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……どこかの食堂のお品書きか。
ともかく、おれ、ぶるないは Twitter を始めてみた。案外ここしか見ていない知人もいると思い、ひさしぶりにココログに投稿する次第。
これで最近ただでさえ減っているブログの更新頻度がさらに減るんだろうなあ。
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……どこかの食堂のお品書きか。
ともかく、おれ、ぶるないは Twitter を始めてみた。案外ここしか見ていない知人もいると思い、ひさしぶりにココログに投稿する次第。
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先週末から精神的に参ってしまっている。引き金になったのは、旦那さんがうつ病になってしまうというドラマをナナメに見たことであるのは間違いない。ドラマの中の妙なところに共感してしまい、すっかり自分がきらいになってしまった。
「どうしてもダメなら(本来の通院日は一週間先であるが)月曜に病院行くか?」というところまで追い詰められたが、処方されている薬を飲んで一晩寝たら、なんとかニュートラルに近い状態まで戻った。それでも夜にはまた低調の波が襲ってきて、布団の中で悶々とする日々が続いている。
こんな有様であるから、開催が予定されているオフ会についても、状況いかんによっては参加を遠慮させてもらうかもしれない。こんなテンションの参加者がいても他の人たちを不快にするだけであろうし。
6月3日追記:どうやらどん底をやり過ごした感じ。ゆるやかでも回復に向かうといいのだが。
映画『おくりびと』の影響で納棺師になりたがる人が増えているとか。asahi.comより。
映画「おくりびと」の米国アカデミー賞外国語映画賞受賞で納棺業者が注目されている。遺体に触る仕事として敬遠されがちだったが、映画では永久(とわ)の別れの演出者として描かれ、イメージが一変。不況下の就職難も手伝って「やりがいのある仕事」と求人への応募が相次いでいる。
少々口の悪いことを言わせてもらうと、どんなに時代が変化しても死人が出ることだけは絶対に止められないわけで、食いっぱぐれない商売という見方もできる。そのあたりを考えに入れた上で志願する人もおそらくはいるに相違あるまい。
映画の方は見ていないが、元になったという『納棺夫日記』は読んだ。さまざまな遺体に接するくだりを読むに付け、どうしても昨年初頭の弟の死が思い出された。
あのときは葬儀社の人たちが納棺の儀式も取り仕切ってくれた。あのときは元から遺体に損傷などはなかったが、いつもそんな状況ばかりが回ってくるわけでもないだろうし、精神的に強くないと続けられない仕事だと思う。
記事後半にはこんな記述もある。
葬儀社の下請けで24時間対応。スタッフは社長を含む男性3人と女性8人だが、月に250件近く受注する中には厳しい現場もあり、「自分の心のコントロールが一番大事」と敏宏さん。仕事帰りの車内では努めて、明るく楽しいラジオ番組を聞くという。
なんというか、思わず頭が下がってしまう。
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ひと月前に、パソコン通信時代から親交のあった友人が亡くなった。訃報はあまりにも突然だったため、友人諸氏の間では訃報そのものの真偽すらあやしまれるほどであった。結局は故人と特に親しかった共通の知人に真相を尋ねて、ようやく納得した。
3月最後の週末にはパソ通時代からの友人がひさしぶりに集まった。自分を含めて12人が集まったが、急な招集にもかかわらずこれだけの人数がそろうのは故人の人望であろうか。
会合では四十九日開けの時期を待って、不世出のアニソン唄いであった故人を偲ぶアニカラオフをやりましょう、ということになった。それにしても、亡くなった彼女がいないカラオケオフが催されること自体がなんだか信じられない。
ところが、いざオフの開催が決まると、「あの曲は歌いたい」「あの人には是非あの曲を歌って欲しい」という思考が暴走し始めてしまい、妙にテンションが跳ね上がってしまった。寝付きすら悪くなるあたりが我ながら恐ろしい。
さしあたり、アイアンリーガーの曲の中から1曲(OPか「With」のどちらか)、それと「星の1秒」は押さえさせてもらうぞっと。
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元日早々、乗り鉄に出かけたまではよかったが、帰りの車中で憂鬱の虫に囚われて複雑な心境で帰ってきた(翌日書いた記事)。素人判断ながらその理由に行き当たった、ような気がする。
なんの気なしに読み返し始めた『騙される脳 ~ブームはこうして発生する~』(著:米山公啓、扶桑社新書)にこんな記述があった。「報酬系」という脳内現象について説明するくだりである。
動物実験では、美味しいものを食べているときではなく、「美味しいものが食べられる期待感を持っているとき」、あるいは「予想外の時に美味しいものが食べられたとき」に、最もドーパミンが出ることがわかっています。
またいくら美味しいものでも、飽きがきてしまうとドーパミンが出なくなります。再びドーパミンを出すには、また新しいものを探すしかないのです。(P.85)
「あの列車に乗ろう」「ここで駅舎を撮そう」と予定を立てているときの方が乗っているときよりも楽しい理由が、報酬系の仕組みを持ち出すと理解できる。
ならば机上で好きなだけ旅行の予定を組んで満足すればよさそうなものだが、予定を立てると出かけたくなるから始末に負えない。さりとて、出かけたら出かけたで帰り道で虚しい気分になってしまうのだ。
脳の仕組みに少し明るくなってみても、その仕組みを上手に扱えないとは、なんと難儀な状態なのやら。
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元日には2009年初の乗り鉄に出かけてきた。
まず新宿に出て、中央本線を西へ。小淵沢で有名駅弁の「元気甲斐」を食してから、小海線を昨年デビューしたハイブリッド気動車で小諸まで。それからしなの鉄道と長野新幹線を乗り継いで、上野へ。
こんなふうに昨日の日程を書くと、さぞや充実した一日であったように思われるかもしれないが、長野から乗った新幹線で、上野から乗ったスーパーひたちで、始末に負えない虚しさに囚われていた。えらそうに「乗り鉄が趣味なんです」などと言っているようでいて、結局自分のしていることは「誰かがすでに体験したことの確認作業にすぎないのではないか?」と。
……そんなわけで、昨日の旅行記をまとめる気分になれないでいる。遠出を控えれば、またぞろ「どこそこに行ってみよう」という気持ちが湧いてくるかもしれないが、しばらくその手の記事は書けそうにない。どうしたものやら。
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気が付けば、もう2008年もおしまいである。ろくでもない年であったが、それなりに乗り鉄ライフを満喫してしまった以上、くさすこともないか。それにしてはちっともブログに記事を上げていないのだが。
ブログに書かないようなことはもっぱらmixiで吐き出していた(興味があったらこのブログで使っているハンドルで検索してみてください)。それも相当におちゃらけた雑文ばかり。それも悪くはないのだが、せっかく「まっとうな文章を上げるスペース」を確保しているのだから有効活用しないと。
そうしてやってくる2009年は、早速初日から乗り鉄に出かける。ここに記事を書くかは気分次第だが。
この拙文を読んでいる人たちが、よりよい年を迎えられますように。
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建前上、日本は民主主義の国であるから、価値観の多様性は許容されなければならない、とは思う。とは言うものの、さすがにこの活動には発起人の正気を疑う。
署名を集めて政府に(!)提出するそうな。100万人なんて過大な目標を設定しているのは高い志を抱いているためか、はたまた「どうせ賛同者なんて集まりゃしない」と諦観しているためか。どうせ架空のキャラクターに対して一方的に妄想を抱いているだけなんだから、結婚だの入籍だのと言ったことも脳内で処理すればいいものを。
いずれにせよ、こんな署名活動に本気で熱を上げるようなやつとは関わり合いになりたくないものだ。
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昨日、水頭症手術のフォローアップのために脳外科の病院を訪れた。かかりつけのこの病院は2ヶ月ほど前に現在の場所に移転し、併せて敷地面積も大幅に広くなった。おれが移転後の病院を訪ねるのは初めてのことである。
受付で診察券と保険証を出して、検査室の前で待つ。しばらくするとCTの検査室から名前を呼ばれて頭の写真を撮る。ここまで約20分。移転前と大差はない。「じゃあ診察室の前でお待ちください」ということで、今度は並んでいる診察室の前に場所を変えて再び待ち時間。次は診察室の方からお呼びがかかるはずなのだが、なかなか順番が回ってこない。急患が入って担当の先生がそちらに時間を取られる旨の放送はあったが、あと何人くらいで自分の順番なのか分からないまま待たされるというのはイライラが募るものである。
診察の順番が回ってきたのは、検査が終わってから2時間も後のことであった。診察室に入ると、さっき撮った頭の断層写真はパソコンのディスプレイ上に表示されていた。以前撮った写真もデータ化されて、さっきの写真の隣に表示されている。なるほど、検査室から写真を持ってくる技師がいなかったわけだ。
それにしてもこのシステムも良し悪しで、患者側は自分のカルテがちゃんと回るところを回っているのか不安になる。ただでさえ自分の順番がいつなのか分からないのに、写真のやりとりすら患者から見えないところに行ってしまってはなおさら不安である。
順番がいつ回ってくるか、分かるようにはできないものだろうか? 個人情報保護の観点に立つと名前をそのまま出すのは問題があるが、そうでなくても「自分の順番」の前に何人待っているかを分かるようにする方法はありそうなものだが。
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先週末の6日、明らかに気持ちが堕ちた。当日は新調したメガネを引き取りに出向いたのであるが、駅で電車を待っているときに突然スイッチが切れたかのようにぷつんと堕ちたのであった。電車を待っているときにこうなると、通過する貨物列車をホームから眺めているうちに「ここに飛び込んだら楽になれるかな…」なんて気分になってしまうだけに危険きわまりない。この日はメガネを引き取るなりさっさと帰宅して、夕食もまともに取らぬまま寝てしまった。
翌7日も堕ちた気分は浮上してはこず、食欲も湧いてこないまま、1日の大半を寝床で過ごした。いわゆる「寝逃げ」というやつだ。
こうも明確なタイミングで気持ちが落ちこむのも珍しいが、さすがにそのままにしておけないので、週明けの8日に精神科でカウンセリングを受けた際にはそのときの気持ちを洗いざらいぶちまけた(つもり)。それがよかったのか、通院後はいくらか気持ちが楽になった。
それでも積極的に「死にたい」と思わないまでも、「なにかにしがみついてでも生きていたい」という気持ちになれないのは相変わらずなのであるが。
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