「葬式鉄」に抱く不快感
いわゆる「葬式鉄」がメディアに取り上げられたことで、鉄道ファン全体への風当たりが強くなっているように感じる。実際にプラットホーム上で「仕事をしている駅員」に対して罵声を浴びせる信じがたい動画を見て、いたたまれない気持ちになった。
では我が身を振り返ってみるとどうだったろう。2006年の暮れ、ちょうど廃線の発表が公式にあった週の終わりに鹿島鉄道に乗りに行ったときの光景を思い出す。自分も紛れもない葬式鉄の1人であったのだが、少なくとも「鉄道はみんなのもの」という意識はあったはずだ。記事を読み返してみると、その当時にして前面展望に固執する一部の乗客に苦々しい感想を抱いている。
葬式鉄には、基本的に「余裕がない」。「もうすぐ乗れ(見られ)なくなる」という焦燥感から、いきおい言葉尻は荒くなる。その行き着く果てが、やれ「鉄ヲタ専用車両でーす」だの「一般人は乗れませーん」だのといったユガミまくった選民意識。こうした言葉の選び方からすると、「自分たちは乗客のプロなんだから、乗りたい車両に乗れるのは当然なのだ」くらいのことは言いかねないだけに、徒党を組んだ葬式鉄はおっかない。むしろ「乗客のプロなら他の乗客の見本になるくらいになれないのか?」……などとも思うのだが。
もし彼ら葬式鉄に乗車マナーの向上が見込めないのであれば、鉄道会社がそういった連中を現場から排除できる、法的なブレーキが付けられないものだろうか。それでも「おれたちゃ客だぞ、乗せろ!」と迫られたら、「おまえらみたいなのは客じゃねえ、とっとと出てけ!」と公的に主張できる権利を鉄道会社に与えてほしいと切に願う。
それから、これだけは主張しておきたい。「マスコミが取り上げる、鉄道ファンの品位を落とすような言動の連中はあくまでも一握りである」ということ。鉄道ファンの多くは至って紳士的なので、ご心配なきように。
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下館駅6番線ホームに待っていたのは旧国鉄形のキハ102。思わず終点の守谷まで乗っていきたい気持ちにも駆られたが、ここは我慢。
入口上部に据えられた表札(っていうのか?)もリニューアル。これはこれで、威厳があって好印象。
































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