2008.09.28

『パソコンは日本語をどう変えたか』

 今朝の読売新聞に書評が載っていた本。個人的にはちょっと前に読んだものだが、いい機会なので読書録代わりにここに書いておく。

 こんなタイトルが付いているが、全体の8割くらいは『プロジェクトX』ばりに「コンピュータ上で日本語を表示させるために、技術者たちがどれほど苦労してきたか」というエピソードがつづく。バックに中島みゆきの「地上の星」と田口トモロヲのナレーションが欲しくなるが、このくだりは実に興味深くもあり、ちょっと懐かしく、読み応え十分である。コンピュータで日本語処理が実現する以前には「コンピュータで使えないくらいなら漢字なんか廃止してしまえ」などという乱暴な意見が大まじめに論じられていたというのはなんともおっかない。

 本書の終わりの方では、パソコンと携帯電話が普及した昨今では日本人の漢字の知識はどうなっているのか、触れられている。やっぱりなあ、とは思ったが、「読めるけど書けない」という傾向が見られるのは情けない限りである。

 パソコンの普及に伴って、P.244ではこんな指摘も挙がっている。

  • 難しい漢字も読めるが「手で」書けない
  • やたらと難しい漢字を使いがち

 前者については身に染みて痛感する。誰でも書けそうな字なのにど忘れしてしまい、「この字どう書いたっけ?」と慌てた経験は幾度となくある。おれもいちおう漢検の準2級を持ってはいるのだが、それでもこのざまである。くわばらくわばら。

 一方後者については、他人の文章を眺めていて実感する。「いわゆる」という言葉を漢字にする人をよく見かけるが、こうした人の9割以上は自分で「所謂」とは書かないはずだ。そりゃあもう、賭けてもいいくらい。

 先人たちの偉業に敬意を払うと同時に、手書きの重要性を再認識させられた1冊であった。

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2006.12.13

2006年の漢字は「命」

 12日に日本漢字能力検定協会が発表する「今年の漢字」は「命」との報道があった。昨年の「愛」よりはすんなり納得できる結果に落ち着いたように思う。

 この結果になった理由について、主催元は4種類を挙げている。

1.親王「悠仁さま」ご誕生
 秋篠宮紀子さまが約40年ぶりに親王「悠仁さま」をご出産。日本中が祝福ムードに包まれました。 ※この意見は2位「悠」の主要な理由にもなっています。

2.自殺の多発
 いじめによる子供の自殺をはじめ、生活苦による高齢者の自殺など自殺のニュースが相次ぐ中、履修問題の責任をとって校長も自殺したことが理由の大半を占めました。

3.痛ましい事故・事件の多発
 飲酒運転による交通事故死、虐待による殺人事件、竜巻など自然災害による突然の死、そして、ペットの大量処分などに心を痛めたという意見も多く見受けられました。

4.命に不安を覚える出来事の多発
 北朝鮮で核実験が行われたことや、医療制度改革による高齢者の医療費負担の増大、臓器移植問題、医師不足など、命に不安を覚える出来事が数多く挙げられています。

 これはおれの勝手な想像だが、5番目の要素として「アニメ・特撮関係者の相次いだ訃報」もありうるのではないか。このブログで今年取り上げた故人でこの要素に該当するケースを挙げると次のようになる(敬称略。日付は取り上げた記事のもの)。

  • 伊福部昭(2月9日)
  • 佐々木守(2月27日)
  • 宮川泰(3月21日)
  • 曽我町子(5月17日)
  • 鈴置洋孝(8月10日)
  • 曽我部和恭(9月20日)
  • 実相寺昭雄、宮内國郎(11月30日)

 この他、青木智仁(6月14日)、宗左近(6月24日)、メイナード・ファーガソン(8月25日)の訃報を取り上げている。あまりの多さに「まったく、今年はなんて年なんだ」と何度口にしたことか。今月に入って、開設以来変えたことのなかったブログの外観を一新したのも今年の訃報続きに辟易したせいである。

 上位20字が「2006年 今年の漢字」に発表されているが、2位以下の漢字も見てみると、さらに2006年という年が見えてくるように思える。5位に「子」、6位に「殺」と並んでいるのがなにやら象徴的だ。親が幼い子供を虐待の果てに殺す事件も多かったし、某直木賞作家が生まれたばかりの子猫を崖から投げ落として殺していることを新聞のコラムで告白してブーイングを浴びたのも今年の出来事のひとつに数えられる。そうした要素を最大公約数的に代表しているのが「命」という字ではなかったか。


 今年は結果に異論を差し挟むつもりはないが、きわめて個人的に今年を象徴する漢字は「頭」。4月中旬から10月の終わりにかけての半年間は水頭症と手術のことばかりネタにしていたような気がする。坊主にされるわ、頭蓋骨に穴を開けられるわ、頭皮はメスで切られるわ、管は通されるわ、とにかく首から上が大騒ぎの半年間であった(詳しくは「水頭症」カテゴリーをお読みいただきたく)。

 そういや手術という大きな出来事を通して、おれも「命」について思いを馳せたっけなあ。

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2006.05.18

冥福ってなんだっけ

 2006年に入って、やたらアニメや特撮に関わった人たちの訃報が続いている。それだけに「ご冥福をお祈りします」というフレーズを目にする機会も多い。

 が。

 故人の死を悼むにあたって、このフレーズは本当に適切なのだろうか? 以前ヨハネ・パウロ2世が逝去したときにも疑問に思ったのだが、g_takiさんからのトラックバックを頂戴してまたまた再考することになった。日本人は宗教的には無頓着であるためか、誰が亡くなっても「ご冥福を~」という言い回しが安直に使われる。「とりあえずこう言っておけば余計な波風は立たないだろう」という、これまた情けないほど日本人的な「事なかれ主義」が露出してはいまいか。

 そもそも「冥福」という言葉が指すものは何か。これはg_takiさんの記事でも引用されているとおり、「冥土での幸福」を意味する。では「冥土」とはいかなるところであるか。手元の辞書を引いてみると「死んだ者の魂が行くところ」(旺文社国語辞典)とある。そして「冥」という字が示すものは「くらいところ」だ。死んだらそういうところに行くと考えられているようだが、仏教の一宗派である浄土真宗は異なる(前出の引用元によると、そもそも仏教自体に『冥福』という概念がないらしいが、手元の辞典では仏教由来の言葉とされている)。浄土真宗では「死んだ者の魂は浄土に行く」とされている。ゆえに仏式の葬儀で行われる「清めの塩」も浄土真宗での葬儀では使われない。以前葬儀を執り行った住職の法話によると「生前親しくしていた人を、亡くなった途端に穢れもの扱いするのはおかしいです」という。

 仏教ひとつを取り上げてもかくも奥が深い。ましてや他の宗教においてをや。クリスチャンが死後に「冥土に行く」なんてありえないのではあるまいか(功徳のあったクリスチャンは天国に召されるに決まっている)。あしあたり故人を悼むにあたっては、「謹んで哀悼の意を表します」あたりがどの宗派でも使えるフレーズであろう。

 なんにせよ、「これはおかしいのではないか」と思うこと、それを自分の頭で考えることは大事なことだと思う。考えることをやめてしまったら、人間はヒト以下の生物になってしまうから。

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2006.01.15

日本語テストを試す

 日本語変換ソフトATOKの発売元であるジャストシステムが期間限定(2006年2月28日まで)で実施している「ATOK presents 全国一斉!日本語テスト」を試してみた。以前に民放で乱立する日本語クイズ番組をネタにしたことがあったが、それも「そこいらのタレント連中よりはマシだろう」という自負がそれなりにあったからである。

 結果はこうだ。ズルはもちろん画像のレタッチもしていない。
テスト結果
 30問中、正解は26問。わっはっは。……と、ガラにもなく胸を張って自慢してしまうおれである(事前に行われたテストでの平均点は59.6点だそうだ)。欲を言えば、第1問をつまらないケアレスミスで落としたのがちょっと痛かった。

1月19日追記:その後あちこちのブログで、より高得点の方の成績を拝見した。やはり上には上がいるものだ。慢心はいかんなあ。

1月20日追記ぱやんさんのブログで満点を取った人を初めて見た。いやはや、恐れ入りました。

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2005.12.12

ピンとこない一字

 日本漢字能力検定協会が発表する「今年を表わす漢字」が発表された。個人的には「現代用語の基礎知識」が権威付けのために始めた「新語・流行語大賞」よりよほど興味がある。で、発表された「2005年を表わす漢字」は「愛」だった。うーむ、なんかピンとこないなあ。

 YOMIURI ONLINEの記事によれば、

 黒田清子さんと夫の慶樹さんとの結婚や、女子卓球の福原愛さんの中国での活躍などが影響したとみられる。2位は改革の「改」、3位は郵政の「郵」だった。

 ……ということだが、それにしたって理由としては弱い感がある(弟曰く「愛・地球博があったからじゃないの?」。あー、そんなのもあったねえ)。むしろ2位の「改」とか3位の「郵」の方が2005年の世相を反映しているような気がするのはおれだけではないと思う。ピンとこない理由のひとつは4.7%という低い得票率(85,322票中4,019票)もあるだろう。参考までに昨年の場合91,630通の応募があり、2004年の漢字「災」は20,936票(全体の22.8%)を集めている(1995年から2004年までの結果はこちら)。

 思うところは人それぞれであろうが、おれなら2005年を表わす漢字には「脱」を推す。

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2005.10.16

日本語クイズ番組乱立

 10月も半分が過ぎて、番組改編期のスペシャル物もそろそろ落ち着いてきた頃である。おれはあまりテレビを見ない(特に民放は)のであるが、ここ半月ほどの新聞のテレビ欄を見ていると、妙に「日本語」をテーマにしたクイズ形式のバラエティー番組が多いことに気付く。民放各局が足並みを揃えたのか、NHKの「気になることば」で取り上げられる内容に不安感を抱いた国語審議会が圧力でもかけたのか、それとも単なる偶然なのか。他人事ながら、そのうちネタがかぶるのではないかと心配である。

 そんな中、たまたま13日の夕食時に目にしたTBS系の「クイズ!日本語王」はひどかった。ろくに解説もしないで、ひたすら出題と答え合わせの繰り返し(それでも「器」と「機」の使い分けを問う問題はよかったが)。これで視聴者が日本語に関する知識を身につけてくれると思っているとしたら、スタッフの考えはマックスコーヒーより甘い。スタジオで司会者連中の横に突っ立ってた先生は飾り物か?

 番組では小学1年生で習う漢字の筆順を問う問題で「右」を取り上げていたが、「左」とは筆順が違うことをなぜ取り上げないのか(「右」の1画目は「ノ」の部分で、「左」は「一」が1画目)。先述のお飾りの先生は「筆順は文化なんですね」などと言っていたが、筆順というものは漢字を見栄えよく書くための一手段に過ぎない。身も蓋もない言い方をしてしまうと、別の字と誤解されないのであれば筆順なんてどうでもいいのだ。役に立つとしたら、それは国語のテストくらいと考えておいた方が精神衛生上はいいだろう(参考リンク:いわゆる「正しい筆順」の幻想)。

 かくのごとく、番組は「なんだこれは?」な代物だったのであるが、番組のサイトの方はもっとひどい。いずれは内容が書き換えられるであろうから、この場で晒し者にしてやろう。

 「番組内容」は次のようにぶちあげている(太字処理は引用者による)。

TBSが国民的スケールでお送りする一億二千万人の『全国統一国語力テスト』、その名も「クイズ!日本語王」。あれ、これで良いんだっけ?この意味なんだっけ?そんな瞬間誰にでもありますよね?普段何不自由なく使っている日本語も、間違って使っていることが意外に多い!日本人ならば正しい日本語を使えなくては“恥”なのです。みなさんも自分の“日本語力レベル”を知るために番組を見ながら一緒にテストを受けてみませんか?

 以上のように謳っておきながら、13日放送分の出演者のリストにとんでもない間違いがあるからお笑いだ。

飯島愛 / 中尾明慶 / 乾貴美子 / 奈美悦子 / 大浦龍宇一 / 西川史子 / 大和田獏 / 仁科亜季子 / 奥野史子 / 仁科仁美 / 金子貴俊 / パックン(パックンマックン) / 金村義明 / マックン(パックンマックン) / KABA.ちゃん / 東原亜希 / 品川祐(品川庄司) / 古瀬絵理 / 庄司智春(品川庄司) / 水崎綾 女 / さくら / 宮川俊二 / 笑福亭鶴光 / 室井佑月 / 城咲仁 / 薬師寺保栄 / 田丸麻紀 / ラサール石井 / 友近 / 若村麻由美(50音順)

 これのどこが「50音順」なのか。どう見ても順不同である。リストの最初を飯島愛にして最後を若村麻由美にしておけばごまかせるとでも思っているのだろうか。恥を知れTBS。視聴者の蒙を啓く前に身内のWeb担当者を教育するのが先だ。こういうのを日本語では「灯台もと暗し」と形容する。

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2005.09.27

声を「荒らげる」

 まず、このトピックをお読みの方に問題。タイトルの「荒らげる」は何と読むでしょう? 正解は後ほど。

 大相撲中継が終わり、平日の夕方にまた「気になることば」が見られるようになった。これで11月の大相撲九州場所が始まるまでは、自然災害や台風情報でも入らない限りは梅津正樹アナウンサーの解説による「日本語の現代事情」の講釈が聞けるわけで、これが無聊をかこつ身の知的好奇心を刺激してくれる。

 その「気になることば」で今日取り上げたのが、タイトルに挙げた「荒らげる」であった。NHKが平成3年(1991年)に調査したところによると、この言葉を「あらげる」と読んだ人の割合は77%だったという。この答えは間違いで、正解は「あららげる」だ。おれが日頃使っている旺文社の国語辞典にも、ATOK2005とセットで購入した明鏡国語辞典にも「あらげる」という読みはない(ATOK2005は「あらげる」を「荒げる」と変換したが)。

 しかし、誤った用法が定着してしまった例は少なからず存在する。「独壇場(どくだんじょう)」は元々「独擅場(どくせんじょう)」の誤記が一般化してしまった端的な例だし、地名の「秋葉原」の本来の読みは「あきばはら」だったし、「新しい」の読みは元をたどれば「あらたしい」だった。……そういった日本語の変遷を踏まえると、いずれは多くの辞書に「あらげる」が「荒らげる」の一般的な読みとして記載される日が来るのかも知れない(それでも注釈が付くであろうが)。

 なんてことを考えつつブログのチェックをしていたら、ぱやんさんのトピックに行き当たった。ぱやんさんは「こじゃれた」という言葉の辞書的解釈と一般的解釈の相違から、こんな意見を述べている。

言葉が意思疎通の手段である以上、語り手と受け手が共通の認識を持てば、それは「正しい」のではないか?

 なるほどなあ、と、いたく感じ入った。まあエンターテインメント的には辞書的解釈と一般的解釈の差違が大きいほど「おいしい」のであろうが。

 ぱやんさんが見ていた番組(おれはチャンネル権争奪戦で親父に敗れたために少ししか見られなかった)で言葉についての解説を担当していたのは杏林大学の金田一秀穂教授であったが、「こじゃれた」に関してこんな解説をしていたようだ(ぱやんさんのブログより引用)。

「小戯れる(こざれる)」の音便化であり、「小」というのは決していい意味に使わないのだそうだ。

 なるほど、「小うるさい」とか「小賢しい」とか、確かにいい意味には使わないよなあ…と、納得しかけて、頭の中で待ったをかけた。「小綺麗」という言葉が辞書に載ってるけど、これはいい意味で使われる言葉ではないのか? そこんところどうなんだ、言語学者家系の三代目! ……思わず声を荒らげたくなった。

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