタッフの功績を認め、またその権利を明確にするためにクレジットタイトルは表示される。さらにクレジットの順番は、その作品における重要度を表している。

 視聴者が普通に読めないようなクレジットタイトルに「信用」だの「功績を認め」などというフレーズが該当するとは到底思えない。「そんなに読みたければ録画してスロー再生しろ」とでも言うのだろうか? マスメディアに携わっているのであれば、権利だけじゃなくて「放映した責任」も明確にしてくれよ。こんなせこい真似ばかりしているから、テレビの視聴率は下がり続け、逆にレンタルビデオ店の売り上げが上がるのである。

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漢検対DSソフト

 いささか唐突ではあるが、漢検を受けてみることにした(申し込み済み)。そもそも受けてみる気になったのは、テレビの『熱血!平成教育学院』を見ているうちに「こんなんだったらおれでも受かるんじゃね?」という、至って軽ーいものであった。

 さて、初めての漢検、どの級から受けるべきであるか? あまりにも手応えのない級では面白みがない。かといって、自分の実力と難易度の開きが大きすぎる級では受験料をドブに捨てることになる。というわけで、選んだのは「準2級」である。買ってきたテキストによれば「高校在学程度」の漢字力が要求されるそうだ。

 一緒にDS用の学習ソフトも買ってはみた。ただ、このソフトがいささか曲者であった。テキストとつきあわせると、「ホントにこのソフトで漢検の学習ができるのか?」という印象が強くある。

 どうもこのソフトは「解答者が正解を書いてくれる」ことを期待するアルゴリズムで動作しているのではないか? 誤って偏が異なる漢字を書いても、認識させると正解の漢字を出してくる。「いや、おれが書きたいのはこの字じゃないんだ」と思っていても正解の字で認識してしまう。……これでは勉強にならんぞ、おい。

 さらに厄介なことに、漢検の書き取り問題では「止め」や「はね」もちゃんと書かないと正解にならない。DSのソフトではそのへんがゆるーく設計されており、「ここはねないとダメ」などと指摘してはくれないのであった。それでもこのソフトは「財団法人日本漢字能力検定協会公式ソフト」なのである。いいのか、そんなんで。

 試験日は来年の2月3日である。さて、どうなることやら。

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ときわ路パスで秋の乗り鉄・Scene0「宴の支度」

 ふと気が付いたら、春先に利用した「ときわ路パス」がまたまた発売になっていた。前回は鹿島臨海鉄道から廃止になった鉾田駅を経由して、千葉県北部のJR線へと乗り継ぐルートで乗り鉄してみた。この模様は4回に分けてこのブログで取り上げた。

 こんなルート設定をしたのは、ひとえに「今見に行かないと、いつ鉾田駅が取り壊されるか分からない」という恐怖心があったせいである。頭の中にはもうひとつ、別方向へのルートがあった。今回は前回不採用になったルートに行ってみよう、というわけで発売を待っていたのである。

 もちろん立案から実行までに時間がかかったのにはそれなりに理由がある。それはルートを紹介すればある程度のご理解をいただけると思う。

 まず水戸線の下館駅へ向かう。ここから未乗路線である関東鉄道常総線でひとまず守谷へ出る。そこからこれまた未乗であるつくばエクスプレスで終点のつくばへ、さらに折り返して始発駅の秋葉原へ。再び来た路を引き返して、守谷から常総線の残りの区間を乗り潰して取手へ。あとは常磐線をひたすら自宅の最寄り駅まで戻ってくる。以上。

 問題は間に挟まっている「秋葉原」である。せっかくここまで行くのに、なんにもしないで戻ってくるのは物足りない。……てなわけで「カラオケとかカラオケとか、あとカラオケとか、誰か付き合ってくんない?」と声をかけてみたところ、首尾よく手を挙げてくれる友人たちがいてくれたので、久闊を叙することにした。かくして「電車に乗りまくって、ついでに気心の知れた面々とカラオケにも行っちゃおう」という、一石二鳥を狙うプランが出来上がった。

 ツケはしっかりと日程に跳ね返った。明日は自宅を朝6時に出発する予定である。日帰りの乗り鉄でこれほど早い時間の列車に乗ったことは今までない。しかも天気は終日雨との予報。これは「茨城県内を乗り歩いてもらう切符で、JRの商売敵であるつくばエクスプレスに乗りに行こうなんて魂胆はけしからん」という天罰かなにかであろうか。

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「鉄道ってなんですか?」

 3週間ぶりにカウンセリングを受けに行った。このところカウンセリングを受けているのか雑談をしているのか分からん状態の小一時間を過ごしている。そんな話し相手のK先生(女性)が、つい鉄道話についてアツく語ってしまうおれにしばしばこんな質問をぶつけてくる。

 「ぶるないさんにとって鉄道ってなんですか?」

 ここでスパッと答えられればいいのだが、なぜかしばし答えに詰まってしまう。うーむ、おれにとって鉄道趣味ってなんなんだろう? 小学校高学年くらいには時刻表やら鉄道雑誌やらを読むようになっていたので、改まってこんな質問をされると正直困る。これを読んでいるあなた、人一倍アツく語れる話題について「あなたにとって○○ってなんですか?」と問われたときに「こういうものです」と即答できるだろうか?

 差し向かいでの沈黙が苦手なので、うーんうーんと貧困なボキャブラリーの中からひねり出したのは「自分が知らないところへ行く楽しみでしょうかねえ」であった(おれは乗り鉄・撮り鉄系の鉄道好きなので)。

 あー、乗りに行きてえなあ。脈絡もなく。

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雷雨と共に去りぬ

 不幸は雷雨と共にやってきた。うっかり開けっ放しにしていた窓際に置いてあったMP3プレイヤーが、カーテン越しに吹き込んできた雨を浴びてしまったのである。とりあえず水気を拭き取って再生してみたら作動したので、そのまま持ち出して出かけたのであるが、帰ってきて新しくエンコードした曲を転送しようとPCに接続したところ、プレイヤーの電源こそ入るがPC側が外部メモリーとして認識しない。

「あれれ、おかしいな」とあれこれ手を尽くしては見たものの、ついに一番恐れていたメッセージがプレイヤーのディスプレイに表示された。

 HDDにアクセスできません

 事実上のご臨終であった。ううう、手荒に扱ってすまなんだ、gigabeat。今までありがとうよ。

 ……それにしても、後継機はどうしよう?

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摂氏34度の退屈

 こんなタイトルを付けて、ネタの分かる人がどのくらいいるのだろう? …とか思いつつも付けてしまうのであった。

 「ラニーニャ現象が観測された」なんてニュースを聞いた(日本では夏が暑く、冬が寒くなる)と思ったら、今年の夏は常軌を逸した暑さになっている。今日は茨城県内でも猛暑日を観測した箇所が14地点中12地点というから普通じゃない。「なーんもする気が起きん」というレベルならまだしも、熱中症で死者が出た、なんて暑さにもなると笑い事では済まない。

 あづいあづいとボヤいているうちに、今日は岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度の日本最高気温が観測された。それまでの記録は1933年に山形市で記録された40.8度で、74年ぶりの記録更新だというから余計にげんなりする。この夏の間に記録更新の可能性も十分にありうるだけに、げんなりの度合も半端ではない。

 こんな殺人的な暑さの中、明日からの3日間は有明で「全日本オタクの祭典・夏の大会」が開催される。ビッグサイトは会場の構造上熱が籠もりやすいので、救護室がさながら野戦病院の様相を呈するであろうことは想像に難くない。

 やはり日本の暑さは「おー暑いのー、屁も出んぞ」くらいが適当なのであろう。せめて風があれば体感温度も少しは下がるんだがなあ。

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かな書きの功罪

 台風と地震のダブルパンチの陰に隠れてしまった気もするが、参議院選挙運動の真っ最中である。当然のことながら我が家の近くにもポスターが掲示されている。おれの住んでいる県の選挙区では6人が立候補しているのだが、選管の立てた掲示板を見てみると、全員が名前のどこかをかな書きしている。うち1人は苗字も名前も両方ひらがな表記である。それは漫画家のペンネームか。

 候補者側としては「有権者に親近感を持ってほしい」とか「名前を憶えてもらいたい」みたいなもっともらしい理由があるのだろうが、個人的にはこの傾向は嫌いである。有権者は議員になる人物に「あんたに任せた」と票を投じる。その人物の名前くらい漢字で書けなくてどうするのだ。どうせ多少うろ覚えでも、投票用紙に記入するコーナーに行けば「この人たちが立候補してます。他の名前書いちゃダメですよ」と、目の前に立候補者一覧が貼られているではないか。

 だいたいかな書きは漢字で書いたものと比べると、間が抜けて見える(当ブログのタイトルがいい見本だと思う)から困る。いわゆる平成の大合併でかな書きの地方自治体がどっと増えたが、意味もなくかな表記にしているところは何を考えているのだろう。「難読である」とか「漢字で書くと画数が多く、縮小すると字が潰れてしまう」とかならまだ納得もできる。小学生でも読み書きできる地名をわざわざかな表記する発想をおれは理解できない。Wikipediaを眺めていると、逆に漢字を濫用する例が目について、これはこれで閉口するのだが。

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政治家に学ぶ「誠意のない謝り方」

 曲がりなりにも防衛省のトップにいる人のする発言じゃないよなあ、と思わされた久間防衛大臣の「原爆投下『しょうがない』」発言。周りからさんざんにつつき回されて謝罪のようなことをしたが、どうにもそのコメントに誠意がこもってないように感じられて仕方ない。asahi.comより。

 久間防衛相は1日、長崎県島原市内で記者会見し、米軍による日本への原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば、大変申し訳なかったという気持ちだ」と陳謝し、発言を事実上撤回した。〔中略〕

 久間氏は会見で「しょうがない」発言について「例えとして原爆の話までしなくてもよかったと思う。原爆(投下)を認めた、『しょうがない』と言った、と受け取られてしまったところに、今思うと私の説明の仕方がまずかったんじゃないかという気がする」と釈明した。

 前段での発言では「という気持ちだ」は不要だし、後段の「まずかったんじゃないかという気がする」は「まずかった」とすべきではないのだろうか? 心の底から謝るのであれば、スパッと言い切らないと相手に誠意は伝わらない。「選挙が近いし、有権者にマイナスイメージを与えるのはまずいよなあ」という計算が動いているのが手に取るように分かるぞ。

 やはりそのへんのせこい魂胆は透けて見えるらしく、大臣のお膝元である長崎原爆被災者協議会の会長の怒りはコメントを受けてもなお収まらない。時事ドットコムより。

 久間章生防衛相が米国の広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言し、1日に陳謝したことについて、長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(76)は「核問題が現内閣で軽々しく扱われている。久間防衛相だけでなく安倍内閣全体の問題だ」と怒りをあらわにした。
 山田事務局長は、久間防衛相の原爆発言をめぐる陳謝について「参院選への関係から謝るそぶりを見せただけでは」と批判した上で、「きちんと撤回すべきだ」と指摘した。

 久間さん、あなたの「謝罪もどき」はみみっちい損得勘定のせいで、伝わるべき相手に伝わっていませんよ。……それにしても、どうして安倍内閣の閣僚連中はこういうやつらばかりなんだ。支持率も下がるわけだよなあ。

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朝日ソノラマ、店じまいへ

 毎月20日に配信されるはずのメールマガジン「ソノラマ文庫 Monthly Hotline」の号外が21日にやってきた。はて、何事? …と思ったら。

※重要なお知らせ

読者のみなさまへ
                                          2007.06.21
                                          株式会社朝日ソノラマ

当社は9月で店仕舞いします


  長年にわたり朝日ソノラマの本をご愛読いただきありがとうございます。
 さて、当社は9月末日で営業活動を停止します。本日、その旨を記者発表しました。
 1959年9月の創業以来、今年で48年になります。日本初の「音の出る雑誌」を発行するなど、多くの人々に親しまれてきた出版社だと自負しています。最近も、コミックスを中心に、地味ながら手堅い経営をしてきました。
 しかしながら、最近の出版界の状況、当社の経営見通しなど、さまざまな観点から検討の結果、やむなく店仕舞いすることになりました。時代の流れに抗し切れず、誠に残念な結果です。

〔後略〕

 メールマガジンのタイトルに相反して、ソノラマ文庫の新刊は今年1月に「吸血鬼ハンター」シリーズの新刊案内がぽこっと出ただけで、このところソノラマノベルスのアナウンスばかりになっており「ソノラマ、どうしたのかなあ」と思っていたのだった。そうか、店じまいかあ……。

 物心ついた頃には「朝日ソノラマ」という会社の名前はソノシート付絵本のおかげで知っていたし、なじみ深いものでもあった。特撮専門誌の「宇宙船」(2005年に休刊)もあったし、中学生の頃には「クラッシャージョウ」シリーズにはまり、ハンドルの元ネタにも出会い…というわけで、ぶるないという人間の精神構成に多大な影響を与えた出版社であったと言いきってもいいだろう。

 せめてものご奉公をと考え、出て間もない「ウルトラマンメビウス」のムックをアマゾンでポチしたのであった。

 10月以降は朝日新聞社出版本部に出版権が移り、「ソノラマ」のブランド自体は存続されるそうだ。ちょっと寂しくなるけど、今までありがとう、朝日ソノラマ。

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無礼者ッ!

 人の名前を間違えるというのは、とっても失礼なことであると思う。こういったブログなどで間違えるのも相当に失礼だが、書物として残るもので間違えるのは言語道断である。

 中学生の時に卒業アルバムの編集委員を押し付けられたことがあったが、その卒業アルバムの顧問の教師に思いっきり名前を誤表記されて憤慨したものである。卒業式当日に遠回しに文句を付けたら、謝るどころか「そりゃいい思い出になったなあ」などと抜かされて「なにがいい思い出だ、ふざけんなこのハゲ!」と怒りの電流がほとばしった。以来、こと人の名前を読み書きするときには気を遣うようになった。

 ここで問題。あなたは以下の人名を正確に書けるだろうか? できればPCなどを使わずに手書きしてみてほしい。1問目とそれ以降のギャップが激しいが、あまり気にしないように。

Q1. 2007年6月1日現在の内閣総理大臣
Q2. 「機動戦士ガンダム」でセイラ・マスを演じた声優
Q3. 同作品でララァ・スンを演じた声優
Q4. 「装甲騎兵ボトムズ」でキリコ・キュービィを演じた声優
Q5. 「吸血鬼ハンターD」や「魔界都市ブルース」のシリーズを書いている小説家

 では答え合わせ(敬称略)。

A1. 安倍晋三
A2. 井上瑤
A3. 潘恵子
A4. 郷田ほづみ
A5. 菊地秀行

 1問目。「小泉純一郎」などと答えた人は論外である(そういう人はもうちょっとニュースを見た方がいい)。手書きした人の中には、間違って「安倍三」と書いてしまった人もいるかもしれない。「あべ」という苗字には漢字の組み合わせのパターンが何種類もあるので、「どの『あべ』だっけ?」と迷うことが多々ある。政治家として支持する・支持しないはともかく、自分が住んでいる国の行政の最高責任者の名前くらいは書けないと、ねえ。

 2問目。びっくりするほど多いのが「井上」と誤記するケース。このパターンで間違えた人は、名前の読みも間違えている。この人は「いのうえ・よう」であって「いのうえ・はるか」ではない。

 3問目。これまたムックの類での「恵子」の誤表記が目立つ。くさかんむりは余計だ。

 4問目。苗字はともかく、名前を「ほみ」と間違えるケース多数。「ウルトラマンティガ」にゲスト出演したときもオープニングクレジットで間違えられていた。失敬な。

 5問目。おそらくは日本中の「菊地」姓の人が「菊」と間違えられて、「さんずいじゃねえ、土偏だ!」と憤った経験があるのではないだろうか。逆もまたしかりなのだが。

 自分のプロフィールのページなどで、「好きな小説」とか「好きな作家」として挙げている名前が間違っているのを見かけることがある。そういうものを見るたびに「好きなんだったら間違えるなよ」とおれは内心で舌打ちする。そこんところ分かってらっしゃいますか、「僕たちの好きな~」というタイトルのムックをいくつも出している出版社の方々? あなた方の会社が出すムックにはこの種の凡ミスが多いですよ。

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ひさしぶりに万年筆を使う

 同人誌の通販を依頼しようと便箋を買い求めたところ、思いのほか格調の高そうなものを選んでしまい、それを見ているうちに「この便箋にはボールペンはふさわしくないのではないか?」との考えが頭をよぎった。たかだか通販の申し込みくらいでそこまで気にするこたぁないじゃないか、とも思うのだが、ボールペンで書くと筆圧の関係で下の紙までへこんでしまう可能性もある。これはどうにもカッコ悪い。てなわけで「ここは万年筆だ!」との結論に至った。

 かくして引き出しで長い眠りに就いていた2本の万年筆のうち、1本に日の目が当たることとなった。1本は中学の入学祝いに伯母からプレゼントされたセーラー製のもの、もう1本はそれより安めのパイロット製のもの(これは自分で買った)。若干迷ったが、前者を使うことにした。こちらの方が使っていなかった期間が長いからである。

 まず軸をはずしてインクカートリッジを交換。もう何年も使っていなかったので、インクはとっくになくなっている。それからインクが出てくるまで何度となく試し書きする。インクがペン先に届くようになると、ガリガリと紙をひっかいていたような感覚がなくなって、しばらく忘れていた滑らかな書き味が戻ってきた。

 今でこそメールやブログへのコメントなどで用を済ませてしまうせいで手書きをする機会もすっかり減ったが、自分でも驚くくらいおれの手はちゃんと字を憶えていた。万年筆というのはこんなにも書いていて気持ちのいい筆記具だったのかと認識を新たにした次第である。だから思わずブログのネタにしてしまうのであった。たまには万年筆にも活躍の場を与えてやろうっと。

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でかっ!

 今日で4月も終わりという日に両親が揃って出かけ、帰ってきたと思ったら家具の位置が一部変わっていた。てっきり探し物か何かをした後で元に戻していないものと思って確認したところ、「明日新しいテレビが来るから」との返事。出かけた先は、現在の家に引っ越す前からなじみにしていたパナソニックの特約店だったのである。この店で買い物をするのも何年ぶりになるのやら。

 どれどれと伝票をのぞき込んで驚いた。画面サイズはそれまであったテレビの倍はある42インチ。もちろん地上デジタルやハイビジョン放送に対応、契約すればCSも見られまっせ、という代物であった。さらにセットでハードディスクレコーダーも購入というから相当に太っ腹だ(世間的には「何をいまさら」であろうが)。

 翌日、お店の店長が直々にセッティングにやってきた。おれが気が付いた頃には設置は完了しており、親父が店長と画面を見ながら談笑していた。リビングにどかーんと登場したプラズマテレビは、数字から受ける印象以上に巨大。画面もきれいだ。そして使いこなせるかどうにも怪しい、機能の多彩ぶり。「あっちも見たい、こっちも見たい」と思ったらリモコンを駆使して必要な機能を呼び出さなければならない。実際におれは録画予約をしようとしたらレコーダーの画面がフリーズし、深夜にパニクる羽目になった。

 こんな多機能なテレビがどんどん普及するのはいいが、使う側はちゃんとそれに対応できているのだろうか。慣れるまでは取説と首っ引きで使わなければならないのは必至である。……どうせトラブったときの対応要員は問答無用でおれなんだし。

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バカにバカと言われる人たち

 西武球団の金銭授受問題に関してコメントを求められた「ワンマンマン」ナベツネの回答。nikkansports.comより。

 巨人渡辺恒雄球団会長(80)は4日夜、都内ホテルで会食後、西武の調査委員会が「他球団でも同じようなことをやっているのでは」など同様の金銭授受が他球団にもあることを示唆した中間報告の内容に強い不快感を示した。「西武とは、これから話し合っていかないといけない」とした上で「あの人たち、バカだね。(大切なのは)まず自分の身を正すことであって、モラルの欠如だな。非常識だ。バカバカしい」と怒りをあらわにした。

 言っていることはごもっともである。「お前らもやってるんだろう?」と言う以前に、「自分たちがしてきたことはいけないことだ」と認識しなければいけないのではあるまいか。……とは言うものの、コメントしたのがナベツネであるだけに説得力がまったくない。「あんたが言えた義理か」とツッコミのひとつも入れたくなった人はおれだけではないと思う。自分が過去にしてきたことを棚に上げて、やれモラルだやれ非常識だとコメントするなど笑止である。

 取材を受けたのが夜の会食後というから酒も入っていたかもしれないが、曲がりなりにも会長というポストにある人が、平気で「バカ」と連発するのはいかがなものか。こういう人が会長をやっている巨人っていったいどうなっているんだろう。

 得てして心にやましいところがある人ほど必要以上に饒舌になるものだが。

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退院後の経過報告・その8

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