2008.10.31

課題作文「あなたとゴジラの出会いは?」

 こんなタイトルで書くと、なんだか学校の宿題みたいである。

 一番古い「新作ゴジラ」の記憶は『ゴジラ対メガロ』であったと思う。その頃ゴジラは人間の味方であった。ゴジラの出自からすれば信じられないような境遇の変化である。なにせ地上の人間の核実験に困った海底人が攻撃してきて、それにゴジラが立ち向かっちゃうのである。かつて水爆実験の被害に遭ったはずのゴジラはどこへ行った? これでは本末転倒である。主客逆転である。でも当時はそんなストーリーがまかり通っていた。

 翌1974年に公開された『ゴジラ対メカゴジラ』が、初めて劇場で見たゴジラ映画となった。とはいえ当時5歳の幼稚園児に、おとなしく映画を見て、ストーリーを把握して、自分なりの感想を述べるように求めるのは酷である。実際のところ「映画館で見た」という記憶はあっても、映画そのものの記憶はさっぱり残っていない。

 そのあとゴジラの新作を映画館で見たのは1984年になる。かつてゴジラが好きだった幼稚園児は、ゴジラが好きな高校生になっていた。その当時にして「いまどき大まじめに怪獣映画が作れるのか」と妙な感慨にふけった記憶がある。

 そんな感慨にふけってから24年、ゴジラシリーズはよりクリアな映像になって帰ってきている。どうせ見返すなら、見慣れた平成VSシリーズよりも、古き良き時代の、よく言えば「大らかなゴジラ」を楽しみたいと思う。

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2007.10.06

ウルトラセブンバッテン

 製作発表の段階で書いた記事で「世間によくある『○周年記念作品』にろくなもんはない」とコメントしたが、第1話を見たら「あー、やっぱりね…」と大きなタメイキをついてしまったよ、「ULTRASEVEN X」(リンクなんか張ってやらないぞ)。40年前に製作された作品に対して失礼なので、ここでは「ウルトラセブンバッテン」と呼びたい。いっそのこと「ウノレう七ブソ×」でもいいかもしれない。香港製品のインチキ日本語か。

 なんでしょうか、あの「ブレードランナー」な世界観は。武装した暴走族が街を牛耳っていても不思議じゃないかもしれない。降っている雨は酸性ですか。ポリススピナーか治安警察のヘリがおれの見ていないところを飛んでいたりするのでしょうか。

 そこに出てくる、あまりにも貧相な対エイリアン組織もなんだかなあ、という印象がぬぐえない。悪質な地球外生命体を撃滅するための組織なのに、武装は特殊な銃だけでいいのか。乗り物が出てきた途端に真っ逆さまに非力になるのも情けないし。

 敵になるエイリアンも密談してたかと思ったら、なんの伏線もなく巨大なやつがぼこっと現れる超展開ぶり。そこに登場する全身タイツの室伏広治。アイスラッガーが「回転する鈍器」になってるのはどういう了見だ? 斬れないアイスラッガーなんかただのカツラだ。モト冬樹の頭にでも着けておけ。

 うんざりしたおれが来週以降の録画予約を取り消したのは改めて記すまでもないだろう。

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2007.08.07

最初から最後まで茨城県庁だぜ!

 電王とゲキレンジャーの映画を見てきた。時間帯は昨年とほとんど同じだったのだが、お客の入りは今年の方がちょい多め。なんか腐女子系列っぽいグループもちらほら。中にはウラタロスに釣られちゃったらしい女性ファン(黒縁メガネに青いウィッグを着けた、見ていて少々イタイタしい外見)もいたりして、改めて電王のファン層の広さを思い知ったりした。限定版のパンフも公開から4日目なのに早々に売り切れてたし。

以下、ネタを割りまくっているので見ていない人は注意されたし

 前座その1、電影版ゲキレンジャー。「香港ロケ」が売りのひとつだったはずだが、「ここ香港で撮りましたあ!」というシーンがエンディングくらいにしかないというのはどういうことなのか。セット内のシーンがほとんどだし、名乗りもいつもの岩場だし。

 香港には中国への返還を翌年に控えた1996年に行ってきたが、期せずして確認してしまったのは「ゴジラVSデストロイア」での香港ロケが観光地を回るだけの「手抜き」としか言いようのないロケだったこと。「あー、あのカットはここから撮ったのね」というのが観光地めぐりをしていて気付いてしまうようでは程度が知れる。「VSデストロイア」の場合、ゴジラの香港襲撃はついでみたいなものだから笑って許せもするが、ゲキレンジャーが香港ロケをタイトルにまで入れておいてあの内容なのは、ロケ地である香港に失礼なのではあるまいか。

 前座その2、モモタロスのなつやすみ。…笑うところはどこですか? それこそ「モモタロス人気あるみたいなんで作ってみました」という雰囲気が全編に漂う、良くも悪くも看板に偽りない「おまけ」。

 で、モモタロスに言わせれば「前振り」になるであろう2本を見た後で「俺、誕生!」突入。

 おー、ジュエリーホープ、外見だけじゃなくて屋内まで茨城県庁でロケしとる(U良太郎とK良太郎の登場シーンも県庁の敷地内。結構広いのだ)。先日のテレビ放映分でずいぶんと映画の方のシーンも見せられてしまったので新鮮味が足りなかったりするが、それでもきっちり見せ場として用意されているので十分OK。

 石室コマンダー牙王と配下のイマジン連中の個性が今ひとつ弱い印象(ウィングフォームの出番も「劇場版限定」の割にあっけない)もあったが、モモタロスたち4バカがドタバタ暴れ回るのを見る映画と割り切れば(いや、割り切らなくても)十分楽しめた。長石監督も「深く考えないで見てね」という趣旨のコメントをしてたし。

 案外劇場版での最大の見ものは、小太郎が変身するミニ電王かも知れん。変身前の溝口琢矢くんが自らスーツを着て立ち回りまで演じているが、「俺、参上!」のポーズはかなり堂に入ったものだったと思う。ホント、ここ数年の子役の演技レベルは間違いなく上がっているなあ。1970年代あたりにゲストで出ていた子役とは雲泥の差があるぞ(当時の方々には失礼だが)。

 昨年かなりガッカリさせられた分、今年は存分に楽しめた。できればメイキングやらディレクターズカット版やらいろいろ舞台裏も見てみたい気持ちにしてくれる、楽しい映画であった。

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2007.08.01

二十世紀はバイバイ 何だかんだにサンキュー

 作詞家の阿久悠氏が亡くなった。享年71。

 つい先日NHKを見ていたら、半田健人がますだおかだに歌謡曲のうんちくを語る番組に「解説者」として出演していたのを見たばかりだったので、この訃報には驚いた。その番組での阿久氏は顔色も悪く、ずいぶんやつれた印象を受けたので「どこか悪いのでは?」とも思ってはいたのだが。

 阿久氏というと、1970年代の歌謡曲(このころはJ-POPなどというスカしたフレーズは存在しなかった)の作詞家を代表する人物であった。Wikipediaを見てみても綺羅星の如くヒット曲のタイトルが並んでいる。守備範囲は歌謡曲にとどまらず、およそ歌詞の付いている曲であれば、それこそ「適当に石を投げれば当たる」くらい数多くのジャンルの曲に詞を提供している(アニメソングや校歌なども)。その数は5000を越えるというから恐れ入る。

 で、訃報に触れるにあたってタイトルにはどの曲から歌詞を拝借するか悩んだ結果、大多数のアニメファンが挙げるであろう『ヤマト』は敢えてはずし、氏が手がけたアニメソングとしてはリストの終わりの方に記載されるであろう『はれときどきぶた』3代目のオープニング「BOO ~おなかが空くほど笑ってみたい~」から感謝の意を込めて引っ張ってみた。

 阿久さん、何だかんだにありがとうございました。ゆっくりお休みください。

8月2日追記:冒頭で触れた番組は5月に収録されたという記事(デイリースポーツ)を読んだ。体調の悪化はそのすぐ後であったようだ。

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2007.07.26

「よーく見ろ。目つきが悪い」

 世間によくある「○周年記念作品」にろくなもんはない、というのはおれの持論である。「ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品」と銘打って製作された「ウルトラマンメビウス」は珍しい例外であったが、どうやら「ウルトラセブン」は多数派の列に並ぶことになりそうだ。

 Sponichi Annexより「ウルトラセブン 40年ぶり復活」。秋にTBS系で放映される「ウルトラセブンX」だとさ。妙にマッチョで腹筋の割れたデザインも相当にアレだが、この目つきの悪さはなんなんだ。CREW GUYSのサコミズ隊長から偽物呼ばわりされても文句を言えないデザインである(爪先が尖っていれば完璧だ)。往年のファンからは早々に「これは『ウルトラセブンペケ』ではないのか」などと言われているが、まったく同感である。改めて成田亨のデザインと、セブンのスーツアクターを務めた上西弘次の体型の妙に感動を覚えてしまった。このスーツだけでもオリジナルの「セブン」を冒涜しているように思えて仕方ない。

 40周年を祝うのも結構だけど、あまりファンを怒らせない方が身のためだと思いますよ、円谷プロの皆様。おれを含む一部ファンは「平成セブン」すら認めていないんだから。

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2007.06.29

「だが、今は去っていく」

 声優でありナレーターでもあった中江真司氏が28日に亡くなった。享年72。

 近年ではすっかり「『トリビアの泉』のナレーター」という肩書が板に付いていたように思うが、「冒険王ビィト」や「金色のコルダ」などアニメ声優としても活動していたことを知ったのはWikipediaで中江氏の記事を検索してである。

 それでも、おれの世代からすればやはり仮面ライダーシリーズでのナレーションの印象が強烈に残る。カラオケで「レッツゴー!! ライダーキック」を歌ったときに、後奏にぴったり収まるように「仮面ライダー・本郷猛は改造人間である。…」のナレーションを入れて悦に入った特撮ファンは少なくないだろう。そういえば21世紀の初日に出かけたカラオケで、V3のオープニングでこれやったっけ。

 独特の語り口には、いつどこで聞いても中江氏と分かる個性が光っていた。ウルトラセブンのパチンコ台のCMではメトロン星人の声を往時と変わらない名調子で当てていたし、DSのソフトのCMでも「トリビア」ばりのシュールな雰囲気を醸し出していた。

 つい3ヶ月前に小林恭治氏の訃報を聞かされたばかりだというのに、中江氏の訃報まで聞かされるとは思ってもいなかった。名ナレーターの魂の安らかならんことを。

「平和と正義の7人の戦士、仮面ライダー。彼らは、地上に悪のある限り、その勇姿を現すに違いない。だが、今は去っていく。さようなら、仮面ライダーよ。さようなら」(「仮面ライダーストロンガー」最終話より)

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2007.06.04

遙か彼方の光にむけて

 作曲家でピアニストの羽田健太郎さんが2日に亡くなった。享年58。

 行年が早すぎることもさることながら、癌などというものと縁のなさそうな方だっただけに受けた衝撃は大きい(Wikipediaの記事によればだいぶ前から体調を崩しておられたようだが)。

 ハネケンさんといえば、すぎやまこういち氏御用達のピアニストでもあり、世界で初めて「ウィザードリィ」に音楽をつけた人でもある(アルバム「We Love Wizardry」収録の『地下迷宮』のアレンジは怖すぎ)。個人的には1992年9月に聞きに行った「オーケストラによるゲーム音楽コンサート2」ですぎやま氏と漫才さながらのMCを担当していた姿も忘れがたい。

 劇伴を担当されると、いささか大仰に(悪く言えばクサく)聞こえる曲を書く作曲家であった印象を受ける。アニメでは代表作と言えるであろう「マクロス」がそうであったし、中盤から参加した「ドラグナー」でもシリーズの最初から参加していた渡辺俊幸氏とは作風が異なるので、作中で流れると「ああ、これはハネケンさんの曲だな」と分かったものだった。だからといって不当に低く評価する気はないのだが。

 タイトルに引用した「マクロス」のエンディング曲『ランナー』は、ボーカルを担当した藤原誠氏の声とも相まって、しっとりとした名曲になった。作品としてはあまり好きではない「マクロス」だが、この曲は大好きだった。

 天国では晩年やめていたというお酒を楽しんでくださいね。謹んで哀悼の意を表します。

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2007.05.08

THE ETERNAL SECOND

 元俳優の阿知波信介さんが4日に亡くなったとの報を聞いた。享年67。

 「『ウルトラセブン』のソガ隊員」と言えば、特撮ファンならずともその顔を思い出せるであろう人であった。ソガ隊員はウルトラ警備隊随一の射撃の名手であり、モロボシ・ダンとよくつるんでいたことでも印象に残る。この種のキャラクターはクールな役回りになることが多いが、ソガは誰よりも血の気の多さを感じさせる人物造形をされていたように思う。

 その阿知波さんの死因が自殺というのはどうにもやりきれない。亡くなった日の前後についてはZAKZAKの記事が詳しい。

 阿知波氏は3年前に脳梗塞のため入院。その後も高血圧治療のため、自身の体力や気力の低下を心配し、周囲に悩みを明かしていたという。

 ちょうど1年前に水頭症の検査やら手術やらで入院したときに、脳梗塞の患者さんと話す機会が何度かあった。やはり自分の体が思うように動かないというのは相当にもどかしいようだった。そんな症状で2度も入院すれば、気力も落ちてしまうだろう。悩む阿知波さんを誰も支えてあげられなかったというご遺族の無念さは察するに余りある。

 ZAKZAKの記事にもあるが、今年は「セブン」放送から40年の節目の年。そんな年に、当時のレギュラーが自ら命を絶ってしまったというのは残念としか言いようがない。

 このトピックにつけた「THE ETERNAL SECOND」は、ソガがメインになったエピソードである第36話「必殺の0.1秒」の英語版タイトル。今夜はこれを見て阿知波さんを偲ぶことにしようと思う。

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2007.03.23

ウルトラセブンとラフマニノフ

 「ウルトラセブン」の最終話『史上最大の侵略(後編)』で、ダンが自分の正体をアンヌに告げるシーンに使われているのがロベルト・シューマン作曲の「ピアノ協奏曲イ短調 作品54」の第1楽章であるのは、ファンの間では有名である(その後戦闘シーンでも使用)。しかし、この選曲は次善策として採用されたものだった。

 1983年刊行の「ファンタスティックコレクション No.29 ウルトラセブン SFヒーローのすばらしき世界」に寄稿した満田監督はこう語っている(明らかな誤字は引用者が訂正した)。

私の頭の中には、ダンがアンヌに「僕はウルトラセブンなんだ」と告白するシーンに絶対使いたいピアノのメロディがあった。ラフマニノフのピアノコンチェルトだ。ダビング(セリフや効果音、音楽等をミックする作業)の時に、音楽担当の冬木透にラフマニノフのピアノコンチェルトのレコードを持って来てもらって聞いた。違う! 私の頭の中にあるメロディとは全然違う。楽曲名を誤って憶えていたのだ。冬木透が別に持って来てくれたレコードから何かを選曲することにした。結局、シューマンのピアノコンチェルトになった。

 ……かくのような経緯をたどり、あのシーンに流れる曲にはシューマンのピアノ協奏曲が採用された。個人的な話になるが、この稿ではラフマニノフの名前が「ラフマニーフ」と誤記されていたため(この本は縦書きだった)、おれは長いことこの作曲家の名前を間違って記憶していた。朝日ソノラマも罪なことをしたものである。多感な時期にこの本に触れたおかげで、セブンとシューマンとラフマニノフは三点セットで頭の中に刻印されてしまった。日頃クラシックを聴く機会はほとんどないが、ラフマニノフの名前を聞くと「本当はあのシーンに流れるはずだったのはこの曲だったのかな?」と思うようになった。

 昨夜放映された「のだめカンタービレ」で流れた「ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18」を聞いて、またも「ひょっとしてこれだったのか?」との思いに囚われた。ラフマニノフが作ったピアノ協奏曲は全部で5曲だから、満田監督が作曲者の名前を間違えて憶えていない限りはこの中のどれかということになる。冬木氏がその時に持参したレコードはそのすべてを網羅していなかったのだろうか? あの最終回の放映から40年弱、真相は闇の中である。

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2007.03.10

「サヨウナラ、サブロウクン」

 声優でありナレーターでもあった小林恭治氏が8日に亡くなった。享年75。

 訃報を伝えるasahi.comの記事では「おそ松くん」のイヤミと「ひょっこりひょうたん島」のマシンガン・ダンディが代表作としてあげられているが、このあたりを見ていた世代よりも少し下のおれなどからすると「声優:小林恭治」よりも「ナレーター:小林恭治」のイメージが強い。特に1978年から1986年にかけて放映されたNHKの「ウルトラアイ」が印象深い。知的でかつどんな年代にも親しみやすい語り口に、科学への興味をそそられた視聴者は少なくなかったと思う。おれとほぼ同年代の谷口悟朗監督が「プラネテス」で小林氏をナレーターに起用したのにも、少なからず「ウルトラアイ」の影響があったのではなかろうか(NHKでの放映だったこともあるし)。

 個人的なイメージが「小林恭治=ナレーター」で固まっているせいか、「銀河英雄伝説」で声優としての演技を耳にしたときには少なからず面食らってしまったものだ。

 特撮物でも何本かのナレーションを担当した小林氏であるが、変わったところでは「ウルトラセブン」のゴドラ星人や「大鉄人17」中盤以降のワンセブンの声も演じている。

 ワンセブンがしゃべるようになったことに不満を持つ向きもおられるだろうが(当初ワンセブンは「イエス」と「ノー」のシグナルでしか意志を表示できなかった)、放映当時のおれはむしろワンセブンが小林氏の声でしゃべることで、それまでより近しい存在になったように感じた記憶がある。それだけに最終話でワンセブンが敵の親玉もろとも自爆してしまったのは寂しかった(「そのラストは『ジャイアントロボ』と同じじゃないのか」などとつっこまないように)。今回タイトルに使ったのは、最終話で主人公の三郎に向けたワンセブンの別れの言葉である。短くありふれたこの言葉に込められたワンセブンの思いを今になって想像すると、思わず泣けてきてしまう。

 稀代の名ナレーターよ、永遠に。あなたの声はけして忘れません。

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