2009.05.01

大宝駅と八幡宮

 先月の29日に常総線に出かけたもうひとつの理由は、騰波ノ江の隣にある大宝駅とその近くにある大宝八幡宮であった。

大宝駅駅舎

 騰波ノ江駅をひとしきり堪能した後、列車に揺られること3分で大宝駅に着く。こぢんまりとしてはいるが、無人駅にしては仰々しいくらい立派な駅舎が建っている。「大宝駅」の木彫りの銘板も立派だ。

茨城百景の石碑  駅を後にして八幡宮へ向かう。短いが少し急な坂の上り口に「茨城百景 大寳八幡宮」の石碑が建っていた。南北朝時代には城もあったらしい。

鳥居  坂を上って左を向くと、そこには鳥居が構えられていた。お休み処のお店が2店舗あり、参拝客のささやかな争奪戦を展開している。後で聞いたところによると、多くの参拝客が訪れるのは正月くらいで、ゴールデンウィークといえどもそれほど客足はないという。

大宝八幡宮本殿  拝殿で参拝を済ませて、奥に建つ本殿を拝見する。「国指定重要文化財」という、さながら護符のような一文が添えられている。へんぴと言っては失礼だが、こんなところにも重文指定を受けるような建物があることにはある種の感銘すら覚える。説明文によると、1575年に焼失し、その2年後に再建されたものであるという。

重軽石  参道の途中にあった「重軽石」。ソフトボールくらいの大きさの石がぽんと置いてある。「御神前にて祈願の後」とあるので、参拝してから石を持ってみた。見た目ほど重いものではないな、というのが正直な感想である。

ホームから騰波ノ江方向を臨む

 駅に戻る。次の列車まで時間があったので、騰波ノ江方向にカメラを向けてみた。「ニッポンのローカル線ここにあり」という風景が、そこにはあった。

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2009.04.29

騰波ノ江駅再訪

 昨年10月に改築された騰波ノ江駅をそういやまだ見に行ってないなあ、と思い至り、「ときわ路パス」が通用するうちに出かけることにした。常総線というやつは茨城県北・県央エリアからは感覚的にちょっと遠いうえに運賃も少々高めなので、この手の安上がりな切符が通用する期間でもないと今ひとつ足が向かない路線である。…というわけで、昨年の訪問記も併せてお読みいただきたい。

下館で黒煙を上げるSL「もおか号」  いわきから水戸線直通の列車で下館駅に降り立つと、たまたま真岡鉄道のSL列車が出だす頃合いに出くわした。やはりSLの汽笛は小さいながらも情感に訴えるものがある。

キハ102。下館駅にて  下館駅6番線ホームに待っていたのは旧国鉄形のキハ102。思わず終点の守谷まで乗っていきたい気持ちにも駆られたが、ここは我慢。

下館方面行きホームからの駅舎

 下館からわずか3駅で、今日の最初の目的地、騰波ノ江に到着。どんな駅舎になったのか、期待と不安が入り交じる中降りてみると、そこには昨年見たものと印象のほとんど変わらない駅舎が建っていた。とりあえず下館方面行きホーム側から1枚。

リニューアルされた駅表札  入口上部に据えられた表札(っていうのか?)もリニューアル。これはこれで、威厳があって好印象。

旧駅舎の輝かしい名誉  旧駅舎のガラスを流用したという間仕切りの向こう側に、「関東の名駅百選」の認定書とプレートが。奥のスペースはイベントなどで使用されるようで…。

駅舎全景

 駅を出たところでもう1枚。旧駅舎のイメージが見事に踏襲されている。バリアフリー化の一環か、車椅子用のスロープが新設されたが、かつてはあった電話ボックスはやはり撤去されてしまったようだ。

なんだかミスマッチなPASMOの改札機  待合室に戻ってみる。入ったときからなにやら気にはなっていたが、古風な作りの待合室にはいささか不釣り合いなPASMOの改札機がどどーんとそびえる。導入した手前、ないと困るのは分かるのだが、ミスマッチ感はどうにもぬぐえない。

旧いままの駅名票と新しくなった駅舎

 隣の大宝駅に向かう前に、こちらはリニューアルされなかった駅名票を入れて新駅舎を撮ってみた。バックの駅舎が新しいせいか、駅名票もこぎれいになったような錯覚をおぼえる。

 そういや以前の駅舎の待合室にあった駅ノートはどこにいったのだろう? あれを読み書きするのも楽しみのうちだったのだが。

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2008.08.08

鉄の地巡礼・Scene4「大宮発祥の地と世田谷文学館」

埼玉新都市交通の車両(鉄道博物館駅にて)  明けて7月17日、朝食後にはやばやとチェックアウトして大宮駅へ引き返す。来るときは徒歩であったが、復路には埼玉新都市交通を利用した。スタイルといいカラーリングといい、どことなくおもちゃのような列車に揺られること3分で、もう大宮である。

 大宮を訪れた以上は、駅から徒歩20分のところにある地名発祥の地を訪れておきたい。というわけで、武蔵一宮氷川神社へ向かう。地名が意味する「大いなる宮居」が指す神社はここである。平日の午前中であるから人通りもまばらな参道を抜けて、さらにまばらな境内へ。ひとけのない拝殿で控えめに柏手を打って、とりあえずの目標は達成。駅へ引き返す。

参道に設置された石碑 二の鳥居 屋根を修繕中の楼門 拝殿

 大宮からは埼京線で一気に新宿まで出る。埼京線には幾度か乗る機会があったが、大宮から赤羽・池袋を経由して新宿に至るルートは初めての乗車。これでようやく路線本来の区間(池袋-赤羽間)にも乗ることができた。

京王線新宿駅ホームにて  新宿からは京王線に乗車。これも今まで乗る機会のなかった路線である。頭端式の地下ホームにはターミナル駅の風格がどことなく漂う。普通列車に揺られること20分弱で芦花公園駅に到着。

 駅から出ると、そこかしこに世田谷文学館のポスターが見られる。前日に攣った脚に幾ばくかの不安を感じながら歩くこと5分ほどで、目的の世田谷文学館に到着。会場内での写真撮影は御法度なので、チケット購入前にカメラを鞄に押し込んだ。

芦花公園駅前にて 世田谷文学館入口

「展覧会きっぷ」  いきなり入館チケットで面食らう。さながら駅のマルス端末で発券したかのようなデザイン。高さもほぼ同じという徹底ぶりには恐れ入る。入館券でなく「展覧会きっぷ」としてあるのもいい。パンフレットの内側には国鉄の乗りつぶしに使用した白地図の縮小コピーが使用されていて、これまたファンを唸らせる。

 展示は『阿房列車』に始まる鉄道紀行文学の歴史から、「中公に宮脇あり」と謳われた編集者時代、『時刻表2万キロ』以降の作家としての顔、また、二児の父としての顔なども紹介する展示がこれでもかと並べられている。『最長片道切符の旅』で切符購入に使用した手書きのメモまで展示されていたのには「こんなものも保存されていたのか!」と感心せずにはいられない。

 展示を見ているうちに時間の経過を忘れた。それでも会期中にもう一度出向いて、目に焼き付けたい気持ちになった。

この項終わり

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2008.08.02

鉄の地巡礼・Scene3「大宮大成鉄道村」

 16日の宿は、鉄道博物館の開館に併せてオープンした「大宮大成鉄道村」。もともとはスーパー銭湯だったそうで、「博物館のコンセプトに歩調を揃えて鉄道風にしてみました」という雰囲気がありありと伝わってくる。

 建屋の南側にある入口はそれほど奇をてらった作りではないのだが、北側にはD51を模した建物が建っている。夜にはここに灯りが点って、かなりいかがわしい雰囲気になるようだ(HACHAPPさんのブログに夜の写真あり)。

建物南側 建物北側

 中で下足を靴箱に入れてからチェックイン。宿泊料(朝食付き)を先払いする。以後の支払いはルームキーで集計されてチェックアウト時に精算する仕組みになっている。これはこれで便利なような、かえって使いすぎがコワいような、妙なシステムである。

 部屋は寝台車をイメージしたという作り。個室のイメージらしく、ホテルの部屋としてはいささか窮屈な感じ。部屋ごとの風呂はなく(風呂は大浴場で済ませろということなのだろう)、奥にトイレだけがぽつんとある。窓にはカーテンの代わりにブラインドが付けられていた。ちょっと窓の外を見てみよう(すぐ外には川越線の線路がある)と思ったときなどにはいささか不便である。通常のホテルなら聖書が置かれているところであろうが、ここではJR時刻表が置かれていて妙に納得してしまったり。

シングル室内(通路側) シングル室内(窓側)

 さて、この部屋についておれがしたことはというと、ベッドの上でのたうち回ることであった。鉄道博物館からここにくるまで攣ったふくらはぎをかばうような格好で歩いてきたところ、今度はすねの方が攣ってしまったのである。それも両脚。部屋の壁はけして厚くないので大きな声を出すわけにもいかず、痛みが引くまでただただのたうち回っていた。

 「そろそろ歩いても大丈夫だろう」というところまで回復した頃を見計らって、大浴場へ向かう。……ここにはそれなりに期待もしていたのだが、正直なところ塩素臭がきつく(頭を洗ったら目にしみた)、浴場内にいるのが嗅覚的にもしんどかった。スーパー銭湯というところはどこもこうなのか?

 食事は1階にある「お食事処 展望車」で取る。夕食は各自に注文、朝食は指定時間内に取る方式。カウンター席の真ん中には回転寿司さながらのNゲージのレイアウトが設置されている。食事処のすぐ脇には子どもが遊べるスペースもあり(このへんはホテルというよりも宿泊施設付きの銭湯という色合いが強い)、親子連れが来ると相当にけたたましいことになる。

カウンター席の内側には鉄道模型のレイアウト 線路側の壁面にはSLの写真が飾られている 夕食は温玉たぬきそば(630円)と生ビール(480円) 宿泊料金に含まれている朝食。パン・コーヒー・ジュース・スープはおかわり自由

 両脚の状況が惨憺たるものであったこともあって、夜には施設内のマッサージサービスを受けることにした。時間ごとにコースが設定されており、今回は40分で3600円のコースを選択。担当してくれたおねえさんに「大宮駅から博物館まで歩いてきた」と話したら、やっぱり驚かれた。

この項もう一編つづく

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2008.07.31

鉄の地巡礼・Scene2「鉄道博物館探訪」

 大宮の人には「大宮は鉄道の町」という自覚があるという。1993年2月に大宮駅を取材で訪れた宮脇俊三に、当時の駅長がコメントしている。

「嬉しいのは市民の皆さんに鉄道の町としての愛着があることですね。鉄道まつりをやろうとか、鉄道博物館をつくろうとか、そういう運動が盛りあがっています」(『駅は見ている』P.41)

 なるほど、後段の運動は実を結んだわけか。これを直に聞いた人物の見学が叶わなかったことは残念であるが。

 ……などといった感慨を抱く余裕はなかった。鉄道博物館への入場を前にして、おれはすでに変身直後のアイアンキングのように水を欲していたからである。ぬぐったそばから噴き出してくる汗は一向に止まらず、両脚とも攣る寸前だった。かといってここまで来て引き返しては、大宮まで何をしに来たか分からなくなる。かくて予定を完遂する意図のもと、鉄道博物館駅の改札前からエントランスゾーンへ続くプロムナードへと足を踏み入れた。

4カ国語の案内板時刻表とダイヤで彩られた通路

 プロムナードへの入口には、日本語・英語・中国語・韓国語の4カ国語で書かれた案内板が設置されている。路面のタイルには東北新幹線の時刻表(パンフには大宮開業時とあったが、上野と東京も入っていたぞ)が描かれ、天井には運行ダイヤがデザインされている。かつて交通博物館に設置されていたD51のカットモデルの前にはちょっとした人だかりができていた。いつの時代もSLはファンのあこがれを集め続けている。

入場ゲート  駅の改札と同様の入場ゲート。入場にはSuicaも使えるが、グリーン車の料金支払いと同様に料金を支払った情報をICカードの方に書き込む必要がある。今だから当たり前だと思うが、おれは入館時にそのままSuicaから差し引かれるものと勘違いして、情報を書き込まないまま入館しようとしてゲートに阻まれ、係の人に「あちらでお支払いを…」と言われてしまった。

ヒストリーゾーン1階

 ゲートを抜けて左に折れると、博物館最大の目玉である広大なヒストリーゾーンが広がる。由緒はあるが個人的になじみのない明治期の車両は瞥見で済ませ、ゾーン1階の中央に君臨するC57が転車台の上に乗ってお出迎え。この転車台は15時から回転イベントを実施する。このイベントでは回転中に4回、汽笛の吹鳴も行う。このイベントは実際に間近で見たが、密閉された空間内でのSLの汽笛は確かにけっこうな音量だった。 

 C57の後ろの位置には455系電車が展示されているが、改造されて両端部がロングシートになっていたのは残念。せっかくの国鉄色なのにもったいない。455系の車内を見ている最中に、ついに不安だった脚が攣った。悶絶しているところを心配してくれた通りすがりのお二方、ありがとうございました。

日本食堂への行列  平日であるにもかかわらず、館内で食事ができるスペースにはかなりの人が列を作っていた。日本食堂のスペースにも予想外の人数が行列を作っている。優等列車に当たり前のように食堂車が連結されていた頃は「食堂車は高くてまずい」と言われていたのに、なくなってしまうとそんなものにも郷愁すら感じてしまうのだから、思い出というやつはおそろしい。

コレクションゾーンのヘッドマーク  2階にあるコレクションゾーンに回ってみる。昔使われていた発券機や駅名標、ヘッドマークなどが展示されたスペースである。ヘッドマークの中には、以前オリエント急行が日本で走ったときのものや、ミステリー列車として運行された999号のものも。

博物館南側の特急形電車 博物館北側のキハ11

 博物館の外で撮ったものも2枚。1枚は南側の位置に留置された特急型電車。これは来場者の休憩施設となる。もう1枚は北側に寂しく留置されたキハ11形。それこそ「ぽつん」と、落ち着く場所がないかのように停まっているさまは、見ているこちらまで寂しげな気分にさせるものがある。

 転車台の回転デモを見届けて、おれは博物館を後にした。なにしろ両脚が攣るという異常事態になっていたので、早いところ宿に落ち着いて体を休めたかったのである。

この項さらにつづく

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2008.07.26

鉄の地巡礼・Scene1「鉄道博物館への遠い道」

 7月12日から9月15日まで、世田谷文学館で「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」が開催されている。この際だから、まだ行ったことがない鉄道博物館も行ってみよう、というわけで、夏休みを目前に控えた7月16日に出かけてみた。

 まず買った切符はさいたま新都心まで。ここにはかつて大宮操車場があった(1986年廃止)。駅の近くの広場に記念のレリーフがあるというので、ここを最初の目的地に定めた。

さいたま新都心駅改札

さいたまスーパーアリーナ

 駅に降り立ったのはお昼前。平日だというのに、けっこうな人出がある。高い建物が密集しているせいか風が強い。駅の西側には特撮番組のロケ地としてもおなじみのさいたまスーパーアリーナが、自己主張するかのように建っている。

 さて、目的のレリーフはどこにあるのかな、と駅西口の「けやきひろば」を徘徊することしばし、見つからなかったら観光案内所で訊いてみようかと思い始めた頃になって、1階へ降りるエスカレーターの横に飾られているのを発見。設置からまだ1年も経っていないので、銅板特有の貫禄はまだない。ひとまずホッとして、そそくさと駅へと引き返す。

大宮操車場の記念碑

大宮駅西口  大宮に到着。新幹線の駅というのはどうにも没個性的な駅舎になってしまうなあ。鉄道博物館最寄りの駅は、ここから埼玉新都市交通で一区間である。天気もいいことだし、せっかくだから博物館まで歩いてみよう、と思ったのであるが、この発想はのちに幾人かに呆れられることとなる。

「鉄道博物館まで1.4km」の標識 大宮車両センター壁面の展示パネル 静態保存されているD51型蒸気機関車 「つばめ」のヘッドマーク付きのEF58型電気機関車とEF15型電気機関車(どちらも部分展示)

 歩き始めてすぐに「鉄道博物館まで1.4km」の案内標識が見える。ここから博物館の手前までにはJRの車両センターがあり、「レイルウェイガーデンプロムナード」と銘打たれて歩道との間の壁にパネル展示があったり、機関車の静態展示があったりする。

鉄道博物館の敷地内に置かれた183系・189系電車  当日は日差しも強く、歩いているうちに間断なく汗が噴き出してきた。こんなことなら歩くんじゃなかった、と後悔したが後の祭りである。たかだか20分ばかり歩いただけなのに、汗のかきすぎで半ばグロッキー状態で鉄道博物館への入口へとたどり着いたのだった。

この項つづく

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2008.05.21

常総線 騰波ノ江駅

 騰波ノ江という、一度見ただけではまず「とばのえ」とは読めない名前の駅を初めて認識したのは、昨年11月に初めて乗るつくばエクスプレスを目当てに出かけたときのことだった。このときは天候が悪かったのと、気持ちがほとんどつくばエクスプレスの方に向いていたために「常総線は前座みたいなもん」などというファンに聞かれたら2、3発ははたかれそうなことを考えていた。半ば上の空で秋葉原で落ち合う約束をしている友人たちとの連絡に夢中になっていたところに、「由緒ある田舎の駅でござい」と言わんばかりの味のある駅舎が目に飛び込んできて驚いたのであった。

雨の騰波ノ江駅
2007年11月10日撮影

 その騰波ノ江駅の駅舎が6月末を持って解体され改築されるというニュースを聞いて、「見られなくなる前に行ってこなければ」と強く思うようになった。で、今回の出馬と相成った次第である。

下館駅にて  アプローチは水戸線の下館駅から。6番線に停まっているド派手なラッピング列車に乗り込んで出発。下館から3駅目が今回の目的地である騰波ノ江である。わずか3駅ではあるが、下館からの営業キロが10.1キロとわずかに10キロを越えるため料金は430円と結構なお値段となっている(9キロ超10キロ以下なら400円)。

下館方面行きホームの駅名票  下館から13分ほどで騰波ノ江に到着。2面2線の、列車の行き違いができるホーム。乗ってきた取手行きと、反対側に入線した下館行きを見送ったところで下館行きのホームにある駅名票を1枚。

名所案内  木造の駅舎の壁面に打ち付けられた「名所案内」。附近一帶の「梨名産地」が名所になるかは微妙なところである。

関東の名駅百選の認定書  誇らしげに飾られた「関東の名駅百選」の認定書とプレート。今はなき鹿島鉄道の鉾田駅もその中のひとつであった。

スポンサー名入り駅名案内板  酒造メーカー(とおぼしき)の名前の入った駅名案内板。この手の案内板も現在の関東鉄道ではこの駅を残すのみという。改築と共に消える運命か。

駅舎全景
 外に出て駅舎の全景を1枚。こんな晴天よりは黄昏時よりも遅い時間の方が絵になりそうな駅舎。駐輪場に停めてある自転車は下妻や下館の学校に通う高校生たちが乗ってきているのだろう。電話ボックスも設置されてはいるが、携帯電話が普及した今のご時世に利用者はどれほどいるのやら。
 自動販売機の左側に見える引き戸は風呂場のある離れへつながっている模様。

別棟のトイレ  駅舎に似せて造られたと思われる別棟のトイレ。最近造られたらしく、さすがに水洗式だった。

待合室の過去の遺物  待合室も撮ってみる。これまた今となっては過去の遺物以外の何物でもない伝言板と、かつてここに駅員が常駐していた名残である「お忘れもの」の掲示板。

「腰掛け」が語る歴史  上の写真の反対側。壁に添って作り付けられた腰掛けが83年の歴史を語る。時刻表を掲出するために付けられた真新しい枠がどうしても浮いて見える。

駅ノート  関鉄レールファンCLUBが設置した駅ノート。表紙の裏側には、会の会長さんが騰波ノ江駅の歴史と思い入れをびっしりと寄稿していた。置かれて日が浅いこともあって書き込みの量はまばら。今後の存続を願いつつ、おれも一筆入れさせてもらった。駅ノートというものに書き込んだのは初めてのことだった。

ホーム側から見た駅舎
 去り際に下館方面行きのホームからもう1枚。新しい駅舎がこの風合いを残してくれることを願わずにはいられない。できればこの駅舎がなくなる前にもう一度訪れたい、そんな気持ちにさせてくれる駅であった。

6月6日追記:解体前の最後の週末にはイベントも開催されるそうだ。多くの人に別れを惜しんでもらうのもいいが、ひっそりとした光景の方がこの駅には似合っているように思うのはよそ者の勝手な思い込みであろうか。

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2007.04.30

ときわ路パスで乗り鉄・Scene3「鹿島線~成田線」

 自動券売機で取手までの乗車券を購入。さらにキヨスクでデジカメ用の乾電池も調達。次に乗る列車まで20分という乗り換え時分は、十分なのやら足りないのやら。列車を1本遅らせて鹿島神宮に詣でるという発想もないではなかったが、今回は観光が目的ではないので、高架になっているホームに戻る。

113系横須賀色  1番線で発車を待っているのは113系の横須賀色4両編成。日頃常磐線で交直両用の電車ばかり乗っていると、直流専用の電車に乗るのがなんだか新鮮だ。我ながらおかしなところで感動しているとは思う。土曜日の昼下がりということもあってか、車内には学校帰りの生徒が多い。

北浦橋梁から北側を臨む  発車してすぐに北浦をまたぐ橋梁を渡る。1236メートルもあるという、ながあい鉄橋である。鉄道橋にありがちなアーチ部分がないので景観を存分に楽しむことができる。1999年に公開された「ゴジラ2000 ミレニアム」で久慈川河口でゴジラと撃ち合いをして吹き飛ばされた円盤は、この橋をかすめて北浦に墜落した。

香取駅駅舎 鹿島線0キロ標
 田園地帯をコトコト走り、成田線との分岐駅である香取に着く。駅舎は貨車を改造したお粗末(失礼)なものであるが、ここには鹿島線の0キロ標がある。撮ろうとしたら向かいのホームに電車が…。ガラス3枚越しにムリヤリ撮影。列車はここから成田線に乗り入れて、成田へ向かう。

 成田線に入っても鹿島線と似たような風景が延々と続くが、滑河を過ぎるとレールは利根川に背を向けて山の中へと入っていく。終点の成田が近づくにつれて、空港を飛び立ったばかりの旅客機がたびたび目に付く。つくづく「成田空港って山ん中にあるんだなあ」と再認識。久住付近では沿線に撮り鉄な方々が見えた。約2時間後にやってくるあやめ82号を狙っているのだろう。撮影ポイントなのか?

成田駅駅名標

 終点が近づいてくると成田山新勝寺の三重塔が左手に見えてきた。「ここらで途中下車してお参りでも…」との考えが脳裏をよぎったが、買った切符を改めてみると下車前途無効という無情な6文字が印字されていた。内心で落胆したが、こんな行程を組んだ自分が悪いのである。仕方ないと思いつつ13時59分に成田着。ここで我孫子支線に乗り換える。

E231系  次は14時16分発の我孫子経由上野行き。車輌はE231系。ここまでセミクロスシート車に乗ってきたせいか、全車ロングシートというのはいささか味気ない。常磐線に乗り入れてからなら違和感も感じないのかもしれないが、片田舎という感じの風景とは少々ミスマッチングのような。

 地元の人からすれば「なにをそんなに驚く?」と言われるだろうが、この支線では我孫子までの9駅の中に下総松崎(しもうさまんざき)・木下(きおろし)といった独特の読みの駅名が相次いで現れて、地名の奥深さを思い知らされた。そんな駅名に翻弄されること40分弱、見慣れたイトーヨーカドー我孫子店が見えてきて、14時55分に我孫子着。次は15時7分の水戸行きで、営業開始後に初めて乗るE531系のグリーン車。(Scene4に続く

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2007.04.25

ときわ路パスで乗り鉄・Scene2「鉾田」

 どちらかというと町外れにある新鉾田駅から、かつての鉾田駅までの道のりをひたすら歩く。この日は茨城県内で夏日を記録するほどの暑さだったので、水分補給はこまめに行った。途中にあったファミリーマートでお昼を調達、ついでに鉾田駅への道のりをお店の人に再確認。駅が近づいてくるに従って、沿道が「街並み」に変わっていく様が見て取れる。よっぽど気がせいていたのか、寄り道したにもかかわらず新鉾田から15分ほどで鉾田駅に着いてしまった。

錆びついたレール  すっかり錆びついたレールの踏面。ほんの半月前にはこの上を列車が走っていたのだが、それが信じられないほど錆びついていた。

KR-500形とキハ430形 キハ600形
 構内には3両の車輌がそのまま留置されていた。常陸小川駅ではブルーのシートで覆われた状態になっている写真をネットで見たが、ここでは静態展示のような形で留置されている。KR-500形、キハ430形、キハ600形がそれぞれ1両ずつ。キハ600形601はヘッドマークを取り外した跡が痛々しい。

窓に貼られた注意書き  ブルーシートの代わりに、窓には「立入禁止」「防犯システム 防犯カメラ 作動中」という張り紙が。相次ぐ金属盗難で、レールを無断で持っていかれることも警戒しているだろうが、一部の不届き者も警戒しなければならないから大変だ。

 上の写真を撮ろうとしたときに、佐原から来たという同好の士(しかも鉄道業界にお勤めの方)と会い、しばらく話し込んだ。こっちは千葉県内の鉄道事情には明るくないものだから、正直なところ話を聞いても今ひとつピンとこなかったのにはなんともバツが悪い思いをした。
 「これから鹿島神宮方面へ行くんですよ」などと話していたら、今日は臨時列車がジョイフルトレインで運転されるという。そういえば鹿島神宮発15時2分のあやめ82号があったなあ、と思い至った。「今は鹿島サッカースタジアム駅に停まっているだろう」という話を聞いて狙ってみることにする。

 私信。14日に鉾田駅で会った方、ブレーキハンドルのストラップをつけた携帯を持っていたのはおれです。もしかしたら「マスコン ストラップ」のキーワードでこのブログに来ましたか?


駅名標は撤去済  駅名標はすでに撤去された後。残された枠と、隣の「名所案内」がなんとも寂しい。

鉾田駅駅舎 鯛焼き屋さんは営業中
 駅舎の方に回ってみると、なんと名物の鯛焼き屋さんが営業していた。「そうと分かっていたら、途中でおにぎりなんか買わなかったのに!」と悔やんでみても後の祭り。待合室も事務室内も椅子などはすべて撤去されて、すっかりガランとしている。待合室で残っていたのは発着時刻表だけだった。

ホームから臨む北浦  春を通り越して初夏を思わせる陽気の中、再び新鉾田駅へと戻る。次の鹿島神宮行きまで時間があったので、線路の向こうに見える北浦を撮ってみる。

北浦湖岸の鯉のぼり  予定通り、新鉾田発12時4分の列車で鹿島神宮を目指す。北浦が近づいてくると、湖岸にたくさんの鯉のぼりが見えた。さらに、開業時は「日本一長い駅名」として話題になった長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅も通る。いっときの天下を虚しく誇るでかい駅名標が見えたが、わざわざ撮るのもばからしいので撮らない。

 荒野台を過ぎてからは前方の車窓にも目をこらす。あやめ82号に使われる列車はいつ見える? 乗っている列車はサッカーの日程によっては鹿島サッカースタジアムに臨時停車する。その時刻は12時34分。……お、見えた見えた。

ニューなのはな  カメラのバッテリー残量にびくびくしながら撮った、ジョイフルトレイン「ニューなのはな」。誉められるような写真ではないが、とりあえず撮れただけでも御の字ということにする。

鹿島神宮駅

 列車はJR鹿島線に乗り入れ、12時38分に鹿島神宮着。ときわ路パスはこの先潮来まで有効だが、鹿島線は運行本数があまり多くない。ここで取手までの切符と、デジカメ用の電池を調達する。次に乗るのは12時58分発の成田行き。(Scene3に続く

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2006.07.02

日立駅とその周辺

 先週ハチロク見物をするついでに、かつて頻繁に利用していた日立駅をひさしぶりにじっくり見てきた。ご無沙汰しているうちに周辺店舗の店子が入れ替わっていたりして、ずいぶん驚かされた。

日立駅中央口
日立駅中央口を平和通り(駅前通り)側から

タービン動翼のオブジェ
駅前にあるタービン動翼

 写真(上)中央の右側に見えるオブジェは、「日立製作所発祥の地」であることを象徴するタービン動翼(説明を信用する限りでは本物であるらしい)。以前はこの場所に噴水があったが、駅前ロータリーの整備作業に伴って撤去され、バス乗り場の位置も大幅に変更されている。おれと同じバスでかみね公園へ向かったお年寄りは、「乗り場が変わって分かりにくくなった」と口にしていた。

 おれが最寄り駅として利用していたころには、駅の西側にだだっ広い空間があった。駅の至近に日立製作所が製品を搬出するために使う多くの引き込み線があったのだが、物流の主流が鉄道からトラックへと移行したこともあって、事実上ほったらかしになっていたのである。このスペースには駅前ロータリーよりも早く手が入り、日立新都市広場の整備やイトーヨーカ堂日立店がオープンするなどして、人の流れを国道6号線寄りから駅前に集中させることとなった。その弊害として、それまでの繁華街は半ばゴーストタウン化し、2005年には老舗デパートのボンベルタ伊勢甚日立店も閉店に追いやられてしまった。

 物流の中心だったことの名残は駅構内にも残っている。

跨線橋
1番線から中央口方向へ延びる跨線橋

 ホーム北側にある「中央口」の利用客は、否応なくこの長ーい跨線橋を通らなければならない。写真に写っている線路は一番右のもの以外はJR貨物の管轄下にある(写真左側にJR貨物のマークが入ったコンテナが見える)。しかしながら、写真の通りほとんど利用されていないのが現状で、利用者は「無駄に長い距離を歩かされている」という心境にあるのではなかろうか。写真の右側のさらに奥には3番線ホームがあり、その南端には「海岸口」がある。日立駅本来の駅舎はこの位置にあった。

海岸口駅舎
海岸口駅舎

 利用者が少ないのか、こちらの駅舎はこぢんまりとしている。親に話を聞いてみると、かつては海岸口を「旧駅」、中央口を「新駅」と呼び分けていたそうだ。

 そんな日立駅を橋上駅とする計画が進んでいる。駅ビルを造るのではなく、平屋の橋上駅となるようだ(もっとも、中央口と海岸口では高低差があるので構造上は立体的になるが)。コンペティションの結果では、このような駅舎になるらしい。利用者の利便性を高めるのはけっこうなのだが、かつての中心街がすっかり寂れているのはどうにも空しい。かみね公園から駅までを歩いてみたが、「景気の回復傾向なんてウソだ」と思わざるを得なくなったのが正直な感想である。

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